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04.15
Mon
河津桜2024
河津桜 2024年3月1日武蔵野市境で写す

河津桜は自然交配の早咲きの桜。伊豆の河津で発見された。
花の頃、河津川の桜並木は見物客で大賑わい。

桜と言えば桜花見。桜の下の酒宴で度を越しご乱行に及び毎年話題になる。
その昔、桜の名所、玉川上水に隣接の小金井公園で謡曲の同好の人達と花見をした。
笛や鼓も賑やかに舞も舞った。謡曲は劣勢伝統芸能、花見には似合わない音曲。
花見の人達が珍しがってだと思う、ビ-ル缶片手に見物に集まった。

桜を見ると悲喜こもごも。
桜は菊と共に日本の国花。国花ながら戦いにも利用された。
桜はパッと咲きパッと散る。
その潔い姿を歌に作り若者たちを鼓舞して戦場に送った。
多くの若者が命を落とした。長男の兄も23才で戦死した。
日本も二次大戦まで侵略戦争を繰り返した。

世界では今、二つの侵略戦争が続いている。
どうしてそんなに領地が欲しいのかナ~?
衣食住足りて月に8000円ほどの小遣いがあれば私はそれだけで幸せだが。
国の権力者が独裁者となり何かに付け、こじつけ戦争に導く。
庶民が彼らに命まで捨てて従うのは何故だろう。彼らの魔力とは一体何?
彼らは人間からもう一段階進化した人種なのかも知れないと思ったり。

今、中東で侵略戦争している国の民族はその昔、ローマに滅ぼされ世界各地に離散、
二次大戦後、旧約聖書に約束された地であるとこの地に建国したそうだ。
三千数百年の時の流れを物ともせず建国したと言うのだからビックリ。
この建国はアメリカで映画化された。「栄光への脱出」主演は時の人気俳優、
ポールニュウマン。世界中で大ヒットしたという。
この民族はヒトラーに散々虐められた人達だ。
当時、世界の人達の同情が大きかったのには頷ける。

キリスト教に引かれた身内がキリスト教の聖地のこの国のエルサレムに行った。
当時大干ばつで水源地をこの国に奪われた隣の国の人達は飲み水にも事欠き苦しんでいた。
エルサレムの人達はプールで楽しんでいた。これを目の当たりにした身内、以来キリスト教を口にしなくなった。

独歩桜2024
国木田独歩碑の桜 2024年4月4日写す

JR中央線武蔵境駅から北へ数百メートル、玉川上水の橋“桜橋”の袂に
国木田独歩の文学碑があり独歩の代表作「武蔵野」の一節が刻まれている。
独歩はこの辺りに引っ越して住んでいたそうだ。
独歩碑に差し掛けた傘のようにソメイヨシノが咲いていた。
玉川上水の桜は独歩碑の桜を境に下流はソメイヨシノ、上流は山桜。

玉川上水は江戸時代から桜の名所と知られていた。
各地の山の山桜が移植されたそうだ。
中でも山桜の名所、茨城県桜川の桜が植えられたという。
桜川の桜は京都、嵐山にも植えられたそうだ。

平安末期、陽成天皇の摂政、藤原基経が亡くなり伏見の墓所に埋葬された。
これを傷んだ上野(かみつけ)の嶺雄が哀悼の歌を詠んだ。
「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」
この歌を典拠に能「墨染桜」が作られた。
亡くなった藤原基経を仁明天皇の崩御とした。

天皇の崩御を悼む曲であるので天皇又は天皇に準ずる皇族の崩御の追悼のみに
演ぜられる。謡、仕舞等は許されている。
原曲は乱拍子などもあったらしいが現行曲は哀悼のみに絞ったと言う。
シテは桜の精。天皇が愛された桜とはよほどの桜だったのだろう。
もしかして桜川の桜だったのではなんて、こじ付けが過ぎるかかも。

ワキ、上野嶺雄が仁明天皇の御陵に詣でる。仁明天皇が愛した桜が花盛りだった。
峰雄は一首の歌を詠み短柵に書付け枝に掛け帰ろうとする。
呼掛ながら女が現れる。

女は唐織着流し、面は若い女面の孫次郎の里女の姿。
面、孫次郎は室町時代末の金剛坐大夫、金剛孫次郎が亡くなった愛妻を偲んで
その面影を写したと言われる面。以来、河内などの名工が写しを打った。
本面は日本橋の三井記念美術館に所蔵。重要文化財。

女は嶺雄の歌「この春ばかりは墨染めに咲け」の「この春ばかり」を「この春よりは」と
して欲しいと注文を付け消え失せる。女は帝が愛した桜の精だった。
草木の精の化身は女性か男ではよぼよぼの老人姿で現れる。
血気盛んな男姿はない。

EPSON964.jpg
“この春よりは墨染めに咲け”追悼を舞う桜の精

嶺雄の読経に桜の精が本体を現す。
桜の精は桜の徳をクセに舞い追悼の「序之舞」を舞い「深草の野辺の桜し心あらば
この春よりは墨染めに咲け」とキリを舞い消え失せる。

桜の精は僧形の女のかぶり物“花帽子”をかぶる。花帽子は絹の平織りの白い布、
通気性に乏しく苦しい事、この上もない。

能「墨染桜」の詳しい解説はこちら


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04.01
Mon
木蓮202403

ハクモクレン(白木蓮)モクレン科 2024年3月21日写す

白木蓮が満開になった。白木蓮が散り始めると一週間ほどで桜が咲く。
縮こまって寒さに耐えている雑草やタンポポ、ホトケノザなどの花も
急に勢いを増す。木蓮はまさに春を告げる花。
木蓮は中国渡来の花だそうだ。日本の山には白木蓮にそっくりのコブシが咲く。
花は木蓮より小さく花弁も少し薄い。
その昔、インドのホテルのロビーでピアノを聞きながらウイスキーを飲んだ。
リクエストをどうぞと日本語でも書いてあった。酔うと理性もへったくれもなくなる。
私は日本人ですよとばかり“君が代”をリクエストした。
ややあって流れてきたのは当時日本で大流行していた演歌“北国の春”だった。
♪白樺、青空、南風、コブシ咲くあの丘北国のあゝ北国の春♪
その頃は能に現を抜かし他の芸能には耳や目が向かなかった。
東北は山の景色や植物などが南の故郷とは違い憧れの地だった。
“北国の春”が何時の間にか頭に侵入した。

インドの人は人前では酒を飲まないとガイドさんが教えてくれた。
酒は人の魂を奪うから飲まない方が良いと言う事だそうだ。
北インドにはイスラム教徒が多い、その所為かナと思ったらそうでも無さそう。
大きなホテルやレストランでは酒は飲める。飲んでいるのはインド以外の外国人だけ。
同行の人達には内緒でガイドさんに頼み込み町の小さな食堂に連れて行ってもらった。
試しにビールを頼んだ。ガイドさんと店主、奥でひそひそ、出て来たビールは
コ-ヒーカップの中だった。
帰国に余ったルピーをガイドさんに上げた。お礼にと紙に厳重に包んだ品を渡された。
開いてみたらウイスキーだった。

モクレンが咲き桜が咲き爛漫の春の終わりを告げる花は桃の花や杏の花。
山梨には桃の果樹園が多く花の季節には甲府盆地は桃色の海が波打つ。
甲府盆地の人達は花見と言えば桃の花見。桃も中国から渡来した。
桃の花は豪華に咲き実も赤ん坊の頬っぺたで可愛くきれい。

豪華に咲き、きれい花なのに能に描かれたのは「西王母」一曲だけ。
詞章の切れ端でさえも「通小町」に“拾う木の実は何々ぞ、、、、、窓の梅、
園の桃”だけで他には見つからない。何とも不思議。
能「西王母」は祝言の能。初番目物

初番目物とは能の分類の名。昔、能の会は五番立てだった。
神、男、女、狂、鬼と分類され,初番目、二番目、三番目、四番目、五番目と呼ばれ
順番に上演された。初番目物は五穀豊穣、天下太平を祈願する能。二番目は男の能で
戦物など。三番目は女物で女の恋のなど。四番目は狂い物、子を失い狂気となり子を探す
旅をする母など。五番目は凶悪な鬼の能や初番目から四番目に当てはまらない物。
今の能の会は時間の制約もあり五番立ての会はほとんどない。
「式能」と称して能楽協会主催の五番立ての能の会が年一回催される。

能「西王母」は中国の古代神話の能。
仁政の皇帝を称えて天下った女神、西王母が三千年に一度だけ花咲き実なる桃を
皇帝に献上、祝宴に祝いの舞を華やかに舞う。

狂言が登場し「御遊さまざまあるべきとの御事なり。皆々参内申され候へ」と告げる。
狂言口開と言い厳粛な気が流れる。
荘重な「真之來女序」の囃子に乗ってワキ皇帝が臣下を伴って登場する。
古の中国の皇帝は神に近い存在であり世界の帝王だった。
「その御威光は日の如く、その御心は海の如くに、豊かに広き御恵、天に満ちて」と
臣下が帝の威光と徳を称える。

帝の御遊の場に桃の花の枝を持ち侍女を伴って女が現れる。
女は桃の枝を帝に捧げ、三千年に一度だけ花が咲き実がなる桃で帝の威徳に感じて
捧げると言う。三千年に一度、花咲き実なるとは西王母の園の桃かと不審がる帝。
女は唐織、着流しの里女姿だから。
女は誠は西王母の化身だと名乗り、再び真の西王母の姿で現れ桃の実を献上しようと
天に上る。

西王母
帝を称える舞を舞う西王母

西王母が侍女を伴い再び現れる。「かかる天仙理王の来臨なれば、数々の孔雀、
鳳凰迦陵頻伽飛びめぐり声々に」と華やかこの上ない登場。
その姿は頭に天冠を頂き、舞絹を着、腰に飾太刀。正に天仙理王の姿。
天仙理王とは天上仙界の王。侍女は唐織着流しの上に “側次”を着る。
側次は袖なし羽織、俗に“ちゃんちゃんこ”に似た装束で古代中国を表す。
手に西王母の園の桃を乗せたお盆を持つ。
祝宴が催され西王母が舞を舞う。西王母の華麗な舞は壮大な古代中国の王宮の
雰囲気を醸し広げる。

能「西王母」の詳しい解説はこちら

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03.23
Sat
節分草2024
セツブンソウ(節分草)キンポウゲ科 2024年2月15日写す

極寒の荒れ放題のネズミの額に白いものがチラリと目に、
エッと目を凝らしたらなんと節分草、びっくり。
凍り付く様なネズミの額の庭に何と可憐に美しく咲くとは!
能「高砂」に「それ草木、心なしとは申せども花実の時を違えず」とある。
なるほど成程!

奥秩父にはあちこちに節分草の群落があり開花時期が待ち遠しかった。
カタクリや水芭蕉や座禅草など珍しい花も咲き憧れの地だった。
奥秩父も御多分にもれず過疎化が進み辺りは荒れ放題、これらの花々は
荒れ地には咲かない。残念だが奥秩父とは疎遠になった。
ネズミの額の節分草は奥秩父で種を頂いて蒔いた。毎年咲き慰めてくれる。

大三角草2024
オオミスミソウ(大三角草)キンポウゲ科 2024年3月7日野川公園で写す

調布市と三鷹市の境界にある野川公園に節分草が咲き毎年見に行く。
今年は花の頃に雨が降ったり用が重なったりだった。
機を逸したかナと思いながら行ってみたら案の定、花は既に散り果て
スズメノエンドウの様な実になっていた。
その代わりと言っては花に失礼だが大三角草が咲いていたのは感動だった。

大三角草は日本海側に咲く花だそうだ。その昔、思い込んだら止まらない頃、
この花に憧れ話に聞いた新潟の弥彦神社の山中に潜り込み探した。
見つからなかった。
田んぼや畑の山際をも探したがここにも見つからなかった。

新潟出身の友人がいた。実家は農家だった。農家の両親だったら採集は
訳は無いだろうと平身低頭の態で両親にお願いしてと頼み込んだ。
送って頂いたのを見てびっくり、捩じり採った様な状態だった。
根が少し付いていたので植えてみたが根付かなかった。
花好きには貴重だが両親にはただの雑草、面倒この上もなかっただろうと諦めた。
新潟は雪国、残雪の寒い山で採集したのだろうナと慚愧心しきりだった。

日本海側では大雪の報道がしきりだが太平洋側の大雪は聞いた事がない。
温暖化の所為だろうか。昔は太平洋側にも可成り降ったらしい。
能「雪」でも、積もった雪の中から女が姿を現す。
所は大阪市野田だから驚く。

大雪の能「雪」
野田の里で大雪に行く手を失った僧の前に忽然と女が現れる。
訝る僧に女は自分が何者か分らずその事が妄執となったと訴え助けを求める。
僧の法華経の読誦に成仏が叶った雪の精は花衣の袖を翻し報恩の“廻雪の舞”を
舞う。

小品だが清楚で風雅な作品と言われる。人間の情なるものの文言がない。
クセの中ほどに「峰の雪、汀の氷踏み分けて君にぞ迷う道は迷はじ」とだけ源氏物語、
浮舟之巻の歌が引用されるが匂宮と浮舟の恋を思わせることを意図した訳ではない。
雪中の景色を引き出すため。

雪
「暇申して帰る山路の梢にかかるや雪の花」
報恩の舞を舞い別れを告げる雪の精

シテは白地に金の刺繡の上着の長絹に水色の大口袴姿で、
綿の雪を頂いた“山”の作り物の中から現れる。
能の作り物はその物の本質だけを写した簡素な作り。
観る側に過去に見た景色を引き出させるために簡素な作りにしたかのよう。
クセの後の「序之舞」は廻雪の舞と言うほどの佳人の舞とする。 
「序之舞」の中の足拍子は音を立てず踏む。「雪踏拍子」と言う。
小書きに「残り留」がある。謡が終わり、囃だけひとくさり打ち留め、
劇の余韻を残す。小書は特殊演出の名称。

能「雪」の詳しい解説はこちら

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03.11
Mon
白梅2024-1
マンションの庭の白梅

10年数年前この辺りは畑だった。畑の周辺には梅が植えられていた。
この梅はその生き残りだろう。

♪学校がえりの近道を通って来ればどこからか、ほんのり匂う梅の花♪
子供の頃歌った。この歌を歌うと母親が眉を寄せてその歌は学校で
歌いなさいといった。
長男の兄が二次大戦のレイテ湾海戦で戦死した。兄に恋人がいた。梅子といった。
鹿児島の鹿屋特攻基地が米軍の爆撃で破壊され特攻機が飛べなくなった。
急遽、代替え滑走路の工事が始まった。
梅子も工事に徴用された。滑走路完成間近に又もや米軍の空襲をうけた。
梅子は滑走路工事の作業中、米軍飛行機の機銃掃射で亡くなった。
兄は梅子が亡くなったのを知る由もないまま戦死した。
母は近所から子猫をもらい“ウメ”と名を付け可愛がった。
ウメは沢山の子を産み、猫の平均寿命を遙かに超えた24歳の天寿を全うした。
 
白梅-2024-2
                                                                                                               教会の梅

教会の垣根の外に植えてある。キリスト教会には似合わないと言うのだろうか。
神社やお寺には梅が似合う。中でも太宰府の飛梅が超有名。
大宰府に左遷された菅原道真が「東風吹かば匂いおこせよ梅の花、主なしとて春な忘れそ」と詠んだ。
京の旧居の梅が道真を慕い左遷地の大宰府まで飛んで来たそうだ。
名物の“梅が枝餅”が飛梅の香りをもらってか美味しい。

神社やお寺だけでなくあちこちに名の知られた梅園がある。
水戸に偕楽園があり、園の中に好文亭がある。好文亭の売店の女性店員が客に
水戸藩の藩主、徳川斉昭が建て、梅の異名の好文木から好文亭と名付けた。
昔、中国の皇帝の庭の梅が皇帝が学問に勤しむと咲き怠ると開かなかった故事からと。
好文木の名は能「東北」にも「梅の名は好文木又は鶯宿梅などとこそ申すべけれ」とある。 

昔、花と云えば桜を指したと言う。能「弱法師(よろぼし)」でワキ「これなる籬の梅の花が、
弱法師が袖に散りかかるぞとよ」シテ弱法師「うたてやな難波津の春ならば、ただ
この花と仰せあるべきに」とある。難波では花と言えば梅だった。

能「弱法師」は讒言で父に家を追われ、悲しみのあまり盲目となり天王寺で物乞いの
悲惨な日々を送る若い男を描く。

弱法師けめけめ

我が身の不遇を託つ弱法師

男は盲目の杖を突きよろよろ歩き、人々は彼を“弱法師と呼んだ。
讒言と知った父は天王寺で罪滅ぼしの施行をする。
施行の場に現れたシテ弱法師、仏に縋る身の上になった我が身を嘆き仏の慈悲を語る。
無信心の我が身だが弱法師の様な身の上になったら心から仏を拝むだろうナとつくづく思う。

この曲の魅力は仏を語るクセも然る事ながら“狂い”だろう。
盲目となる前に見た景色、彼岸の中日に鳥居の真ん中に落ちる落日、難波の海の向こうに
見える淡路、須磨、明石を心眼で見「満目青山は心に有り」“印”を結んだ指を開き胸を押さえ
“おう!見るぞとよ、みるぞとよ”」と杖を前に突き杖の上に両手を重ね遠くを望む。
万感胸に迫る一番の型所。
“印”とは能の立姿の掌の形で、右の手に扇などを持ち左手は硬く握り諦め親指と人差し指
だけを伸ばし結ぶ。仏教の印に因んで“印”と呼ぶと師匠に教えられた。

盲目には杖が付き物だが弱法師の杖の扱いは独特。左右に振り探りながら歩を進める
探り杖は“心”の字を書くように探る。老の杖や能「藤戸」の杖とは扱いが異なり長さも長め。

酷寒に咲く梅は万人の感慨を誘う。
能「「巻絹」では下賤の男の風流心を描く以外性を見せる。
三熊野に巻絹を届ける下賤の男が途中、音無の天神にお参りする。
梅が清らかに咲いていた。そこで男「音無にかつ咲き初むる梅の花、
匂はざりせば誰か知るべき」と心中に詠む。男は巻絹を届ける刻限に遅れる。

男は捕らえられ縛られる。巫女が現れ男の縄を解けと言い、
この者は昨日、音無明神に参り我に一首の歌を手向けその為に
遅参したのだと言う。巫女には音無の明神の神霊が乗り移っていた。
下賤の者が歌など詠める訳がないと不審がるワキ。
巫女は男に上の句を詠ませ巫女が下の句を詠む。
和歌は上代から日本固有の詩歌、上流の人々に愛された。
下賤の者が歌を詠むなど思いも寄らぬ事だったのだ。
これがこの能のミソの一つ。

巻絹
音無明神、三熊野の神々が憑き狂い舞う巫女

クセで神憑きの巫女は幣を手に和歌の徳を語り舞い「神楽」を舞う。
「神楽」は日本の神の舞、韻律も独特。

巫女には更に三熊野の神々が憑き物狂ほしく「御幣も乱れて空に飛ぶ鳥の
翔り翔りて地に又踊り、数珠を揉み袖を振り高足下足の舞の手を尽くし」と
幣を打ち振り過激に舞う。急に「神は上がらせ給う」と静まる。
激から静への落差が深く心に沁み入る。

能「弱法師」の詳しい解説はこちら「巻絹」はこちら

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02.25
Sun
庭の梅2024
紅梅 バラ科

今年も寂しいネズミの額に紅梅が咲いた。
不思議と紅梅とは深い縁があるみたいだ。
所帯を持って住んだのが阿佐ヶ谷のアパ-ト。窓を飾るかのように紅梅が咲いた。
もう少し広い住まいにと武蔵境に引っ越した。隣がモルモン教の小さな教会。
教会の紅梅の枝がコンクリート塀を乗り越え侵入、こちらの窓を飾った。
連れ合いの友人にアパートの管理人を頼まれた。部屋代無料だったので快諾。
庭に大きな紅梅の木があった。住人に亜細亜大学の女子学生がいた。
風変りな女性で梅の木の枝に洗濯物を干した。他の住人の目もあるので自分の
部屋の外に干してと頼んだ。彼女曰く、梅の木の霊気が洗濯物に宿りその霊気が
わたしの体を守るのでと懇願されその願力に圧倒され目を瞑る羽目になってしまった。
洗濯物の中には下穿きもあった。花盛りの紅梅と下着の珍妙な景色が現出した。
ネズミの額に住みついて30数年、この紅梅と別れる事はないだろう。

鉢植の梅2024
「鉢植えの梅」

熱海の梅園で買った。いつ頃買ったのか記憶にない程の時を経て毎年咲く。
鉢植えには全く興味がなかったが名前に釣られて買った。
名が「軒端の梅」 能「東北」で和泉式部の庭に咲く梅の名だったので買った。
数年たって「天ぎる雪のなべて世に」の一節で気が付いた。
雪のように咲くというのだから白梅だったのだと。
以来買って来た紅梅には興味が失せほったらかし。
最近になって幾ら何でも梅には罪はないのだ毎年健気に咲いてくれると、
己の愚かさに気が付き懺悔しきりで大事にすることになった。

梅は中国の原産だそうだが本当かな?と疑うほど日本人は梅が好きだ。
桜と並んで古くから親しまれた花。梅の能も可成りの数がある。
中でも親しまれた能を挙げてみた。

能「胡蝶」024
胡蝶(こちょう)
梅の花に遊び戯れる蝶の精

梅は極寒に咲く。蝶には縁がない。梅に逢うことが蝶の切なる願いだった。
蝶の願いは精霊となり梅の花に遊び戯れる。

胡蝶の精は“呼掛”で現れる。橋掛には長短があり、キリの良い所で
舞台に入らなければならない、演者には厄介の一つ。
江戸時代は橋掛の長さが家の格式に依って決められたと言う。
江戸城の舞台の橋掛が一番長かったそうだ。
胡蝶の精は里女の姿で現れる。唐織、面は小面又は増女。
唐織は能衣装の中では一番高価。模様で身分の高低を表す。
小面は少女の顔、増女は天女などの風貌。
クセでシテは舞台の中程に座り、地謡が梅に因んだ故事の、
荘子が胡蝶になった話や源氏物語の胡蝶の巻が語られる。
シテに代わり地謡が語る。舞はない。“居クセ”と言う。
クセの終わりに「夕べの空に消えて、夢の如くになりにけり」と
静かに幕に消える。中入と言い狂言の所の者が梅に就いて語る。
間語と云いその間に後見がシテの装束を変える。
間語には長短があり後見の一喜一憂どころ。

僧が読む法華経に引かれて胡蝶の精魂が現れる。
面は変わらないが蝶や菜の花付の天冠が胡蝶の精魂を表す。装束は舞の装束。
前の静かな物語にいささか眠気を催した目が胡蝶の艶やかな舞にパチリと開く。

能「箙」2024
箙(えびら)
梅の枝を背に現れ意気を見せる梶原源太景季

生田の森の戦いで箙に梅の枝を挿して戦った梶原源太景季の風流を見せる。
前シテは素顔の里の男の姿で現れる。“箙の梅”と名付けられた梅の木の
由来を語り須磨の浦の合戦を語る。箙は矢を入れる武具。
里男や落ちぶれ男の面はない。素顔で登場する。素顔も面として直面(ひためん)と呼ぶ。
嬉しい悲しい怒り等の感情露出は禁物。

後シテは腰に梅の枝を挿して現れる。面は“平太”。日焼けした逞しい顔、
鎌倉時代の関東武士、荏柄平太の顔だそうだ。どんな武将だったかは分からないが
名を上げた武将だったのだろう。
「時も昔の春の梅の花、盛りなり、一枝手折りて箙に挿せば、もとより雅びたる
若武者に、相あう若木の花葛」と風流景季を見せる。

能「鉢木」2024
鉢木(はちのき)
痩せ馬に鞭うち鎌倉へ急ぐ佐野源左衛門常世

零落した武士の屋に僧が宿を借りる。
深々と降る雪。夜の更けるにつれ寒さはつのる。
「焚火をしてあて申したくは候らへども、恥かしながらさようのものも
 なく候」と亭主。稍々あって「案じ出したる事の候。鉢の木を切り火に
焚きて、あて参らせうずるにて候」
切り焼べた鉢の木は梅、松、桜だった。
僧に零落の様を聞かれた亭主「かように落ちぶれては候へども、御覧候へ
具足一領、長刀一枝、痩せたりともあれに馬を一匹立て置きて候。これは
鎌倉に御大事あらば、、、、、一番に馳せ参じ着到に着き」と鎌倉幕府への忠節を見せ意気込む。
零落武士は恥ずかしながらと佐野源左衛門常世と名乗った。
僧は鎌倉幕府執権、北条時頼だった。

鎌倉に帰った時頼、常世の忠節を確かめようと諸国の大名、小名に非常呼集を掛ける。
錆長刀を手に痩せ馬に乗り駆けつけた常世に時頼は鉢の木の名に因んだ、梅、松、桜の
名の付く領地を与える。この能から“いざ鎌倉”の言葉も生まれた。

芝居がかった能で未熟な演者には許さるべきではないと言はれる。
前後ともに素顔の直面。芝居がかりを危惧する要素の一つでもあろう。

シテは静かに橋掛りを歩み一の松に佇み“あア降ったる雪かな”と嘆息し
我が身の不遇を託つ。

宿を断られたワキ、行く道も分からぬ程に積もった大雪の中に佇む。
シテは妻のツレに「浅ましや我等かように衰ふるも前世の戒行拙き故なり。
せめてはかようの人に知遇申してこそ後の世の便ともなるべけれ」と諫められ
ワキの後を追う「のう~のう~旅人、お宿参らしょう、のう~」と呼び掛け、
佇むワキを見て“駒とめて袖打ち拂うふ蔭もなし佐野のわたりの雪の夕暮れ”
と藤原定家の歌を呟く。

ワキを我が家に連れ帰ったシテ「何にても候へ参らせうずるものもなく候う」とワキに。
ツレ「折節これに粟の飯の候、苦しからずは参らせられ候へ」
ワキ「それこそ日本一の事にて候。たまわり候へ」日本一の権力者、北条時頼が粗末な
粟の飯を食べる。食べる型はない。

後見が鉢の木の作り物を出す。シテは作り物を見つめ、雪を払い枝を切りワキの前で焚く。
シテの鉢の木への思い万感を見せる。

僧の問いに名を名乗り、「鎌倉に御大事あらば」と片袖を脱ぎ脇差に手をかけ足拍子を踏み、
鎌倉幕府への忠節の決意を見せる。

鎌倉幕府の非常呼集に鎌倉に向かう常世「よりによれたる痩馬なれば打てどもあふれども
先は進まぬ」と瘦せ馬に鞭打ち舞台に駆け込む。

執権、時頼の領地下賜の文を戴き喜びを見せ、橋掛で止める。
留の二拍子は喜びをも含ませて踏む。

未熟な演者には芝居がかった能に陥る危険があると言われるのは上記のような場面を
指すのだろう。この能の所作には能の型から逸脱した型は皆無だと言えると思う。

能「胡蝶」の詳しい解説はこちら 「箙」はこちら 「鉢木」はこちら


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