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福島の残照
2016年1月8日福島県いわき市の山中で写す
次第
竹内桂馬。団塊の世代。
テレビが幸、不幸を熱く語る。桂馬の反応は鈍い。
炎天下、ハンカチで頭を被う若い女性が映る。桂馬は徐々に反応、過去に沈
んで行く。過去は次第次第に鮮烈に甦る。しばしの残照。

前回までのあらすじ。
桂馬と温子の出会いは衝撃的だった。
が、桂馬は温子の顔を全く見ていなかった。
温子は子供会の手伝いもしていた。子供会の遠足で,二人は高尾で再び巡り
合った。
温子は目を剥き驚く。子供会のリーダー森田は桂馬の先輩だった。次の遠足
に桂馬も参加した。温子は桂馬への後ろめたさと恥ずかしさから理由を作って
郷里の博多に逃げ帰って遠足に参加しなかった。
遠足先の乙女高原で子供達が温子のために四つ葉のクローバーを探したが
見つからなかった。桂馬は二本のクローバーで作った四つ葉のクローバーを
子供達の温子への手紙に同封した。温子は練馬に帰り、土産を森田に届ける
途中、公園で桂馬に遭遇した。まさに遭遇だった。


温子は目を剥いた。頭を下げた。髪が乱れた。筋肉の反応だった。脳の反応
ではなかった。温子はしばらく頭を上げなかった。上がらなかったのだ。
「あ、もしかしてあなたは森田さんところの」
温子は俯いたまま頭を上げ
「ハイ。この間は有り難うございました」俯いたままだった。
桂馬に記憶が戻ったのは、高尾で会ったとき、幽霊にでも出会った様に桂馬
の顔を目を剥いて見つめ森田の後ろに隠れたその目と姿が鮮烈だったからだ。
ものに驚き目を剥く人の目や姿は男女老若、色々見てきたが、あの目と純朴
な姿は見た事がなかった。
俯き加減に森田の後ろに廻った温子の姿は、塩竃のフミの姿だった。
フミは桂馬の祖母の小さな旅館のお手伝いさんだった。中学を卒業してすぐ
祖母の旅館にきた。フミは優しく明るい子だった。幼い桂馬をザリガニ釣り
などに誘ったりして遊んでくれた。幼い桂馬は母に、お母さんよりフミ姉
ちゃんが好きだと云った。母もフミを可愛がった。
いま桂馬の目の前の温子もまさしくフミだった。
夏の終わりの熱気が地面から沸き立ち、フミの優しい姿を溶かし込んだ熱さ
は返って心地よく懐かしく桂馬を包んだ。
温子をベンチに誘ったのも熱さのせいだけではなかった。
「どちらへ?」
「森田さんにお土産届けに。桂馬さんにも。つまらないものですが梅が枝餅
です。暑い時期ですので早めに」
「え、僕にまで?」
「はい、この間のお礼です。あのこと、心に沁みました」温子には、四つ葉の
クローバーが桂馬の仕業と確信があった訳ではなかった。
乙女高原での子供の世話を代わってもらった事も含めて云ってみて、四つ葉
のクローバーを確かめたかった。
「あ、あれ。四つ葉のクローバー。子供達が熱心に皆で探していてね。無くて
ガッカリしていたので。悪戯心です」「クローバーで鯛を釣る、ですね」
確信はしていたが確証を得たのだ。温子の胸の中が蠢いた。温子が三歳の
頃、川に落ちた。初冬の水は身を切るように冷たかった。父は濡れたままの
温子を懐に抱きしめて暖めた。忘れ果てていた記憶が、突然甦った。
「ほんとに有り難うございます。子供たちに頼んだのです。私の乙女心の
稚気にお付き合い頂いて。すみません」
「乙女心か~」心の中で呟き、桂馬は空を仰いだ。夏空は眩しかった。
桂馬は定まらない視線を空の四方に放射した。またフミの顔が浮かんだ。
「僕も森田さんの本屋に行ったンですよ。いなくてね。すぐ帰る筈だから
待てて下さいとレジの女の子が云ったので、少し待ったけど。また今度に
しようと帰ってきたンです。それでは、また一緒に行きましょうか。」
「はいっ」温子はハッとした。思いとは裏腹に声が勝手に出てしまったのだ。
森田は書店に帰っていた。
森田は上機嫌で二人を自宅に誘った。
森田の家は店からさほど遠くはなかったが、知らない夏の道は遠かった。
大きな側溝沿いのだらだら坂の道を辿り,橋を渡ったところに森田の家は
あった。
「おやじは四つ葉商事に勤めていてね、退職金でこの家を建てたんンだ。
昔はこの辺りは大根畑でネ、夜の道は大根の葉っぱがこんもりと、怨霊の
会議のように、ざわめくように見えて気持ち悪かったと云ってたナ」
森田の家は昔風の数寄な造りの家だった。
檜皮葺きの小さな門に“照顧庵”と書いた木目の目立った木の板の額が
掲げてあった。
「照顧、どういう意味ですか?」
「脚下照顧、禅宗の言葉らしい。全然己を顧みない、うるさいおやじだった
けどネ、でもいいおやじだった。自分のおやじだから当たり前だけどネ」
森田はしばらく額を見上げて呟き、ニヤリと笑った。
森田が連絡していたのだろう、奥さんがエプロンで手を拭きながら現れた。
優しい顔立ちの奥さんだった。森田も優しい顔立ちだ。
夫婦揃って優しい人は珍しいなどと独り合点しながら、なんとまあ馬鹿げた
事など、こんな時考えるのだろうと自分が奇妙だった。
客間の座卓を挟んで向かい合わせに座布団が二組置いてあった。
森田が指し示す席に桂馬は座った。
温子は座布団を引いて、桂馬との間隔を空けて座った。何か礼儀に厳しい
おばさんを連想した。
温子は紙袋から梅が枝餅の包みを取りだし、
「いつもの、変わり映えしない梅が枝餅です」と奥さんに差し出した。
姿に似合わない、すれた大人のする挨拶に聞こえた。
子供の雰囲気を残す女でも、三十間近の俺よりもよっぽど大人だ、桂馬の
身が縮まった。公園で誘った自分の態度が横柄に思い出された。
庭の大部分は池だった。池には石菖が我が物顔に青々と池を縁取り、ツバキ
やモッコクなどの庭木が生い茂っていた。
「池は親父の趣味でね、鯉や亀が泳いでいたンですよ。僕は無趣味でねえ、
ご覧の通り荒れ放題」
桂馬は塩竃神社を目に浮かべた。塩竃神社は山の上にある。眼下に、貼り絵
の様な島々が松島湾に浮かんでいる。
森田の父も過去に見た景色をこの池で連想したのか知れない。
そういえば斯うした庭も少なくなった。個人の庭は今の住宅事情では仕方ない
として天下の名園、例えば金沢の兼六園、などのような庭園が新しく造られた
という話は聞いた事がない。造られるのは外国原産の色華やかな花をふんだん
に植え込んだ公園や庭園ばかり。日本人は文化的に異民族に生まれ変わった
のだろうか。
桂馬は森田の庭の様な庭が好きだ。同年配の人達はほとんど、色々な意味で
文化的異民族になった。俺はなれない。土着日本人でいるしかない。土着民
でいい。
奥へ立った奥さんが、ビールとおつまみをお盆に、現れた。
「暑いからビールでも飲みましょう」森田は慣れた手つきで王冠をあけた。
「あ、森田さん、また飲むようになったンですか?」
「いや、お付き合いでビール、一,二杯は飲むよ」
「少しでも口にすると前に戻ると云いますけどネ」桂馬は遠慮がなかった。
森田は桂馬の会社の先輩だった。営業だった森田は、客の接待でアルコール
依存症になった。桂馬と森田はその頃深い繋がりがあった。大学の先輩でも
あったのだ。依存症が深刻になり森田は会社を辞めた。
「元々アルコールはそう好きではなかったンだ。だから戻らないよ」
「あの時の事、時々思い出すのですよ。その節は桂馬さんにはお世話になり
ました」奥さんが明るい笑顔を桂馬に向けた。桂馬も笑顔で応えた。
「今では笑い話ですけどネ」
「二階の窓から家までの道が見えるンです。主人が酔って、よたよた帰って
来るのが見えるンです。十歩ほど歩いては側溝のフェンスに寄りかかり僅か
二百メーター程の距離を、家にたどり着くまでに一時間掛かったンですよ」
「それは大袈裟だよ」森田がきまり悪そうに笑った。
奥さんも笑いながら続けた。
「その頃私は、痩せていて体力がなかったの。五、六回は支えて帰ったけど
重くてネ。小さい子供もいるし。止めたの。情けなくて、悲しくて」
「逃げたいと思ったことなかったンですか」桂馬が無遠慮に聞いた。
「離婚でしょう?それはあったわよ。一度や二度ではなかったわ」
「でもしなかったンですよネ。どうして?」またもや無遠慮だった。
「愛だと思う」
桂馬も温子もキョトンと奥さんを見つめた。
「私が主人のことを、ま、有り体に云って、、、、、死ぬほど好きだったら
別れていたでしょうね」
温子が背筋を立てた。
「え、どうしてですか?」
「好きな量だけ、怒りや嫌悪に変わるから」
奥さんは大手セメント会社の秘書室に勤めていた。室長は森田の先輩だった。
秘書室を訪ねた森田は劇的に奥さんに遭遇した。森田本人の言葉だ。
森田は根気よく奥さんにプロポーズした。
「考えられないでしょう?この内気な主人が、ですよ」奥さんは森田から桂馬
温子と目を移して微笑んだ。
「あ、それ分かります。内気な人ほど思い込んだら、強気の人には想像も付か
ない行動に出るンですよ。僕もその口です」
「エ、桂馬さん内気?」奥さんは身を乗り出して笑った。
奥さんは森田がアルコール中毒になった時、桂馬が営業部に怒鳴り込んだ事を
云ったのだろう。
奥さんは幼い時から胃腸が弱く病弱だった。結婚などできない身体だと思い
込んだ。度々あった縁談も断り続け、男性との折衝も極力避けた。その上、
森田より三つも年上だった。
「主人に負けたの。静かな結婚生活だったわ」
奥さんが恐れていた過酷な結婚生活は微塵もなかった。森田が奥さんの人生
を作る為に求婚してくれたのだろうと、奥さんの胸の中の小さなストーブは
徐々に暖かさを増していった。奥さんはその“暖かさ”を、想像も期待もし
ていなかったのだ。
営業部に移った森田は暫くして接待が増え、泥酔して己を失い深夜に帰宅する
といった日々が続いた。それでも早朝五時過ぎには物音もたてずそっと起き、
自分でコーヒーをたて、パンを焼き、新聞を読んだ。奥さんには起きて来なく
てもいいと云った。一時、激した奥さんの心も、しだいに平生に戻っていった。
森田のアルコール依存症が極限に達し入院という事態になっても“暖かさ”の
中にいて、動揺することはなかった。
「これが私の愛。愛という言葉が当てはまるかどうか知りませんが、外に適当
な言葉がないから」奥さんは、はにかむように、それでも明るく微笑んだ。
「じつは私に縁談があるンです。迷っているンです」温子は涙ぐんでいた。
「何も分かってないのに。母が積極的なんです。父はもう少し社会勉強をして
からと母を説得したんですけど。母はまだ諦めていないンです。その母の気持
を思うと。でも思い知りました。私など、まだまだ生意気です。」
奥さんは微笑みながら
「いいえ。女も男も結婚して大人になります。それまでは子供です。私もそう
でした」
「男は何時までも子供だけどね」森田が珍しく茶々を入れた。
「湿っぽい話は終わりにしましょう。そうそう、桂馬さんはお酒がいいわね、
頂いたのが、誰も飲む人がいないの。温子さん手伝って」奥さんと温子が台所
に立った。
「庭を見せて下さい」桂馬も立った。
池の周りの雑草に踏み跡も消えていた。イボガエルの子供だろうか、数匹が
池に飛びこんだ。
「俺なんぞに驚くなよ」
鯉も亀もいなかった。池の水は暗緑色に淀んでいた。奥さんの“愛”の話が
桂馬の心に蟠った。桜子との“事件”が思い出された。
桜子との思い出は、汚れたり浄化されたりを繰り返し、一年ほどは桂馬を悩
ました。初めての事でもあったし、幼稚でもあったとようやく思えるように
なっていた。それでも残ったものもあった。
桜子の父は医者だった。患者の死に直面する父の苦しみを、桜子は見たと
云った。父の姿を見て桜子は「己の心が命ずるままに生きる」事を悟った
と云った。これだけは桂馬の心を去らなかった。(注、桜子の“事件”は、
残照10トラウマ)以来桂馬は女性に関心を持たなかった。と云うより
避けていたかもしれない。
「用意が出来ました」温子が縁側の硝子障子を開け桂馬を呼んだ。
温子の顔はすっかり明るくなっていた。
四人は座卓を囲んだ。
森田が突然「くっくっ」と笑い出した。
「『お父さん、お母さん。温子さんを私に下さい。一生懸命頑張って温子さん
を幸せに致します』並んだ君たちを見ているとそんな光景だよ」
桂馬も温子も口を半開きに森田をしばらく見つめ、桂馬は照れ臭さそうに
温子は俯いて、“くっくっくっ”と笑った。座は一段と花やいだ。
森田も奥さんも桂馬も温子も、ぐい飲みを挙げて乾杯した。
「お酒は、こういう時に飲むものよね。美味しいわ」奥さんはじっとぐい飲み
を見つめた。万感を込めるという言葉そのものだった。
「温子さんの故郷の博多では、嫁入道具に物干し竿二本、洗濯盥二つ持って
行くンだって?」森田が穏やかの中にも何か含みありげに聞いた。
「ハイ。昔の話ですけど。でも今もその気風は残っています。男社会の。女は
男の付属物だったと母が云ってました。でも家では父は母に頭が上がらない
時もあります」四人は笑った。
「九州男児か。今は洗濯機は二台?」すかさず森田が茶々を入れた。
「まさか」四人の笑い声は止まらなかった。
「ずっと前、会社にいた頃。タイに出張でね駐在の人に聞いたンだけどタイの
坊さんは修行中、女性に触ると穢れたと数年修行していても始めからやり直し
だって。タイの仏教は日本の仏教と流れが違っていて戒律が厳しいンだって」
森田はいつもの顔に戻っていた。
「あら、ひどい。それって男尊女卑?」と温子。
「それとはちょっと違うらしい。仏教では人の欲望を煩悩と云うンだって。
男と女の事も煩悩。人の苦しみ不幸は煩悩から来る。坊さんはして煩悩を
近かづけず悟りを開き人に教えるのだそうだ。男尊女卑も男気もこれを真似
たのかナ」
「いやだ!そんなのいやだ。私は奥さん流の“愛”で行きま~す」温子は少し
酔ったようだった。四人は笑った。暖かい空気が四人を包んだ。
気が付いたら一升瓶は空に近かった。九割近くは桂馬が飲んだのだ。

太陽は遠くのビルの屋根をかすめていた。桂馬と温子は肩を並べて歩いた。
飲んだ酒の量から押してみてもかなり酔っている筈だったが桂馬の足取りは
確かだった。
突然、桂馬が声を押し殺して「くっくっくっ」と笑った。
「温子さんを下さい。幸せにします、か。ありえないよね」桂馬はまた
「くっくっ」と笑った。
「いやね!思い出し笑い?」温子は頬っぺたを膨らまして見せ、
「あり得るかもよ!」ややして笑って桂馬を見た。優しい目だった。
「今日は。僕は。西武線で帰ります。さようなら。楽しかった。有り難う」
手を挙げ、くるりと背を向けた桂馬に、
「忘れ物です」温子が梅が枝餅の紙袋を差し出した。
「心を込めて買って来たのに」にらむように桂馬を見た。少し図々しくなった
のかナ、温子は下を向いてニヤリと笑った。
「有り難う。感謝,感謝、しぇ、しぇ」桂馬は左手で梅が枝餅の紙袋を受け
取り、右手を開いて差し出した。温子は逡巡しながら右手を出したが、恐る、
恐る、だった。桂馬は構わずその手を摑かんだ。桂馬は握った手をひねり、
温子の手の甲を見つめ、
「柔らかいお手々ですね、それに白い」
「当たり前です。これでも女ですから。傷つきます」怒ったように声を上げ
振り払うように手を放した。
「それでは」桂馬は手を挙げ駅に向かって歩きだした。温子の桂馬観が又
変わった。
「万華鏡の様な人、今度は万華さんと呼ぼうかしら」温子は呟いた。
「“西部”に寄ったら駄目ですよ~]両手をメガホンに温子が叫んだ。
「OK,オーライ、了解、分かってま~す。西武新宿、終点で~す」
「いいえ、違います、あの“西部”で~す」
桂馬は歩きながら手を挙げしばらく歩いていたが急に振り返り何事か叫んだ。
温子には聞き取れなかった。
気が付いたのだろうか?それでも構わない。温子に動揺はなかった。
(注、“西部”西部新宿駅前にあったショットバー。残照11出会一に)
つづく







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