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02.27
Sat
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太平洋の水平線を染める残照
2015年3月18日 南伊豆、土肥港で写す

次第
砂内桂馬、団塊の世代。
恋の歌が聞こえる。ひと時その類いの歌声は残酷に桂馬の胸を締め付けた。
恋に無縁になった己が惨めだったからだ。
時の流れは、その残酷をもしだいに過去を引き出す便となっていった。
歌声に思い出は徐々に鮮明によみがえる。しばしの残照だった。

前回までのあらすじ。
桂馬の家は歓楽街に近かった。桂馬は歓楽街に働く女性達の日常を見て育った。
桂馬は母親に女性に対する警戒心を植え付けられた。
桂馬は二十歳過ぎ、警戒心が緩みかけた頃、恋を知る。
恋は悲劇に終わった。初めての経験が悲劇だった。
しばらく悲劇を引きずったが徐々に元の桂馬に戻っていった。
桂馬は社会人となり忘我の日々を送る。意外な切っ掛けから五代温子と回り逢う。

姉の曜子からフミの法事の知らせが届いた。何か胸がときめいた。
桂馬はしばらく塩釜に帰っていなかった。塩釜神社から見下ろす景色や母や姉
の顔が浮かんだ。
「そうだ、お土産買って帰ろう」以前、大崎の叔母が母にと御徒町、大心堂の
オコシを土産に帰ったことがあった。上品な香りに奈良、平安が偲ばれると母
が気に入って喜んだことを思い出した。
桂馬は御徒町の雑踏を歩いた。「あれ?どうして土産?」桂馬は立ち止まり自問
した。今まで土産など買った事などなかった。店の人とあれこれ関わることや
土産を渡すときの挨拶や相手の世辞を聞くのがきまり悪いからだ。
「あらどうしたの桂馬、土産なんて」怪訝そうな姉曜子の顔が浮かんだりした。
店は郵便局の職員の様な、紺の制服を着た女店員が5,6人忙しそうに客の
応対をしていた。
「御贈答ですか?熨斗をお掛けしましょうか」桂馬は、手際よく包装する店員
の手元を見つめた。見つめつづけた桂馬は、ハッと顔を上げた。桂馬が土産を
思いついたのは温子の梅が枝餅だったのだ。
潜在意識の中にあった温子が浮かび上がったに違いない。包装する女店員の
手つきが思い出させたのだ。
「どうしようかナ。妻に頼まれたンですよ。熨斗の事までは聞かなかったナ」
「ま、熨斗はいいことにします」
「僕の妻の名前はオン子っていうンですよ。温かい子って書くンです。ホント
はアツコですけどネ」
「そうですか」店員は手を止めず桂馬を見て微笑んだ。
桂馬はニヤニヤしながら地下鉄に向かった。すれ違う人が振り返るのも気味
がよかった。

フミの寺は坂を登り詰めた所だった。桂馬は仙台の街を見下ろした。
あの屋根の下に色々な人が色々な生活を送っているのだ。
この世に生まれて、ある人は波風のない生活を送り、ある人は数奇な人生を
たどる、そしてどのみち死んでいくのだ。お釈迦様もキリスト様も死んだ。
オレも死ぬのだろうか。この世から消え去るとは何だろう。病床のフミの顔が
浮かび、亡くなった色々な顔が浮かび、少年の日の、あの日に連なった。
桂馬が高校2年の春、転任の若い先生が担任になった。下野先生といった。
生涯忘れることがない名になった。
「人間は死んだらどうなりますか」新担任の挨拶もなく、いきなり切り出した。
「来週の月曜までに作文にして提出してください」
生徒は呆気にとられた。
「人間が死んだら炭素や窒素、酸素などに分解され空気中を浮遊し植物や動物
に吸収され又人の体に戻ってきます。人の魂は人間がまだ未発見の異次元物質
で出来ています。人の心の作用はこの物質の物理的、化学的反応です。
この異次元物質も肉体と同じように分解され人に戻ってきます。ですから僕の
体の一部分は5年まえに死んだ隣のおばあちゃんの一部分かもしれません」
桂馬はちょっとふざけ過ぎかと思ったが先生は皆の前で読み上げ
「面白い着想ですね。お釈迦様以来、色々な人が考えてきたのが人の死です」
「死んだおばあちゃんがオレの身体の一部に蘇るかァ」子供の戯言だが、住職
の法話より身近だ。法事とはいったい何?住職の法話では、法事は死んだ人の
あの世での幸福を祈ることだと云う。度々聞かされて訳も考えず納得だが死者
は極楽浄土にいるのだ。地獄に例えられる現世の人間が、極楽の亡者の幸せを
祈る、変な話だナ、でもいいか、ご馳走食べて酒を飲んで、死んだ人をダシに
賑やかに話して、更に仲良くなった気分になる。桂馬は青い空を見上げた。

突然、桂馬は背中を突つかれた。幼馴染の安海だった。
「桂馬、でしょう?しばらくネ、大きくなったわね」普段着に数珠をぶら下げ
ていた。数珠が申し訳に見えた。
「エッ、」桂馬の反応が遅かった。安海を認識するまで目が動かなかった。
「あ、ウン大きくなった」安海は幼い頃から磊落にものを言う子だった。
「母の代りに来たの。父が帰ってきてネ。急だったのでこんな格好」安海は
両手を広げて自分の服装を見せて笑った。安海は中学を卒業して東京の高校
に入学したと聞いていた。それ以来会っていない。
安海は桂馬の父の、幼い頃からの親友の娘だった。桂馬と安海の家は近かった。
幼い二人はいつも一緒に遊んだ。
安海の父は遠洋漁業船の船長だった。安海という変わった名は母親が付けた。
夫の航海を祈って付けたのだろう。
安海の父の航海は長期だった。航海から帰ると桂馬の父は何もかもさて置いて
安海の家に駆けつけた。
二人は、この時とばかりに散々飲んだ。人間離れした笑い顔や、怒鳴り声の
ような会話の内容は桂馬には理解できなかったが、普段では見ない珍しい二人
の仕草を代わるがわる見つめた。例えば、刺身を箸でつまむのに中々摘まめ
ない、魔法にかかったような仕草など、大人の変貌が不思議だった。
「おォ婿殿」酔った安海の父が云った。「おォ嫁殿」桂馬の父も安海に云った。
幼い桂馬にもその意味は理解できた。何の抵抗もあろう筈もなかった。

供養の会食が終わっても母と姉は知り合いとのお喋りを続けていた。
桂馬と安海はごく自然に肩を並べて坂を下りた。
誰が誘うともなく喫茶店に入った。若い女性が数人テーブルを囲んで燥でいた。
「五月蠅いな、場所変えようか」
「いいわよここで。こういう雰囲気だったら心置きなくお喋りできるでしょ」
「中学以来よネ、顔合わせるの。小学四年頃になったら恥ずかしくって一緒に
遊ばなかったネ」安海が首を捻って桂馬の顔をのぞき込んだ。桂馬は苦笑した。
「ところで桂馬、恋人いるの?」無遠慮は子供の頃からだ。それとも許嫁と
して探りを入れているのだろうか。
「いや、いない。」
「でしょうネ。桂馬は臆病だから。ハッハッハ」
「君は?」
「それどころじゃあないのよ。今ね、とても面白い企画を考えてるンだ。編集長
に相談したらOK。周辺県民を驚愕のドン底に落とします。ハッハッハ」
安海は地方紙の編集部にいた。編集長は桂馬の姉、曜子の夫だ。
そうでなかったら、入社間もない新人同然の企画など取り上げる筈がない。
それとも例の性格でこのような職業の人の強心臓、厚顔を早くも身につけたのか。
探りを入れているのでは、と思ったのは杞憂だったと桂馬は確信した。許嫁の事は
オレも忘れていたのだから彼女も忘れているのでないだろうか。
桂馬は仙台駅ビルの人混みを歩いた。行き交う人たちは皆微笑んで見えて善人
だった。人混みの向こうに仙石線の改札が見えた。桂馬は歩調を速めた。

次の朝、桂馬は早く目が覚めた。母が朝食の準備をしていた。
「おはよう。早いわね。お父さん、久し振りに安海ちゃんのお父さんと深酒
してまだ寝てるの。お父さんも漁協の組合長になってから色々大変なの。
休みの日くらいゆっくり寝かせてあげないとね」
母の顔は穏やかだった。父を気遣う言葉を聞いたのも記憶になかった。
姉の曜子が「お母さんも年よね」と云ったのもこの辺のことを云っているの
だろうか。
「お参りしてきます」桂馬は下駄を突っかけた。下から見上げる急峻な階段は
馴れていても心が引き締まった。
子供の頃この階段を見上げて、「この上に神様がいらっしゃるンだよ」と云った
祖母の声が耳の底から沁み出てきた。
社務所の庭のベンチに老人が一人杖を抱いて海を見ていた。桂馬は隣に座った。
「昔はさんざんもてはやされた神様が終戦直後は忘れられてね。草や木が茫々。
昔、都人も憧れた海の絶景も、ろくに見えなかった。参拝客もほとんどなくて。
世の中が落ち着いて天下の塩釜神社を守ろうと奉仕の人が集まったんだ。
人の心はその時その時でね。人の言葉に惑わされて。神様は優しいよね、怒ら
ないから」桂馬は老人の皮肉を聞いて立ち上がった。
桂馬は心づもりしていた門前の「しおがま」の店に立ち寄った。
子供の頃、母によく連れられて行った店だった。祖母の旅館のお茶菓子も
お手伝いのフミと買いに行った。
初老のおばさんが開店の準備をしていた。
「いいですか」
「はい、どうぞ」「ご年配のかたには、この紫蘇入りが喜ばれます。若い方や
女の方はアン入りがお好きなようです」
「ではシソ入り一つとアン入りを二つ下さい」
「お使い物ですか?熨斗をお掛けしましょうか?」
「あ、どうしようかな。妻に頼まれたンです。聞いてなかったナ。でもいいです
ただのお土産だと思いますから」咄嗟に出てしまった。
「ありがとうございます」おばさんは「しおがま」の包みと紙袋をガラスの
ショウーケースの上に差し出し桂馬の顔をまじまじと見つめた。
「ごめんなさい。さっきから何処かでお会いした方と思ってましたけど、
もしかして貴方、砂内さん所の坊ちゃん?」
「ハイ、そうです」
「結婚されたンですか。おめでとうございます。坊ちゃんのお嫁さんならきっと
優しい人よネ、」桂馬は狼狽した。帰りの慌てオオカミの下駄は鳴らなかった。

桂馬は残暑の名残がする東京に帰った。仕事を早めに切り上げ森田を訪ねた。
「土産のつもりです。田舎ですので、これしかないので」
「あら、しおがま、包み紙を見ると分かるわ。去年、塩釜のお寿司を食べに
寄った時たまたま見つけて買ったの。主人が見つけたの」森田が頷いた。
「主人もお酒、辞めてからすっかり甘党になって。何よりのお土産よ」
「これは温子さんに。梅が枝餅のお返しです。ご面倒ですがお渡しください」
「じつは温子さん、呼んでるの。桂馬さんに電話頂いた後、電話したの。
事務所からの帰りに寄るそうよ。もうそろそろではないかしら」奥さんが台所
に立った。
温子は箱入りの酒をもって現れた。
「先生にお話したら酒好きにはこれ、と頂いたの。後援者からの頂き物です」
「ほう、川越の銘酒、鏡山だ」桂馬は話には聞いていたが飲んだ事はなかった。
「では温子さんご持参の銘酒から頂きましょう。冷やした方がいいですよね」
鏡山は話のように旨かった。桂馬が仲間と飲む酒は、質は違うが苦味の類い
のものが舌に残る。安酒に顕著だ。“水の如し”が究極とする新潟の幻の酒も
桂馬には物足りなかった。鏡山は、ほんのりと甘みとコクがあった。蔵元の
主人は車で買いに来た人には売らない。車に揺られると味が変わるからだと
自慢気に友人が話していたのを思い出した。
奥さんも温子も飲んだ。森田はぐい飲みの底の申し訳を一口飲み、冷やした
焙じ茶の杯を重ねた。
「ほうじ茶もけっこう酔うンだよ」森田の口も軽かった。
夏の終わりに温子と訪ねた時の様な深刻な話は出なかった。話題百出、
一つの話が終わるや否や、それを笑いが吹き飛ばし次の話題に飛んだ。

帰りの温子の足取りが軽く見えた。
「美味しかったわ。少し酔ったかしら。こんなに飲んだの初めて。酔わない
お酒ってないのかな~」
「酔わない酒なんてつまらない。ではこれで失礼します」
「あ、ちょっと待ってください。近場でお花の綺麗な所ありませんか?」
「それなら裏高尾かナ。狐のカミソリはとっくに終わったけど秋の花が色々
咲いてる」
「連れて行ってください。来週の日曜日はダメですか?」
「いいですよ。それでは約束」桂馬が右の手を差し出した。
「この前は右手でしたから今日は左でお願いします」温子が左の掌を上向きに
差し出した。桂馬はきょとんと温子の掌を見、掌を重ねた。温子が掌を握り捩
じった。温子の左手の甲に夜目にもはっきり“四つ葉のクローバー”が貼り付
けてあった。桂馬のクツが軽やかに鳴った。
つづく

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