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05.07
Sat
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きすげ橋。浅間山を横断する道路の上に懸かった橋。下の道路は切り通し。名の由来は“武蔵野キスゲ”による。
2016年4月16日写す。以下同じ。

浅間山公園は、府中市と小金井市にまたがる広大な多磨霊園の西に隣接する都立公園。公園とは云っても自然の山に近い。人の手で花や木を植えていない自然の山。散歩道もほぼ踏み跡同然。頂上の浅間神社は祠程度だが神様が本当にいるような佇まいだ。訪ねる人は少なく町の雑踏に疲れた人や、静寂を求める人。都会には珍しい自然たっぷりの公園だ。雑木に被われ、草花は少なかったが珍しい花が一つ見つかった。この山の固有種、珍しい武蔵野キスゲはまだ咲いていなかった。

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キンラン ラン科

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ギンラン
金色に輝く花、漢字で金蘭。白花は銀蘭とよぶ。かつては雑木林などでよく目にする花だった。今ではめったに見られない。昔は林の落ち葉を堆肥にした。秋から冬、林は綺麗に掃かれ草花やキノコの楽園だった。化学肥料が出回って手のかかる堆肥は敬遠され、落ち葉を掃くこともなく、林は笹やシダなどが生い茂り草花やキノコが激減した。

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キジムシロ バラ科
漢字で雉筵。珍しい花ではない。至る処に咲いている。湿り気を好むようで田んぼの畦などにも多い。葉や花の形がイチゴにそっくりだがイチゴの様な実がならないのが残念。
ここのキジムシロは所を得たのか一段と色鮮やかだった。
九州の田舎のものは根が丸く太っていた。不思議に思っていたら同族のツチグリ、土栗だそうだ。東京近辺にツチグリはないようだ。引っこ抜いて見ても根は細い。所変われば品変わるだろうか。

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ヤマブキ バラ科
金の色を山吹色というが、頷ける。「七重八重、花は咲けども山吹の、実の一つだになきぞ悲しき」山吹と云えばこの歌。狩先で雨に遭った太田道灌が蓑を借りようとした。所の娘が山吹の枝を差し出した。実の一つは蓑一つ。この歌を知らなかった道灌は恥じて大いに発憤したという。よく知られた話しだが、なにやら出来すぎた話しに聞こえる。だがこの花を見るときまって思い出す。

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カントウタンポポ
あまりにもありふれた花。だが誰にでも愛されるロマンチックな花。歌やマンガに登場NO1では。日本のタンッポは西洋渡来のセイヨウタンポポに追っぱわれ町では見られなくなった。この頃雑種が町の中で多く見られるようになったように思う。
タンポポは外国語の様な響きだが、れっきとした日本語。二つ合わせれば小鼓の形。鼓草とも云うそうだ。タン、ポポは古くからの小鼓の擬音。小鼓は紐を手で握り、緩めたり張ったりして、様々な音色をだす。世界でも珍しい演奏法。その音色がタン、ポポだという。このタンポポ、つまり鼓ゆえに起こった悲劇を作った能がある、「天鼓」。

能「天鼓」は中国が舞台。
少年天鼓のもとに、打てば妙音を発する鼓が天から降り下る。これを聞いた皇帝は鼓を差し出すよう命ずる。天鼓は鼓を惜しみ鼓を抱いて山中に逃げる。皇帝は天鼓を探し出し鼓を召し上げ天鼓を呂水に沈める。皇帝は鼓を打たせるが鳴らない。鼓は主、天鼓との別れを惜しみ鳴らないのだろうと天鼓の父を召して打たせる。然るべきひとが打っても鳴らない鼓を自分が打って鳴る筈がないと疑いつつ打つ。鼓は妙音を発した。皇帝は親子の情故鳴ったのであろうと涙し父に数の宝を与え天鼓の後を管絃講で弔うことを約束する。
皇帝が降り下った天の鼓を呂水の岸に据え管絃講で天鼓の後を弔っていると天鼓の霊が現れ手厚い弔いに感謝し手向けの鼓を打ち鳴らし、呂水の波に戯れ舞を舞い夢か幻の如く消えていく。

前場に天鼓の父の深い悲しみを描き、後場では少年天鼓の若々しい喜々とした、躍動感溢れる舞を見せる。
理屈に合わなければ納得できない現代人には合点の行かない事柄がこの曲に二つある。
この曲に限った事ではなく、能では珍しくない作劇法だ。
一つは少年の父が老人ということだ。母親とは又違った老父の悲しみと愛情を描く手法と考えたい。
二つ目は理不尽に殺された少年が、弔いを感謝し喜々と舞を舞うと云う事だがこれも舞の面白さを強調する手法と理解したい。
能「天鼓」の詳しい解説はこちら


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