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03.26
Sat
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霞む佐渡の残照 2016年3月4日新潟市で写す

次第
砂内桂馬、団塊の生まれ。心を動かすことも少なく、何かをなすことも少なく、望むことも少ない。何時ものようにこんもり盛り上がった樫の木の木立を、窓越しに見るともなく見ている。救急車が近づく。その音は過ぎ去った日、どこかで聞いた人々のどよめきになっていく。過去が蘇る。それは一時の残照だった。

前回までのあらすじ
晩稲の桂馬が恋を知った。それは初恋だった。だがそれは悲恋に終わった。桂馬は就職した。仕事に揉まれ、人との心の関わりに無縁の日々が永く続いた。ふとしたことから五代温子と回り逢う。温子は常の女性にはない不思議な雰囲気を持つ女性だった。桂馬の心が徐々に動き出した。桂馬は自身の意識の中で温子像を作りあげて行った。桂馬の作る温子像は度々改められ次第に桂馬の心に居座っていった。
温子が秋の花を見たいという。裏高尾に秋の野草の花を見に行く約束をした。

出会い(6)
その朝、桂馬は寝坊してしまった。このところ会社の仕事が立て込んでいた。日曜日、温子との約束の日に会社から呼び出しが掛からないように、前日に出社して気になる仕事を片付けた。その安堵感があったのだろう。
時計の針は八時に迫っていた。約束の相模湖駅までは二時間は優にかかる。高尾までの電車はわざと遅く運転してるのではないかと運転手を恨んだ。
高尾発甲府行きの普通電車は、なかなか来なかった。高尾駅で待ち合わせにすればよかったと悔やまれた。相模湖駅に着いたのは約束の時間に二時間余りも過ぎていた。どう言い訳するか悩んだ。
だが言い訳はもう必要ではないのではないか、二時間過ぎてまで待つわけがない。何かあったのだろうと諦めて一人で行ったか、帰ったかに違いない。
相模湖駅のホームは人影がなかった。
ホームの中ほどのベンチにピンクの帽子が見えた。温子だった。
桂馬は大きく息を吸い込みお腹に溜め、ホームの砂利を踏みしめゆっくり温子に近づいた。
「ごめん、大幅遅刻」温子は時計をのぞき込み
「ううん、約束は八時半頃。“頃”の範囲内よ」桂馬を見上げてほほ笑んだ。桂馬は云い訳をやめた。二時間半は“頃”の範囲内という屈託のない温子の笑顔が止めさせたのだ。
温子の膝の上には、新聞紙の上に竹の皮、小さいオニギリが一個乗っていた。
「あ、クラシック弁当ですネ」
「はい、竹の皮が好きなんです。母が好きだから。食べます?」新聞紙ごと差し出した。桂馬はオニギリをつまみ上げ、
「いただきます。でも、これお昼の弁当じゃあないの?」
「そうです。底抜けの秋の青空を見ていたら食べたくなったの」
「君も底抜けにおおらかだ」桂馬は声を飲み込んだ。

相模湖から城山の茶屋までのルートは、踏み跡のような山道だった。高尾山の案内パンフにもないルートだった。三年前の春、4,5人のグループの後について行って見つけた。雨の後の急坂で三回も滑って転んだ。普通のルートより温子には喜ばれるかもしれないと思ったのだ。
時間も遅いせいか、この道を知らないのか、登る人はいなかった。
「高尾山は何時も満員と聞いていたけど、静かね」
「この道は、いつか来た道、ああそうだよう、オンコさんの、専用のみちだよ♪」
「ふっふっ、ありがとう。それにしても、オンコさんの道は、急だわね」
急坂に息の上がった会話は途切れとぎれだった。
杉や雑木の中を抜け、見通しのよい草原に出た。
「少し休もう」「そうしてください、きついです」
「ノドがかわいたわね」温子がリックから水筒を取り出し、紙コップになみなみのお茶を桂馬に差し出した。桂馬は紙コップの黄色いお茶をジットと見つめ、
「あれ?アブクが出ない」「えっ?」「ふっふっ。そうです。オンコ社特製、泡なしビール、健康第一ビールです」秋の空は澄み渡り微かな風が心地よく優しかった。周りの木々は視界を遮って蜜ではあったが夏の緑の勢いは落ちていた。ススキや草々も冬の準備を始めたように見えた。
「アッ、きれい、この花、何?」温子が、秋の麒麟草を見つけた。
「アキノキリンソウ。ひかり輝く花という意味だよ。麒麟はキリンビールの麒麟。麒麟は体から五色の光を放つ霊獣だって。向こうの方にいろいろの花が咲いていると思う」桂馬が体を捻じ曲げ指をさした。
温子は立ち上がり覚束ない足取りで草むらの中に消えた。やがて温子は数本の花を握りしめ帰ってきた。満面の笑みだった。
「うれしい。こんなところに、こんなきれいな花が咲くなんて信じられない」やはりこのルートでよかった。桂馬の頬にも花が咲いた。
「これは?」
「リンドウ。竜のキモと書くンだ。竜の肝のように苦いよ。胃の薬」桂馬は壺型の花弁を押し広げ中を細い木の枝で突つき、
「これが雄蕊、頭に花粉が付いてるだろう。中の太いのが雌蕊」
「だけど変ね。花はきれいに咲いて虫を誘って受粉させてもらうって聞いたけど。さっき蜂がこの花の蜜を吸ってたけど、蜂は別の花の花粉を運んで受粉の仲立ちをするンでしょう。自分で雄蕊を持っているのだからきれいに咲く必要はないのに」
「近親結婚を避けるためだって。人間だったら沖縄の人と北海道の人が結婚すると良い子供が生まれる筈だって」
「へエ~、、、、、だったら宮城県と福岡県も理想的ね」「えっ?ハッハッハッ、、、そうだナ、ぼくは宮城、君は福岡」
「フッフッフッ、、、そんなつもりでは、、、でした」
「これは、何ですか」温子が赤い実のついた天南星を差し出した。
「テンナンショウ。マムシ草と云うんだ。茎の模様が蝮模様だから」
「赤ん坊の握りこぶしみたいで可愛い。美味しそうだけど可哀そうだから食べません、茎の模様も素敵、アスパラに似てて美味しそう」いきなり茎をちぎって口の中に放り込んだ。桂馬は慌てて水筒の蓋を開けた。
温子は喉の奥で奇声を発し、桂馬の水筒をもぎ取り水を口に流し込み、口を大きく開け大息を続けさまにつき、
「なんて味なの?口の中が火事みたい」息を小さく吸ったり吐いたり、桂馬を見て渋い笑顔で呟いた。
マムシ草は猛烈にえぐい。山でマムシ草を知らない仲間によく悪戯をする。たいがいの人は用心深くかじり急いで吐き出す。それでも口の中に、かなりのえぐみが残る。
温子は、おもいきり齧り飲み込んだのだ。桂馬は呆気に取られて、気遣いの言葉がすぐには出なかった。
城山の休憩小屋まで、辛いもの、唐辛子や山椒談義が続き、人間の貪欲な食欲でも克服できないマムシ草があったのだと結論づけたところで小屋にたどり着いた。
小屋までの急坂も気にならなかった。
「富士山よ!」温子が指さす遠くに雪をかぶった富士山が、秋の清澄な空気の彼方に浮かんでいた。
「あんなにきれいなんだもの、やっぱり、かぐや姫や天女が住んでいるんだわ、きっと」
「岩礫の山だよ、富士山は、頂上も。かぐや姫の御殿なんかないよ。あるのは測候所の御殿」
「もう~夢がないンだから。桂馬さんが登ったのは人間界の頂上。見て、あの頂上の上に人間に見えない雲がかかっていて、その雲の上が天上界、天人やかぐや姫が住んでるの。お母さんに、かぐや姫や羽衣の天人の絵本読んでもらわなかった?」「アッ天人だ!羽衣の天人が飛んでる」温子が富士山の遠くを指さした。
「あれはトンビ」
「もう~知らない」
城山の休憩小屋周辺は縦走して来た人達で混んでいた。ベンチに腰掛けるなり温子が竹の皮のおにぎりを差し出した。
「はい、オンコ屋特製オニギリ。不味いのが自慢です」
「ありがとう、味音痴ですので大丈夫です。もう一週間も何も食べていないのです。ですから、美味しいと思います」桂馬は大げさにお辞儀して後ろを振り向き、
「いい匂いがしてくるよね、城山名物、キノコ汁とおでん。買って来よう」
「いいえ、私が買ってきます。さっきから気になってたの。お目当てがあります。厚揚げは買ってきませんよ、トンビに攫われるから」温子は山盛りのおでんと、団子、キノコ汁汁のカップ、缶ビールを大きなお盆に載せて帰ってきた。
「エ、こんなにたくさん、食べられるの?」
「ハイッ、私は痩せの大食いです。そこいらに潜んでいるお猿さんにもあげます」
清澄な山の空気、遠くに霞む山並み。緩慢に口を動かしながら二人は食べた。
「疲れた?急な登りだったから。帰りは薬王院に寄ってケーブルで帰るか、裏高尾ルートで帰るか、どっちがいい?」
「いやだ~!帰るなんて言葉嫌い。ずっとここにいたい」
峠のハイカーも疎らになった。
「そろそろ帰、いや行こう」「ハイ、行きましょう」
裏高尾コースを下り甲州街道旧道に出、バスを提案したが温子は川沿いのハイキングコースを主張した。疲れは全く見えなかった。
川沿いの道は尾根筋とは違った花が咲いていた。温子がアケビの実を見つけた。自然が作
った不思議な色にしきりに感動の声を上げた。
高尾駅前まではかなりの道のりだった。
「このまま帰るの、もったいないわ」「いやいや、これからが本番」
「うれしい!また登るの?」
「君にはあきれるよ。こんどは座るンだ」二人は駅前の浅川食堂の暖簾をくぐった。中はハイキング客でいっぱいだった。カウンターの端が空いていた。いつもの席だった。
「森田さんが話してたお店ね」「そう。森田さんが病気する前、ハイキングの後によく寄ったんだ」
桂馬がビールと熱燗を頼んだ。温子はビールが苦手だ。ビールと熱燗で乾杯した。
「ああ、楽しかった。お花、きれいだったわね。山にあんなきれいな花が咲いているとは
ビックリ」
たいがいの人は、きれいな花は花壇や花屋だけにあるものだと思っている。温子もそうだったのだろう。
「僕も君にはビックリ」「どうしてですか?」
「第一に、二時間以上も待った。お昼の弁当を朝食べてしまった。マムシ草を躊躇いもなく齧り飲み込んだ。そのうえ、えぐみがおさまって、ワサビのように後、さっぱりだと喝破した。豪快、大盛のおでんと団子。おかげで今でもお腹いっぱい」
話題百出だった。話につられて桂馬も温子もかなり飲んだ。ハイキング客は皆帰ってしまって店は二人だけになっていた。
「僕たちもそろそろ帰ろう、いや行こうか」「そうしましょう。桂馬さん、明日忙しいものね。わがままは云いません」
駅前は黄色い街灯が薄明かるく閑散としていた。
「今日はここで、さようならの儀式をしよう」桂馬が右手を差し出した。
「待って下さい。初めての時は右手、次は左でした。今日は両手にしてください」
桂馬は温子の両手を握り、温子の目を見つめ、引き寄せ、肩を抱いた。温子の肩は小さかった。温もりが桂馬の胸に直に伝わった。温子の肩は微かに波打っていた。
桂馬は両手を温子の肩に載せ、温子の目をまた見つめた。震え声で温子がつぶやいた。
「これでおしまい?」「そう」「どうして?」「もったいないから」
つづく





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