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03.19
Sat
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2016年3月11日 東京都多摩市桜ケ丘で写す

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2015年2月27日 静岡県賀茂郡南伊豆町で写す

早春、鮮やかな黄色い花を派手に咲かせる。皆よく知っている。知らない人は赤ん坊くらいか。葉や茎は軟らかく、早春の寒風、氷雨に耐えられそうにないのだが、それでもやさしく耐える、その姿が痛ましい。花期は長く桜より遥か前に咲き初め桜が散っても咲き残り、土手や河川敷、空き地、耕す前の田んぼや畑を盛大に飾る。今はほとんどが鑑賞用だが昔は重要な作物だった。もっとも今の菜の花はノザワナやチリメンハクサイなど種類が違うものが多いらしいが。本物の菜の花は、昔は二毛作に畑や田んぼに植えた。菜種油を取るため。菜種油は食用と灯火用。石油が来るまでは菜種油の明りだった。怪談の絵に灯火の油を舐めるお化けの絵があった。石油では、いかなお化けでも舐められまい。
「菜の花畑に入り日薄れ、見渡す山の端、霞深し🎶」よく歌われる。
「菜の花や、月は東に日は西に」よく知られた蕪村の句。この二つを口にすると季節外れでも、ふくよかに春を想う心が温かい。
与謝蕪村の名は中国、六朝時代の大詩人、陶淵明の詩、帰去来辞に由来すると物の本にあった。どうしてかは分からない。蕪の花咲く村に住みたいと彼は思っていたのだと信じていた。カブも菜の花の仲間だから(笑い)
少年の頃、先生が「帰去来辞」について熱っぽく語った。「帰りなんいざ田園まさに荒れなんとす。何ぞ帰らざる。、、、、、幼を携えて室に入れば酒あり樽に満てり」酒好きの頭にこびりついて離れない。
本来の自分に気が付いて官職を離れ故郷に帰ったときの感慨だそうだ。
昨今の政治やさんもこの詩の心くらいは分かっているとは思うのだが。
フランス、イギリスに視察と称して豪遊する新宿の都のお偉いさん、報酬千四百萬円のお手盛り名古屋市議の先生さん、年収百万チョイのシングルマザーもいるンですよ~。

菜の花と桜は相性がいい。満開の桜並木の下に満開の菜の花。伊豆や秩父、東北では角館近くの玉川や遠野など、春になるとその光景が蘇る。
菜の花は、今は限られた場所でしか見られないが昔は重要な作物だったから、田畑は菜の花で埋め尽くされていたでしょう。空からの眺めは壮観だったに違いない。
昔はヘリコプターがなかったから無理と思うかもしれないが、あるのだ!天狗!天狗は羽団扇で空を飛ぶ。能「花月」」の少年は天狗に連れられて全国を経巡った。空を飛んで菜の花畑の壮観を見ただろう。

能「花月」は全く屈託のない能。シテ、花月は七つの年天狗に攫われた。「取られて行きし山々を思いやるこそ悲しけれ」と謡うが花月本人にも、探す父親にも悲壮感が全くない。
遊芸を見せるのを事とした、遊狂物と呼ばれる能。
天狗に解放された後、花月は清水寺の門前で遊芸を見せて生活している。
花月にはパートナーがいる。司会者役だ。間狂言が勤める。間狂言が花月を呼びだす。花月は烏帽子を着、弓矢を持って物々しいが、清々しい少年だ。花月は間狂言の肩に手を置いて「来し方より今の世までも絶えせぬものは恋と言える曲者。げに恋は曲者。げに恋は曲者。曲者かな。身はさら、さら、さら、され、さら、さらに恋こそ寝れれね」舞台を一巡して間狂言の肩を突き放す。当時流行った少年愛好、念友を風刺したのだ。
見物人の爆笑が聞こえる。この歌は小歌といい当時の俗謡。当時の巷間の歌謡は「閑吟集」などに残っているが歌詞はあっても節は残っていない。楽譜がないからだ。曲舞もそうだが、この小歌で当時唄っていた節を偲ぶことができる。能の功績だ。小唄は能に三曲ほど残っている。
間狂言が満開の桜の梢を見上げ、鶯が満開の桜を踏み散らしている。憎っくき鶯めを射落してくれようと弓を引き絞るが仏の戒め、殺生楷戒を破るまいと弓を収める。折しも満開の桜、時を得た即興の芸に今度は見物人の拍手だ。
弓を収めて花月は清水寺の縁起を語り舞う。芸能者は頓智を利かして面白可笑しくだけでは面目が立たないだろう。清水寺へのショバ代の意味もあるだろう。
フィナーレは眼目の天狗との諸国漫遊の様子だ。鞨鼓を打ち叩いて舞う。
親子はうち連れて「仏道の修行に出づるぞうれしかりける」と留める。仏教に深く裏打ちされた人生観が羨まれる。一切の無駄がなくシテは休みなく舞通す。
能「花月」の詳しい解説はこちら
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