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01.20
Sun

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保津峡 2018年11月30日写す。以下同じ

この5月保津峡右岸の林道を歩いた。JR山陰線、保津峡駅から亀岡駅まで。
今回は左岸のトロッコ電車の線路沿いを目指し馬堀駅で降りた。目当ては野菊。
キクタニギクのような珍しい野菊が咲いているかもしれないと。
地元の小父さんに道を聞いたら、獣の踏み跡のような道はあるらしいが
通ったことはないという。何時もの無茶は止めるようにと念を押されていたし、
獣道では時間が心配で断念、5月歩いた林道を目指した。

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馬堀駅

駅のすぐ前に河川敷が広がり彼方に紅葉の山、清澄な風、
思わず両手を突き上げ大あくびをしてしまった。

馬堀駅近くの保津川には橋がなかった。橋は2キロ程上流だという。
途中で引き返し、馬堀駅から保津峡駅まで電車、駅から歩いて嵐山を目指した。
引き返しは大当たりだった。5月に歩いた林道は今夏の台風で数か所が崖崩れ、
通行禁止だったと後で聞いた。

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保津峡、清滝川合流点付近

保津峡から嵐山への道は全くの無案内、当てずっぽうで歩いた。
途中でオートバイのお兄ちゃんに聞いて確かめた。
お兄さんは超親切に教えてくれた。やはり日本人は優しい。
日本に生まれてよかったと何時もの口癖を繰り返した。

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愛宕神社の大鳥居?

数十年来、年に1,2回京都に通っているが京都の地理が全く分からない。
陰気な杉の林を抜けてやっと人家が見えたとホッとしたらいきなり赤い大きな
鳥居にド肝を抜かれた。てっきり鞍馬寺だと思い込んでしまった。
以前お参りした鞍馬寺とは辺りの景色が全く違っていたのに。
人の記憶は曖昧、今まで見た色々の景色がこんがらかって記憶されて
いるからだと思い込んでしまった。
大鳥居にも何の疑問もなかった。東京の高尾山の寺にも大鳥居があるし、
お寺には必ず小さいながら神社が祭られている。
よく知られているのに清水寺の地主権現がある。

神社は日本本来の神、元々は現世利益を離れ唯、恐れ敬う神。
日本人の心の中に潜在的に住みついている。
お寺では拝観料を奉納するが、神社はお賽銭だけ。
お寺は仏事のお布施だけでは運営できないからだ。
神社は確然とした支援者に事欠かないのだろう。
仏教は人とは何かを教える哲学、神道は人が縋る心の支え。
などと訳の分からない珍説をブツブツ、人が聞いたら、
“お前、右翼の支援者か?”と云うだろうなとニヤリ。

この六月に、白頭の「鞍馬天狗」を舞った。
能「鞍馬天狗」は鞍馬山の天狗が牛若丸に兵法を教える豪快な能。
お礼参りに好都合と登り始めたが下山する人に聞いたらかなりの時間が
かるというので止めた。これにも助けられた。全くの見当違いて鞍馬寺ではなかった。
鳥居の額に愛宕山と書いてあるのを後で気が付いた。
愛宕神社かも知れないと勝手に思っているが確信はない。

鞍馬天狗
牛若丸に兵法の奥義を授ける鞍馬山の大天狗

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野宮神社

新宿の雑踏の上をいく混雑にビックリ仰天。
チンプンカンプンの言葉が溢れていた。
その昔、光源氏は六条御息所が精進潔斎している野宮を訪ね
忌垣の内に訪ねた印の榊の枝を挿した。
源氏の霊魂が今の野宮を訪ねたら右往左往だろうと心配だった。
能「野宮」ではその時の野宮のひっそりと静まり返った佇まいを
「末枯れの草葉に荒るる野宮の」と謡う。

「野宮」は悲しい女の性を、それも元皇太子妃という高貴な女性、
六条御息所を通して描いた名作。能「葵上」の後日談のような能。
「葵上」では御息所の嫉妬は並外れていて恋敵を襲う。
高貴故、嫉妬心を押さえに抑えるが嫉妬は無意識の内に生霊となり恋敵を襲い取り殺す。
「野宮」はその後の御息所を描く。
生霊は無意識のうちに迷い出るが、御息所は次第に気づき初め悩み抜いた末、
源氏との愛を諦め、斎宮にあがる娘に付き添い伊勢神宮に下向を決意する。
斎宮としての精進潔斎のため野宮に入る娘に付き添い御息所も野宮に籠る。
光源氏は野宮を訪ねる。諦めていた恋には衝撃であった。
死後、源氏が野宮を訪ねた事は御息所の拭い難い執心となった。
御息所の霊は源氏が野宮を訪ねた日、野宮に甦りあの世とこの世を行き来する。
能「野宮」の主題でもある。
斎宮は伊勢神宮に奉仕する皇族の未婚の女性。
作者、世阿弥特有の名文で描くこの曲は世阿弥の代表作でもあるとする。

葵上 (2)
「葵上」嫉妬の鬼となって光源氏の正妻、葵上を襲う御息所の怨霊

野宮
伊勢神宮の鳥居を出入りする姿を象徴的に見せ生死、源氏との執心を見せる。

能「野宮」の詳しい解説はこちら
「葵上」はこちら
「鞍馬天狗」はこちら.


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01.12
Sat
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富士山の残照 2019年1月8日写す
老人の思い出にも似る。ひと時美しく輝きしだいに消えて行く。

桂馬はトイレに急いだ。後ろ手にドアのノブを思いっきり引いた。パタン!大きな音に瞬間ビックっと肩があがった。
パタパタ、足音が聞こえる。ドアの大きな音を聞きつけた孫の愛(ちか)の足音だった。「アレッ?これ何?お母さん来て!」桂馬は漏らしてしまったのだ。用が済んだら拭き取らなくてはと思っていたが愛に見つかってしまったのだ。
用は済んだがトイレから出るかどうか桂馬は迷った。朝子が慌てて駆けつけるだろう。鉢合わせするのはバツが悪い。
朝子の気配がした。朝子が始末するまで時間が掛かるだろう。桂馬は覚悟を決めてそっとドアを開けた。
「おかあさあん、こっち、こっち、あっちにも」愛(ちか)が指さした。朝子は膝をつき右手に雑巾を持ち床を見渡していた。
桂馬は忍び足で朝子の後ろを部屋に向かった。「ふっふっふ」桂馬の気配に朝子が床を見回しながら笑った。
朝子は母親似で優しい子だ、桂馬の粗相程度で怒る筈はない、がなんとも極まり悪い。桂馬のソソウの水滴は桂馬の部屋のドア近くまで点々と続いていた。
「かの血を探へ化生のものを退治仕ろうずるにて候」桂馬の気配に朝子がおどけ調子に小声で謡った。
謡曲「土蜘蛛」の一節だった。謡曲は能のセリフだ、独特の節をつけて謡う。俗に“謡い”といわれている。
「急いで退治、仕まつり候へ」桂馬は小声で応じ急いで部屋のドアを閉めた。

能の「土蜘蛛」は病床の源頼光を襲った土蜘蛛の妖怪を頼光が刀で切り付け、家来達が土蜘蛛の血の跡をたどり蜘蛛の妖怪の巣に辿り着き、退治するという話で人気の活劇の能だ。
謡曲は桂馬の若い時からの趣味だった。桂馬は幼い朝子を能の公演や桂馬の趣味の謡曲の会に連れて行った。
家でも謡曲の一節を冗談に使った。朝子もいつの間にか諳んじるようになった。

桂馬は飲みかけのお茶の道具や読みかけの本が乱雑に散らばった自分の部屋の机の前にガラス窓を睨んで座り込んだ。どうしたのだろう、今まで1、2滴はこぼしたことはあったがこれ程派手にこぼしたことは初めてだ。
「あいつ等が云ってたのはこの事だろう」年に数回催される郷里のクラス会での話題が甦った。「マア、女房はしかめっ面するが人間の身に起こる自然の摂理だから仕方がない、だが頻尿は辛いよナ。そのうえ残尿感が嫌だ。我慢すると洩れて気持ちが悪いし、冬の寒い夜は辛いよね。この間ネ、女房の奴が紙パンツを買って来たんだ、思わず馬鹿にすんなって怒鳴ったんだ。だがよくよく考えるとそろそろ男の自尊心もおしまいだよナ。女房に八つ当たりしても仕方がない。ま、唯一の楽しみ、酒でも飲んで待つしかないか、だがこの頃、酒もあまり飲めなくなった」「何を待つンだ?」「それを云っちゃあおしまいだ」爆笑が湧いた。
白髪が増え、シワが増えハゲが目立つようになるにつれ話題は体の具合や医者の話が話題の中心になって行く。これらの人達の訃報が聞こえ初め、親睦会も間遠になった。世間への扉がすこしずつ閉ざせていく疎外感が事ある毎に迫った。

桂馬は退職してからしばらくして家でくつろぐ時は和服を着ることにした。寝間着もパジャマから浴衣に変えた。締め付けるゴムが解放感を阻害したし、浴衣は突然に身体が要求する排泄にも簡単に応じられるからでもある。
朝子はこのところ桂馬の家に来ることが増えた。顔を合わせるなり大げさなリボンの付いた包みをいきなり差し出した。「ハイ、お祝い」悪戯っぽい笑みを浮かべた朝子の顔を見つめ受け取る手はためらっていた。「何の?」「1ランク上の大人になったお祝い」「1ランク上の役立たず爺の?」「お父さん、自分を卑下してはいけません。お能ではお爺さんやお婆さんは尊敬の対象でしょう。今でも“敬老の日”って祝日があるじゃあない」「昔の人は短命、長生きが人生最大の夢だったンだ。今は建前。内心は邪魔者」「そんなこと云わないで!少なくとも私はお父さんに何時までも元気でいて欲しいンだから」

正札にクラシックパンツと書いてあった。フンドシだった。桂馬の異変に気が付いたのだろう。このところトイレに駆け込むことが多くなったしトイレのドアは開けっ放しだった。クラシックパンツは普通のパンツのゴムのような締め付け感はないが、穿いてみたがどうにも心許なく不安だった。だが馴れると爽やかだった。馴れは恐ろしいナ、人の人生を変えるナなどと呟き苦笑したりした。
浴衣にはゆったりと解放感がある。永年、身体を締め付ける洋服に馴れた生活だったが浴衣の解放感を覚えるとパンツまでおさらば、ますますクラシックパンツに執着した。クラシックパンツの生地は薄い、漏らしてしまえば蜘蛛の血は床に直行だった。
桂馬は子供の頃から和服に郷愁のような憧れのようなものを持ってる。
塩竃の母は着物姿が多かった。母がたまに着る洋服は似合わないと桂馬は思った。
父も帰宅後は和服でくつろいだ。父の背広を片付け、着物に着替える父を手伝う割烹着姿
の母の面影が今でも目に懐かしくちらつくことがある。桂馬が和服に執着していく要因の一つだったのかも知れない。

「やはり例の紙パンツを穿かなきゃダメかナ、土蜘蛛の血は突然ではないのかもしれない。朝子がアメリカに発つまでは気を付けないとナ」桂馬の不安は高まっていく気配だった。近々朝子はニューヨークに転勤になった夫の許に行くことになっている。朝子はニューヨーク行きを迷っていた。桂馬を一人で置いて行くのを躊躇ったからだ。桂馬は同じ年代の人に比べ生気があり健康そうに見える。桂馬は常づね、オレは幼い頃から海や川で泳ぎまわり、野山を駆け回っていたンだ。早池峰には6歳の時登ってお神楽を見たンだ、だから医者に縁がないンだなどと自慢した。朝子も父の健康を信じていたが人には信じられないことが起こる。健康でも年という事実が恐い。朝子の迷いだった。
だが桂馬の説得「人生には誰しもチャンスが巡ってくる。それを物にするかしないかはその人の器量による。外国の異文化に浸って生活体験をする、子にとっても親にとってもこれほどのチャンスはない、何を置いても行かなきゃあ、それに会社が金を出してくれるンだ、こんなチャンスはないだろう」朝子は桂馬の熱心な説得にニューヨーク行を決心した。
朝子にとってプライオリティーは桂馬、その次がニューヨークだったのだ、また同じ粗相を見つかったら朝子はニューヨーク行を止めるだろう。肉親が近くにいない淋しさを予想しない訳ではない。殊に今朝のような土蜘蛛血事件が起こった後はじわじわと不安のようなものが忍び寄って来るだろう。だが朝子の幸せが第一、夫婦子供が別居生活では不自然だ。それも自分のせいとなるのが許せないのだ。

桂馬の部屋のドアが開いた。「お父さん、どうしたの?いつもの元気、見えないナ」「そんなことないよ」桂馬は庭の一点を見つめたまま朝子に振り向きもしなかった。朝子は桂馬の横に座り桂馬の顔を覗き込み、「土蜘蛛の血、気にしてるンでしょう」妻の温子の仕草だと桂馬は思った。桂馬の顔が少し弛んだように朝子は思ったのだろう、「土蜘蛛の血なんて大したことないわよ。トイレから出て手を洗わないでお母さんに見つかって、、、お父さん、こう云ったわよネ。生きとし生けるものの長、人間様の身体から出たばかりの物体だ。不浄の訳なかろう。不浄は人が不浄にするンだ、手を洗わずに病気になったり死んだりした人は聞いた事がない」「お母さん、名言って手を叩いて大笑いしたじゃない。元気だして、お父さん」朝子は立ち上がりドアの前で桂馬をふり返り、「そうだ、お父さん。鶴さんとの思い出の鎌倉、行って来たら。元気、出るわよ」
“鶴”と聞いた桂馬は唖然と朝子を見つめた。鶴は聞くだけで桂馬にはインパクトだ。それに久しく聞かなかったのだ。
そう古くはない一時期、桂馬は酔って帰ると陽気に鶴との思い出話をした。朝子は苦笑いをして聞いていたが、度重なるにつれ、鶴が結婚前の桂馬の妻つまり朝子の母、温子の呼び名だったと朝子は気づいたのだろう催促しながら聞くようになった。そのお惚気もこのところ遠のいていた。桂馬は朝子の真意を探るかのように朝子を見つめた。朝子は笑みを残してドアを静かに閉めて出て行った。

鎌倉の思い出はあまりにも時間の段差が大きい、殊にここ数年、時間は希薄だ。思い出の軽重の順に希薄の時間の中に吸い取られ消えて行く。
朝子にはどんな思い出を話したのだろうか、この頃思い出は他の思い出とこんがらがっていることが多々ある。朝子に話したという鎌倉の思い出話は希薄で繋がりに自信がない。
町内会のバス旅行に付き合いで行って、数回訪れた地でも「へえ、こんな所だった?」と不審することや故郷の人達との思い出話でも桂馬の思い出とまるで違うことが多く愕然とすることが多い。
桂馬は思い出を回想する度に理想の物語を創作して付け加え、それが事実だと信じているのかも知れない。小町通りの雑踏と横丁の赤ちょうちん、某寺の竹林の中の茶屋、明治の元勲の別荘跡のレストランで飲んだ身に余る高級ワイン、江ノ電構内で食べたコロッケ、疲れたとしゃがみ込んだ温子をおんぶした由比ガ浜、あれは嘘でオレを騙したンだった、オレは怒ったふりして温子を放り投げ逃げる温子を追っかけた、靴が脱げても構わず必死で逃げる温子、あれもみな創作だろうか。
鶴は桂馬の生涯唯一の女だったし鶴との思い出は無二の物なのだ、付け加えた思い出でもいいのだ。
鎌倉に行って何かを見て、思い出がことごとく打ち砕かれたらどうしよう。
色々な想いが浮かんでは消え、消えては浮かんだ。桂馬は気が抜けたように立ち上がった。行ってみるかどうするか決めかねたまま。



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01.05
Sat
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白河院 2018年12月1日写す。以下同じ

白河院は平安時代、藤原氏の別荘で後に白河天皇に献上、法勝寺を立てたその旧跡とあった。
法勝寺は豪壮な寺だったという。
後に宮様や政界、財界の別荘となったそうだが今は宿泊施設、料亭となっている。
東京にも古い政財界の別荘跡があるが洋式庭園が多く白河院のような純日本庭園は
見たことがない。
庭園が美しくモミジが真っ盛り、古都の雰囲気が満ちていた。
白河院の名は白河天皇所縁の地だからだろうが、能「俊寛」で知られた地でもある。
俊寛は法勝寺の執行だった。執行は寺務を取り仕切る長官。

俊寛僧都は平家転覆を謀った事件に加担した人、謀略は露見し俊寛は仲間二人と
南海の孤島、鬼界ケ島に流される。
仲間の二人は許され都に呼び返されたが俊寛は許されずこの島で生涯を閉じた。
能「俊寛」は都での華やかな生活を偲びつつ、悲惨な生活を送る俊寛を描き
終曲、キリでは許されて帰京する二人を見送る俊寛の悲哀を非情なまでに生々しく描く。
人間の絶望に焦点を当て堀下げて見せる名作。

俊寛
赦免状に俊寛の名がない事を赦免使に訴える俊寛

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白河院にてのお楽しみ会

“年忘れお楽しみ会”と称してごく内輪の謡曲会が白河院で催された。
平服でもOKの気安い会。謡や仕舞を楽しみ更に“お楽しみ”のゲーム、
更にさらに料理お酒で賑やかに楽しんだ。
催主は東京出身、金剛流能楽師山田伊純師。永年金剛流宗家の内弟子修行で
京都住まいだった。よほど京都が気に入ったのか住みついてしまった。
二年前、能「楊貴妃」に云う“容色無双の美人を得給う”目出度さ。
少々大げさかもしれないが(笑)去年11月、男の子が生まれた。
能楽師にとって後継者に男の子を得たことは最上の喜びだ。
下の写真の笑顔が物語っている。

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催主親子

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小学三年生少年の仕舞「羽衣」

自ら望んで謡、仕舞を習っているとか。自立心旺盛な少年。
舞姿を見ていても確かさがにじみ出ていた。
舞は「羽衣」爽やかに華やかに舞って拍手喝采。

「羽衣」は月の都の天人の物語。
絶景の三保の松原に降り立った天人。松の枝に羽衣を掛け辺りの景色に感嘆。
漁にむかう漁師に羽衣を取られる。
羽衣と知った漁師は羽衣を返さない。羽衣がなければ月の世界に帰れない。
嘆き悲しむ天人を見かね漁師は羽衣を返す。昔から日本人は優しい。
交換条件で天人が舞う舞が絶品。後に“東遊の駿河舞”と名付けたられた舞と
いうから面白くない訳がない。
羽衣を翻して舞いつつ早春の春の空の彼方に消えて行く姿がこの上なく美しい。

能「羽衣」の詳しい解説はこちら
「俊寛」はこちら

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12.29
Sat
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塩屋岬海岸 2018年11月23日写す。以下同じ

理由は幾つかあるがこの辺りに来ると必ず寄る。
高萩海岸からほとんど岩壁続きの海岸から突如広い砂浜が現れる。
心がぱっと開ける。去年訪れた時は東日本大震災の津波で惨憺とした景色だった。
灯台への道も崩れて閉鎖だった。

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ツワブキ(艶蕗)キク科

又々、お祖母ちゃんだが。暴れ坊だったのだろう打撲や火傷が絶えなかった。
ツワブキの葉を火にあぶり当ててくれた。
暖かい地方では主要な山菜。蕗はシャキシャキだがツワブキはしっとり。
南西諸島のツワブキは大ツワブキと呼び大きい。
テカテカの丸い大きな葉、根元からニョキニョキと花茎を伸ばし真っ黄色の
花を派手に咲かせる。派手さ加減はほんとに日本の花?と思わせる。
外国の人の目も引くらしくニューヨークの植物園の一番目を引くところに
飾られていたと読んだことがある。

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ヤツデ(八手) ウコギ科

“ぱっと開いた赤ちゃんのお手てのようにかわいいな”と紅葉を歌った
童謡があるが形はそっくりでもこちらは天狗のお手てか天狗の羽団扇。
田舎のトイレの近くには必ず植えてあった。
臭気を天狗の羽団扇で煽ぎ飛ばそうというのだろうか。
塩屋崎灯台の登り口に我が物顔に咲いていた。
庭木でよく見るが、異様な姿から日本のものではないと思っていたし
海岸近くに多い木とは知らなかった。

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トベラ(海桐)トベラ科

子供の頃、臭い木だと思い込んでいた。小鳥が実を食べるのが不思議だった。
実が熟すとメジロが実を食べに来た。おとりの鳥かごを枝に掛け鳥モチを塗った
小枝を仕掛け、大袈裟に鼻を摘まんで息を凝らしてメジロを待った。
トベラは枝を折るか葉を揉むと臭いが木から臭気を発散しているわけではない。
鼻をつまんで待ったのは子供特有のフザケ、いわゆる稚気だったと思う。
メジロはきれいな鳥で鳴き声が美しい。美しく鳴くのはオスでメスの鳴き声は単調、
ウグイスは飼ってもなかなか鳴かない。メジロのメスやウグイスが鳥モチに
かかっても石油で丹念に鳥モチを拭き取り放した。
数年前、故郷の片田舎に帰ったが子供の姿が見えなかった。
聞いたら子供は塾か習い事で忙しく、野山や海川を駆け回るなどバカげた
事をする奴はいないとの返事だった。

トベラは密に白い小花をつけ香りがいいらしい。
秋に薄黄色の皮が割れ赤い実が現れる、木の実の中でも屈指の美しさだと思う。


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美空ひばり歌碑

塩屋崎灯台の下の海辺に建っている。近づくと美空ひばりの晩年のヒット曲
「みだれ髪」がいきなり流れてきた。
東日本大震災以前も建っていたが津波で壊れたのだろう、新しく立て替えてあった。
美空ひばりは知らない人はいない程の昭和の歌姫。
♪春は二重に巻いた帯、三重に巻いても余る秋🎶 冷たい浜風の中に響き渡った。
何時までも耳に残り、ちょっとシュン。誰でも身に覚えはあると気を取り直した。 
痩せ細るほどの恋、能の世界ではさしずめ静御前いうところだろうか。
静御前は平安後期の白拍子、源義経の愛人だった。
能に「船弁慶」「二人静」がある。
同じころ平清盛の愛人に同じ白拍子の祇王と仏御前いた。
この二人も能に作られた。「祇王」「仏原」。だが「船弁慶」が人気ダントツ、
上演頻度も上の三曲は遠く及ばない。

船弁慶は前場に白拍子である静が義経との別れに義経の再起を祈念し勇気づけようと舞を舞うが別れに堪えられず涙を湛えつつ舞う舞が絶品。
後場では義経に討たれた平家の猛将、平知盛の幽霊が船で西国落ちの義経一行を襲う活劇を見せる。前、後場共に演劇性抜群。人気曲の所以だろう。

船弁慶3
義経に襲いかかる平知盛の幽霊

能「船弁慶」の詳しい解説はこちら


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12.23
Sun
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勿来の関跡に建つ源義家像 2018年11月23日写す 以下同じ

な来そ、打消しの助詞に挟まれた“来”。来るな!強烈な地名。
昔、此処は奥州への玄関口。奥州は最果ての地であった。
朝廷の威信も及ばなかったのだろう、陸奥の豪族の反乱「前九年の役」が
起こった。関跡に鎮圧に向う源義家像が建っている。
「吹く風を勿来の関と思えども道も狭に散る山桜かな」
最果ての地、奥州に向かう義家が詠んだという歌碑が立っていた。
勇将の感慨に少しシュンとなって像を見上げしばし立ち尽くした。
義家は八幡太郎義家と呼ばれた勇将で鎌倉幕府を開いた源頼朝の
曽爺さんだとあった。勿来の関跡は茨城県との県境近くにある。

福島県にはもう一つ著名な関所跡がある、白河の関。
「都をば霞とともに立ちしかど、秋風ぞ吹く白河の関」
能因法師の歌だそうだ。
歩いての旅は、春に出発しても白河の関到達はやはり秋になったと
いうのだろう。白河の関は栃木県との県境近くにある。
奥州は地の果ての國、旅は命がけだったが歌人達の憧れの地でもあった
という。この歌は中学生の頃兄に教わった。
今でも覚えているのは兄の話がよほど面白かったのだろう。
能因法師は奥州の旅に出ると偽って庵室に籠り窓から顔だけを出して
顔の日焼けを作ってこの歌を詠んだ。本当か嘘か兄の創作かは知らない。

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シロヨメナ(白嫁菜) キク科

盛大に咲いていた。“道も狭に咲く白嫁菜かな”義家が通りかかったのが
秋だったらこう詠んだかナと冗談の独り言がでた。豪華な群生だったので。
春の若芽は近縁のヨメナのように美味しいのだろうか、食べたことがない。
ヨメナは昔から身近な山菜、シロヨメナはちょっとした山でないとないので。
可憐なこれら野菊の花を見ていると、少年の頃読んだ伊藤左千夫の
「野菊の墓」が思い出いだされ遠い昔がよみがえる。

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ツバキ(椿)ツバキ科

紅葉はきれいだったが花が極端に少なかった。
木の花はツバキだけ。寒風に晒され煽られたのかあまり綺麗とは云えないが
唯一貴重な木の花。冷たい風を受け葉っぱが艶やかに綺麗だった。

12月の中頃、奥多摩の面白そうな林道を歩いた。
山仕事の人や軽トラのために作った道。
道の真ん中に椿が一輪落ちていた。
まだみずみずしかった。花には見えず気味わるかった。
昔は武家屋敷では忌み嫌って植えなかったと聞いたことがある。
切り落とされた首に似ているからだという。
椿は花びらがくっ付いていて散る時、纏まってポトリと落ちる。
サザンカも椿の一種。サザンカは花弁がくっ付いてなくてバラばらに散る。
散る様は潔い。武士はサザンカなら植えただろうか。
落ちツバキを友達に見せて博識(?笑)を自慢しようと撮ったが
カードが入ってなかった。

椿は万葉にも歌われ今の世では演歌にも歌われ人々に親しまれる
風情を持つ花なのに能に椿が登場しないのが不思議だ。
能では桜がダントツ。それも散る桜を謡うものが多い。
椿はポトリ落ちるが椿の一種、山茶花は桜に似てヒラヒラと散る。
椿がダメならせめてサザンカの能を作ってほしかった。
サザンカの花びらは桜の花びらに似ている。
桜より大きく厚いが薄紅色で形も似ている。
ハラハラならぬパラパラと散り辺り一面に散り敷く様は桜に負けず
幻想の世界に誘う。
能「桜川」のお母さんは水の面に散り浮かぶ桜の花びらに戯れ我が子を偲ぶ。

能「桜川」は狂女物と云われる能。
子は極貧の生活から母を助けようと我が身を人買いに売る。
「さてもさても、この年月の御有様。見るも余りの悲しさに人商人に
身を売りて東の方に下り」子の書置き。
今の世にこんな奇特の子供がいる訳ないだろう。
子の教育が今の時代とはよほど違ったのだろうか。親を思いやる心に万感。
「独り伏屋の草の戸の明かし暮らして憂き時も子を見ればこそ慰むに」
「のう、その子は売るまじき子にて候ものを」と母は叫ぶ。

母の悲しみ、絶望感は凝り固まって狂女となり我が家を出奔、子の行方を
捜して放浪する。母子の故郷は筑紫日向と母は謡う。
一般に筑紫は福岡県辺り、日向は宮崎県辺りを指す。
二県の間は数百キロ離れている。首を傾げるところだが子の名は“桜子”、
故郷の神、木の花耶姫の氏子だからと名付けたと母はいうからやはり宮崎だろうが、
又故郷を問われた母は「誰ともいさや不知火の筑紫人」と答える。
不知火は九州北部、福岡周辺。
筑紫は九州地方全域を指すこともあると云うから宮崎辺り、福岡辺り
どちらでもいいということにしよう。
「鄙の長路に衰えば、たとひ逢うとも親と子の、面忘れせばいかならん」と
母は謡う。数年の長旅の末辿り着いたのは常陸の國、桜川。
なんと千数百キロの旅だった。しかも歩いての旅だったのだ。
蛇足だが、同じ狂女物の中で「隅田川」の母は京都から東京の隅田川まで、
「百万」の母は奈良から京都までと目と鼻の先、桜川の母には遠く及ばない。
桜川の母の旅は、まさにギネス級(笑)。

桜子の母が桜川を訪ねたのは子の名の桜に引かれたから。
桜川は万葉の時代から聞こえた桜の名所。
特殊な土質に山桜の固有種が多種ある桜の名所、吉野や江戸の多摩川上水
にも移植されたという。
茨城県桜川市磯部のこの能所縁の神社、磯部稲村神社や近くの公園に固有種が
植えられていて花の頃には訪れ、その度ごとに息を呑む。

「常よりも春べになれば桜川、波の花こそ間なく寄すらめ」と紀貫之の歌を謡い
我が子を偲び桜川の河面に散り浮く花びらを掬い網で掬い舞い狂う。
懸命に花を掬う母の姿に子を想い慈しむ母の心情が溢れる。
「網之段」と云いこの曲の眼目、見どころ。

桜川1
網之段を舞い狂う母

桜川2
再会した子を抱く母

能「桜川」の詳しい解説はこちら

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