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06.18
Sat
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ベンケイソウの仲間 ベンケイソウ科 
2016年5月19日府中市、多摩川で写す以下同じ

河原の砂利を覆い隠すように咲いていた。米粒の様な薄黄緑の葉、星形の小さい黄色い花が可愛かった。道端で見かけるマンネン草や千葉の海岸に咲いていたものとは違う様だった。名前はわからない。
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名前は知らない。たぶんキク科

長い花茎のてっぺんに一個、5センチほどの花を咲かせていた。ひょろひょろの花茎が気味悪かったが花は鮮やかな黄色でとても綺麗だった。花の中央が濃い赤紫色のものが特に綺麗だった。初めて見た。多分外来種ではないだろうか。よその河川敷は知らないが、多摩川の河川敷にはオオバコやタンポポに似た花や、イネ科などの外来種と思われるものが多い。

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名前は知らない。アカバナ科の雰囲気だった。

5弁の花だがフデリンドウの雰囲気だった。草丈20センチほど、空色の小さな花が可愛かった。外来種かも知れない。
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名前は知らない。たぶんアカバナ科

草丈20センチほど。葉や花の形がオオマツヨイグサ(大待宵草)やマツヨイグサにそっくり。その仲間だと思う。
マツヨイグサは待宵草。その名のように夜を待つように夕暮れ近くに咲く。
普通、花は虫の仲立ちで子孫をふやす。大方の虫は夜は寝るのに不思議な花だ。
宵待草、月見草などと呼ばれ、歌に唄われたロマンチックな花といわれる。太宰治の「富士には月見草がよく似合う」でその地位を確固にした。
マツヨイ草は観賞用に北米から来たそうだ。多摩川の“名前は知らない”も外来の変種だろうか。

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クワ  クワ科

本流の流れには外れていても、多摩川の真ん中に桑の木の大木があるとはビックリ。
子供の頃クワの実を争って食べた。ベロを出して見せ合い、紫色の染まり具合を競い合った。桑の実は鉄分を含み健康食、貧血の妙薬だという。ジャムにすると美味しい。
桑の葉は蚕の食べ物。蚕がつくる絹糸は明治時代からの一大産業であった。絹織物は高級品。その地位は今も変わらないが、よく似た化学繊維に押されてトンとお目にかからなくなった。今の絹糸はほとんどが輸入だという。能の衣装はほとんどが絹。絹は丈夫な布地。室町時代の物が現存する。現在作られている能衣装は輸入の糸が多いと聞く。生地が弱いのは仕方がない。外国産は糸に節が多いからだという。日本産は少なく丈夫だそうだ。丹波の絹糸は昔から特上品。三味線や琴、洋楽器などの弦楽器の弦にも使うそうだ。

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クルミ   クルミ科

クルミには色々種類があるらしい。中でも鬼グルミは奇っ怪な形の実だ。人間の脳の様に皺々。味は一番だそうだが固くて割るのも、中身を取り出すのも一苦労。山のリスはこの実を囓るのだから驚きだ。奥多摩に鬼グルミがかなりある。多摩川の流域のあちこちにあるのは上流の奥多摩から流れてきた種が発芽したのかも知れない。
屋久島の友人の話。子供の頃、鬼クルミの実が薬箱の中にあった。見た事もない不思議な物体だった。母親に聞いたら正体は分からないが煎じて服用薬にしたという。万病、特にじん麻疹の特効薬だったそうだ。奇っ怪な形故、霊薬になったのだろう、本当に薬効があるかは疑わしいが人間、信ずるということは恐ろしい力だと話したことを思いだす。

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チガヤ イネ科 2016年5月19日 府中市、多摩川河川敷で写す。

草だけ5,60センチ。群生している。キツネの尻尾の様な薄ネズミ色の花穂を同じ方向に一斉に靡かせている光景は何かを想わせ幻想的だった。
昔は牛馬のご馳走だった。手作業でせっせと刈り取り可愛い家族同然の馬や牛などに与えた。LONG  LONG AGO
神事にも使われる。茅の輪くぐり。チガヤで作った円形の大きな輪をくぐり罪、穢を祓う。
風に靡く姿は白い幟旗にそっくりだ。源平の昔、平家の赤旗に対して源氏は白旗だった。瀬戸内の海戦で源平両軍は赤、白の旗を靡かせて戦った。
能「清経」は、うち続く敗戦で豊前の国、柳ヶ浦に落ち延びた平家一門の、平清経が
船尾が曳く白波や松にとまっている白鷺を見て源氏の白旗かと怯え、遂に入水するまでの経過を作る。

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能「清経」
「互いに託ちかこたるる」二人の悲しい再会。

能「清経」は単式能だが、清経の遺髪を手に嘆く妻の悲しみの場がさながら複式能の前場のように重い。
清経の遺髪を携え豊前の国、柳ヶ浦から上京した家人粟津三郎が清経の愛妻にどう伝えようかと逡巡、悲しむ姿が哀れを誘う。ワキが勤める。
清経の亡霊は「聖人に夢無し」と妻の枕に現れる。心を澄まして入水したと云う事だろうがやはり愛妻は諦めきれない。妻は死ぬまで一緒と約束したのにと詰り、清経は遺髪を勝手に宇佐八幡に返したと詰る。亡霊と現の人の痴話喧嘩が胸を打つ。痴話喧嘩と云うと水を差すようだが清経は二十歳そこそこ、妻も幼さが残る年であっただろう。いとおしく、いたましい。
清経は自殺に至る経過を妻に語る。人間誰しも命は惜しい。自ら己の命を絶つは尋常ではない。狂気の至りだ。追い詰められた清経の心理状態は「追手顔がる跡の波、白鷺の群れいる松見れば。源氏の旗を靡かす多勢かと肝を消す」と現される。
清経の狂乱も次第におさまり、諦めに変わっていく。「この世とて旅ぞかし」と謡う。誰しもかならず死ぬのだ。輪廻の掟に任せよう。清経は聞こえた笛の名手であった。船の舳板に立ち、笛を吹き、今様を謡い心を静め「南無阿弥陀仏弥陀仏、迎えさせ給え」最愛の妻も肉親も旧知も消え失せ只、阿弥陀如来のみ。清経は水底の果てに沈む。比類少ない名文のクセで語られる。この卓抜の名文と音律が、清経の死へと向かう心境の道程を人々に納得させる。
終曲に武人が落ちる地獄「修羅道」の有様が語られるが、重くのし掛かるクセの重圧に影が薄い。
それにしてもつくづく思う。昔の人は死の恐怖も仏が救った。宗教心の薄い身は、死の恐怖からどう逃れればいいのだろう。
能「清経」の詳しい解説はこちら


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