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06.25
Sat
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奥多摩の残照 2016年6月22日中央線武蔵境駅前スイングホール10Fから写す。  

次第
砂内桂馬、団塊の生まれ。旧知の消息が消え初めてから久しい。心の空洞は果てしない。
その心の空洞の中に時折薄雲が浮かびあがる。その雲は次第に色を帯びていき、過去の懐かしい思い出に変じ、しばし輝きそして静かに消えていく。ひとときの残照だった。
   
前回までのあらすじ
砂内桂馬はその生い立ちに起因した女性に対するコンプレックスを持っていた。
桂馬は五代温子に出会う。その出会いは劇的であった。天真爛漫、磊落な性格の温子に心を開き、惹かれていく。温子は父の友人の議員秘書であった。温子は議員の紹介で鉄鋼会社に転職することになり、勤めに便利な荻窪に引っ越す。桂馬は引っ越しを手伝う。
二人は引っ越し荷物に囲まれた中で引っ越しのお祝いをし、心を残して別れる。桂馬は明日の出張を早めに切り上げ温子の様子を見に行く約束だった。

出会い(九)
桂馬は出張先から急いだ。
取引先との会議は予想以上、時間がかかった。仕事熱心な桂馬だったが、それでも度々会議から心が離れた。見慣れない人達の顔が奇異な形の物体に見えたり、小さな会議室が突然大きくなり壁に掛かったカレンダーが霞んだりした。
「砂内さんはこの案に疑問がある様ですからもう少し検討しましょう」桂馬はうろたえた。

会議が終わったのは五時近かった。太陽は大きく西に傾いていた。桂馬は線路沿いの道を急いだ。線路の向こうは広大な空き地だった。工場の建設用地なのだろう資材があちこちに積み上げられていた。枯れ残りの背高泡立草の大群落は新芽の緑はあるものの、荒涼と、異様な景色を作っていた。竹似草の掌葉が風に揺れて手招きして、桂馬をからかっているように見えた。
電車は中々来なかった。
粗末なホームから見える、河だろうか海だろうか、淀んだ水面を見つめた。魚がいるのだろうか?
修理船の塗装をしていたという職人の話を思い出した。水を抜いたドッグの底に、行き場を失った魚が跳ねていたという話だった。温子の途方に暮れた顔が重なった。
ここ磯子から横浜に出、東京駅、荻窪。桂馬は頭の中で時間を計り、かなり遅い時間になるだろうと焦った。

桂馬はアパートの階段を注意深く上った。きゃしゃな鉄骨の階段が鋭い音を立てるからだ。
いきなりドアが開き温子が階段の踊り場に飛び出してきた。素足だった。温子は桂馬の右手をカバンごともぎ取るように抱いた。
「ごめん、遅くなってしまった」
温子は応えず桂馬の顔を見つめた。今にも泣き出しそうな顔だった。部屋はかなり片付いていた。
「お、頑張ったな」
「ただ角に寄せてスペースを作っただけ。明日から頑張って片付けます。重い物、お願いします」
夕食の準備がしてあった。小さな座卓に小さな皿が幾つも並んでいた。
「お、豪勢だな」
「博多のお酒、“おおぜき”で見つけました、ハイこれ。引っ越し祝いパート2しましょう」
「おおぜき?」
「荻窪と反対側に行くと、同じ距離くらいかな?井の頭線の高井戸の駅があるの。その駅前のスーパー。大家さんの奥さんに教えてもらった。近くに芦花公園というのもあるそうよ。木々に囲まれた静かな公園だって。今度行きましょう」
「芦花公園。聞いた事がある。明治の文豪、徳富蘆花が住んでいた所だよね。お祖父さんがネ、酔っぱらうと蘆花の“不如帰”の話を、目を潤ませて話してた」
「どんな話?」
「相思相愛の悲恋物語らしいが覚えていない。蘆花は写真で見たことあるけど口髭生やした厳めしいおじさん。そのおじさんが書いたと云うから人間分からないよネ、冗談だけど」
「そのお話、亀さんに聞かせたの、お祖父ちゃんではなくお祖母ちゃんでしょう?」
「お祖母ちゃんはおっかない人だった。そんな優雅な話、する人ではなかった」
「夫婦って面白いわよね。全然正反対の性格のひとが多いと思わない?違う二つの性格が中和されて正常になるのかもネ」
「今晩、泊まってもいい?」
「ほんと?嬉しい。昨夜はよく眠れなかった。知らない土地に迷い込んだようで不安で。今日も亀さん来てくれないのかナと諦めてたの」
「エ?昨夜別れるとき“気”をあげたよネ、これでぐっすり眠れると云わなかった?」
「ふっふっふっ」

翌朝、台所からの物音で桂馬は目を覚ました。温子が野菜を洗っていた。水道の水の飛沫が水晶の玉のように美しく飛び散っていた。温子が振り返った。桂馬は温子の肩に両手を置いた。
「おはよう」
「おはようございます。眠れました?不思議ネ今までは亀さんの手を感じたらドキドキだったのに。今は平気。」「まるで楽しいお飯事、フフフ」
「ままごと?」

桂馬は早めに出社した。出張先での会議の案件をまとめ、仕事を片付け早めに会社を出た。
アパートのドアを開けても温子は出てこなかった。温子は姉さんかぶりのまま膝の上の本の様なものに熱心に見入っていた。
アルバムだった。
「修学旅行の写真。お友達、皆どうしてるかナって、おセンチになってました。それどころではないわよね!頑張らなくっちゃ」
解体したベッドや使うあてのない物を天袋にしまうと、かなりのスペースができた。
「あら、お買い物、忘れたわ」目覚ましを覗き込みながら温子が大仰に叫んだ。
「今日は外食にしよう」
「嬉しい。亀さんとお酒が飲める。亀さんお酒が入ると楽しいものネ」
森田が常連だった荻窪駅前の居酒屋「魚津」の暖簾を久しぶりにくぐった。「魚津」は富山の魚津漁港の魚を食べさせる店と云うのが触れ込みだった。森田に誘われて度々行ったが森田が会社を止めてからはご無沙汰だった。
話は部屋の模様をどうするかに終始した。
「まるで新婚さんネ」
「ままごとだ」
「来月から私も新しいお勤めが始まります。新婚さんなんて暢気なこと云ってられませんよね」
「アパートから荻窪駅まで遠いね、自転車は壊れたし。でも心配ご無用、従兄弟の左千夫兄が置いていった自転車がある。土曜日、会社休むから乗って来るよ」
左千夫の自転車はまだ新しかった。左千夫は年に似ず地味な性格だった。彼が好みの自転車だ。女性でも十分乗れる。大崎から荻窪まではそれ程遠くない。1時間半もあれば充分だろう。
桂馬は温子をOKストア前まで見送り別れた。温子は振り返り振り返り手を振って遠ざかった。後ろ姿に暗い陰は微塵もなかった。桂馬の胸中も澄んでいった。
土曜日までは待ち遠しかった。桂馬は自転車に乗り早めに家を出た。「あら、早いわね。こんなに早く何所へ行くの?ご飯は?」桂馬は曖昧な返事を残して不思議そうにぼんやり立っている叔母に手を振った。
地図の上では簡単のようだったが遠かった。何度か道も間違えた。予想以上に時間がかかったが、それでもアパート近くの商店街は店を開き始めている時間だった。
部屋の模様は「魚津」で計画した様には行かなかった。押し入れの半分をクロゼットにつくり、板の間に本棚を作るなど押し入れと板の間を活用して畳の部屋のスペースを大きくした。高井戸駅前の安売り雑貨店で台所用品など調度品を買った。
「わア~御殿のようだ!感激!亀さんありがとう」
夕方、布団が届いた。
「亀さんの布団よ。窮屈でしょう?同じ布団では。寝不足になると困るから」
「ぜんぜん」
「私もぜんぜんだけど。ふっふっ」温子は布団の荷造りを解きつつ含み笑いを隠しながら
「亀さんにお願いがあるんだけど。恥ずかしいから止めようかナ云っちゃうかナ」
「何だよ、云いなさい」
「それでは思い切っていいます。亀さん、おままごとしない?」
「え?飯事?小さな子供の?」
「そうです。あのね、私、来月から新しいお仕事始めるでしょう。土曜日と日曜日だけでいいの。一緒にお買い物したり、お料理作ったりお散歩したりしませんか?」
「いいよ」
「えっ、ほんとにいいの?簡単即答でいいの?」
「いいサ、瞬間的ひらめきが世の中を変える」
二人の“おままごと”は二ヶ月ほど続いた。

金曜日の早朝、叔母が台所から桂馬を呼んだ。叔父はまだ眠っている様だった。叔母はジャガイモの皮をむきながら、
「桂馬ちゃん。この頃土曜、日曜、お泊まりが多いわね。会社に泊まる筈ないよね。お友達の家?」
「そうです」
「叔父さんが心配してるのよ。何か悪いことしてないかって。それはないわよね。あなたはもういい年なんだし分別あるものね。叔母さん信じてる。それとも彼女でもできた?」
「はい、できました」
「えっ、ほんと?どんな人?まじめな人?」叔母さんは目を剥いて包丁の手を止めた。
「はい、まじめな人です。叔母さん心配しなくていいよ、普通の人だから」
「あぁ、びっくりした。とにかく今晩詳しく聞くわ。叔父さんにも話さないとね」
その日桂馬は早めに帰宅した。叔父の晩酌はほとんど終わりに近かった。叔父は酒を勧めた。普段はないことだった。
「どんな人だ?出来ないように注意しろよ」
「え、何が?」
「子供よ」叔母さんが口を挟んだ。
「ままごとだから大丈夫です」
「ままごと?」叔父と叔母が申し合わせたように桂馬の顔を凝視した。
「くっくっくっ。桂馬ちゃんは女に臆病だからネ。分かる分かる」叔母は数秒間隔で思い出し笑を続けた。桂馬は温子の事を知っているかぎり話した。温子の事はよく知っているつもりだったが、あまりにも限られていることに愕然とした。
叔父はすでに肘枕だった。
「早く結婚しろ」

二人の“おままごと”もすっかり板に付いていた。叔父の「早く結婚しろ」や、結婚する前も何処か覚めた従兄弟の左千夫の口癖「男はいつまでも子供だからナ」が日を追うごとに桂馬の心に重くのし掛かった。
その日は朝から二人の言葉が頭から離れなかった。
桂馬は洗い物をしている温子の肩に顎を乗せ、
「ねぇ、鶴しゃん」
「何?」
「そろそろ、おままごと、終わりにしない?」
「えっ!」振り返った温子の両手から水が滴り落ちた。
「そろそろ卒業して、、、大人になろう」
「、、、、、?」、、、、、「嬉しい。亀しゃん、それって、、、、、ほんと?」温子が濡れた手で桂馬にしがみついた。
「僕のお嫁さんになってください」温子は桂馬の胸に顔を埋めたまま頭を上下に振った。
「次の土曜、塩竃に行ってくる。親父とお袋に、卒業していいか談判してくる。」

桂馬には許嫁がいた。父の友人の娘で安海と云った。地方紙の記者をしていた。幼な馴染みで幼い頃から活発な子だった。
この安海に許嫁の解消の交渉をしなければならない。交渉は懇願になるだろう。惨めな姿が浮かんだ。
桂馬は許嫁の存在を温子に打ち明けなければと思いながら決断できなかった。温子を失うかも知れない危惧があったからだ。
温子はあっさりとした性格だ、相手を思って諦めると言い出すかもしれない。上野駅まで見送りに来た温子にとうとう打ち明ける事が出来なかった。
桂馬は上野駅から職場の安海に電話をした。安海は取材でいなかった。簡単な伝言を頼んだが、同僚のぞんざいな応対に不安が募った。仙台駅に着いて安海に電話した。安海は職場に帰っていた。
「おお、桂馬。聞いた、聞いた。大事な話だって?坂の下の喫茶店、フミ姉さんの法事の時会った、あそこで待ってて」相変わらずの憚らない声だった。
安海は布製のよれよれの大きなバッグを肩に現れた。バッグを隣の椅子に置き帽子をその上に置くなり
「さてと、大事なお話伺いましょうか」
「安海、取材にでも来たつもりか?そんなに性急に」桂馬は安海にどう切り出すか考え続けていた。その妙案が出ないままだった。
「そう、取材。我が塩竃の貴公子の一大事件、特ダネにしようと思って。ところで、何?私にプロポーズ?」
「いや、申し訳ないけどそうではないンだ」
「では何?恋人でもできた?」
「そう」
「へ~驚いた。臆病者の桂馬に?それで?」
「許嫁の、、、、、解消して欲しいんだ」
「え?許嫁?もしかして桂馬と私の?」
安海は腕組みをして桂馬を見据えた。安海の視線が熱かった。ここで負けたら俺はお終いだ、桂馬も安海を見据えたが視線は次第に膝に落ちて行った。
「その人私より美人?」
「同じくらい」
「どんな顔?私に似てる?」
「まあまあ、似てると云えば似てる。目は二つ、鼻が一つ、口は一つ」
安海が吹き出した。精一杯の桂馬の冗談に少し安海の心が和んだのだろうか、桂馬は少しホッとした。
「目が一つだったり、口が二つあったらお化けよ。ハッハッハ」
「桂馬はそれ程彼女が好きなのか。ウンウンよろしい。その熱意に免じて許してつかわそう」
「安海、ふざけないでよ。ほとうに許嫁解消でいいのか?」
安海は目を剥いて桂馬に顔を突き出し
「驚いたナ~。ほんとうに信じてたの許嫁?」
「え?」
「許嫁ねえ~。あれはネ。父親同士のお酒の上の冗談よ!」安海は急に真顔になり、
「これはまじめよ」
「永い間、私のことを許嫁と思ってくれてありがとう」安海は桂馬を見つめ、
「それにしても、驚いたな。小さい頃からこんなに大きくなるまで信じていたなんて。桂馬らしいよ。久しぶりで仕事のストレスがすっかり解消しました。ありがとう」
桂馬は一瞬複雑な思いに襲われたがしだいに和らいだ気が充満していった。
あとは父と母に交渉するだけだ、反対はあるまい、温子に電話しよう。大家のおばさん温子なら取り次いでくれるだろう。
「私も結婚するンだ、職場の男。いい男だよ。桂馬もいい男だけど桂馬より少し上かな。ふっふっふっ」安海の顔に女の優しが浮かんだ。

家では父と母、姉の曜子が待っていた。
母と姉が玄関にニコニコしながら出迎えた。桂馬が座卓の前に座るやいなや姉が、
「結婚するンだって?大崎の叔母さんから詳しい電話がお母さんにあったって」
「いいかどうか相談に来た」
「お前がいいなら、いいだろう」父の顔は緩んでいた。
「ホッとしたわ。半分諦めていたから」初めて見る母の柔和な笑顔だった。
「桂馬がお嫁さんを貰うとはネ」姉も嬉しそうだった。

翌朝、桂馬は目が覚めなかった。
「桂馬、電話よ。温子さんから」襖越しに母の声が聞こえた。母の声とは思えないはずんだ声だった。
「もしもし、わたし。今、上野にいるの。そちらに行ってもいい?どうしても行きたいの」
切迫したような温子の声を桂馬はただ聞くだけだった。
温子の到着は意外と早かったが昼はとうに過ぎていた。朝から食べるのを忘れていたと温子は云った。駅ビルの中で遅い昼食を食べた。
「明日、市内を案内するよ。とにかく今日は塩竃に行こう。お袋が待ってる」
「亀さんの電話聞いて、矢も楯も、だったの。許嫁の方、面白そうな人ネ、会ってみたい」
「今日はこちらに泊まって明日夕方の電車で帰ろう。僕は明日会社、休む。課長が物分かりのいい人でネ、仙台出身なんだ。事情、話したら喜んでた」
「亀さんの顔を見てすぐ帰るつもりだったの。お土産無し。荷物なし。これだけ。それでもいい?」小さなバッグとハンドバッグ片手で上げて見せた。
「ご両親にご挨拶しなければいけないよね?ドキドキ」
急激な成り行きだった。温子の胸の内は嵐だろう。そうだ、塩竃神社に行こう。塩竃の景色を見せよう。塩竃の景色は昔から日本一だ。見せたら心が少しは和むかも知れない。
塩竃の景色を見た温子の感動は桂馬の期待以上だった。手入れの行き届かない庭の草を踏み分けて歩き回り眼下の島々の名前を桂馬に尋ねた。桂馬に悪戯心が浮かんだ。裏参道の急な階段を下りよう。温子の胸の中に残った不安が吹き飛ぶかも知れない。
初夏の日は大きく傾いていた。階段は大木に包まれ仄暗かった。
「わぁ~こわい」温子が桂馬の手にしがみついた。手からバッグが落ちた。桂馬は静かに温子を抱き寄せた。見上げる温子の目はうるんでいた。見つめる桂馬の目も潤んだ。
「あつこ、、、いい?」
「はい」
二人は静かに唇を重ねた。
つづく

※次第
「能」に次第というのがある。三句からなる各役の登場歌。物語に先立ちその内容を暗示的、象徴的に述べる。その詠嘆が美しく聞くひとの胸を打つ。


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