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05.28
Sat
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奥多摩方面の残照。2016年5月19日、府中市是政橋から写す。

次第
砂内桂馬。団塊の生まれ。
初夏の払暁。夜の帳が汚れた昼の空気を濾過したのだろう、清浄だった。住宅街はまだ目覚めないのか、物音も希だった。桂馬は静かに歩く。肩に老いの気配を乗せて。立ち止まる。道は向うが霞んでいる。道の向こうを凝視する。懐かしい景色が浮かびあがる。遠い過去の一片が浮かびあがる。それは残照,美しく輝き静かに去っていく。

前回までのあらすじ
桂馬は希有なまでに五代温子に巡り合う。温子が山の草花が見たいという。二人は相模湖から裏高尾のルートを歩く。二人の心はさらに近づいた。下山した二人は高尾駅前の居酒屋、浅川食堂の暖簾をくぐった。桂馬の故郷や温子の故郷の話題などで盛あがった。
薄暗い高尾の駅前は静まり返っていた。桂馬は温子の肩を抱き、両肩に手を乗せ温子を見つめる。「これでおしまい?」温子が震え声で呟く。「そう」と桂馬「どうして?」「もったいないから」温子は桂馬の誠意を知る。温子は郷里に帰り両親に打ち明けた。
温子は、郷里選出議員の事務所を辞め、父親の薦めで鉄鋼会社に就職する事になった。それを機に通勤に便利な荻窪に引っ越す事にした。荷物の運搬を桂馬が引き受けた。荷物の状態を確かめる為に桂馬は温子の部屋に行く。時間を間違え帰る術がなかった桂馬は、温子の部屋に泊まらざるを得なかった。

出会い(八)
翌朝。桂馬は電撃に打たれたように目覚めた。自分の居場所がしばらく分からなかった。目を二、三度しばたいた。見慣れない部屋の景色が、滲み出てくる記憶と結びついていく。台所から物音が聞こえる。温子が朝の支度をしているのだろう。桂馬はダラリと起き上がった。ベッドが軋んだ。桂馬は大きく吐息をついた。座布団を二つ折りにした枕に再び頭をつけた。想いが駆け巡る。
 昨夜の敷布団は代用の座布団二枚だった。座布団は狭く短く、時間につれて隙間から冷たい空気が侵入した。
「一緒に寝ましょう」という温子の声に戸惑ったが、温子には含むものが感じられなかっし、あどけなささえも感じた。温子の布団に潜り込んだのは、さほどの抵抗もなかった。
背中を向けていた温子が、ゆがんだ顔で振り返った。桂馬が温子の頬を人差し指で突いた。「クックッ」、押し殺して笑いながら再び背を向けた。
高校の国語の先生の話が甦った。「光源氏は少女の紫の上を理想の女性に育てようと引き取った。源氏は紫の上と床を一緒にしながら根気よく紫の上の成長を待った」という話だった。
高校生の桂馬には先生の話の意味が判らなかった。判る筈もなかったが、いつまでも頭の中に蟠っていた。
桂馬は布団の暖かみを感じながら、王朝の貴公子の豊かな精神生活に想いを膨らませていった。そして空想の長い手を伸ばし温子を抱きしめた。

「あら、お目覚め?歯磨きセット台所に用意してあります、どうぞ」
ナベを抱えて温子がほほ笑んで立っていた。大きめの白い割烹着が不似合に、母親の真似をしているように見えた。
二人は朝の座卓に向き合った。
「桂馬さん、よく眠れました?私は狭かったけどぐっすり」
「僕はぜんぜん」
「どうして?」
「当たり前だろう、若い美人と枕を並べたンだよ、眠れる訳ないだろう」
「美人は、有り難う。だけど眠れなかった、は嘘です。気配がしないので覗き込んだの。微動もしないし、寝息も聞こえなかったわ。死んでるのではないかと怖かった。何回も覗き込んだのよ」
「ところで君、怖くなかったの?」
「だから怖かったの」
「いや、そうじゃなくて」
「では何?」
「僕がオオカミになったらどうする?」
「なりません」
「そんなこと分からないよ」
「なりません。桂馬さんは“もったいない”の人だから」
「男の下半身は知性や人格と関係がないというよ」
「なりません。絶対なりません」二人は箸をとめ見つめあった。
「はっはっはっは」「フッフッフッ」
二人の笑いがすべてを吹き飛ばしてしまった。

引っ越しの日は穏やかに晴れ、春を感じさせた。引っ越しは思わぬ時間がかかるものだという森田の言葉にしたがい早めに家を出た。車は前日に借りておいた。
温子はもう荷造りを始めていた。割烹着に姉さんかぶりが可笑しかった。
「アネさんかぶりが似合いますね」
「ハイ、大人ですから」温子は、力を込め、口をゆがめて紐を縛りながら、振り向きもせず応えた。
馴れない荷造りは意外と時間がかかった。ベッドの解体にも時間がかかった。ベッドは一カ所、溶接が剥がれていた。軋んだのはその所為だろう。
「ベッド、壊れてるよ。捨てる?」
「いえ、捨てません」
「先輩のお下がりだろう?新しいのにしたら?」
「いいえ、五年間、私の愛おしい夢を生んでくれた母親です。親不幸はできません」
森田が云ったように荷物は意外に多かった。ワゴン車いっぱい、無理に詰め込んだ。
「あら、私の大事なお供を忘れていました。私としたことが」
「何?まだあるの?もういっぱい。余裕なし。以下却下!」
狭い庭の奥のガラクタが積んである奥から古びた赤い自転車を引いて出て来た。
「このお供は、私が練馬界隈をくまなく探検する時、いつも嫌がらず素直にお供してくれたのです。置いていくなんて。そんな非情なことは人間としてできません」
「ハイハイ。そうですか。了解。では二回にしよう。無理に詰め込んだから壊れる物もあるかも知れないと心配していたんだ。丁度いい程度に荷物を少し下ろそう」
環八通は日曜でも込んでいた。
「住み慣れし我が第二の故郷、練馬よ、イザさらば。でもでも、いい気分ですネ~。只今ファーストクラスでパリに向かっております。眼下の雲が頬笑んでいます」
「お安い夢ですね。破れかけたシートに、でこぼこクッション。左右の景色は雲どころか煤けビル」
二人の掛け合いは引っ越し先まで続いた。

アパートの前で車を止めた。隣の大家の犬が野太い声で二,三声吠えた。待っていたかのように大家の小母さんが出てきた。温子が車から飛び降り、小走りに大家の玄関に向かった。
桂馬も下りた。道路に出てきた大家はしばらく温子と話し込んでいた。まるで母娘で話しているようだった。無愛想な表情の大家の顔が頬笑んでいるのだろうが、ゆがんで見えた。
契約も済んだし、色々注意することも嫌というほど聞いた、何を話しているのだろう。
大家の小母さんは桂馬の顔も見ずに、
「車は庭に入れて下さい」小母さんの無愛想は、オレに意趣でもあるのだろうかと桂馬が思ったほどだった。
「ハイお部屋の鍵」温子も大家の小母さんに向かったまま差し出した。
桂馬は小物から運び入れはじめた。二階への、きゃしゃな鉄骨の階段が鋭い音をたてた。
部屋は契約の時見た印象より広く感じられた。靴脱ぎは流石に狭く1メートル四方足らず、畳四枚程の細長い、台所付の板の間に続いていた。左奥に小さな風呂場、突き当たりは六畳だった。桂馬は窓を開けた。下は大家の庭が拡がっていた。芝生の周りに春の草花が咲き始めていた。スズランの一群がほどよい場所を占めていた。
「なるほどスズラン荘か」桂馬は苦笑した。先ほどの意趣ありげな小母さんの顔とスズランがどうにも結びつかなかったからだ。
「ごめんなさい。すっかり話し込んじゃって」温子が階段を鳴らして駆け上ってきた。
「奥さんね、大分の人だって。英彦山の麓の農家。残念でした、北海道ではありませんでした。旦那さんはここの人で昔は農家だったそうよ。奥さんネ、怖そうな顔だけど優しい人よ。このアパートは只今住民ゼロ、駅から遠いのと女性専用だからかネって笑ってた。でも少ない方が静かでいいですって」
温子は靴をもどかしく脱いで
「あら、結構広いわね。練馬のアパートと大違いね、月とスッポン」
「わあ~、お庭がまたまたいいわ~」桂馬を振り返り、
「私のお庭と思えばいいのよね、リッチ、リッチ」
「早く荷物、中に入れなくちゃ、荷物もお部屋を早く見たいと思うから。桂馬さんご苦労様です。お願いします」
「中に運び込むだけにしにして自転車と、“置いてけ堀”の荷物を取りに行こう」

二回目を運んで車を返すと、日は傾き、夕暮れが近かった。
「引っ越しのお祝いしましょう。荻窪駅のガードの手前にOKと書いたスーパーが見えたわよネ。行って見ましょう」
「OK牧場か。OK!馬に乗って、いや自転車で行こう」
古自転車のペダルは重くガラガラと音を立てた。後ろに乗った温子がはしゃいだ。
「桂馬さんの背中、暖ったかい」
「止せ、危ないから」顔を振り向けた途端、チェーンが切れた。
「寿命よね。仕方ないわ。よく尽くしてくれました。私の家来。お礼を云います」手を合わせ、ぺこりとお辞儀をして
「形ある物は必ず滅す。お釈迦様の教えよネ。ず~と前、故郷の和尚さんに教わったの」
だらりと垂れ下がったチェーンを見つめて呟いた。
「よかったわ、OK牧場の近くで」「ここで待っててネ。帰りに曳いて帰りますよ」桂馬が道路脇に寄せた自転車に温子が呼び掛けた。
「骨折の馬では決闘は負けだネ」
「え?何それ?」
「OK牧場の決闘。西部劇。ジョン、ウエイン。骨折の馬を曳いてでは勝ち目がないから、ここに繋いでおこう」
「あ、そうだ、骨折の馬で思い出したわ」
「なに?」
「ずっと考えてたの。桂馬さんでは呼びにくいから馬さんではダメ?」
「馬かア。ウマくないこともないけど、だったらカメの方がいいナ」
桂馬は子供の頃から渾名が亀だった。万事、反応がにぶく大概の事に驚かなかったからだ。
カメのアダ名は高校生まで続いた。当時は嫌だなと思ったこともあったが今では懐かしい思い出となっていた。
「私が曳いて歩くのにはウマの方がカッコウいいけどカメも可愛いわね。ではカメさんにします。何事も焦らず、亀のようにゆっくり歩きましょう。では私にもつけて。アツコやオンコでは呼び難いでしょう」
「だったら鶴だよ。鶴は千年、亀万年。お互いおめでたいからピッタリだろう?」
「八戸小歌の三味線の間の手をネ“♪鶴シャン亀シャン鶴シャン亀シャン鶴シャン亀シャ~ン鶴亀シャ~ン♪」って唄うんだ。
「あら、いいわね。鶴シャン亀シャンに決まり」
日曜の夕方のOKストアは混んでいた。出来合いの惣菜を買うことにした。
部屋の中は未整理の荷物が散乱しているし、台所の水も永い間使っていないようで使うのがためらわれたからだった。
温子が環八通りに、惣菜のカンバンがあったのを車から見つけたのを思い出し、その店の方が作り立てだろうとその店で買う事にした。スーパーでは温子の発案で白ワインと刺身を買っただけで中を見物して歩いた。

荷物を押しのけてスペースを作って座卓に向き合った。
「乾杯しましょう。先輩が置いていったグラスを持ってきた筈なのに見つからないの。お湯飲みでいい?」
「中味は同じだから何でも構わない、いいよ」桂馬は何につけ形には拘らない質だ。
「では、かんぱ~い」
引っ越し荷物の散乱した、引っ越したばかりの殺風景な、異様な中での食事は、返って二人に不思議な充足感さえ与えた。
「私ね、亀シャンに隠し事があるの」
「えっ、隠し事?なに?」
「ず~と黙ってようかなと思ってたけど。白状します。高尾で会ったとき亀シャン、初めて会ったような顔でしたよね。実は私はその前から亀シャンのこと知ってたの」
「えっ?」
温子は中央線の中で桂馬が居眠りして本を取り落として温子が拾ってあげたこと、変わった風貌の桂馬に興味を抱いた温子が正体を突き止めようと跡をつけ、西部新宿線の駅前のショットバーに行ったことを面白可笑しく話した。
「あ、あの時の。確か忘れ物の新聞紙の包みを渡したよね」おぼろげの記憶だった。
「そう。あれ、月下美人です」部屋の角の鉢を指差した。
「亀シャン、入り口のドアを開けて、私の顔をも見もしないで“忘れ物だよ”無造作にドアの外に置いたわよね。私、心臓が破裂するかと思う位ドキドキだったのよ」桂馬はニヤニヤ笑うだけだった。
「あら、驚かないの?さすが亀、あだな名の通りね」
夜の住宅街は車も希だった。時の流れも静かだった。
「明日は出張なんだ。多分早く終わると思うから、終わったら急いで来るよ。重い物など何とかしないとね」
「お願いします」
「途中まで送ります」
二人の靴音が気味悪く聞こえた。何処かで犬が鳴くのが微かに聞こえた。
馴れない初めての夜だ。心細いだろう。温子の心の中が伝わって来るような足取りだった。どちらからともなく手をつないだ。
南荻窪図書館が黒々と気味悪い姿を現した。
「ここでいいよ」
「ではさようなら」温子は俯いたままくるりと背中を向けて歩き出した。桂馬はしばらく温子の後ろ姿を見送ったが、急ぎ足で駆け寄り肩を並べた。桂馬は温子の驚いた顔を見ながら歩調を合わせた。
「アパートの前まで送るよ。」
「嬉しい。今夜は安心して眠れるわ」
温子が桂馬の腕を奪うように両手に抱いた。よほど心細かったのだろう。泊まっていくべきだろうか、衝動が駆け抜けた。
アパートの前で温子が両手を差し出し、
「ほんとは初めてのお部屋、とても怖かったの。でももう大丈夫。ハイ、亀シャンの気を下さい」
温子は桂馬の両手を握りしめ、
「ハイ、これでじゅうぶん亀シャンの気、注入されました。安心して眠れます。お帰りになって結構です」
桂馬は温子を静かに引き寄せ肩を抱いた。温子の肩が小刻みに波打った。両肩に手を置き温子をしばらく見つめた。
温子のうるんだ目に笑みが浮かんだ。
「今日も、、、もったいない?」
「ウン」
   つづく



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