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11.17
Sun

我が家の庭は猫の額と云うと猫から文句が出る程狭いが結構色々な花が咲く。
今年の気候は異常だったのだろう花がきれいに咲かなかった。
植物は気候に敏感らしい。人間など及びもつかない。
去年の花を懐かしむことにした。

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タカサゴユリ(高砂百合)ユリ科
2018年8月写す

植えた訳ではないのに突然現れた。百合は根の鱗片で繁殖するが高砂百合は
実をつけ種で繁殖するそうだ。何かに混ざって侵入したのだろう。
藪や畑のまわりにはびこり珍しい花ではない。花は白く鉄砲百合にそっくり。
花弁の外側に汚れのような赤い染みのような色が薄っすらとあるのが普通だが
不法侵入罪でネズミ額の主に処刑されるのを恐れてか、高砂百合特有のシミがなく
テッポウユリに似た純白の花で気に入っている。

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イワギボウシ(岩擬宝珠)ユリ科
2018年8月写す

岩にへばりつくように咲く小型のギボウシ。
可愛いので花が咲くとインドで買った観音様にお供えする。
観音様は日本円で70円。当時インドの通貨の価値は三十分の一程だった。

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シマトウガラシ(島唐辛子) ナス科
2018年9月写す

シマトウガラシの呼び名が本名かどうかは知らない。
南西諸島の人達はこうよんでいる。普段は“こしょう(胡椒)と呼ぶ。
実は小さいが猛烈に辛い。普通の唐辛子は一年草だが島唐辛子は木で
冬も枯れない。鉢植えにして寒くなると部屋に取り入れる。
南西諸島の人達は刺身をトウガラシで食べる。
生活がグローバル化された昨今、若い人はワサビで食べるらしいが。

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マルバルコウソウ(丸葉褸紅草)ヒルガオ科
2018年9月写す

六、七年前、親子ほども年下の友達がいた。
同じ趣味で気が合い友達になったのだと一方的に思っている。
荻窪駅から程遠い六畳一間のアパートに住んでいた。
博多の出身で玄界灘ナベなる怪しげな創作ナベを作って飲んだ。
飲み過ぎで時間を忘れ終電に間に逢わなかった。
翌朝、二日酔いの帰り道に、荻窪駅近くの垣根に絡まってルコウソウが咲いていた。
初めて見た花だった。酔眼にも鮮やかで気に入り無断で種を頂いてネズミの
額に蒔いておいた。すっかり忘れていたがいつの間にか芽を出し花を咲かせた。
それから二年程、博多から手紙が届き写真が同封してあった。
博多に帰り結婚して女の子の親になったと。
   
南アメリカ原産だそうだ。南アメリカの花は派手な花が多いのに
信じられない可愛さ。

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ダイモンジソウ(大文字草)ユキノシタ科
2018年10月写す

“大”の字の形に咲くから大文字草だという。
つまらない名前。誰も文句を云わないから不思議。
可愛い花になのに。色々夢のある名が浮かぶ筈、あまりにも可愛そう。

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ヘチマ(糸瓜) ウリ科
2018年10月写す

野菜の花は色が鮮やかできれいなものが多い。
ヘチマもご多分に漏れず豪華できれい。
ヘチマはタワシの材料だが南西諸島の人達には料理の材料。
沖縄ではナーベラと呼ぶ。不思議な食感でこの世の物とも思えぬ美味しさ。
沖縄に不思議は縁で親戚同様の知人が数人いる。ちょいちょい訪ねる。
ナーベラを食べさせていただくのが楽しみだ。
最近ネズミの額にも植え秋の収穫を楽しみにしているが今年は台風19号奴
にやられてしまった。

糸瓜が本名らしい。完熟してタワシに使うヘチマは繊維の糸巻のようだからだろうか。
茎を切り滴る樹液、糸瓜水を採り化粧水にした。姉が愛用していた。
姉とはかなり年が離れていた。その所為か可愛がってくれた。
姉に“だから姉ちゃんは瓜実顔なんだネ”とお世辞をいった。
瓜実顔がどんな顔なのか知る訳なかったが。
ヘチマは通称ト瓜。“ト”はイロハでへとチの間にあるのでヘチ間。ホヘトチリヌル。
大正から昭和初期、こうしたトンチが流行ったそうだ。

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リュウノウギク(竜脳菊) キク科
2018年10月写す

菊は日本の国花。日本を象徴する花。
菊は中国なら渡来したという説が定着しているという。
ほんとうだろうか?日本の山や野原、海岸も赤や黄色、紫、白、とりどり、
大小の野生の菊が咲いている。

日本の学者は物のルーツの多くを外国からの渡来だとする説を立てる。
日本人の國家意識が乏しく外国コンプレックスは仕方がないか。
外国では国旗が溢れているが日本では日の丸を見るのは祝祭日の官公庁などや、
せいぜいスポーツの国際試合の時くらい。こんな時だけ日本人になる。
うっかり家の外に日の丸を立てたら白い目で見られる。

菊は日本人にとって特別な花でもある。国花であり皇室の紋所でもある。
告別式には菊の献花に覆われた祭壇に遺影が微笑む。
目出度い花でもある。陰暦、九月九日重陽の節句の菊の宴、着せ綿などがあった。
“菊の盃”があり酒とも縁が深い。
能「枕慈童」では菊の葉から滴り落ちる露が美酒に変じ、これを飲んで七百年の
齢を保った少年が描かれる。

中国古代の王、穆王の枕を誤って跨いだ少年、慈童は不敬の罪で死罪になる所を
穆王の温情で減刑、深山に流される。
穆王は慈童に仏徳を賛美する詩句、偈を書いた枕を授ける。
慈童は配所に咲きほこる菊の葉に偈を書きつける。
偈を書き付けた菊の葉に置いた露が霊酒となり慈童はこの霊酒を飲んで少年のまま
七百年、生きつづけた。

異国情緒の旋律“楽”と穆王の聖徳と枕の徳を賛美するノリのよい舞が楽しい。
深山に流されたという悲哀は全くなく、祝言色に満ちた楽しい曲。

曲趣の同じ曲に「猩々」がある。
孝行者の高風に揚子江に住む妖精、猩々が褒美に汲めども尽きない酒壺を与える。
酒好きの猩々が酔いに任せ、揚子江の波に戯れ舞う舞が楽しい。
「薬の名をも菊の水」と謡う。酒好きには、げにもげにもではある。
酔って揚子江の波に戯れ舞う舞を更に強調した特殊演出、小書に「乱(みだれ)」がある。
技術的に難曲であり能楽師の潜らなければならない関門の三つの内の一つでもある。

「枕慈童」も「猩々」も菊を謡い、題材は中国の説話でもある。
二次大戦前の知識人は能の愛好者が多かった。
菊の中国渡来説はこの二曲からの説であり、菊は中国渡来ではないと信じる事にしている。

乱3
※能「乱(みだれ」」の写真
揚子江の波に戯れ舞う猩々

能「枕慈童」の詳しい解説はこちら
 「猩々」はこちら

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11.09
Sat
二十代の昔、山男の友達の足慣らしのお供で奥多摩の山を歩いた。
その一つ川乗山に行って見ようと思い立った。
奥多摩駅のバス乗り場にギリギリに駆けつけたら台風19号の土砂崩れで
通行止めだという。観光案内所のおばさんの勧めで六ツ石山に行く事にした。
手製の地図を貰ったが六ツ石山の登山口が曖昧な地図だった。
途中で出会ったおじさんに教えてもらった道を登った。
登るうちに道は細く荒れた獣道の様に怪しくなった。
後で気が付いたが杉の木の枝落としなどの作業道で杉が売れなくなった
ここ数十年誰も通らなくなった道だった。

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杉林が消え、瀧を見上げる沢に出た。ここで道は途絶えた。
道に迷ったら引き返す、が山の掟と聞いてはいたが生来の無鉄砲と
“何とかなるだろう”の楽観主義の性格が災いした。
滝は神奈川県の丹沢本瀧のF3程、誰も登った形跡もなく登るには危険。
瀧を登るのは止め手前の雑木がまばらに生えた急斜面を登ることにした。

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急斜面

礫岩の斜面は一歩毎に崩れ、前に進むのに四苦八苦、まばらに生えた木につかまり
岩につかまり四つん這いで登った。
いきなり岩の壁が立ちはだかった。
迂回すればいいのに何故か何時の間にか岩に取り付いていた。
岩の隙間にツツジの木が生えていた。落ちてもツツジの木に引かかかる
様にルートを選んで登った。登り詰めホッと胸をなでおろし最後の一歩、
石に足を乗せた瞬間、ズル!石は浮石だった。
幸運にもツツジの木が目の前だった。ツツジの木にぶら下がり必死にツツジの根元に
足を掛けようとするが細いツツジの木は撓み、腕の筋肉の衰えは云うことを聞かず
身体を持ち上げてくれない。
もがく事数分神の助けか、仏の慈悲か、火事場の馬鹿力か、腕の筋肉が身体を
少し引き上げようやくツツジの木の根元に足が掛かりホッと一息。
カメラは岩にぶつかってキズだらけ、腕も足も擦り傷だらけ“バカげた事をするな”
と“神のお仕置き”は過酷だった。

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熊の爪痕

岩の壁、礫岩の斜面を脱出、杉林に辿り着いた。
斜面を彷徨う事3時間、疲労困憊。やれやれと腰を下ろした。
杉の幹の皮が無惨に剥がされているのが目に飛び込んだ。
熊の爪痕に違いない。
東京にも野生の月輪熊が生息している。奥多摩も東京都なのだ。
以前、東京で一番高い雲取山の下山の途中、熊狩りの人達に会ったことがある。
「もう帰れ」との月輪熊大明神のお告げかも知れないと「六ツ石山」に行くのは止めた。
六ツ石山の花の未練を思う余裕もなかった。

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リュウノウギク(竜脳菊)

思いも寄らない珍事件に時間は大幅に過ぎ、漸く六ツ石山の登山道に出た。
月輪熊大明神のお告げを守り六ツ石山の花は諦め山道を下り始めた。
途中にリュウノウギクが咲いていた。
やっと花らしい花に出会って嬉しくなって座り込みカメラを向けファインダーをのぞいた。
何処からか微かに人の声が聞こえる。耳を澄ましと、
「のう~のう~、あれなる山行き人、その花ナ手折り給ひソ」
ふり返ると若い女性が近づいてくる。山歩きの服装ではない。町で見る女性の服装だった。
「リュウノウギクですネ。葉っぱを揉むと、かすかに竜脳の優雅な香りが致します」
ポカーン、空いた口から声が出ない。
彼女はにこやかに通り過ぎた。
「山登りではないですよね。どちらへ?」ややあってやっと後ろ姿に声を掛けた。
「散歩ですよ」と振り返りもせず歌を口ずさみ去って行った。

道々、頭の中はこんがらかり色々様々な想いが次ぎ次に思い浮かんだ。
さっきの女性はほんとに人間だったのだろうか?
もしかしてリュウノウギクの精だったのかも知れない。きっとそうだ。
いやいやそんな馬鹿な。「のう~のう~」の呼び掛けは彼女が口ずさんだ
歌だったのだ。深山の中に出現した美女に動転して幻覚に陥ったンだよ、きっと。
などなどブツブツと独りごとは果てしなく続いた。

この“事件”でつくづく思ったのだ。たとい三流半能楽師でも幸せなのだ、
能に携わっているから竜脳菊の妖精に出会ったのだと。
世の人はこう云っても構わない“何ともくだらない、お前さんの妄想だよ”と

地球上の事象がことごとく解明され、今の人は神秘の世界を信じない。
心の夢が乏しい無味乾燥な現代人は悲しいと思う。
昔の人が羨ましい。能「杜若」の僧は杜若の精が現れても当たり前顔で
驚かない。その余得と云っても当たらないかも知れないが僧は杜若の精に
在原業平の興味深い話をたっぷり聞かせてもらう。

能「杜若」は卓抜した詞章のクセ、キリで業平の東下りと業平像を巧みに
描き出した傑作。長大な二段クセとキリ、ともに工夫を凝らした舞が魅力の能。

杜若
「かように申す物語、疑わせ給うな旅人」
業平が着用していた初冠(ういかむり)老懸(おいかけ)業平菱長絹(ちょうけん)
を着て「東下り、業平像」を語り舞う杜若の精

能「杜若」の詳しい解説はこちらこちら



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11.02
Sat
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イヌキクイモ(犬菊芋) キク科 令和1年10月5日写す。以下同じ

ヒマワリの親戚だそうだ。
イヌキクイモの名の由来は犬の菊芋、つまり役に立たない菊芋という意味だという。
子供の頃、喧嘩してバカヤローの代わりに、
“天保、八厘、犬の糞(テンポウ、ハチリン、イヌノクソ)”と相手を罵った。
天保は江戸後期の天保の改革、八厘は一銭に二厘足りない(頭が足りない)、
犬の糞は役に立たないと云う意味だと後で聞いた。
子供に意味など解る訳がない、ただ怒鳴っていた。

菊芋の根茎は太く美味しいそうだ。二次大戦の戦中、戦後の食料難を助けたという。
犬菊芋と菊芋は外見はそっくりで見分けがつかない。
キクイモの根茎は大きく犬キクイモは小さい。
犬キクイモの根茎は不味いがキクイモの根茎が美味いと聞いていたので
食べてみようとあちこち探しまわり掘ってみたが全部イヌキクイモだった。
かなり前からキクイモは滅多に見られなくなったと後で知った。
キクイモはイヌキクイモに駆逐されたという。
キクイモも犬キクイモも北アメリカ原産。
つまり南北戦争以初めて、アメリカ内戦というわけ。
などと云うと例の大統領にツイッターで叱られるかも、などと冗談も出る程
面白い事例だと思う。

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ネコ

河川敷の藪の中に人の踏み跡の小道が出来ていた。
たぶん釣り人の踏み跡だろうと辿って行った。
途中、道は二又に別れ一方の道の奥にブルーシートの小屋が見えた。
小屋の前に猫が二匹寝転んでいた。近づいても逃げない。
ここは隣近所もない河川敷の一軒家。ネコは人間が珍しいのだろう
ジット見つめて逃げなかった。
河原に出て引き返す途中、中年のおばさんに出会った。
ふり返ったら猫と一緒に小屋の中に消えた。

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筌(うけ又はうえ) 
海や川に沈めて魚を捕る罠

多摩川の堤防のすぐ下を堤防に沿うように散歩やジョギング、サイクリング用の
小道が作られている。多摩川本流に流れ込む小川があり橋が架かっている。
橋の欄干にビニールのヒモがぶら下がっていた。「何だろう」と引き上げて見たら筌だった。
だいぶ前に沈めた様で底には泥、周りにはヌルヌルのノリのようなものが
こびりついていた。
4、5センチほどの鮒が一匹入っていた。
痩せ細り、五回跳ねて力尽きたのか尻尾を振るわすだけ。
まばたきもしないでジット汚い人間の顔(オレの事)を見つめていた。
食べても美味しくないよ、だから助けてと云っているようだった。

“行く春や、鳥啼き魚の目は泪”
芭蕉は持病を押して「奥の細道」に旅立ったそうだ。
決死の覚悟だったと何かで読んだことがある。
何やら芭蕉の境遇に似ているナと“芭蕉フナ君、元気に大きくなれよ!”と放してやった。
フナ君、お礼も言わず何処ともなく泳ぎ去った。
“由良の湊の釣り船は、魚を得て筌を捨つ”能「放下僧」の一節を謡って筌の持主の
言い訳にした。
(まばたきもしないで見つめていたと書いたが、魚には瞼はないですよネ、
まばたきする訳ないですよネ)

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ヒガンバナ(彼岸花) ヒガンバナ科

群生もあったが川面を眺めるように咲いていた一群れがきれいだった。
ヒガンバナの球根には毒がある。
昔は飢饉が頻発して餓死者が珍しくなかった。
ヒガンバナの球根も毒抜きして食べたそうだ。
切羽詰まった人間の知恵だろうが、食べ物が溢れている今の世でも
人間はフグや栃の実など毒の物をたべる。人間は凄まじく獰猛な動物。
牛や馬など草食動物は厚い唇で毒草を感知して食べない。
人間は経験でしか毒を判別出来ない悲しい動物ではある。

ヒガンバナは華やかできれいだが庭に植えているのを見たことがない。
彼岸花の名前から縁起が悪いと敬遠されるからだろうか。
彼岸は三途の川の向うつまりあの世のことだそうだ。
三瀬川とも云うらしい。三途の川には三つの瀬があり亡者の生前の行いに
拠って善い行いの人は橋を渡り、まあまあの人は浅瀬、悪い奴は激流の瀬。
己の来し方を思うと背筋がゾクッとする(苦笑)
今の人は信じる人は少ないだろうが昔の人には深刻だった。
能「砧(きぬた)」で、邪淫の罪で地獄に落ちた苦しみをシテ女は、
「三瀬川、しづみ果てにし泡沫の、あわれはかなき身の行方かな」と謡う。
人生第一の大事は昔も今も男と女の間のことだろう。能に取り上げた作品は多い。
中でもその的確な描写は「砧」が抜きんでている。

九州芦屋の某は訴訟で在京三年、故郷が気に掛かり侍女を芦屋に帰す。
侍女の都での様子を聞き妻は夫への思いをつのらせる。妻は故事を思い出す。 
前漢の武将、蘇武が匈奴の地に抑留され19年の間帰らなかった。
妻は夫を想うあまり高楼に登り砧を打つ。
万里の果ての蘇武が夢に妻の打つ砧の音が聞こえたと云うのだ。

妻と侍女は賤しき者の業である砧を打つ。
千、万もの砧の音で我が想いを夫に伝えようと打つ。
“砧の音、夜嵐、悲しみの声、虫の音、交りて落つる露、涙。いずれ砧の音やらん”
恋い慕う者への思慕をこれほどまでに痛切に描いたものはないと思える程の感動。

この年の暮れに帰郷の筈であった夫が帰らないと知らせが届く。
失意のあまり妻は病を得て亡くなる。

訴訟、事終わり夫は帰省する。
「無慙やな三年過ぎぬる事を怨み、引き別れにし妻琴の、終に別れとなりけるかや」
夫の悔恨も深い。夫は梓の弓を引かせ、妻の霊を呼ぶ。
現れた妻の亡霊は夫の不実を責め立てる。その姿が凄まじく遂には空しい。

砧
“露、涙、ほろほろはらはら、いずれ砧の音やらん”砧を打つ妻と侍女


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台風19号後のおばさんの家の跡
令和1年10月26日写す。以下同じ
 
野球場やサッカー場などの施設も跡形もなく消えていた。
猫とおばさんの家も跡形もなかった。無事に逃げ得ただろうか。
知る限りでは、おばさんの家のある所からやや下流におじさんの家があった。
対岸にも一軒、無惨すぎて見るに忍びなく確かめに行かなかった。

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筌の紐

筌を吊るしていた紐は切れて筌はなかった。
中に捕まっていたフナは放していなければ筌もろとも砂に埋もれ死んだかも知れない。
オレはお前の命の恩人だぞ、そのうち背中に乗せて竜宮城に案内して頂かないとネ、
と呼び掛けたが返事はなかった。たぶん何処ぞで元気に泳いでいるだろうと思う。

能「砧」の詳しい解説はこちらこちら
 「放下僧」はこちら こちら     


≪東京金剛会例会のご案内≫

日時 令和元年11月16日(土)午後1時半開演
会場 国立能楽堂 渋谷区千駄ヶ谷4-18-1 ☎03-3423-1331

演目
能  自然居士(じねんこじ)
    人買いに連れ去られた幼子を、命を懸けて救う熱血宗教家の物語。
    数々の舞を見せる芸尽くしの能
狂言 酢薑(すはじかみ)
    秀句(掛詞、縁語、語呂合わせを使った洒落の句)が面白い。
    今時の“お笑い”には無い高級な笑い。
能  黒塚(くろづか)
    安達ケ原の一軒家に宿を借りた僧一行。情け深い女主は糸繰車を繰りつつ人の世の苦しみ、
    優雅な糸繰唄唄う。女は僧一行を暖めようと裏山に薪を取りに行くと云い閨を見るなと念を押す。
    閨に屍累々、女は鬼だった。約束を破られた女は鬼の正体を現し僧一行に襲いかかる。

連絡先  東京金剛会事務局(山田方) 山田純夫
武蔵野市境南町 5-3-17 ☎0422-32-2796

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10.24
Thu

乙女高原は山梨県の奥秩父連山の麓にある高原。標高1700m。
山梨市が観光地の目玉にしようとしたのかトイレなど整備されているが
訪れる人は少なく静まり返っている。
東京から近く気軽に行けて静かなのが何より気に入っている。
四季折々に高原の花が咲き麓には三富温泉があり良質の温泉が湧く。
立ち寄り湯500円。

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カワラナデシコ(河原撫子) ナデシコ科

低地から亜高山まで咲く花。秋を代表する花の一つ。
茎は固く丈夫。遊山の土産には持って来いの花。
万葉の昔から親しまれた花らしい。
「秋さらば見つつ偲へと妹が植えし宿の石竹なでしこ咲きにけるかも」
大伴家持の歌だそうだ。秋が来て私が植えた撫子が咲いたら私を偲んでください
と云うのだから奥さんは何処かに行ってしまったのだろう。どこだろうか?
家持さん、奥さんの植えた撫子をジット見つめて、その目には涙。
何とも見るに忍びない家持さんの姿が目に浮かびます。
「憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむ」
山上憶良の歌だそうだが万葉人は愛妻家が多かったのだろうか。

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オミナエシ(女郎花)スイカズラ科

なんとも派手な花。昔から親しまれた花のだろう、秋の七草の一つ。
今の世でも秋の七草は?と聞かれると先ずオミナエシと答える人が多いと思う。
派手な花のオミナエシを“女郎花”と書いても不思議には思わない。
女郎は普通、遊女だろうが上臈、上流階級の女性のことででもあるという。
遊女と上臈は雲泥の差だが女郎花の意味はその人に任せるという事だろう。
京都、石清水八幡宮は女郎花の名所だという。
能「女郎花」の舞台でもある。
「艶めきたてる女郎花、うしろめたくや思うらん、女郎と書ける花の名に
 誰偕老を契りけん」と謡う。
女郎とか、上臈とか聞くと“脂粉の香り”を連想する。
古い和歌に女郎花の香りを愛でる歌もあるらしい。
現代人にはとびっきりの悪臭だが、所変われば品変わるならぬ
時が移れば品変わるだろうか。

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ソバナ(岨菜) キキョウ科

岨は峻嶮な山、絶壁などだと辞書にある。その岨に咲く花だとする。
少々大袈裟でちょっとした山深い処なら所嫌わず咲いている。
立ち姿に気品があり岨に咲く花に相応しいという意味だと理解している。
若芽だけでなくかなり成長してもアクもクセもなく美味しい。
ソバナの花を見つけて“アラ、可愛いわね何という花かしら”と騒いでる
ハイカーに「山仕事の杣人(そまびと)が家で待っている愛しいカアチャンに、
ほら、土産だよと手渡すので杣菜、が岨菜になったんだ」と怪しげな解説をする。

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ツルリンドウ(蔓竜胆)リンドウ科

リンドウとツルリンドウは花も葉も形はそっくり。
リンドウはよく知られた秋の花。上向きに誇らしげに咲く。
ツルリンドウは這いつくばって咲き、花もリンドウには遠く及ばない。
リンドウが咲いていた近くの草の藪に絡みついて咲いていた。
生きとし生けるものには美醜、色々あるのだ、卑下してはいけないよ、
浮世の習いだよと慰めてやった。
実は断然ツルリンドウの実がきれい。真っ赤な丸い実が可愛い。
リンドウの実は枯れた花びらに包まれ細いサヤの中に小さい粒粒。
きれいな花のなのに実が何とも情けない姿だ。

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タムラソウ(田村草) キク科

紅色が鮮やかできれい。恐ろしいトゲなどないからこれも山の土産にいい。
トゲのないアザミ。ほんとはアザミの仲間ではないらしいが。
別名、玉帚だそうだ。玉帚は高野箒や箒草で作った箒。
先細の竹箒と違い玉帚はふっくらで田村草の花にそっくり。
能「田村」で前シテの庭掃きの少年が玉帚を持って登場する。
これが名の由来らしい。名付け親はきっと能の愛好者だったのだろう。

少年は坂上田村麻呂の化身。田村麿麻呂は平安前期の人、征夷大将軍。
並外れた剛勇。怒れば猛禽もひれ伏し、笑えば幼子も慣れ親しんだという。
能「田村」は前場では幼子も慣れ親しむ田村麻呂を描き、後場では猛禽も
ひれ伏す田村麻呂を描く。

清水寺の地主権現の桜は昔から桜の名所として名高い。
春爛漫の清水寺を訪れた僧は玉帚で桜の下を掃き清める由ありげな少年に出会う。
童子の面に美しい縫い箔、色水衣の少年姿の田村麻呂が可愛い。
大人が演じ、それも野太い声で謡っても可愛いから不思議。能の演出の不思議な魅力。
自主権現の桜を賞で僧に清水寺創建の由来を語る。
少年ながら存在感ある姿から、えも云えぬ不思議な雰囲気が滲み出、説得力がある。
やがて音羽の山の上に月。「春宵一刻値千金、」と少年。「花に清香、月に陰」と
応じる僧の袖を取り桜の下に僧を誘う。
少年は桜を愛でる「クセ」を舞う。その優雅な舞は「げに千金にも替えじ」だ。

後場はガラリと変わる。
猛禽もひれ伏す坂上田村麻呂の登場。
鈴鹿山の鬼神を退治する剛勇田村麻呂を見せる。
明るくのびのびと情緒豊かな少年田村麻呂を前場で見せ
後場に勇壮、闊達な田村麻呂を見せる。暗い影など微塵もない能。

田村
月下の地主権現の桜の下で桜を賞で舞う少年、田村麻呂

能「田村」の詳しい解説はこちら
 「女郎花」はこちら 

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10.19
Sat
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武蔵野市境から見る富士の残照

中尊寺山門前の食堂はお昼も疾うに過ぎ、ウイークデーでもあったからだろう客はいなかった。桂馬は案内も乞わず暖簾を分けて突っ立ち、見るともなくぼんやり天井を見上げていた。奥から人の気配がしたが桂馬は見上げたままだった。
桂馬は大事な時計を落とし、心当たりを探しにやって来たのだ。時計は腕に巻き付いている筈が何時の間にか消えていた。小津絵が腕の時計をのぞき込み「あら、もうこんな時間」と呟くのを聞いて気が付いたのだ。無意識に外したのだろうが、その後が全く見当がつかなかった。食堂を出た後、中尊寺金堂までの間の小さな末寺を拝んだり衣川が見える見晴台で休んで、弁慶の立ち往生の話を冗談交じりに話したりした。
「お昼を食べてゆっくりお喋りしたあの食堂が一番可能性が高いと思います、行ってみましょう」と小津絵に励まされ暖簾を分けたのだが有るという確信など全くなかった。
「お客さんですよね、うちの女の子に面白い冗談おっしゃった。その子がお膳を引いたンですよ、忘れ物があったらその子がすぐ追いかける筈です。ここではないンじゃないンですか?忘れ物の保管箱にもそれらしき物はありませんしね。」年配の女将が云う“冗談”の一言が妙に耳を衝いた。確かにあの時冗談を云ったのだ。
「お父さん、何かをやる時は、やることを心の中で言って確認して行動するネ、いい?」
娘の朝子の声がよみがえったが反省など全く無く頭の中は訳の分からない渦が巻いていた。桂馬は俯いたまま無言で首を上下に振り店を出た。外で連れの小津絵が突っ立ったままで待っていた。
「先生、どうでした?」
「やはり無い」桂馬は無表情に顔を上げ小津絵を見た。
「そうですか」「じゃあもう一ぺん上まで引き返して探しましょう、道の何処かにきっと落ちていると思います、わたしの目は金属探知機ですから、おまかせください」小津絵がおどけ混じりに励ましたが桂馬の顔は崩れなかった。

桂馬は小津絵に尺八を教えている。
不器用な桂馬の唯一の趣味が尺八だ。師匠は会社の上司で氏家という曰くありげな名字の人だった。仙台の出身で塩竃出身の桂馬とは同郷のようなもので近親感があった。彼の父親は尺八の銀壺流と言う流儀の師範で尺八を教え生業にしていた。彼を跡継ぎにと思っていたのだろう子供の頃から彼に尺八を教えた。だが彼は大学を父の意向とは逆の工学部を選んだ。氏家は桂馬に「オレの性格から人にものを教えるなんて無理だよナ」とよく話した。桂馬は上司という厳然とした企業での上下関係を超えた近親感を氏家に抱くようになった。似たような性格の二人は何かににつけ近づいたのも自然だった。
不器用な桂馬が尺八を彼に習う切っ掛けが笑えるのだ。桂馬が彼の家を訪ね二人で酒をしたたか飲んだ後、彼が尺八を吹いた。何やら重々しい音色だったので泥酔に近い桂馬も思わず居住まいをただした。曲が進んで、オヤ?と桂馬が顔を上げた。氏家が一瞬尺八から唇を放しニヤリと笑った。聞いたような旋律に変わっていたのだ。なんと“ゴンドラの歌”に変わっていた。人柄に惚れ込んだ桂馬は彼に尺八を習い始めた。不器用な桂馬も人の倍ほどの時間を掛けてゴンドラ流の入り口らしき域に辿り着いた。
シャイな性格の桂馬がゴンドラ流尺八を小津絵に教えるようになったのも不思議だ。
小津絵は薬剤師だ。桂馬は中年頃から血圧が高くなった。小津絵の勤める薬局に降圧剤をもらいに月に一度通った。桂馬が手にしている錦の袋を小津絵が珍しがった。錦の袋から取り出した尺八に目を見張り吹いてくれとせがんだ。桂馬は一吹きだけしてみせた。

桂馬は仲間五、六人と月に数回、尺八を楽しむ会をする。定年を待たず退職していた氏家を師匠に桂馬が作った会だ。会員が増え「先生なんどと呼ばれると身が縮むね」とその折々彼は桂馬に囁いた。
理由は解らなかったがいつの間にか氏家師匠はいずこともなく遁ズラしてしまった。故郷の仙台にも帰っていなかった。氏家師匠は在職中、管理職の重圧に耐えかねたのだろう鬱病になり入院したことがあった。
氏家師匠は人との交渉の少ない土地で余生を送りたいと思っていたに違いない。師匠は遁ズラなど口にはしなかったが、師匠との交渉が深まるにつれ師匠の人柄に惹かれていった桂馬には突然の遁ズラの理由が分かるような気がするのだ。
「会社に多大な貢献をした人だ、後は好きな尺八を教えて余生を送れば最高だと思うがネ、会員も増え今からと云う時にいきなり消えるとは不思議な人だ」年老いても世間の常識に引きずられる会員の発言に桂馬は氏家を思いやった。
かなり迷ったが桂馬はその会に小津絵を呼んだ。小津絵の熱心な頼みだった。以来桂馬は小津絵にゴンドラ流尺八を教える羽目になってしまった。勿論、自分では自信がなく怪しげだとは思ったが、師匠が遁ヅラでは仕方がなかった。怪しげでも小津絵がそれでもいいというので尺八の古典を教えた。

小津絵は桂馬を先生と呼ぶ。彼女にとっては当たり前だが桂馬は恥ずかしい。
「先生は止してくれよ、ゴンドラ先生が聞いたらビックリだよ」
「いいえ、立派な先生です。尺八の技術だけが先生ではありません。尺八に対する心です」その度ごとに小津絵はいう。若い女性と尺八、世間一般は首を傾げるかも知れない。だが小津絵はかなり変わった女性だ。若者が夢中になる“もの”に全く興味を向けなかった。
家族も変わっているらしい。小津絵が折々話す家族の話を繋ぎ合わせると、父親はアメリカの大学に留学中、学友に日本のすばらしさを散々聞かされたという。アメリカに憧れ留学した父親にはアメリカ人が日本文化を褒め称すことが驚きだった。学友の憧れだという京都の話しは少しは納得だったが故郷の兼六園の雪吊の写真を見せられびっくりした。
見慣れた景色をアメリカの学生たちが感激するのが不思議だった。アメリカでの生活に馴れるに従い日本の文化に目を向けるようになった。帰国後、彼は兼六園出入りで、自宅の庭の手入れもしていた庭師に弟子入りした。加賀藩の重役を先祖に持つ父親も反対はしなかった。

桂馬が中尊寺を訪ねたのは氏家師匠の在所を知るためだった。桂馬が話す氏家師匠の人柄に興味津々のこずえが師匠捜索の旅に是非にとついて来たのだった。「泊がけの旅だよ、何かが起こるかも知らないぞ」と桂馬がふざけて見せても「OK!」意味を考える素振りもなく何の拘りも見せず小津絵は爽やかに応じた。
仙台の実家を訪ねたが実家の師匠の兄も住所は知らされていなかった。年賀状にも住所はなかったといった。
師匠の奥さんは中尊寺の仏様にお供えする菓子を作る和菓子屋の娘だと聞いていた。
ただ和菓子屋とだけで、どんな店なのか住所も聞いていなかった。
中尊寺の門前町の平泉の町はそれほど大きな町ではない。探せばきっと見つかるだろうと高を括っていた。見当を付けて訪ね歩いたが無駄骨に終わった。
「お菓子屋さん、平泉ではないかも知れません、東京に帰ったらネットなどで色々調べて必ず探し当てます。ガッカリしないで下さい。気晴らしに金堂を拝んで帰りましょう。私、中尊寺どころか金堂など見たことがないンです」金堂まで登ったのは小津絵の提案だった。

桂馬は時計を半ば諦めかけていた。
家で常時使うものが在るべき所になく、あるはずのない所から出て来たりすることが多くなっていた。どうしてそこに置いたのか全く思い出せない。使い終わって無意識のうちに所かまわず置くのだろう。時計も無意識のうちに腕から外しポケットに入れたつもりがそのまま落としたか、手に握って歩いている内に無意識のうちに握った手を開いて落としたのだろう。とぼとぼと歩き始めた桂馬を元気よく先に立っていたこずえが振り返り、
「落とした時計ってそんなに大事な時計ですか?それとも高価な時計だから?」
「やっぱり大事な人に頂いた時計よね、ホラ、先生の顔色が変わった!」
元気づけようとしているのだろうとお返しの桂馬の作り笑いはぎこちなかった。

桂馬が高校入学の時に父親に時計を貰った。スイスの高級時計だった。桂馬はその時計を腕に巻き付けるのを戸惑った。ポケットに入れ時間を見る度にポケットから出して見てまたポケットに戻した。いかにも高価に見えるその時計が我が身を我が身以上に誇示しているように思えて恥ずかしかったのか自分には似合わないと思ったのだろう。母の生活態度が身に沁みている証でもあった。母は必要以上のものを身に付けることはなかった。その理由を話すこともなかったが母の普段の生活の中での言動から、長ずるにつれ桂馬流に理解され沁み込んで行ったのだろう。大学を卒業し就職してしばらく、時計は桂馬のポケットを出入りしていたがいつの間にか消えていた。惜しい訳ではなかったが時計への拘りは妙に消えることはなかった。

突然なくなった時計は妻の温子のプレゼントだった。
温子にトラウマのような時計を、これも妙にも望んだのは桂馬自身だった。温子が出発する日、新宿のデパートで買い温子自身の腕に巻き付けて成田の空港から送って来た。これも桂馬が温子に照れながら頼んだのだ。時計のベルトは短かった。温子の手首の長さだった。桂馬は何かにつけて時計を手に取り話しかけた。これぞという催しがあるとトラウマの短いベルトの時計を苦労しながら腕に巻き「よし!温子、行くぞ!」と呼び掛けて家を出た。

小津絵が終始桂馬の前に立ち中尊寺への坂道を左右を見回しながら登った。諦めムードだった桂馬は熱心ではなかった。だらだらと小津絵の後に続いた。いかな金属探知機の目も時計を発見することはなかった。
金堂の入場券売り場の前で二人は無言でしばらく佇んだ。
「やはり無理だね、何せ小さいからね、落ち葉か何かの中にもぐったンだよ、きっと。諦めるよ。溶けて蒸発した訳ではないし何処かにきっと存在する、それでいいンだ。御用が済んで仕舞って翁草とするよ」小津絵がククッと笑った。小津絵も納得した様だった。
「では下りよう」桂馬は金堂を背に歩き出した。
「ア、そうだ、ちょっと待ってください。能楽堂のきざはしに腰かけてお話したでしょう、行ってみませんか、もしなかったら今度こそ潔く諦めましょう」後ろから小津絵が呼び掛けた。能楽堂は金堂から近い。二人肩を並べて能楽堂に向かった。
「能楽堂でお能のお話を聞きましたよネ」「え、どんな話?」
「奥様が学生の頃、お能の鑑賞会で見たお能が鬼の能で」
「ア、そうだった。数時間前に話したのにもう忘れていた。坊さんがお経を唱えて鬼を祈り伏せる、“おんころころせんだりまとうぎ”、昔の話なのに忘れないンだよね不思議に。かみさんの名前が温子、あつ子が“おんころころ”のおん子になった話だったね」
森に囲まれた能楽堂は舞台と楽屋だけで見物席は庭のような広場だった。人気もなく閑散としていた。
「あ、人が居ます。木の下の石に腰かけて、身体の具合でも悪いのかしら」
白いサファリハットをかぶり背筋を曲げた男が見えた。小津絵が急ぎ足で男に向かった。
「さすが薬剤師、具合の悪そうな人が気になるンだ」
小津絵とサファリハットの男はお辞儀を繰り返していた。今時珍しい光景だと桂馬は思った。
「この近くお住まいですか?」薬局の患者と話す口調に聞こえた。
「いいえ」男が名刺を差し出した。男は長い間のサラリーマン生活の延長のようにごく自然だった。武蔵野市境とあり、名前が吉田朴とあった。
「お名前が珍しいですね、なんと読むんですか」
「すなおです。外見を飾らない自然そのままという意味だそうです。おやじが付けたンです。名のとおりの風采になりましたが」丸い黒縁眼鏡をかけサファリハットを被り、飾り気のないジャンパーを着た中肉中背の男の容貌は“名は体を表す”の曰く通り多分素直な実直な人なのだろうと桂馬は思った。
「私も武蔵野市なんですよ。どこかでお会いしたかも知れませんね」遠く陸奥と呼ばれた地で同じ町に住む人に逢うとはと何か因縁のようなものを感じ桂馬は男の顔を見つめた。
「そうですか。武蔵野市ですか奇遇ですね」実直そうな顔に笑みが浮かんだ。
「実は女房が多賀谷西光寺の縁戚でしてね、里帰りの度にこの辺を女房と歩いたンですよ」
「エッ、あの摩崖仏の?中尊寺の前に拝んで来たんですよ、今日は奥様はどうして御一緒ではないのですか」小津絵も遠慮が薄らいだ様だった。
「女房はこの春亡くなりました」男は急にうつむいた。
                       つづく

≪東京金剛会例会のご案内≫

日時 令和元年11月16日(土)午後1時半開演
会場 国立能楽堂 渋谷区千駄ヶ谷4-18-1 ☎03-3423-1331

演目
能  自然居士(じねんこじ)←クリックして下さい
    人買いに連れ去られた幼子を、命を懸けて救う熱血宗教家の物語。
    数々の舞を見せる芸尽くしの能
狂言 酢薑(すはじかみ)
    秀句(掛詞、縁語、語呂合わせを使った洒落の句)が面白い。
    今時の“お笑い”には無い高級な笑い。
能  黒塚(くろづか)←クリックして下さい
    安達ケ原の一軒家に宿を借りた僧一行。情け深い女主は糸繰車を繰りつつ人の世の苦しみ、
    優雅な糸繰唄唄う。女は僧一行を暖めようと裏山に薪を取りに行くと云い閨を見るなと念を押す。
    閨に屍累々、女は鬼だった。約束を破られた女は鬼の正体を現し僧一行に襲いかかる。

連絡先  東京金剛会事務局(山田方) 山田純夫
武蔵野市境南町 5-3-17 ☎0422-32-2796

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