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11.17
Sat
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乙女高原から望む南アルプス連山 2018年10月19日写す。以下同じ

南アルプスは山梨県から静岡県まで連なる連山。南アルプスの最高峰、
富士山に次ぐ標高の北岳が見える絶景の場所だが雲に覆われ見えなかった。
ガッカリで枯れススキを掻き分け咲き残りの花を探した。

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リンドウ(竜胆)リンドウ科

♪白樺揺れる高原に、リンドウ咲いて恋を知る♪幼い頃、姉が唄っていた。
幼心に恋など解る訳ないのに未だに忘れないのは何だろう。
リンドウの花の色、形に秘密があるのかも知れない。

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マツムシソウ(松虫草) スイカズラ科

名の由来は難かしくて聞いてもピンと来ない。
松虫の音のように優雅で美しい花と思う事にしている。
かなりの群落があったようで枯れ残りが無惨だった。
ただ一もと、割と形の整った咲き残りが胸をギュツと。

千利休が朝顔の盛りに秀吉をお茶に招待した。秀吉は乱れ咲く
朝顔を楽しみに利休庵を訪ねたが利休は朝顔を全部摘み取り、
秀吉を茶室に招じ入れた。茶室に一輪だけ活けてあったと聞いたことがある。
やはり後世に名を残す人は違うナと。鈍感な身でも一輪の朝顔の美しさが浮かぶ。
咲き残りを見て利休になった気分だった。
実のところは無理にそう思った。

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アキノキリンソウ(秋の麒麟草)キク科

黄金色に豪華に咲く花なのに盛りが過ぎれば斯くの如し、哀れ。
人の一生もかくやとばかり。あまり思いたくないが。
麒麟は中国の想像上の動物。全身から五色の光を放つ霊獣。
麒麟草は間違いで黄輪草だという学者がいる。
だが学者でない者には麒麟草が断然いい、空想が膨らむから。
黄輪草では花の形を云うだけでつまらない。
学者は既成の説にイチャモンをつけたがるようだ。
諸説あるとよく聞くがイチャモンのせいだろう。

兄弟分に悪名高いアメリカ渡来の“セイタカアワダチソウ(背高泡立ち草)”がある。
隙あらばと土手や空き地を占領して我が物顔に蔓延る嫌われ者。
よくよく見ればきれいな花だが度を超すと嫌われる。
人間も同じだなとつくづく。

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野菊 キク科

野山に咲く色々な野生の菊を総称して野菊と云うそうだ。
色や姿形がそれぞれ少し違う。それぞれの名前を覚えるのは面倒。
全て“野菊”と呼ぶ事にしている。
人間だって顔形は違うが同じ人間。

菊ほど日本人に親しまれた花は少ない。
日本の国花でもある。酒を”菊の水”とも云う。
平家の武将、平盛久は処刑を免れ頼朝の祝いの杯を受け
「種は千代ぞと菊の水」と祝言の謡をうたい喜びの舞を舞った。

“死”に赴く人間の心境を綴った能「盛久」は舞の要素は少しだが
人の生死を考えさせられる名曲。

鎌倉に護送される盛久は輿を清水観音の方角に向けさせ手を合わせる。
盛久は日頃から観音を深く信仰していた。
観音様が極楽浄土に導くことを信じ手を合わせる静かな姿に、
死の恐怖が和らいでいく風情がただよう。
何ものも持たない無信心な己を思い合せ死の恐怖は如何ばかりかと戦慄が走る。

輿は京を離れ鎌倉に向かう。鎌倉には“死”が待っている。
輿は東海道の名所を通過する。地謡が名所の数々を謡う。
ただ名所の美景を謡うというだけではない。死を覚悟しこの世の名残に見て
気持ちの整理をしているであろう盛久の心中が謡われているようで感動の波がドット押し寄せる。

鎌倉に着いた盛久はこの世の名残にと観音経を読み、少しまどろむ内に夢を見る。
夢に白髪の老人が現れ「汝年月、多年の誠抽んでて発心人に越えたり。
 心安く思うべし我汝が命に代るべし」老人は清水観音だったのだろうか。

盛久は由比ガ浜の刑場に引き出され座に直り経巻を開き、刑の執行を待つ。
処刑人が太刀を振り上げる、経巻、光を発し処刑人の目を射、太刀を取り落とす。
太刀は段々に折れる。

即刻、顛末が頼朝に報告される。
盛久が刑執行の前夜見た夢と同じ夢を頼朝も見た。
盛久は許され、頼朝は酒宴を催す。
盛久は鎌倉までも聞こえた舞の名手だった。
頼朝の所望に盛久は舞を舞う。
「種は千代ぞと菊の水」と祝言の謡をうたい喜びの舞を舞う盛久の舞姿に
万感迫らない訳がない。

盛久
斬首を免れ喜びの舞を舞う盛久。
シテ 二十五世金剛流宗家 金剛巌

能「盛久」の詳しい解説はここちら



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11.11
Sun


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勝沼の町遠望
2018年10月18日写す。以下同じ

乙女高原は中央高速、勝沼から1時間程。
山の中腹の桃やブドウ畑の中の絶景を走る。
眼下に甲府盆地、遠くに南アルプスが浮かび上がり夢を誘う。
桃の花の時期はまさに桃源郷。

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カワラナデシコ(河原撫子)ナデシコ科

「閻王の口や牡丹を吐かんとす」与謝蕪村の句を咄嗟に思い出した。
どこで誰に教わったか思い出せないが何を表現しているのか、もう一つで
気になっていた。このナデシコのすさまじい形相に出会い自己流に納得した。
晩秋に近い乙女高原の秋の花は、咲き残りと言うより朽ち残りだった。
ナデシコは淡い紅色だがどうしたことか真っ赤だった。
朽ち行く命の無念を訴えているように見えた。

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ヤマハハコ(山母子) キク科

すでに実になっていた。もともと地味な花で、花だか実だか見分けがつかない。
だが風情がある花だと思う。大げさに云って庭に例えると枯山水。やはり大げさ。
芭蕉やその周辺の俳人が好きそうな花だがヤマハハコの句はあるのだろうか、
聞いたことはないが。

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リュウノウギク(竜脳菊)キク科

唯一、花盛りだった。
日当たりのよい山地に咲く花だという。
崖から茎を精一杯伸ばして、ぶら下がって咲いていた。
何とも云い得ない風情だった。
“崖の坊”生け花宗匠の力作と思わず叫んでしまった。

竜脳とは聞き慣れない言葉。南の国の木から抽出する香料だそうだ。
樟脳に似た香りだという。葉を揉むと微かに香る。
一頃は必需品だった竜脳や樟脳などの香料や防虫剤は縁遠いものになった。
化学合成の製品にとって代わられた。
化学合成品は色々問題も引き起こすようだが時代の趨勢では仕方がないのだろうか。

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ヤマラッキョウ(山辣韭) ネギ科

他の花と同じように朽ち残りの様相だった。
盛りの色は紅色がかったが紫色の花だが、紫がひときわ濃く臨終の色か、哀れを思わせた。
ヤマラッキョウは畑のラッキョウと花も形もよく似ている。
味もいいそうだが可哀そうで食べる勇気がでない。

紫は高貴な色。
日本人の永遠のヒーロー、源義経は八島の戦いに“紫裾濃の著背長”を着て戦った。
紫裾濃は上の方から下に、しだいに濃く紫色に染める技法、著背長は大将が着る鎧
だそうだ。

能「八島」は源義経の武勇を語る能。
前場で八島の浦を訪ねた僧の前に老人姿の義経の亡霊が現れ、
「面白や月海上に浮かんでは波濤夜火に似たり」
「一葉万里の船の道、ただ一帆の風に任す」と述懐する。
勇名を馳せた八島の合戦に思いを回し浦の景色をジッと眺め入る姿がグッと胸に迫る。
八島の能はこの場面だけいいといった友人がいた。
 
老人義経は僧に昔を回顧して
「大将軍の御装束には赤地の錦の直垂に、紫裾濃の御著背長鐙踏ん張り鞍笠に突っ立ち上がり、一院の御使、源氏の大将、検非違使五位の将源義経と名乗し御骨柄」と老いの身に渾身の力を込めて往年の雄姿を語り、息も吐かせず“錣引き”の勇壮を語る。

平家の猛将、景清が源氏方、三保の谷の四朗の兜の錣を掴んで引いた。
景清が引く、三保の谷は逃れよう前に引く。首を保護する鉄か又は皮で作った錣が切れた。
景清は三保の谷の首の力を、三保の谷は景清の腕の力を褒め、互いに笑いながら別れた。
戦争には避けられない理由があるのは昔も今も変わらないだろうが、今の戦争の
ようにただ殺せばいいではなく、昔の戦には武勇を競い合うその中に美があった。

三光尉
三光尉(さんこうじょう)「八島」前シテの使用面。
素朴な老人の顔立ちの中に逞しさをも写していると云われる。

僧の夢の枕に、義経は昔のままの雄姿を現す。
「落花枝に帰らず、破鏡再び照らさず」とは云うが妄執に引かれ再び現れたと
“弓流し”の武勇を語る。

馬上に全軍を指揮する義経、誤って弓を取り落とす。折しもの引き潮に弓は敵船近く
まで流れて行く。義経は馬を泳がせ弓を追う。船の敵兵共は熊手を義経に掛ける。
義経は熊手を切り払い切り払い、弓を拾い上げ元の渚の雄姿に戻る。
ハラハラドキドキで見守っていた側近の兼房、涙を流して諫言する。
「たとい千金を延べたる御弓なりとも御命には代へ給うべきか」
義経「この弓を敵に取られ義経は小兵なりと言われんは無念の次第なるべし
   、、、(弓を)敵に渡さじとて波に引かるる弓取りの名は末代にあらずや、、、
   惜しむは名のため惜しまぬは一命なれば身を捨ててこそ後記に佳名をとどむべき」

平太
戦いに明け暮れ逞しく日焼けした関東武士の相貌。平太は鎌倉時代の武将の名

源平の時代だったら名将であろう今の傑物が“権力争い、お金儲け”に狂奔、
破鏡への道を走るのを見て、あの世の義経は苦笑しているかもしれない、
と現代の足軽(かく云うオレのこと)はヤッカム。

「八島」は盛り沢山の大作。作者は世阿弥だという。世阿弥作の能は「井筒」に
代表されるように、的を絞った分かりい名文の名作が多い。
盛沢山の「八島」や「山姥」は世阿弥の異色作のように思える。

能「八島」の詳しい解説はこちら

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11.03
Sat
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多摩川上水 2018年11月1日写す。

多摩川上水は江戸前期、江戸の人達の飲み水を運ぶために作られた川。
多摩川の上流、羽村村から江戸まで43キロ、高低差100メートル
程を流れ下る。ろくな測量器もない時代の工事技術に今の技術者
も驚くという。想像を絶する難工事だったという。
数十年前から役目を終え静かに流れている。
一時取水口を閉め空堀状態だったが川沿いの住民の熱い要望に再び流れが
蘇った。水量は少ないが大きな鯉が元気に泳ぎまわり大きな口をパクパク
餌をねだっている。

街の中を流れる河だが野生の草花が信じられないほど咲く。
両岸は遊歩道、季節には花を愛でながらのハイカーで賑う。
近年、雑木が急成長して川を覆っている。岸が崩れないだろうかとか
桜や野の花が危ないとか、いらぬ心配だろうか。
小金井市あたりの上水の土手は江戸時代からの桜の名所。
あちこちに案内の看板があるが桜は手入れもなく枯れそう。
桜の名所は“桜の名所”と云う所名に変わりそうだ。

平成22年から31年まで10年で整備工事を行うという計画の看板が
掲げてある。2,3年前200メールほど整備工事が始まったかに見えたが
中断したまま。残り1年でどうしてくれるのだろう。
生い茂る雑木の大木を見上げ花々の行く末を思い吐息。
豊洲市場、オリンピックに敏腕を振るう偉い方が都庁においでになるそうだ。
多摩川上水のために、大きな腕は畏れ多いのでせめて小指の先でもぴくりで
結構ですので動かして頂きたいものです。

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ツリガネニンジン(釣鐘人参)キキョウ科 2018年10月8日写す。以下同じ

若芽はよく知られた山菜、トトキ。
「山で美味いはオケラにトトキ。里でうまいはウリ、ナスビ、
嫁に喰わすも惜しゅうござる」よく知られたざれ歌。
釣鐘人参の人参は根が朝鮮人参に似ているから。
漢方薬の材料だが朝鮮人参には遠く及ばないらしい。
釣鐘は普通お寺の梵鐘を云う。釣鐘は大げさだが
ガラスの風鈴を思わせかわいい。
「風鈴の音にちりけり雲の峰」正岡子規の句だそうだ。
雲の峰は入道雲のことだそうだ。
「雲の峯、幾つ崩れて月の山」芭蕉の奥の細道の句。
月の山は出羽三山の一つ月山、2000メートル弱の急峻な山。
持病持ちの芭蕉が登った時の句だと云うからビックリ。

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ヤマハギ(山萩) マメ科

萩は万葉の昔から歌に詠まれたという。文人墨客に最も親しまれた花かも知れない。
「一つ家に遊女も寝たり萩と月」奥の細道の芭蕉の句だそうだ。
色々、想像を掻き立たせる句。能の表現形式に似ていると独り合点。
芭蕉は平安後期の歌人、西行の奥州行脚の跡を辿り旅したという。
西行の行脚の目的地、平泉までは行かず途中最上川を下り酒田を経て帰途についた。

西行はもと北面の武士、名は佐藤則清。22歳で出家、思い止めようと縋りつく
娘と妻を縁側から庭に蹴っ転ろがして寺へ向かったと聞いたことがある。
面白い話だが西行の伝説や歌風から思うと、西行の出家の意志の固さを語る
作り話ではないだろうか。

西行は高野山を拠点に仏道と和歌の道を求めて弘法大師ゆかりの地、四国や九州を
巡り歩いたという。漂白の詩人。
奥州には二回も旅した。二回目の旅は東大寺に頼まれて岩手の平泉に藤原氏を
訪ね金を貰う旅たったそうだ。当時平泉は金の産地だった。
金箔に覆われた中尊寺金堂が往時を偲ばせる。
当時はもちろん国道四号線や東北新幹線がある訳ではない。
トコトコ歩くか馬に乗るかの旅で多分、所によっては獣道のような道もあっただろう。
四年後に亡くなった。無理が祟ったのかも。は苦難の旅を思って。

能「西行桜」では晩年、西行は洛西に庵を結び隠棲したことになっている。
「西行桜」は閑寂の世界を描くをこととした能。

西行の庵の桜は見事で名所になっていた。洛中から花見が押し寄せる。
迷惑な西行「憂世を厭う山住なるを、貴賤群集の厭わしいき」
と云い歌を詠む。
「花見にと、群れつつ人の来るのみぞ、あたら桜の科にぞありける」
厳めしい姿の老人が現れ西行の歌を咎める。老人は桜の精だった。
「憂世と見るも山とみるも、唯その人の心にあり、非情無心の草木の
花に浮世の科あらじ」と文句を云う。流石の西行も降参の態。

桜の精の老人は洛中の名所の桜の魅力を、謡い舞って見せ、
閑雅に「序ノ舞」を舞い春の夜の曙に消える。

能「西行桜(さいぎょうざくら)」の詳しい解説はこちら

《能を見に行きませんか?》

平成30年11月17日(日) 於国立能楽堂

能 玉葛 (たまかづら) 詳しい解説ははこちら
源氏物語「玉葛の巻」から美女、玉葛の苦難が死後も
妄執となり苦しむ様を見せる。

能 船弁慶(ふなべんけい) 詳しい解説はこちら
  前場に義経の愛妾、静が義経との離別に美しく舞を舞う。
  後場で平家の猛将、平知盛の亡霊が現れ義経主従に襲いかかる活劇をみせる。

船弁慶 (2)


純星会(能を楽しむ趣味人の会)
《会員の皆さんによる 謡、仕舞、舞囃子の会があります。是非見に来てください。》
平成30年11月18日(日) 10:00~16:00くらいまで
於 新宿区矢来 矢来能楽堂(どなたでもご見学いただけます。入場無料)

なつ
舞囃子を楽しむ少年

京都で
会員の記念写真

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10.27
Sat
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小金井公園の倒木 2018年10月8日写す。以下同じ

9月30日夜半、台風24号が東京を襲った。
東京の台風など大したことはないと高いびき、夜中に猛烈な風の音に目が覚めた。
東京で初めての経験だった。八王子市で翌日0時11分、風速45,6m
観測史上初めての記録だそうだ。
小金井公園は惨憺たるありさま。あちこちで大木が根こそぎ倒れ
太い幹が途中で折れているのも随所にあった。
台風の猛威に唖然は通り越し慄然。

小金井公園は小金井市にある広大な自然たっぷりの公園。
最近、売店や小さなレストラン、子供の遊び施設など次々に出来ている。
以前は静かな公園だったがこのところ若い家族連れが目立ちにぎやか。
駐車場も満車。

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コスモス キク科

コスモス畑も台風メは容赦しなかった。何とも無惨なありさまだった。
かよわいお姫様のような風情の花だ。巨木の吹き倒すほどの台風、無惨な情景に思わず
“無惨や死の縁とて、生所を去って東の果ての、路の傍の土となって”と
コスモスに謡い掛けてしまった。能「隅田川」の一節。
能「隅田川」の母は狂女となって我が子を訪ねて都から遥々隅田川に辿り着く。
隅田川河畔の柳の木の下辺りから念仏が聞こえる。
命日に人々が集い供養する念仏の声だった。塚の主は我が子だった。
親子の悲劇を描き、聞こえた名作。

コスモスはギリシャ語だそうだ。整然と秩序あるという意味だという。
宇宙と云う意味もあるという。
宇宙の星はばらばらで無秩序に見えるが星座の名が示すように学者には星は
整然と秩序正しく並んでいるのだろう。
花のコスモスも同じだというが何が秩序正しいか分からない。
無学の者には星も花のコスモスもバラバラで無秩序に輝き、また咲いているのが
この上なくきれいに見える。

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トランポリン

小山のように小高い面白い形のトランポリン。子供達が大はしゃぎだった。
人気の施設のようで順番待ちの付き添いお父さん、お母さんで長蛇の列。
男の子も女の子も入れ混じり飛んだり跳ねたり転んだり。

戦後(二次大戦)しばらくまでは、こうした光景は見られなかったという。
男の子は表でメンコ、チャンバラごっこ、女の子は部屋でお手玉、お人形遊び。
「男女七歳にして席を同じうせず」儒教の教えだそうだ。
人の心の中に深く沁み込んでいたのだろう。
儒教的教育の名残が戦後しばらく消えなかったということだろうか。

平安の昔、上流階級の女性は立って歩く事さえ、はしたない事だったという。
常に部屋にこもり、草紙など読んで暮らしたという。
ご対面も几帳を隔て、それでも足りず袖で顔を隠すこともあったそうだ。
源氏物語、若菜の巻で女三宮が蹴鞠見物したのも簾越しだった。
実に不健康な生活だった。高貴な女性の平均寿命が三十五才だったと云うのも尤も。

男も短かった。源氏物語の主人公、光源氏は四十半ばにして己を翁呼ばわりにした。
源氏の邸宅、六条院の蹴鞠の折、源氏の正妻、三宮の飼い猫が逃げ出し猫の引き綱が
簾を巻き上げた。蹴鞠中の左大臣の息子、柏木は三宮を簾なしで見る。
たちまち恋の病に狂い、ついには無理に契りを結んでしまう。
源氏物語絵巻に柏木と三宮の間の罪の子を抱き物思いに沈む源氏が描かれている。

源氏は柏木を呼びつけ、己を翁呼ばわりにして若い柏木の不倫を知らぬふりをしながら
ネチネチと匂わせて責め立てた。柏木は罪の重さに悔恨著しく床に就き終に亡くなる。
当時は身分の上下、貧富の差を問わず短命だったようだ。
だがいつの世でも驚くような例外もある。
平安末期の歌人藤原俊成は90才、その子、持病もちで癇癪持ちの変人だったと云う
定家は80才まで齢を全うした。定家は十代から和歌の天才的才能を見せたという。
後の世の詩人たちの尊敬を集めた歌人西行は定家の才能を高く評価、選歌を頼んだという。

能「遊行柳」では柏木の恋や西行の歌の次第が語られる。
「遊行柳」は閑寂の情趣の世界を描き出した能とされる。
西行が奥州行脚の途中、白河の関の手前で柳の古木の下で休息した。
その古木を詠んだ歌
「道の辺に清水流るる楊蔭、暫しとてこそ、たちとまりけれ」
歌に詠まれた柳の精が遊行上人の前に現れて柳の故事を語り仏の道を語る。
仏語が多く語られ難解だが、難解が神秘に変わり神秘を加味した閑寂の世界に誘う。
クセに柳の故事を語り、大宮人の蹴鞠の場に四角に植えられていた木の一つ柳から
柏木の恋に及び、閑寂に彩を添える。
作者は閑寂の世界とは無縁の「船弁慶」「安宅」など活劇の能の作者、観世信光。
世阿弥の「西行桜」に触発されて作ったと云う。

遊行は坊さんが布教のため行脚することを云うそうだ。
中でも時宗は遊行による布教を重んじた。時宗を遊行宗とも云ったという。
総本山、清浄光寺(遊行寺)は神奈川県藤沢市に今もある。閑静な情趣ある寺。

游行柳
“手飼いの虎の引き綱も”柏木の恋を語る柳の精

能「遊行柳」の詳しい解説はこちら
「隅田川」はこちら

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10.23
Tue
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ダイモンジソウ(大文字草)ユキノシタ科 奥多摩産 
2018年10月2日 写す

“大”の字は威圧を感ずる言葉の接頭語並みに使われる。
ダイモンジソウの大は驕り高ぶったという意味ではない。
“大”の字形に咲くので大文字草。
己の器をより大きく見せようと躍起になる人間とは違う。
より美しく見せようなど驕り高ぶった雰囲気など微塵もない白く清楚な花。
今年は35度を越す酷暑が続いたせいか開花も遅れ花も小さい。
静まり返った奥山の水気の多い岩の上に咲く花、過酷な娑婆の陽気に
参ったのだろう。

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ルコウソウ(縷紅草)ヒルガオ科 杉並区産(原産、南アメリカ)
2018年9月11日 写す

荻窪に趣味で知り合った飲み友達がいた。
さほど飲む訳ではないが、あちこちの面白そうな飲み屋を探すのが楽しみだと
誘われた。記憶に焼き付いたのは下北沢と神楽坂。両方とも小ぎれいな小料理屋。
中年のおかみさんが出迎えてくれた。
下北沢の店は、客の目の前で大きな魚を料理して食べさせるコーナーがあった。
気に入って数回行った。
神楽坂は場所柄か、きれいな店で器もきれい、だが料理は口に合わなかったし
徳利は小さく酒の量もチョッピリで高かったので二度と行かなかった。
懐が不安になると件の友達のアパートで飲んだ。
怪し気な創作料理を作ったが、たまにはイケてる料理が作れて褒められた。
アパートは環八通りに近かった。環八の歩道にルコウソウが咲いていた。
外来種や園芸種には興味がないが真っ赤な小さな花形が目を引いた。
初めて見た気がしたし勿論名前も知らなかった。
種を頂いて猫の額に蒔いた。こいつがトンデモない奴で大事な花に絡みついて
往生した。きれいなものは兎角面倒を引き起こす。
友達は齢、30を一つ二つ越していた。
東関東大震災で母親の命令で勤めも辞め、すんなり故郷の広島に帰った。
齢30少々で母親の命に従うという並外れた資質の人がいるのだなと思い交々。
後で知ったが、原発事故報道が伝えた恐怖は東京の人達よりも関西の人達
の方が大きかったようだ。友の母を鬼にした。
やっかい者のルコウソウだが友の思い出があるので徹底駆除はやめ少し残している。

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トウガラシ(唐辛子)ナス科  種子島産
2018年9月6日 写す

種子島、屋久島は南西諸島の基点あたりの島。
南西諸島の人達は刺身をワサビではなく唐辛子で食べる。
トウガラシをコショウとよぶ。
トウガラシは一年草だが南西諸島では冬でも枯れない。多年草と云うより木。
種子島で種をもらい鉢植えで十年余りだが尚なお健在。
春には小さい可愛い白い花をこぼれる程に咲かせ、真っ赤な実をつける。
小粒だが猛烈に辛い。

南西諸島は九州南端から南へ点々と大小の島を連ね沖縄、台湾まで続く。
島の道とも云うそうだ。奈良以前の昔からの交易路だったという。
平清盛に反逆を企てた俊寛僧都が流された硫黄島もその一つ。
屋久島の近くの火山島で最近大爆発を起こし話題になった。
俊寛はこの島に豊富な火薬の原料、硫黄を採集して中国の貿易船に売ったという。
高貴な平安の都の僧都がボロをまとい火山に登る傷ましい姿が想われて哀れ。
俊寛僧都は建礼門院徳子の御産の赦免にも外れ硫黄島、即ち鬼界ケ島で
生涯を閉じた。能「俊寛」はこの俊寛の悲劇を作った名作。
共に流された藤原成経、平康頼は許され迎えの船に乗る。
見送る俊寛の姿を能独特の手法でみせる。
俊寛の哀れの描写はその実際を遥かに越す迫力。

種子島、西之表市の小さな旅館にと泊った。
隣の部屋で宴会が始まった。どんな人たちの集まりだろうと聞き耳を立てた。
長らしき人の挨拶が終わり十分も経たないうちに大賑わいとなった。
廊下でかなり酔ったメンバーの一人に会場に引きずり込まれた。
「種子島文学」と云う会の定例会だった。
鉄砲伝来にまつわる「若狭」と云う女性の説話を聞いた。
座は次第にシンミリ、中には涙を浮かべうつむく人もいた。
1543年、中国の難破船に同乗していたポルトガルの商人によって
種子島に初めて鉄砲が伝えられた。鉄砲にまつわる哀話だった。

若狭は刀鍛冶の娘だった。
若狭の父金兵衛は京都、本能寺付きの刀鍛冶であり一家は敬虔な日蓮宗の信者だった。
日蓮宗迫害の大事件が京都で起きた。金兵衛一家も京都を逃れ
本能寺で親交のあった種子島出身の僧を頼って来島した。

卓抜した技術を持つ金兵衛に島主は鉄砲の複製を命ずる。
金兵衛は寸分違わぬ鉄砲を復元したが当時日本にはなかった技術で、銃身の底の
螺旋を用いた部分が作れなかった。鉄砲の玉は火薬の爆発で飛ぶ。
工夫を重ねた金兵衛だったが火薬の爆発に耐える銃底が作れなかった。
難破船に同乗していたポルトガルの商人は美貌の若狭との結婚を
島主に申し入れていた。
銃底の技術に行き詰まり苦悩する父金兵衛を見かねた若狭は
ポルトガル商人に嫁すことを決断する。
鉄砲を作る技術者を連れて再び島に帰ることが条件だった。
始めて見るポルトガル人の顔の形、衣服、言葉、その異形に恐れたことは
想像に難くない。
若狭は初めて見るポルトガル人が冥土の閻魔大王に見えたと述懐したという。

鉄砲伝来は日本の歴史を変えた。種子島の一女性、若狭が戦乱を終わらせ
日本に平和をもたらした。会長がこう結んだ。
皿の刺身を見つめながらうつむき聞いていた。
若狭の話が終わり、大きく吐息をつき刺身を頬張った。
途端、口の中で金兵衛の鉄砲の火薬が爆発した。トウガラシの火薬が。

家に帰り阿刀田公の「リスボアを見た女」を読んだ。
リスボアはリスボン、ポルトガルの首都だそうだ。
種子島文学の人達の若狭に寄せる想いがよみがえり読後感はトウガラシだった。
「あはれ此処、若狭の墓か白砂の、もろく崩るる浜辺の丘」
彼らに教えてもらった海音寺潮五郎の歌を思い出し読後感の唐辛子を和らげた。

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イワギボウシ(岩擬宝珠) ユリ科 奥秩父産
2018年8月7日 写す

外国人の憧れの花だそうだ。アメリカに愛好者の会があって日本の自生地を
見に来るツアーもあると聞いたことがある。
ギボウシは東北地方ではウルイ、主要な山菜。
天ぷらや茹でて和え物が美味い。

ギボウシは蕾が橋の欄干の飾り、擬宝珠に似ているからだそうだ。
最近はそこらの橋では見ないが、お寺や神社の池に架かる橋の欄干を
飾っているのを見る。
擬宝珠の宝珠は宝石。人間は昔から女も男も、指、手首、首、頭、胸、
果ては鼻、唇、恥ずかしい処まで飾る人がいると聞く。
宝石よりも、美味しいつまみと美味しい酒の方が余っ程いいナと述懐
したら友人曰くお前貧乏だからだ、ヤッカミだ。
動物は元々身を飾る習性があるンだ。
なるほど、神様も仏様も宝珠でご神体を飾っている。
竜宮の守護神、龍神様が宝珠を略奪した能がある「海女」

唐の皇帝から贈られた宝珠が讃州、志度の浦の沖で龍神に奪われる。
大宝律令の編纂者、藤原不比等は宝珠を取り返すべく志度の浦に下る。
不比等は処の海女乙女と契りを交わし一子をもうける。
後に内大臣となった藤原房前。房前の役は子方が勤める。
高貴な身分を表し卑賎な身分の母、海女との対比を見せ母性愛を際立たせる。
内大臣の位ののぼった房前は、母の身分を知らないまま追善供養を行うため
志度の浦を訪れる。
海藻を刈り取る鎌を手にした海女が現れる。
賤しい海女と貴公子、波乱のドラマの予感に期待が高まる。
海女は宝珠奪還の顛末を語る。

海女乙女は我が子房前を世継ぎの位に立てるという不比等との約束を取り付け
一命を賭して志度の浦の沖の竜宮に赴き、竜神が守る宝珠を奪い返す。
竜神に追われた海女は乳房をかき切りその中に宝珠を隠す。
引き上げられた海女は乳房の深傷と龍神の仕業で深手を負い瀕死の態だった。
“玉ノ段”と云い強烈な場面を生々しく再現して見せる。
宝珠奪還の子細を語った海女は、その海女乙女こそ自分であると名乗り波の底に
消える。

房前の母、海女は竜女となって供養する房前の前に現れ感謝の舞「早舞」を舞う。
早舞はノリのよい典雅な舞。
後場は経典の言葉で埋め尽くされる。理解は難しいが極楽の雰囲気が醸される。

海女
「乳の下をかき切り玉を押し籠め剣を捨ててぞ伏したりける」
竜宮の玉を盗み取り竜神の追われる凄惨な場面を見せる海女

能「海人(あま)」の詳しい解説はこちら
「俊寛(しゅんかん)」はこちら


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