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2015年3月28日 伊豆 戸田港で写す

次第
砂内桂馬、団塊の生まれ。
冬の夜は永い。桂馬は夜半に目覚めた。深いしじま。深い孤独。閉じた目に、薄い陰が浮かぶ。それは次第に形となり過去に甦り、ひとときの残照となる。桂馬はその、ひとときの残照に生きる。

前回までのあらすじ
砂内桂馬は二十歳過ぎの春、恋を知った。恋は悲しい結果に終わった。母の言葉が甦った。桂馬は再び女性に、頑なに心を閉じた。年月が流れた。ふとした切っ掛けで五代温子を知る。温子は女子大を卒業後、郷里の福岡県選出の議員、父の友人の秘書見習いを一年、未だに少女の風貌を残す天真爛漫な女性だった。秋、二人は高尾山をハイキングした。桂馬は温子の稚気ぶりに驚かされ心を開いていく。酒好きの桂馬は高尾駅前の「浅川食堂」に温子を伴った。二人は十年の知己のように打ち解けた。
帰りの高尾駅前は静まり返っていた。桂馬は温子の肩を抱き温子の目を見つめた。温子が震える声で「これでおしまい?」と聞く。桂馬「そう」温子「どうして?」桂馬「もったいないから」

出会い(7)
温子は桂馬の「もったいない」を抱き続けた。桂馬がどんな意味で言ったのか、酔って、はずみに冗談で云ったのか、温子にはどうでもよかった。桂馬が自分のことをだいじに思ってくれているのだ、桂馬の誠意なのだ、桂馬の人柄なのだ、それだけを思い続けよう。温子は異性に特別な感情を持ったこともなかったし興味もなかった。数ヶ月前、母がくわだてた見合い事件で、男に目を向けるようになったのだろうか、自分の変化に驚きもし戸惑いもした。誰かに話したい衝動が身体の中を駆け巡った。母のところに帰ろう、そして話そう。その外にも報告がある。
温子は社会勉強のために浜田事務所から外に仕事を変えたらどうかと父に勧められていた。浜田議員は温子の父の友人なのだ、職場はぬるま湯であろうと父は思ったのだろう。
浜田事務所は温子の初めての職場で、外の職場との比較は出来ないが人間関係も仕事も負担になるものは少なく住みよい職場だった。それでも父の意見に従うことにしたのだった。
父が浜田議員に頼んでいた就職先は、浜田議員の友人が代表取締を勤める極東ステンレスに決まった。浜田は「アッちゃん、時々事務所に顔、出してくれよ。うちの連中はヤボ天ばかりだからアッちゃんがいなくなると、たちまち告別式場になるからナ」と笑わせた。

温子は土産を買うのも忘れて博多に急いだ。
晩秋の日は短かった。父が居間で一人、ぽつねんとテレビを見ていた。
「ただいま」はずんだ温子の声に振り返った父は、しばらく声が出なかった。
「どうしたんだ?温子、、、あ、おかえり」
「報告で~す。でも、お父さんこそどうしたの?お仕事は?お母さんは?」
「今日は日曜だ。お母さんは買い物。就職の報告か?」
「それもあります。もう一ついい報告」
言い残して台所に向かった。台所は何時ものように綺麗に片付いていた。やはり母の台所だ、母の律儀な顔が浮かんだ。温子はコップにいっぱいの水を一気に飲み干し、父の居間に引き返した。
「報告で~す。来月から新しいお勤めです。お父さんありがとう」
「もう一つは?」
「う~ン。お母さんが先かナと思ったけど」温子は言葉を切り父を見つめた。父はニヤリと笑い、
「好きな人でもできたのか?」
「はい、大当たり、できました」
「エッ!」父はしばらく温子を見つめていた。開けた口をとじ唾を飲み込む音が聞こえた。
「どんなひとだ?」
「まだ確かではないけど。ず~と気になってた人なの。この間二人で高尾山にハイキングに行ったの。誰が誘ったと思う?私が誘いました。呆れたでしょう?」
「当然だ」
「そう云うと思った」父の苦笑を楽しむように、
「山から下りてから高尾の駅前でお酒飲んでネ、楽しかったナ。その人ね、野の花や山の花が好きなの。花の話や、郷里の塩釜の話、楽しかったナ」
「そんな話をするためにわざわざ帰って来たのか。お前も飲んだのか」「ハイ、飲みました。格別に美味しかった!」父の顔が憮然となった。温子は構わず、
「帰りに桂馬さん、その人桂馬さんと云うの将棋の桂馬。私の肩に手を置いてジッと私を見つめたの。普通その“あと”があるでしょう?私が、これでおしまいって云ったら、“もったいない”からおしまいだって」
「もういい」父は憮然のまま立ち上がり台所へ向かった。
「ただいま」玄関を開ける音と同時に母の声が聞こえた。温子は玄関に急いだ。
「あら、アッちゃんどうしたの?」予告なしの帰省に母は驚いた様子だった。
「報告に帰ってきました」
「え、報告?電話もなしに突然のご帰還だからさぞかし重大報告よネ?」温子は軍隊調で、
「ハイ、重大であります。母上に先にと思いましたが、母上不在につき父上に先に報告いたしましたところ、たいそうご立腹で台所で地団駄を踏んでおられます」
「おやおや、それは大変ね」母はスリッパを鳴らして台所に消えた。温子は荷物を手に二階に上がった。優しい父だからこそショックは大きいのかもしれない、もっと早く匂わせておけばよかった。温子は着替えを済ませ窓を開けた。いつもの家並だが何か新鮮に見えた。
温子は足音を立て階段を下りた。母が夕食の準備をしていた。
「大した御馳走はないわよ、急だったから。あり合わせ」
「はい、何でも結構です。東京で粗食に耐えている身です、お母さんのお料理なら最高です」
「それはおおげさよ。そうそう聞いたわよ、恋人、できたんだって?」
「ハイ。私の一人合点かも知れないけど。ああよかった。お父さんは納得してくれると思ったけど、お母さんはキツイかなと思って覚悟して来たのに、ぜんぜん逆ネ」温子は笑顔を父に向けた。
「ううん、そうでもないの。お父さんネ“もったいない”が気に入ったらしいの。人柄が見えるって、温子もやっと女の兆しが出てきたか、だって。」母は笑顔を父に向けた。父の苦笑が照れ笑いに見えた。
「それにしても驚いたナ。父親に、恋人ができました、デートしましたと、あっけらかんと云うんだから。普通は母親にそっと云うものではないのか?」父の顔は笑顔に変わっていた。温子が幼い時の記憶にある笑顔だった。
「そこがアッちゃんのいいところよ。小さい頃から何事につけ、そうだったでしょう」

温子は安心した。一波乱を覚悟して来たのだ。これでいい夢が見られると床に入ったが、夢の欠けらもなく朝遅く目覚めた。
父は仕事に行ったのだろう既に姿が見えなかった。
「お父さんがネ今日一日居るようにだって」
「はい、そうします。お父さんに相談もあるし。アパート、引っ越したいの。今度のお勤め練馬からだと不便で仕方ないから。そうそう後で天神さまにお土産買いに行きたいけど、お母さん一緒にいかない?」
「そうね。新しいお勤め始まると、浜田事務所のように気楽にはいかないだろうし、今度何時会えるか分からないものね。行こうかね」
ウイークデーでも門前はかなりの人出だった。
顔見知りの店でいつもの梅が枝餅を買った。
「親子仲良く、羨ましいですね。アッちゃんまたまた綺麗になって、彼氏でもできた?」
「ハイ、できました」母は仕方ないといった表情で苦笑した。

温子はせわしない博多滞在が気になったが東京での新しい勤めやアパート探し、引っ越しがそれ以上に気になり温子を急き立てた。
勤め先は八重洲だ。アパートは荻窪周辺に探すことにした。荻窪は子供会のハイキングなどで中央線に乗る馴染みの駅だ。
温子はさほど抵抗もなく桂馬に電話した。電話の向こうの桂馬の声が新鮮に聞こえた。
温子は森田の家に桂馬を誘った。桂馬も交えて森田にアパート探しなど、相談したかった。
桂馬はやや遅く現れた。
部屋探しは荻窪の不動産屋で探せばそう難しいことではないが、引っ越しが少々面倒かも知れない。一人暮らしの若い女性でも四、五年も住めば道具も知らぬ間に増え少なく見えても結構多いものだ、森田夫妻の見方だった。
その夜は早々に森田の家を辞した。次の日曜、アパート探しに桂馬も一緒に行くと約束して別れた。
不動産屋で温子が選んだアパートは、荻窪の南口からかなり離れた場所で、女性だけに貸すアパートだった。温子は少し遠くても女性専用が気に入ったようだった。
不動産屋が車で案内するというのを断り地図をもらって行ってみることにした。
商店街を抜け善福寺川の橋を渡ると小さな公園の案内板に与謝野晶子、鉄幹の住んだ町と書いてあった。
「嬉しい。ここを選んだのは与謝野晶子が呼んだのよね。感激だわ」
環八通りを横切り南へ住宅街をひたすら歩いた。突如煉瓦造りの建物が現れた。落ち着いた周りの民家の中に全く溶け込まず自己主張して立っていた。南荻窪図書館と大書してあった。
「またまた嬉しい。私の広々書斎。う~ンと勉強するぞ」
アパートは更に南へ住宅街の中程だった。飾り気のない簡素な造りだった。細い字で「スズラン荘」と描いてあった。スズランは下を向いて恥ずかしそうに咲く花だ。温子には縁遠い。桂馬は思わずクスリと笑ってしまった。スズランは北海道の牧場に多いと聞いた事がある。大家は北海道の人だろうか。出てきた大家はほっそりとした中年の女性だった。少し神経質に見えたが温子は全く気にしないだろう。
角部屋で二方に窓があり明るい部屋だった。
「あの森は何ですか?」温子が指を指す南西の方に森が見えた。
「春日神社です。歴史のある古い神社なんですよ。この町の名前、宮前は春日神社の門前という意味です」
温子はこの部屋がよほど気に入ったのだろう即座に決めてしまった。
不動産屋まで引き返す道のりもさほど遠くは感じなかった。
「保証人、森田さんにお願いしようと思っていたンだけど、桂馬さん駄目?」
「そう思ってハンコ持ってきた」
不動産屋での契約を済ませ、誰が誘うともなく駅前の喫茶店のドアを開けた。
ドアを開けたとたん、きついコーヒーの香りが鼻をついた。コーヒー自慢の店なのだろう見慣れない器具が並び、店主らしい年配の男が二人を見て、「いらっしゃい」とでも云うのだろうか、ぼそっと呟き、眼鏡の奥の目が光った。温子は頓着なく腰掛け、
「あとは引っ越しネ。運送屋さん、探さなくちゃ」
「会社出入りの運送屋を紹介してもらったンだ。ワゴン車、貸してくれるって。僕が運ぶよ」桂馬は店主が気になり小声で応じた。桂馬なりに温子の引っ越しを心配していたのだろう。
「ほんと?嬉しい。楽しい引っ越しになりそう、早く引っ越したい、待ち遠しいわ」
「大きい荷物、あるの?ワゴン車に積めない荷物があると困るね」桂馬の免許は四トントラックまでは運転できる免許だがトラックは今一つ自信がなかった。ワゴン車に積めなければ業者に頼むしかないだろう。
「そうだ、いいこと思い付いたわ。今から私の部屋に行きましょう。荷物の状態を見てもらうの。散らかってるけど。私は全然気にしないから」
「え?それは僕が云う言葉だろう?」桂馬は吹き出してしまった。桂馬の笑いが了解となったかのように二人は西部高野台駅行きのバスに乗った。
私鉄の狭い駅前はかなりの混雑だった。桂馬は温子の後ろに従った。温子が首だけで振り返り、
「スーパーに寄ります。桂馬さんは入り口で待っていてください」
「いや、私めもお供させて頂きます」
「左様か、ではついて参れ、フフフ」「まるで若夫婦ね」
「君はまだまだお子様、父と娘。生意気云ってはダメだ」
「酷い、私はもう立派な大人です」空のカゴを持ったまま両手を広げて見せた。
温子は考えも無しに手当たり次第に買い物をカゴに放り込んでいるように見えた。
「今晩は最後の晩餐をいたします。お付き合いしていただけますか?お酒も買いますから」
桂馬は笑った目で応えた。
温子のアパートは細い道の両側に立ち並ぶ住宅街の奥にあった。二人立つといっぱいの靴脱ぎ場から同じ幅の板敷きが突き当たりの六畳に続いていた。窓を開けると隣の屋根の庇が迫っていた。
窓ぎわにベッドが置いてあった。縦長の本棚と小さな飾り棚に人形や女性の小物、化粧品のようなものが置いてあった。若い女性の部屋にしては簡素に見えた。
部屋が小綺麗に片付いていたのは意外だった。
本棚の本が目を引いた。平家物語、伊勢物語、更級日記、奥の細道の古典や山月記、濹東綺談、みだれ髪、三好達治、フォウクナー、老子もあった。長塚節の土が意外だった。ほとんど文庫本だった。乱読主義だろうか。
「読書家だね」
「ハイ、と云いたいところだけど。実はベッドも本箱も飾り棚も、全部先輩のお下がりです。先輩が卒業の時、私が部屋ごとほとん全部譲り受けました」温子は廊下の片隅の小さな台所に立った。
「今日は玄海ナベに致したいのですがいかがでしょうか」
「結構。え、玄海鍋?博多名物?」
「いいえ、私のオリジナルです。玄界灘の荒波に揉まれたような、形も定かでない具材で、何が入っているか分からないのが魅力でございます。ご期待を」
ナベは部屋の雰囲気もあったのだろうが、桂馬が食べたどのナベよりも美味かった。
「君、料理上手だね」「いいえ、母がサジ、投げてます。でもこの頃は少しマシになったかも。何しろこの頃大人になりましたので」スーパーで桂馬が温子に云った“まだ子供”を皮肉ったのだ。
「これは何でしょう?」温子がナベの中から具をつまみ上げた。
「鶏肉」「ブーウ。貝でした。名前は分からないけど美味しそうだったから買いました。まさに玄海ナベ」
一人暮らしにしては大振りな鍋だった。コンロの火を付けたり消したり、酒もかなり進み、いつの間にか鍋は底をついた。
「あら、デザート忘れてたわ。コンビニで買って来るね。一緒に行かない?酔い覚ましになるわよ」
住宅街はひっそりと静まり返って街灯の明かりも暗かった。
コンビニは一際明るかったが客はいなかった。棒付きのアイスクリームを二個かった。
店を出た途端、店の明かりが消えた。温子は振り返り、
「停電かな?でもよかったわね、買った後で」温子は意味ありげにニヤニヤ笑っていた。
街灯が間遠に点いていたが停電について桂馬は深くは考えなかった。
「向こうに小さなお宮があるの、拝んで帰りましょう」
大きなケヤキの木の下に赤い旗が見えた。街灯の薄明かりに“、、、稲荷大明神”とだけがかすかに読み取れた。一抱え程の小さな祠は古びて少し傾いていた。
「御利益が有りますように」温子が呟いて手を合わせた。桂馬も殊勝に手を合わせた。
温子が手を合わせたまま横目で桂馬を見てニッと笑い、
「今、何時頃だと思います?」
「十時近いかもネ、そろそろ帰らないと電車がなくなる」
「残念、十二時でした。さっきのコンビニ、終夜営業ではないの。十二閉店だから電気消したのよ。楽しい時間はあっと云う間に過ぎるものよね。私も全然気が付かなかった」
桂馬は霞のかかった頭に思いを巡らしたが解決の方法は浮かびそうもなかった。
「とにかく部屋に帰りましょう。善後策は部屋で。ハイ、お手々つないで帰りましょう」温子がいきなり桂馬の手を取った。
「桂馬さんのお手々大きい。だけど暖かい。子供の頃の父の手を思い出すわ」
二人は無言で歩いた。温子の手の温もりが沁みた。
「ハイ着きました。どうぞお入り下さい」「今夜は泊まっていってください」温子は桂馬を振り返りもせず奥に消えた。
二人は座卓に向かい合い無言で棒付きのアイスを囓った。
「ハハハハハ」突然桂馬が笑い出した。「なんだか映画にでも出てきそうな場面だな」
「泊まってもいいか?」「そうして下さい。どうせ私は明日もお休みだから徹夜で本でも読みます。余分の布団が有りません。桂馬さんはベッドで寝てください」
「いや風邪でも引かれたら困るから君、ベッドで寝て。僕は山で寒いのは馴れてるから大丈夫。座布団を二枚敷いて、シーツの予備貸してもらって、僕のコートと君のコートを掛ければ充分」
桂馬は寝付かれなかった。温子も、もじもじと寝付かれないようだった。
一時間程も経っただろうか、温子が突然起き上がった。
「桂馬さん、一緒に寝ましょう」
   つづく
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