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02.15
Sat
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紅梅 バラ科 2020年1月26日写す

梅一輪ほころびた。
今年は暖冬だという。だが寒い。植物は敏感、人の体感など関係なく温度を感じて咲き始める。
ネズミの額にほったらかしにしていた鉢植えの紅梅がつぼみを沢山つけた。
例年よりかなり早い。毎年無関心なのに今年はどうした訳か気になり部屋に取り込んだ。
取り込んで5,6日朝起きて布団を取り込もうとチラリと目をやると一輪ほころびていた。思わず布団を取り落とし、まじまじと。
思い出こもごも滲み出た。

盆栽など全く興味がないが20数年前、熱海の梅園で買った。梅の名が軒端の梅?鶯宿梅?
のどちらかだった。名前に惹かれて買った。
能「東北」に、和泉式部の庭に咲いていた梅の名が“軒端の梅”だとあり別名が鶯宿梅
又は好文木だとあるので。

“梅一輪一輪ほどの暖かさ”ふと思い浮かんだ。
正岡子規か高浜虚子の句だと思っていた。
平明で余情のある句を目指したと聞いた事があるので。
芭蕉の弟子、服部嵐雪と云う人の句だそうだ。
芭蕉は不易流行を唱えた人。その弟子にしてだから成程と。
およそ俳句など解る訳ない、ぼんくら無風流でも分かり易く
嬉しくなる句だから覚えているのだろう。

所帯を持って住んだのが阿佐ヶ谷のアパート、窓の真下に紅梅の古木があった。
2年後武蔵野市に引っ越した。隣がモルモン教の教会だった。
ブロック塀越に教会から痩せたひょろひょろの紅梅が我がアパートの窓近くに枝を伸ばし花を咲かせた。
又々2年後引っ越した。ここのアパートにも庭を覆うほどの紅梅の巨木があった。
最後に引っ越した家のネズミの額の庭にも紅梅の古木がある。鈍感な奴でも因縁を感じた。
度々引っ越したのは引っ越しが趣味だからではない。家族が増える度に引っ越した。

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紅梅の古木 2020年2月8日写す
鉢植の紅梅が散り、ネズミの額の古木の梅が満開となった。

今の住家は手と足の指を二回折って数えても足りないほどの年月住み続けた。
もう引っ越さないと思う。増えた家族のために無理して引っ越したが次々に
子供達が去って行き、今は空き部屋に陰気が淀んでいる。
ネズミの額の庭には全く不似合いだが、格好いい紅梅の巨木がある。
子供達は去ったが因縁の梅は我が家を去ることはない。毎年、陰気が淀む我が家を派手に飾ってくれる。
それにしても紅梅との縁が、因縁と思える程不思議でならない。
そのうち蓮の臺は無理だが梅の臺?に座るかもネと事ある毎に冗談を云う。

梅と云えばやはり水戸の偕楽園。100品種3000本の花盛りは桃源郷ならぬ梅源郷。徳川後期の水戸藩主、
徳川斉昭が造った。園内にかっこいい好文亭がある。文人墨客や家臣と詩歌の会などを催した。
また養老の会などを催し領民を慰めた。
好文亭の名は好文木に囲まれた亭の意、好文木は梅の異称で中国の故事による名、等々
売店の中年の女店員が得意顔で教えてくれた。
好文亭で「東北」が謡われたことは必定、「東北」は梅の能だし好文亭の命名も能「東北」を意識しての命名でもあると思う。

和泉式部所縁の東北院を訪ねた僧が今を盛りと咲く梅を眺めていると里女が現れ梅の名は“軒端の梅”だと教え,
軒端の梅について語る。
里女は田舎娘と云う意ではなく、ふと現れた若い女と云う意。この能では和泉式部の化身。
能の衣裳で最も豪華な唐織を着て現れる。夢のようなふくよかな雰囲気が漂う。

唐織は厚手の衣裳で動き難い。足腰の動きが制限される。運歩も動きも自ずと静かになる。
能の詞章は会話である語りと曲節の謡で語られる。語りも謡も詩。
制限された静かな動きと静かな謡から詩的情景が浮かぶ。
平安の女性は闊歩を嫌った、など思い合せるとなおも興味が湧くかも知れない。

後シテは宮廷女性の正装で現れる。袖の大きい、ゆったりとした長絹に緋色の袴を着る。
能の装束は色と模様で身分を表す。後シテの和泉式部の装束は高貴を表す。
都の景色や梅を愛でる美しい詞章に、長絹を翻して舞い王朝美の世界に誘う。

能は元々五番立てで演ぜられた。五番立ての三番目に演ぜられ、能会の中心に据えられる曲群を三番目物と呼ぶ。
幽玄、優艶を求めた抒情的詩劇とする。
「東北」はその中の代表作だという。

和泉式部は恋多き歌人だったと云う。終曲近く「げにや色に染み香にめでし昔を」とあるのみで恋は語られない
清らかな曲に仕立てられている。

東北2
高貴の色、紫の長絹(ちょうけん)を翻して舞う紫式部

能「東北」の詳しい解説はこちら

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10.19
Sat
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武蔵野市境、ビルの屋上から見る富士の残照

中尊寺山門前の食堂はお昼も疾うに過ぎ、ウイークデーでもあったからだろう客はいなかった。桂馬は案内も乞わず暖簾を分けて突っ立ち、見るともなくぼんやり天井を見上げていた。奥から人の気配がしたが桂馬は見上げたままだった。
桂馬は大事な時計を落とし、心当たりを探しにやって来たのだ。時計は腕に巻き付いている筈が何時の間にか消えていた。小津絵が腕の時計をのぞき込み「あら、もうこんな時間」と呟くのを聞いて気が付いたのだ。無意識に外したのだろうが、その後が全く見当がつかなかった。食堂を出た後、中尊寺金堂までの間の小さな末寺を拝んだり衣川が見える見晴台で休んで、弁慶の立ち往生の話を冗談交じりに話したりした。
「お昼を食べてゆっくりお喋りしたあの食堂が一番可能性が高いと思います、行ってみましょう」と小津絵に励まされ暖簾を分けたのだが有るという確信など全くなかった。
「お客さんですよね、うちの女の子に面白い冗談おっしゃった。その子がお膳を引いたンですよ、忘れ物があったらその子がすぐ追いかける筈です。ここではないンじゃないンですか?忘れ物の保管箱にもそれらしき物はありませんしね。」年配の女将が云う“冗談”の一言が妙に耳を衝いた。確かにあの時冗談を云ったのだ。
「お父さん、何かをやる時は、やることを心の中で言って確認して行動するネ、いい?」
娘の朝子の声がよみがえったが反省など全く無く頭の中は訳の分からない渦が巻いていた。桂馬は俯いたまま無言で首を上下に振り店を出た。外で連れの小津絵が突っ立ったままで待っていた。
「先生、どうでした?」
「やはり無い」桂馬は無表情に顔を上げ小津絵を見た。
「そうですか」「じゃあもう一ぺん上まで引き返して探しましょう、道の何処かにきっと落ちていると思います、わたしの目は金属探知機ですから、おまかせください」小津絵がおどけ混じりに励ましたが桂馬の顔は崩れなかった。

桂馬は小津絵に尺八を教えている。
不器用な桂馬の唯一の趣味が尺八だ。師匠は会社の上司で氏家という曰くありげな名字の人だった。仙台の出身で塩竃出身の桂馬とは同郷のようなもので近親感があった。彼の父親は尺八の銀壺流と言う流儀の師範で尺八を教え生業にしていた。彼を跡継ぎにと思っていたのだろう子供の頃から彼に尺八を教えた。だが彼は大学を父の意向とは逆の工学部を選んだ。氏家は桂馬に「オレの性格から人にものを教えるなんて無理だよナ」とよく話した。桂馬は上司という厳然とした企業での上下関係を超えた近親感を氏家に抱くようになった。似たような性格の二人は何かににつけ近づいたのも自然だった。
不器用な桂馬が尺八を彼に習う切っ掛けが笑えるのだ。桂馬が彼の家を訪ね二人で酒をしたたか飲んだ後、彼が尺八を吹いた。何やら重々しい音色だったので泥酔に近い桂馬も思わず居住まいをただした。曲が進んで、オヤ?と桂馬が顔を上げた。氏家が一瞬尺八から唇を放しニヤリと笑った。聞いたような旋律に変わっていたのだ。なんと“ゴンドラの歌”に変わっていた。人柄に惚れ込んだ桂馬は彼に尺八を習い始めた。不器用な桂馬も人の倍ほどの時間を掛けてゴンドラ流の入り口らしき域に辿り着いた。
シャイな性格の桂馬がゴンドラ流尺八を小津絵に教えるようになったのも不思議だ。
小津絵は薬剤師だ。桂馬は中年頃から血圧が高くなった。小津絵の勤める薬局に降圧剤をもらいに月に一度通った。桂馬が手にしている錦の袋を小津絵が珍しがった。錦の袋から取り出した尺八に目を見張り吹いてくれとせがんだ。桂馬は一吹きだけしてみせた。

桂馬は仲間五、六人と月に数回、尺八を楽しむ会をする。定年を待たず退職していた氏家を師匠に桂馬が作った会だ。会員が増え「先生なんどと呼ばれると身が縮むね」とその折々彼は桂馬に囁いた。
理由は解らなかったがいつの間にか氏家師匠はいずこともなく遁ズラしてしまった。故郷の仙台にも帰っていなかった。氏家師匠は在職中、管理職の重圧に耐えかねたのだろう鬱病になり入院したことがあった。
氏家師匠は人との交渉の少ない土地で余生を送りたいと思っていたに違いない。師匠は遁ズラなど口にはしなかったが、師匠との交渉が深まるにつれ師匠の人柄に惹かれていった桂馬には突然の遁ズラの理由が分かるような気がするのだ。
「会社に多大な貢献をした人だ、後は好きな尺八を教えて余生を送れば最高だと思うがネ、会員も増え今からと云う時にいきなり消えるとは不思議な人だ」年老いても世間の常識に引きずられる会員の発言に桂馬は氏家を思いやった。
かなり迷ったが桂馬はその会に小津絵を呼んだ。小津絵の熱心な頼みだった。以来桂馬は小津絵にゴンドラ流尺八を教える羽目になってしまった。勿論、自分では自信がなく怪しげだとは思ったが、師匠が遁ヅラでは仕方がなかった。怪しげでも小津絵がそれでもいいというので尺八の古典を教えた。

小津絵は桂馬を先生と呼ぶ。彼女にとっては当たり前だが桂馬は恥ずかしい。
「先生は止してくれよ、ゴンドラ先生が聞いたらビックリだよ」
「いいえ、立派な先生です。尺八の技術だけが先生ではありません。尺八に対する心です」その度ごとに小津絵はいう。若い女性と尺八、世間一般は首を傾げるかも知れない。だが小津絵はかなり変わった女性だ。若者が夢中になる“もの”に全く興味を向けなかった。
家族も変わっているらしい。小津絵が折々話す家族の話を繋ぎ合わせると、父親はアメリカの大学に留学中、学友に日本のすばらしさを散々聞かされたという。アメリカに憧れ留学した父親にはアメリカ人が日本文化を褒め称すことが驚きだった。学友の憧れだという京都の話しは少しは納得だったが故郷の兼六園の雪吊の写真を見せられびっくりした。
見慣れた景色をアメリカの学生たちが感激するのが不思議だった。アメリカでの生活に馴れるに従い日本の文化に目を向けるようになった。帰国後、彼は兼六園出入りで、自宅の庭の手入れもしていた庭師に弟子入りした。加賀藩の重役を先祖に持つ父親も反対はしなかった。

桂馬が中尊寺を訪ねたのは氏家師匠の在所を知るためだった。桂馬が話す氏家師匠の人柄に興味津々のこずえが師匠捜索の旅に是非にとついて来たのだった。「泊がけの旅だよ、何かが起こるかも知らないぞ」と桂馬がふざけて見せても「OK!」意味を考える素振りもなく何の拘りも見せず小津絵は爽やかに応じた。
仙台の実家を訪ねたが実家の師匠の兄も住所は知らされていなかった。年賀状にも住所はなかったといった。
師匠の奥さんは中尊寺の仏様にお供えする菓子を作る和菓子屋の娘だと聞いていた。
ただ和菓子屋とだけで、どんな店なのか住所も聞いていなかった。
中尊寺の門前町の平泉の町はそれほど大きな町ではない。探せばきっと見つかるだろうと高を括っていた。見当を付けて訪ね歩いたが無駄骨に終わった。
「お菓子屋さん、平泉ではないかも知れません、東京に帰ったらネットなどで色々調べて必ず探し当てます。ガッカリしないで下さい。気晴らしに金堂を拝んで帰りましょう。私、中尊寺どころか金堂など見たことがないンです」金堂まで登ったのは小津絵の提案だった。

桂馬は時計を半ば諦めかけていた。
家で常時使うものが在るべき所になく、あるはずのない所から出て来たりすることが多くなっていた。どうしてそこに置いたのか全く思い出せない。使い終わって無意識のうちに所かまわず置くのだろう。時計も無意識のうちに腕から外しポケットに入れたつもりがそのまま落としたか、手に握って歩いている内に無意識のうちに握った手を開いて落としたのだろう。とぼとぼと歩き始めた桂馬を元気よく先に立っていたこずえが振り返り、
「落とした時計ってそんなに大事な時計ですか?それとも高価な時計だから?」
「やっぱり大事な人に頂いた時計よね、ホラ、先生の顔色が変わった!」
元気づけようとしているのだろうとお返しの桂馬の作り笑いはぎこちなかった。

桂馬が高校入学の時に父親に時計を貰った。スイスの高級時計だった。桂馬はその時計を腕に巻き付けるのを戸惑った。ポケットに入れ時間を見る度にポケットから出して見てまたポケットに戻した。いかにも高価に見えるその時計が我が身を我が身以上に誇示しているように思えて恥ずかしかったのか自分には似合わないと思ったのだろう。母の生活態度が身に沁みている証でもあった。母は必要以上のものを身に付けることはなかった。その理由を話すこともなかったが母の普段の生活の中での言動から、長ずるにつれ桂馬流に理解され沁み込んで行ったのだろう。大学を卒業し就職してしばらく、時計は桂馬のポケットを出入りしていたがいつの間にか消えていた。惜しい訳ではなかったが時計への拘りは妙に消えることはなかった。

突然なくなった時計は妻の温子のプレゼントだった。
温子にトラウマのような時計を、これも妙にも望んだのは桂馬自身だった。温子が出発する日、新宿のデパートで買い温子自身の腕に巻き付けて成田の空港から送って来た。これも桂馬が温子に照れながら頼んだのだ。時計のベルトは短かった。温子の手首の長さだった。桂馬は何かにつけて時計を手に取り話しかけた。これぞという催しがあるとトラウマの短いベルトの時計を苦労しながら腕に巻き「よし!温子、行くぞ!」と呼び掛けて家を出た。

小津絵が終始桂馬の前に立ち中尊寺への坂道を左右を見回しながら登った。諦めムードだった桂馬は熱心ではなかった。だらだらと小津絵の後に続いた。いかな金属探知機の目も時計を発見することはなかった。
金堂の入場券売り場の前で二人は無言でしばらく佇んだ。
「やはり無理だね、何せ小さいからね、落ち葉か何かの中にもぐったンだよ、きっと。諦めるよ。溶けて蒸発した訳ではないし何処かにきっと存在する、それでいいンだ。御用が済んで仕舞って翁草とするよ」小津絵がククッと笑った。小津絵も納得した様だった。
「では下りよう」桂馬は金堂を背に歩き出した。
「ア、そうだ、ちょっと待ってください。能楽堂のきざはしに腰かけてお話したでしょう、行ってみませんか、もしなかったら今度こそ潔く諦めましょう」後ろから小津絵が呼び掛けた。能楽堂は金堂から近い。二人肩を並べて能楽堂に向かった。
「能楽堂でお能のお話を聞きましたよネ」「え、どんな話?」
「奥様が学生の頃、お能の鑑賞会で見たお能が鬼の能で」
「ア、そうだった。数時間前に話したのにもう忘れていた。坊さんがお経を唱えて鬼を祈り伏せる、“おんころころせんだりまとうぎ”、昔の話なのに忘れないンだよね不思議に。かみさんの名前が温子、あつ子が“おんころころ”のおん子になった話だったね」
森に囲まれた能楽堂は舞台と楽屋だけで見物席は庭のような広場だった。人気もなく閑散としていた。
「あ、人が居ます。木の下の石に腰かけて、身体の具合でも悪いのかしら」
白いサファリハットをかぶり背筋を曲げた男が見えた。小津絵が急ぎ足で男に向かった。
「さすが薬剤師、具合の悪そうな人が気になるンだ」
小津絵とサファリハットの男はお辞儀を繰り返していた。今時珍しい光景だと桂馬は思った。
「この近くお住まいですか?」薬局の患者と話す口調に聞こえた。
「いいえ」男が名刺を差し出した。男は長い間のサラリーマン生活の延長のようにごく自然だった。武蔵野市境とあり、名前が吉田朴とあった。
「お名前が珍しいですね、なんと読むんですか」
「すなおです。外見を飾らない自然そのままという意味だそうです。おやじが付けたンです。名のとおりの風采になりましたが」丸い黒縁眼鏡をかけサファリハットを被り、飾り気のないジャンパーを着た中肉中背の男の容貌は“名は体を表す”の曰く通り多分素直な実直な人なのだろうと桂馬は思った。
「私も武蔵野市なんですよ。どこかでお会いしたかも知れませんね」遠く陸奥と呼ばれた地で同じ町に住む人に逢うとはと何か因縁のようなものを感じ桂馬は男の顔を見つめた。
「そうですか。武蔵野市ですか奇遇ですね」実直そうな顔に笑みが浮かんだ。
「実は女房が多賀谷西光寺の縁戚でしてね、里帰りの度にこの辺を女房と歩いたンですよ」
「エッ、あの摩崖仏の?中尊寺の前に拝んで来たんですよ、今日は奥様はどうして御一緒ではないのですか」小津絵も遠慮が薄らいだ様だった。
「女房はこの春亡くなりました」男は急にうつむいた。
                       つづく

≪東京金剛会例会のご案内≫

日時 令和元年11月16日(土)午後1時半開演
会場 国立能楽堂 渋谷区千駄ヶ谷4-18-1 ☎03-3423-1331

演目
能  自然居士(じねんこじ)←クリックして下さい
    人買いに連れ去られた幼子を、命を懸けて救う熱血宗教家の物語。
    数々の舞を見せる芸尽くしの能
狂言 酢薑(すはじかみ)
    秀句(掛詞、縁語、語呂合わせを使った洒落の句)が面白い。
    今時の“お笑い”には無い高級な笑い。
能  黒塚(くろづか)←クリックして下さい
    安達ケ原の一軒家に宿を借りた僧一行。情け深い女主は糸繰車を繰りつつ人の世の苦しみ、
    優雅な糸繰唄唄う。女は僧一行を暖めようと裏山に薪を取りに行くと云い閨を見るなと念を押す。
    閨に屍累々、女は鬼だった。約束を破られた女は鬼の正体を現し僧一行に襲いかかる。

連絡先  東京金剛会事務局(山田方) 山田純夫
武蔵野市境南町 5-3-17 ☎0422-32-2796

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01.12
Sat
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富士山の残照 2019年1月8日写す
老人の思い出にも似る。ひと時美しく輝きしだいに消えて行く。

桂馬はトイレに急いだ。後ろ手にドアのノブを思いっきり引いた。パタン!大きな音に瞬間ビックっと肩があがった。
パタパタ、足音が聞こえる。ドアの大きな音を聞きつけた孫の愛(ちか)の足音だった。「アレッ?これ何?お母さん来て!」桂馬は漏らしてしまったのだ。用が済んだら拭き取らなくてはと思っていたが愛に見つかってしまったのだ。
用は済んだがトイレから出るかどうか桂馬は迷った。朝子が慌てて駆けつけるだろう。鉢合わせするのはバツが悪い。
朝子の気配がした。朝子が始末するまで時間が掛かるだろう。桂馬は覚悟を決めてそっとドアを開けた。
「おかあさあん、こっち、こっち、あっちにも」愛(ちか)が指さした。朝子は膝をつき右手に雑巾を持ち床を見渡していた。
桂馬は忍び足で朝子の後ろを部屋に向かった。「ふっふっふ」桂馬の気配に朝子が床を見回しながら笑った。
朝子は母親似で優しい子だ、桂馬の粗相程度で怒る筈はない、がなんとも極まり悪い。桂馬のソソウの水滴は桂馬の部屋のドア近くまで点々と続いていた。
「かの血を探へ化生のものを退治仕ろうずるにて候」桂馬の気配に朝子がおどけ調子に小声で謡った。
謡曲「土蜘蛛」の一節だった。謡曲は能のセリフだ、独特の節をつけて謡う。俗に“謡い”といわれている。
「急いで退治、仕まつり候へ」桂馬は小声で応じ急いで部屋のドアを閉めた。

能の「土蜘蛛」は病床の源頼光を襲った土蜘蛛の妖怪を頼光が刀で切り付け、家来達が土蜘蛛の血の跡をたどり蜘蛛の妖怪の巣に辿り着き、退治するという話で人気の活劇の能だ。
謡曲は桂馬の若い時からの趣味だった。桂馬は幼い朝子を能の公演や桂馬の趣味の謡曲の会に連れて行った。
家でも謡曲の一節を冗談に使った。朝子もいつの間にか諳んじるようになった。

桂馬は飲みかけのお茶の道具や読みかけの本が乱雑に散らばった自分の部屋の机の前にガラス窓を睨んで座り込んだ。どうしたのだろう、今まで1、2滴はこぼしたことはあったがこれ程派手にこぼしたことは初めてだ。
「あいつ等が云ってたのはこの事だろう」年に数回催される郷里のクラス会での話題が甦った。「マア、女房はしかめっ面するが人間の身に起こる自然の摂理だから仕方がない、だが頻尿は辛いよナ。そのうえ残尿感が嫌だ。我慢すると洩れて気持ちが悪いし、冬の寒い夜は辛いよね。この間ネ、女房の奴が紙パンツを買って来たんだ、思わず馬鹿にすんなって怒鳴ったんだ。だがよくよく考えるとそろそろ男の自尊心もおしまいだよナ。女房に八つ当たりしても仕方がない。ま、唯一の楽しみ、酒でも飲んで待つしかないか、だがこの頃、酒もあまり飲めなくなった」「何を待つンだ?」「それを云っちゃあおしまいだ」爆笑が湧いた。
白髪が増え、シワが増えハゲが目立つようになるにつれ話題は体の具合や医者の話が話題の中心になって行く。これらの人達の訃報が聞こえ初め、親睦会も間遠になった。世間への扉がすこしずつ閉ざせていく疎外感が事ある毎に迫った。

桂馬は退職してからしばらくして家でくつろぐ時は和服を着ることにした。寝間着もパジャマから浴衣に変えた。締め付けるゴムが解放感を阻害したし、浴衣は突然に身体が要求する排泄にも簡単に応じられるからでもある。
朝子はこのところ桂馬の家に来ることが増えた。顔を合わせるなり大げさなリボンの付いた包みをいきなり差し出した。「ハイ、お祝い」悪戯っぽい笑みを浮かべた朝子の顔を見つめ受け取る手はためらっていた。「何の?」「1ランク上の大人になったお祝い」「1ランク上の役立たず爺の?」「お父さん、自分を卑下してはいけません。お能ではお爺さんやお婆さんは尊敬の対象でしょう。今でも“敬老の日”って祝日があるじゃあない」「昔の人は短命、長生きが人生最大の夢だったンだ。今は建前。内心は邪魔者」「そんなこと云わないで!少なくとも私はお父さんに何時までも元気でいて欲しいンだから」

正札にクラシックパンツと書いてあった。フンドシだった。桂馬の異変に気が付いたのだろう。このところトイレに駆け込むことが多くなったしトイレのドアは開けっ放しだった。クラシックパンツは普通のパンツのゴムのような締め付け感はないが、穿いてみたがどうにも心許なく不安だった。だが馴れると爽やかだった。馴れは恐ろしいナ、人の人生を変えるナなどと呟き苦笑したりした。
浴衣にはゆったりと解放感がある。永年、身体を締め付ける洋服に馴れた生活だったが浴衣の解放感を覚えるとパンツまでおさらば、ますますクラシックパンツに執着した。クラシックパンツの生地は薄い、漏らしてしまえば蜘蛛の血は床に直行だった。
桂馬は子供の頃から和服に郷愁のような憧れのようなものを持ってる。
塩竃の母は着物姿が多かった。母がたまに着る洋服は似合わないと桂馬は思った。
父も帰宅後は和服でくつろいだ。父の背広を片付け、着物に着替える父を手伝う割烹着姿
の母の面影が今でも目に懐かしくちらつくことがある。桂馬が和服に執着していく要因の一つだったのかも知れない。

「やはり例の紙パンツを穿かなきゃダメかナ、土蜘蛛の血は突然ではないのかもしれない。朝子がアメリカに発つまでは気を付けないとナ」桂馬の不安は高まっていく気配だった。近々朝子はニューヨークに転勤になった夫の許に行くことになっている。朝子はニューヨーク行きを迷っていた。桂馬を一人で置いて行くのを躊躇ったからだ。桂馬は同じ年代の人に比べ生気があり健康そうに見える。桂馬は常づね、オレは幼い頃から海や川で泳ぎまわり、野山を駆け回っていたンだ。早池峰には6歳の時登ってお神楽を見たンだ、だから医者に縁がないンだなどと自慢した。朝子も父の健康を信じていたが人には信じられないことが起こる。健康でも年という事実が恐い。朝子の迷いだった。
だが桂馬の説得「人生には誰しもチャンスが巡ってくる。それを物にするかしないかはその人の器量による。外国の異文化に浸って生活体験をする、子にとっても親にとってもこれほどのチャンスはない、何を置いても行かなきゃあ、それに会社が金を出してくれるンだ、こんなチャンスはないだろう」朝子は桂馬の熱心な説得にニューヨーク行を決心した。
朝子にとってプライオリティーは桂馬、その次がニューヨークだったのだ、また同じ粗相を見つかったら朝子はニューヨーク行を止めるだろう。肉親が近くにいない淋しさを予想しない訳ではない。殊に今朝のような土蜘蛛血事件が起こった後はじわじわと不安のようなものが忍び寄って来るだろう。だが朝子の幸せが第一、夫婦子供が別居生活では不自然だ。それも自分のせいとなるのが許せないのだ。

桂馬の部屋のドアが開いた。「お父さん、どうしたの?いつもの元気、見えないナ」「そんなことないよ」桂馬は庭の一点を見つめたまま朝子に振り向きもしなかった。朝子は桂馬の横に座り桂馬の顔を覗き込み、「土蜘蛛の血、気にしてるンでしょう」妻の温子の仕草だと桂馬は思った。桂馬の顔が少し弛んだように朝子は思ったのだろう、「土蜘蛛の血なんて大したことないわよ。トイレから出て手を洗わないでお母さんに見つかって、、、お父さん、こう云ったわよネ。生きとし生けるものの長、人間様の身体から出たばかりの物体だ。不浄の訳なかろう。不浄は人が不浄にするンだ、手を洗わずに病気になったり死んだりした人は聞いた事がない」「お母さん、名言って手を叩いて大笑いしたじゃない。元気だして、お父さん」朝子は立ち上がりドアの前で桂馬をふり返り、「そうだ、お父さん。鶴さんとの思い出の鎌倉、行って来たら。元気、出るわよ」
“鶴”と聞いた桂馬は唖然と朝子を見つめた。鶴は聞くだけで桂馬にはインパクトだ。それに久しく聞かなかったのだ。
そう古くはない一時期、桂馬は酔って帰ると陽気に鶴との思い出話をした。朝子は苦笑いをして聞いていたが、度重なるにつれ、鶴が結婚前の桂馬の妻つまり朝子の母、温子の呼び名だったと朝子は気づいたのだろう催促しながら聞くようになった。そのお惚気もこのところ遠のいていた。桂馬は朝子の真意を探るかのように朝子を見つめた。朝子は笑みを残してドアを静かに閉めて出て行った。

鎌倉の思い出はあまりにも時間の段差が大きい、殊にここ数年、時間は希薄だ。思い出の軽重の順に希薄の時間の中に吸い取られ消えて行く。
朝子にはどんな思い出を話したのだろうか、この頃思い出は他の思い出とこんがらがっていることが多々ある。朝子に話したという鎌倉の思い出話は希薄で繋がりに自信がない。
町内会のバス旅行に付き合いで行って、数回訪れた地でも「へえ、こんな所だった?」と不審することや故郷の人達との思い出話でも桂馬の思い出とまるで違うことが多く愕然とすることが多い。
桂馬は思い出を回想する度に理想の物語を創作して付け加え、それが事実だと信じているのかも知れない。小町通りの雑踏と横丁の赤ちょうちん、某寺の竹林の中の茶屋、明治の元勲の別荘跡のレストランで飲んだ身に余る高級ワイン、江ノ電構内で食べたコロッケ、疲れたとしゃがみ込んだ温子をおんぶした由比ガ浜、あれは嘘でオレを騙したンだった、オレは怒ったふりして温子を放り投げ逃げる温子を追っかけた、靴が脱げても構わず必死で逃げる温子、あれもみな創作だろうか。
鶴は桂馬の生涯唯一の女だったし鶴との思い出は無二の物なのだ、付け加えた思い出でもいいのだ。
鎌倉に行って何かを見て、思い出がことごとく打ち砕かれたらどうしよう。
色々な想いが浮かんでは消え、消えては浮かんだ。桂馬は気が抜けたように立ち上がった。行ってみるかどうするか決めかねたまま。



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09.16
Sat
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町の残照 (武蔵野市境南町5丁目付近 2017年9月12日写す)

砂内桂馬は世にいう後期高齢者に近い。だが自分を老人と意識したことはなかった。
老人の日にお婆さん二人が市からのお祝いを持ってきたことがあった。
「おめでとうございます。市からのお祝いです」
「家には老人はおりません。もらえません」
すんなりと出てきた。作意はなかった。
「あらまあ、御冗談を」
二人はお祝いのお菓子だろう、紙箱を桂馬に突き出し遠慮なしに笑いながら隣の家へ向かった。
こんな事もあった。
テレビで後期高齢者の制度ができたと報じられた。インタビューに老人は、
「ゼニカネ云々ではない。名前を付けて区別するのが癪に障るのだ。まるで、お前たちは役立たずの老人なのだよと言わんばかりだ。差別だよ」
桂馬は自分には縁遠いものの様に、ただ漠然と見ていた。
そのうち自分の身にも来るのだなど思いも及ばなかったのだ。

その朝、桂馬は起きて来なかった。
目は覚めているのだが呪詛にかかったように体が動かない。動こうという云う意思が湧いてこない。ただの物体のように横たわっていた。
間を置いて場所も時も分からない景色や唄の一節や人の顔が断続して、何の脈絡もなく浮かんでは消え消えては浮かんだ。わずかの感慨も感動もなかった。
これまでの桂馬は前の日に疲れて今日はゆっくり遅くまで寝るぞと思っていても意志とは無関係に起き上がり何かを始める質だった。
ドアが開いて娘の朝子が声をかけた。
「どうしたの?お父さん、具合でも悪いの?」
朝子は父が常にじっと落ち着いていることが出来ない性格であることをよく知っていた。

朝子は子供二人と里帰りしていた。夫の俊輔がニューヨークに単身で赴任していて子供達の夏休みが終わる頃を見計らってニューヨークに行くことになっていた。
しばらく同居して父親の様子を見ておきたかったのだろう。夫、俊輔のニューヨーク勤務は六年ほどの予定だ。
朝子はニューヨーク行を迷った。娘達の外国生活も不安だったが、一人の生活に馴れつつあると云っても父、桂馬を残して行くのは心配だった。
ニューヨーク行きは桂馬が熱心に勧めた。
「子供たちには外国で生活するなんてチャンスだよ。普通の家庭ではできないことだ。それに会社が金を払ってくれるンだ」
「わかるけどお父さん、行っても大丈夫?心配だナ。一人でちゃんとやっていける?東京には何かあった時、助けてくれる身寄りがいないのよ」
朝子は一応桂馬に念は押したが安心感はあった。

桂馬が子供の頃の通信簿に、独立心が強いとあった。人に頼ることを避ける性格を先生は見ていた。人に頼り過ぎると煩はしい問題を引き起こし、お互いの不幸の種になる、幼い経験ながらもその危惧が芽生えていたのだろう。
無意識のうちに他の人にもそうあって欲しいと願っていたのかもしれない。
桂馬は会社を引退する間際に妻の温子に卒業証書を渡した。引退を機に家事一切の義務から解放し自分を大切に生きてほしいと書いた卒業証書だった。
家庭を築き子育が終わったのを機に、できる範囲でそれぞれの自分に立ち返ろうという趣旨だった。桂馬の独立心からだろう。
卒業証書を渡したことは独立心だけではない。桂馬が育った家庭の事情もあった。桂馬は世の夫のように、妻は夫の従属物だとは思っていない。
幼い頃、母を見続けて自ら学んだのだ。母は幼い桂馬にも分かる苦しみを抱いていた。
母の苦しみは年齢とともに諦めになり、悟りとなり鬱々と見えた母の顔が穏やかになって行った。この母の悟りに似た穏やかな顔を見る度に反って幼い頃の想いが蘇り胸が痛たんだ。そうした母への想いはいつしか温子に向けられていた。

母が桂馬と姉の曜子のために書いた童話を桂馬は大切にしていた。
桂馬が幼い頃、友達が東京の洋菓子屋で美味しい菓子を食べたと自慢した。桂馬は母に菓子を食べたいとせがんだ。母は桂馬に洋菓子を諦める童話を書いた。
母の童話に感じ入ったのだろう温子は娘、朝子のためにと童話を書き始めた。
温子は筆が停滞すると桂馬に助けを求めた。桂馬は物を書く事に心得がある訳ではないが、ダイビングの好きな友人に誘われて行った南の島、サイパンやパラオの話、例えば三日月の欠けた部分が見えた話などをした。温子の目が輝いた。
「そうよネ、環境が大事よネ。お母さんは日本一の塩釜の景色を常に見ていて豊かな心で書いたのでしょうネ、羨ましいナ。だって東京は毎日が慌ただしい景色だもの」似たような言葉が温子の口癖になった。

温子に渡した卒業証書はタンポポの絵で縁どられていた。朝子が書いたのだ。
「タンポポのようにいつまでもニコニコ、優しい綺麗なお母さんでいてほしいから」
朝子の言葉を桂馬は忘れなかった。
朝子の云うようにいつまでも純粋に外観ではない、きれいな温子でいて欲しかった。

その頃桂馬は、危うかった子会社の経営を立て直すためにして出向していた。目途が立ったと確信し安心したのだろう、
「ここらで引退しようかな」冗談だったがその気持ちもない訳ではなかった。桂馬は将来、暮らしていける経済的な目途が立ったら定年を待たず退職して自分の時間を持つことが夢だったし、体力のあるうちに早めに温子を開放してやりたいと常々思っていた。
温子は大喜びだった。
「うれしい。南の島に連れて行って」
だが気持ちとは裏腹に経済的に家を守る義務感から抜け出すことが出来なかった。
「何とかなるわよ」
温子の説得に耳を貸さなかった。
ある朝、温子が首筋を押さえて桂馬に見せに来た。
「見て見て、イボ!」
「ま、いいかイボくらい。私も年ですものネ」
桂馬は温子のイボを指で撫で、定年前の退職、卒業証書を出すことを決心した。

退職後、温子に家事を細かに習った。桂馬は器用な質だ。新婚の時からちょっとした家事、料理や洗濯も手伝った事が役立った。煩雑な家事も難なく覚えた。
試しに温子に大宰府の実家に行ってもらい、一人生活体験をしたかともあった。
今一人の生活でも不自由は少ない。
ここ数年こうした父の姿を朝子は見て来た。近所の老人達を見ると、人の老化は兆しが見え始まると早い。一抹の不安はあったが老いには個人差が大きい。桂馬に老の兆しは薄いと朝子は思っている。朝子のニューヨーク行を決心させた大きな要因であった。
 
朝子の声に桂馬はゆっくり半身を起こし一点を見つめた。
40年近く務めた会社の人達は勿論、小学生以来の友達や、世の中に関心を抱き始めた故郷の高校時代の友人たちの会、例えば花見の会などを律儀に勤めて来た。これ等の会もここ5,6年前から徐々に立ち消えになって行った。世の中がだんだん狭くなって行き、閉塞感を徐々に感ずるようになった。律儀に付き合って来た人達だが、親近感も段々と遠のいていた。どうしてこの人たちの顔が浮かぶのだろう。桂馬は顔を左右に振り浮かんだ顔を振り払い、温子の顔を浮かべた。温子との思い出をあれこれと思い浮かべ辿った。

「そうだ。渋谷へ行こう」
桂馬は弾かれたように着替えを始めた。何ものかが力の源を注入したかのように力んで。
朝の支度をしている朝子の背に、
「渋谷へ行って来る」
「えっ渋谷?こんなに早くに?何しに?」
「人に会う約束、忘れてたンだ」
「ご飯は」
「うん、いらない」
「どなた?お友達?」
「うん、鶴」
「ふ~ン。お目出度い名前そうね。鶴太郎とか鶴次郎とか鶴之介とか?」
「まアね」
朝子は包丁の手を止め、
「え、鶴?」
朝子は首を傾げた。父と母が知り合った頃、父が亀、母は鶴と呼び合っていたと朝子は聞いたことがあった。朝子は自分の思い過ごしと思ったのだろう、それほど詮索する様子もなく笑いながら
「行ってらっしゃい、鶴さんによろしく」笑いながら振り返った。
桂馬の返事はなかった。右手に折り畳みの傘を握っていた。

桂馬は道玄坂の横断歩道の前に佇み向かいのビルの二階の喫茶店を見上げていた。
桂馬の両肩を擦りながら人が渡っていく。
桂馬が目指す喫茶店だった。喫茶店の外観は昔のままだと桂馬は思った。
桂馬は喫茶店を凝視しながら横断歩道を渡りかけた。
“キーッ” 脳を押し潰すような音に、桂馬の足は電源を切られたロボットのようにぎこちなく止まった。桂馬の顔は音の方向にねじ向けられた。オートバイのブレーキだった。
男がヘルメットを片手に、サングラスを脱ぎながら近づいてくる。
「ご老人、赤信号でお渡りになってはアカんでござるヨ。ながーく持ち堪えなければならない尊いお命ですからね」
男は半身に桂馬の顔を見、ニヤリと笑い踵を返した。桂馬は男がオートバイに跨りエンジン音を響かすまで棒立ちになっていた。我に返った瞬間、
「ばかやろう」
男の背中に怒鳴った。下から熱い塊が突き抜け全身がふるえ自分でも驚く罵声だった。
桂馬は人にあからさまに馬鹿にしたような、老人呼ばわりされた記憶がこれまでになかった。
桂馬は男がオートバイの轟音を響かせ去って行った方向を見続けていた。信号は数回変わった。横断歩道を渡る人の足音に引きずられるように桂馬は渡った。
オートバイの男の言葉使いや態度の残像を抱きながら喫茶店の階段を上がった。
横断歩道を見下ろす窓際に腰を落とした。ゆるやかな坂の道玄坂を見るともなく見下ろした。間断なく車が走り間遠の信号を待ち、人の固まりが横切る。オートバイの男の残像は薄くなっていったが「ご老人」の男の言葉の棘は刺さったまま消えなかった。
桂馬は男の言葉の棘を振り払わなければならない、今日は温子の思い出に会いにきたのだ、焦りは続いた。
「いらっしゃいませ、何にいたしましょう」
ウエイトレスの声が助けた。桂馬はコーヒーとモンブランを頼んだ。

あの時も同じ席だった。温子はモンブランを頼んだ。好物だと云った。コーヒーカップの受け皿にモンブランを取り分け、
「ハイどうぞ」悪戯っぽく微笑み桂馬を見上げた。
「僕は甘いもの、苦手なんだ」
「そうですよね、森田さんから聞いたわ。でもモンブランは他のお菓子と違うの。甘味ではなく風味を味わって下さい」
「私はモンブランが大好きです。モンブランは父の味です。私の父は寡黙の人で私達にもあまり話しないの。ちょっと離れた感じ。でも時々要点だけ話すの。優しさがこもっているンです。大げさだけど父が雪を頂いた峻嶮な山、モンブランのように思えるの。山のモンブランは写真で見るだけでも何かを語りかけて来るような山よね」
「そう。では食べよう。食べて霊峰モンブランにあやかろう」桂馬は温子の父を思い描き半分のモンブランを見つめた。今日の温子は饒舌だと思った。温子の顔が眩しかった。

温子は母に呼ばれて郷里の博多から帰ったばかりだった。縁談だった。相手は父の友人の国会議員の後継者だった。母は将来、何の苦労もない議員夫人だと熱心に薦めた。温子は男を異性として意識することが薄かった。母の突然の勧めに戸惑った。親戚同然の付き合いの議員家のことも考え温子の心は揺れた。
「一生は自分のものだ、それだけ考えて結論すればいい」父の一言は温子の雑念を熊手の如く一つ残さず掻きとった。
温子は雑談調で要点だけを話した。
「あら、ごめんなさい。こんな話、するつもりなかったのに。モンブランのせいよね。食べましょう」
桂馬は温子を台湾料理の店、麗郷に誘った。温子の話の続きを引き出したかった。
温子は暖簾のようにぶら下がったソーセージに驚いた。桂馬の期待はよそに温子の話はソーセージをきっかけに博多の屋台や天満宮門前の土産物屋の話に途切れがなかった。
桂馬は温子の楽しげな話に相槌を打ちながら生ビール二杯と紹興酒一杯を飲んだ。
店を出ると予報どうり雨だった。短い冬の日は暮れかかり薄暗かった。桂馬は物を持ち歩くのを嫌った。たぶん雨になるだろうと思ったが傘は面倒だった。
「相合傘でいきましょう」温子が折り畳みの傘をさしかけた。二人は百軒店の坂に通ずる坂を登った。百軒店の奥に名曲喫茶のライオンがある。学生時代にアルバイト先で知り合った友人と時々行った。桂馬はクラシック音楽が好きというわけではなかったが店の雰囲気が気にいっていた。桂馬は温子をライオンに誘う積りだった。辺りの雰囲気はその頃のままだった。
桂馬が立ち止まった。右側の路地にラブホテルの艶めかしい明りが並んでいた。
桂馬が指をさした。
「あれ何だか分かる?」温子が振り向いて顔をそむけ
「そのくらいは私だって分かります」
「行ってみる?」
一瞬、温子の鋭い目が桂馬の顔を射た。少女の風貌を残す温子の顔が、恐ろしいほどに変わった。温子は急にうつむき、
「馬鹿にしないでください」
つぶやき坂を駆け下りて行った。傘が雨に濡れて黒ずんだコンクリートの階段を2,3段転がり落ちた。
桂馬は温子の姿が麗郷の角に消えるまで立ち尽くした。
「冗談に云ったのに」

桂馬が勤めを退いてから久しい。
働いていた頃は勿論だが、仕事を退いてもしばらくは嬉しい事、悲しい事、腹の立つこと、ときめくことなどは続いた。
年を追うごとに人との交わりが薄くなって行き今では皆無に近い。物事に対する感性も薄らいでいく。起伏の無い時間は平たく白い布のように伸びて行く。
桂馬は過去に我が身に起こった人の世の起伏の思い出を思い出すままに、白布の上に描いて生きて行くのだろうか。桂馬ははっきり意識してこう思う訳ではない、時おり漠然と浮かぶのだ。

桂馬は温子との思い出の坂を登った。昼間のラブホテル街は煤けて見えた。
百軒店の路地の奥の名曲喫茶、ライオンをふり返り見つめた。
「寄ってみてもつまらないナ」
俯き地面を見ながら百軒店の凸凹に擦り切れた煉瓦道をゆっくり下りた。手にした折り畳みの傘を見た。傘は色褪せていた。
疎らに行き交う人も両側の店も桂馬とは無縁のように色も見えず音も聞こえなかった。
立ち止まり、俺は何をしている?桂馬はニヤリと笑ったが何の意味も感慨も全くなかった。

つづく

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11.05
Sat
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人々の暮らしの営みの上に映える残照。
東京都三鷹市、太宰治も愛したという三鷹操車場に架かる陸橋から。2016年10月15日写す。

次第
能楽に「次第」というのがあるという。七五調基準の3句からなり情緒ある節で謡われる。
物語を要約的、暗示的、象徴的に語るという。いわゆる「ブロローグ」の類いだが次第は遥かな昔、中世の日本人が作った。

次第
砂内桂馬。団塊の世代。世にあった時は去って遥か。今は無為の時を過ごす。感動も感傷も衰えてしまった。だが時折、風の音、木々の揺らぎなどの自然現象や人の笑い声、怒声などに桂馬の心は反応して徐々に膨らみ思い出につながっていく。
鳥が梅の木の枝にとまった。枝が揺れる。桂馬はガラス窓越しに鳥を見つめる。遠くから耳鳴りのように人の声が聞こえる。「尾長だよ」聞き覚えのある声だった。声の主の後ろに隠れるようにお下げ髪の少女のような風貌を残す女性が桂馬を凝視している、、、桂馬の思い出が広がって行く。
それは残照だった。しばらく華やかに輝き静かに消えて行く。

前回までのあらすじ
桂馬は北国の塩釜で生まれ育った。桂馬は幼い時から女性に対する警戒感を持っていた。母に教えられたのだと桂馬は思っている。桂馬に姉がいる。桂馬の祖母が桂馬の母に、訳は聞かずに育ててほしいと連れて来た。母は姉の出自を詮索し悩んだ様だった。一年後、祖母は姉の出生を母に話そうとしただ母は断った。理由は分からない。悩んだ末の決断だったのだろう。姉が母の子ではないことを桂馬は薄々感じていた。姉の煩悶が伝わったからだ。だが桂馬は母に聞くことはなかった。母は姉を桂馬よりも気を使って育てた。桂馬はその母の姿を見て育った。桂馬の性格は親子の血もあろうが、母の姿から作り上げたものが少なからずあると桂馬は思っている。桂馬は東京の大学を出、就職した。
桂馬と五代温子の出会いは劇的だった。桂馬と性格の全く違う磊落な温子に桂馬は惹かれて行く。「ままごと」と称して土、日曜を温子の部屋で過ごすことになったのも温子の提案だった。男の下半身は理性とは関係ないのだ、何時獣になるか分からないと桂馬は温子に冗談まじりに云った。桂馬の性格を知っている温子は、いつ獣になるの?とからかった。桂馬は勿体ないから今は止めて置くと云った。ある夜、他愛ない切っ掛けから桂馬が獣になった。温子は必死に抵抗した。温子の涙を見て桂馬は我に返った。落ち込む桂馬に、心の準備もなかったし、抵抗するのは女の本能、嫌だからではないと桂馬を慰めた。
 叔父の忠告もあり桂馬は温子と結婚することを決意する。温子の両親の許しを貰うため温子の故郷、大宰府へ向かう。桂馬の両親と姉も挨拶にと大宰府に行くことになった。

残照
初めて乗る新幹線は魔法の列車だった。京都を三時過ぎに出発して九時前にはもう博多駅に着いた。車窓から見る景色は仙台へ向かう列車の景色とは違っていた。もの珍しがり屋の桂馬を楽しませたが時々不安が頭を持ち上げた。「温子さんをください。それだけでいいのよ」、温子は云うが、桂馬は混乱した。桂馬の神経の細さを温子は思いやってか、いつもよりも饒舌だった。
「二回目に亀しゃんと高尾で会ったとき、魂が空の彼方に飛んで行ったナ、でもあれは神様のお引き合わせよネ」
「二回目ではないよ、初めてだろう?どうして驚いたの?」
「いいえ二回目です。この間、告白したわよ。一回目は中央線の中。亀しゃん眠りコケて持ってた聖書落として、私が拾ってあげたのよ。亀しゃん、薄目を開けてコクッと頭を動かしただけ、変なクリスチャンと思った」
「え?聖書?そうだった?あの頃は何でも興味があったからナ」
「今も、でしょう?あの時の格好忘れられないナ。ちゃんとしたスーツにネクタイ、黒の靴、それだけだったらどう見ても真面目なサラリーマン。ところが女の入浴用の網キャップに長い髪を押し込んでた。それが私の好奇心を刺激したのよネ。正体を突き止めてやろうと新宿で降りた亀しゃんの後をつけたのよ。スリル、満点だったナ。どうしてあんな冒険をしたのか永遠の謎と思ったけど、今にして思えば神様が二人を結びつけたのよネ。アーラッキー」
「ところで森田さん、会社で一緒だったそうだけど親しいお付き合いだったのよネ」
「そう。会社は官公庁の仕事もしていてね、森田さん営業だったから監査の時、準備を手伝ったんだ。仕事帰りに吉祥寺のハーモニカ横丁で飲んだり、三鷹駅南口のオココ屋で飲んだり」
「オココ屋?それって何?」
「三河屋っていう酒屋の立ち飲み。向かいに惣菜屋があってね、その店で漬物を買って、酒屋のサバの缶詰が肴だった。タクアンなどの漬物を江戸言葉でオココって呼ぶんだ。三河屋がオココ屋になったわけだ。森田さんは生粋の江戸っ子なんだよ。オココ屋って命名なんざ~江戸っ子の粋なんだぜイ」
「フッフッフ。亀しゃんも江戸っ子になったの?ところで高尾で会った時、喪服を着てたわよね。会社の人の一周忌だとか云ってた」
「そう。よく覚えてるね。森田さんもよく知っている卜部っていう人の一周忌。彼は飛びっきりの腕を持った職人だった。何事にも積極的でネ、仏教に興味を持って、通信教育で僧籍をものにしたンだ。八王子の自宅を勧善院と名づけてお寺にした。修験道にも興味を持って不動明王を勧請してネ、開眼式に呼ばれこともあった。僕の尊敬する人の一人だよ。彼を見て、人生とは何だろう、僕は一体何を考え勉強してきたのだろう。僕の大学は職業訓練所だったのかとつくづく思った」

桂馬の不安が和らいだと安心したのだろう、車窓の景色が暮れて行くにつれて温子は桂馬の肩に寄り添い、寝てしまった。桂馬の不安はまた徐々に膨らんでいった。

羽田からの飛行機便だった両親と姉は駅前のホテルにすでに着いていた。
「塩釜の寿司は日本一だと思っていたが、福岡空港で食べた福岡の寿司も負けず劣らず美味かった。東西両横綱だ」塩釜の地魚に馴れていた父は有明海や玄界灘の魚介が珍しくて美味かったと云った。姉が旅行カバンの中のものを丁寧に出しながら、
「お父さんがネ、桂馬にも食べさせたいナっていうから、二人前買ってきたの。食べて」
二人は車中のお喋りで、夕食も食べそこねていた。空腹にはいっそう美味しかった。
「明日、両親と相談して頃合いを見計らってお迎えに参ります。桂馬さんは家に泊まって下さればいいんですけど。恥ずかしいでしょう?」桂馬の性格を家族は熟知なのだ、三人顔を見合わせてニヤリと笑い姉が、
「桂馬、久し振りでお父さんとベッドを並べるのが楽しみよネ?」

翌朝、家族四人はホテルの朝食のテーブルを囲んだ。姉曜子が嫁ぎ、桂馬が東京に出てから家族四人だけで食卓を囲むことはなかったのだ。父も母も姉もこの時を噛み締めているに違いない。これだけでも充分だ、博多までやってきた甲斐がある。桂馬は突き上げて来る思いを飲み込んだ。
食事を終えたのは十時前だった。話題も尽き、所在がなかった。温子が何時もの目ざとさで桂馬たちを見つけて手を振りながら近寄ってきた。
「天神さんにご案内したいと思います。お昼ごろまで天神さんにお参りして、近くの行きつけのお店で私の両親に会って頂きますが如何でしょうか?」
「嬉しいわ。天神様にお参りするの楽しみにしてた、温子さんありがとう」姉の曜子の目が輝いた。

塩釜神社よりは大きい神社だろうとは想像していたが、門前の賑わいに驚いた。
土産物の店が軒を連ね、塩釜神社にはない賑わいだった。塩釜神社は陸奥國一の宮だが静かな佇まいだ。店も買い物客も静かだ。九州の人と東北の人達の気質の違いを見るようだった。
「すみません、少し待ててください。あのお店のおかみさんとお友達なんです。桂馬さんを自慢してきます」呆気に取られている桂馬の父母と姉を参道の真ん中に置いて、温子は目を剥く桂馬の手を引いて店に向かった。
店先からおかみさんの賑やかな笑い声が聞こえて来た。桂馬の父母や姉にとっては珍しく意外な光景だったが、辺りの賑わいに溶け込み自然にさえ見えた。
塩釜の周りの人には見ない磊落な屈託のない明るい温子の姿を始めて見て三人は安堵の色を見せた。
「お参りしましょう」温子が指さす参道の奥に大鳥居が見えた。
珍しくも、しおらしく両手を合わせていた桂馬が両親と姉に、
「悪いが此処で、三人で見物していてくれないか、やはり彼女の両親に挨拶して来る」
「ああ、その方がいい。こちらは心配いらないよ。色々のお宮をお参りしていれば二、三時間はかかるだろう、行っておいで。温子さん頼みます」父の言葉に優しさがこもっていた。温子は迷ったが、思いつめたような桂馬を見て桂馬に従った。温子は地図を曜子に示しながら、
「それではお言葉に甘えて。このお店が私の両親にお会いして頂くお店です。二時間以内にはきっとこちらに行きます」

温子の実家は大宰府最寄りの駅の一つ二つほど手前駅の駅裏だった。隣はクスノ木の大木が数本茂った広々とした公園、反対隣は電車の保線資材の置き場だった。広い敷地に枕木や古い線路、砂利などがうず高く積まれていた。後援も資材置き場も、温子の家との境界の垣根らしきものはなかった。晴れ渡った空の彼方に、遠く山並みが霞んでいた。解放感溢れた所で温子は育ったのだと桂馬は思った。
突然の二人の出現に両親は慌てた様だった。通された部屋の床の間に老夫婦が落ち葉を掃いている「高砂」の掛け軸が掛かっていた。正月やお祝い事に、あちこちでよく見る掛け軸だったが桂馬には新鮮に見えた。自分たちのために掛けたのだろう。
お茶を運んできた温子の母が、掛け軸を凝視する桂馬に、
「お父さんがね、どこからか借りて来たんです。何時もは天神さんの宮司さんの書ですけどね」
温子の父が着物を改めて桂馬の前に座った。温子の母がお茶を勧め、
「気の利いたお菓子も用意できませんでしたがどうぞお一つ」温子が緊張の面持ちの桂馬の横に座った。空気が垂直に逆立った。桂馬は深々と頭を下げたが言葉が出なかった。空気はますます張り詰め、時間が凝縮した。
「桂馬さん、よろしく頼みます」温子の父は頭を下げた。
「そうだ、ご両親が店に着く前に行って、いろいろ相談しなくては。お前達は後からゆっくり来なさい、桂馬さんを案内して」そそくさと出て行った。
「お父さん」温子の呼び掛けに振り返った温子の父の顔には緊張が残っていた。
「桂馬さん、ごめんなさい。長い間、一緒に暮らしているとお父さんのこと、何でも分かるんです。実直な桂馬さんを信頼しているのです。桂馬さん温子をよろしく頼みます、お父さんの体がそう云ってました。不束な娘をよろしくお願いします」
「フッフッ、前から思ってたけど、お父さんと桂馬さん、そっくり。照れ屋さん。照れくさくて居たたまれなかったのよ」
酒の席では気質の東西は無かった。さほど口にしない酒だったが女性軍も和んだ。桂馬だけが酔えなかった。

翌日、桂馬の父は福岡空港へ、母と姉は鹿児島行の列車に乗った。温子はもう一日と懇願する母を説き伏せ、昼過ぎの新幹線を予約した。緊張続きの桂馬が心配だったのだ。
桂馬は車窓から海を見るのが好きらしかった。福岡から門司までは左側が海だが海が見えるのは僅か、門司を過ぎ本州に入ると右側が海だ。福岡の工業地帯、関門トンネル、瀬戸内海のうみ、刻々と変わる景色に時々桂馬は「うん、うん」とうなずいた。温子は桂馬に声を掛けなかった。桂馬の緊張を沿線の景色が徐々に吸い取っていくように思えたからだ。
「鶴さん、どうしたの?いやに大人しいじゃないか。もうすぐ尾道。懐かしいな」
「えっ、懐かしい?来たことあるの?」
「いや、ない。林芙美子が住んでた町だから。僕は林芙美子が好きなんだ。赤貧の中、仲間の男などに媚びを売ってまで“放浪記”を書いたそうだ。昨日話した卜部さんを思い出すよ」桂馬は目的のためには、どんな犠牲も厭わず我武者羅に突き進む人が好きなのだ。自分には出来ないから、憧れなんだと桂馬は云った。
温子は桂馬が元の桂馬を取り戻したようで嬉しかった。
「それではこれからの予定を発表します。え~新横浜で下車します。横須賀線に乗り換え鎌倉に行きます」
「エ、鎌倉?何しに?僕は早く帰って寝たいよ」
「いいえ、我儘は許されません。亀しゃんの慰労会をいたします。会場は駅からタクシーで五分。フレンチレストランです。今夜は駅前のホテルに宿泊いたします。いずれも予約済みです」
「え、フランス料理?洋食は苦手だナ~。ナイフとフォーク、面倒だし。どうしてフランス?」
「この度は記念すべき日々でした。それにふさわしいお祝いを、相応しい場所で二人きりで致します。フッフッフ。実を云うとネ、前から好きな人が出来たら連れて来ようと、たくらんでた所なの。奥さんに、お友達とのお食事会に連れてきて頂いたレストラン。素敵なお店よ。」
「奥さんって、鶴さんが秘書してた議員の奥さん?」「そうで~す」

レストランはその昔、名のある政治家か財界人の別荘だったのだろう。車寄せのある玄関、広い洋風の庭がきれいなレストランだった。
「日本人だから日本人らしく食べればいいのよ。無理に、下手にナイフ、フォークを使って食べても折角の料理の味が半減よネ」温子が箸を注文した。ウエイトレスは愛想よく、心得顔だった。
異国風の雰囲気に、桂馬は少し気おくれした。ビールの味までが違っていた。通りがかりのウエイトレスに「ドイツのビール?」と聞いた。「いいえ、日本ビールのエビスビールです」ウエイトレスが微笑んだ。
ワインを注文した。飲み馴れないワインも秘酒の味わいだった。温子も飲んだ。温子の笑顔が花に咲いた。
その夜、ふたりは結ばれた。
桂馬は眠れなかった。明けやらない材木座海岸を一人で歩いた。動く物の気配のない海岸は波の音までも沈黙気味だった。沖の釣り船はまだ火を灯していた。桂馬は頭の中を空にしようと努めた。無駄だった。桂馬は腰を下ろし周りに身を任せた。
人の気配が始まり桂馬は腰を上げた。
温子はまだ眠っていた。桂馬の気配に弾かれたように半身を起こした温子は
「あら亀しゃん、お早うございます。歯を磨いて来ます」温子が洗面所に立った。
温子が跳ね上げた布団の下のシーツを桂馬は見た。シーツの一点を凝視した。
理解するまでの時間が永かった。桂馬は魚のつかみ取りの如くにシーツを剥がし元どうりに布団を掛け、階段を駆け下りた。
眼鏡をかけた中年のフロントは無造作にシーツを広げ、汚れをしげしげと見て「エー、そうですね。洗濯代としまして千七百円いただきます」
温子は全く気が付かなかったようだった。桂馬は胸を撫でおろした。

次の日曜日、桂馬は温子を新宿の伊勢丹に誘った。紅白の大福を、塩釜の母、姉の曜子、大宰府の温子の母、森田宛に「私たちは結婚します」とメモを添えて送った。
「どうして大福?どんな意味があるの?それに身内に婚約の報告?変ね」
「ほんとは紅白の餅がいいンだけど。大福で代用。どんな意味?いいンだ。色々想像してもらう。楽しみだナ」
桂馬が餅を送ることを思いついたのは、森田から聞いた話を思い出したからだ。鎌倉での事は桂馬にとって人生の一大事だったのだ。この事を心の中に、記念の玉にして置きたいと、恥ずかしがり屋の桂馬が考えに考え、辿り着いた納得いく妙案だった。桂馬の悪戯心もあった。

森田が桂馬に語った源氏物語の話はこうだった。
「葵の巻」で、源氏は幼い時から育てて来た紫の上と、時に添い寝して過ごしていた。紫の上が成長の兆しを見せた或る夜、源氏は紫の上を無理に奪った。その後、紫の上は源氏に無言の抗議を続けた。幼さの残る紫の上は、兄の様に慕っていた源氏の所業が理解できなかったのだろう。容赦もなかった源氏が許せなかったのだろうか。紫の上は当然抵抗したに違いない。
源氏は身の回りの人、友人、知人に紅白の餅を送った。当時、初枕を祝う習慣だったのだろうが、紫の上の身分を広く知らしめるためでもあったのだろう。源氏の紫の上への深い愛情でもあった。
 桂馬は以前、獣になった時、温子の涙を見て我に返った。その時桂馬は森田の話を思い出した。なよなよと女性のような殿上人にも及ばなかったと苦笑したのを思い出したのだった。
森田は当然気が付く筈だ。奥さんにどう説明するだろうか。桂馬の温子に対する深い愛情だよと説明するだろう。そう信じよう。
   ―おわりー
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