FC2ブログ
07.30
Sat
yuhi4.jpg
奥多摩の山並みを染める残照。2015年6月23日三鷹市、JR陸橋から写す。

次第
砂内桂馬、団塊の世代。人は世を渡る煩わしさを荒波に例える。桂馬にも荒波如きがあった。その荒波が去って久しい。思うこと感ずること、何事も起伏は乏しく坦々と時は過ぎていく。その桂馬に絵はがきが届く。森の木々に包まれ神社の屋根が浮かびあがっていた。桂馬は凝視する。森の屋根は故郷の塩竃神社に変貌していく。それは優しい思い出を呼び起こした。しばしの残照だった。

前回までのあらすじ
桂馬と温子の出会いは劇的だった。女性が苦手な桂馬だったが天真爛漫、少女っぽさを残す温子に惹かれていく。議員秘書だった温子は父の意向もあり議員の肝煎りで他の会社に就職する事に決まった。通勤に便利な荻窪駅近くのアパートに引っ越す事になった。桂馬は引っ越しを手伝う。
アパートの片付けで桂馬は温子の部屋に泊まった。温子は桂馬に「ままごと」として土曜、日曜、一緒に過ごすことを提案した。「飯事」は二ヶ月ほど続いた。叔父の意見に従い桂馬は温子との結婚を決意する。父母の承諾を得るために塩竃に行く。父母や姉の快諾を得た桂馬は温子に電話する。矢も楯もなく温子は塩竃に駆けつける。夕暮れの塩竃神社の急峻な階段の上で二人は初めて唇を重ねた。

出会い十
温子の胸の鼓動はなかなか収まらなかったが、安堵感のような安らぎが拡がっていった。
この数ヶ月、二人は飯事とはいいながら、お互いを意識しながら過ごしてきた。少なくとも温子自身はそう思っていた。だが時々温子は、桂馬が温子に対して女性としての関心をそれほど見せなかったのが心に懸かることもあったのだ。
安堵感からだろうか、温子から塩竃神社の急峻な階段の恐怖が和らいでいった。桂馬は温子のバッグを左手に、右手に温子の手を取り、用心深く階段を下りた。温子は足許を見つめながら無言だった。口を開くと照れ隠しに気持ちと反対の言葉が出てきそうだったし潤んだ目を桂馬に見せたくなかった。
何時もと違う温子の気配を感じた桂馬は、温子にとんでもない事をしてしまったのではないかと後ろめたさを感じはじめていた。
いきなり温子が桂馬の手を振り払い最後の階段、二段を飛び降り、くるりと振り返り
「やった~!あ~怖かった!塩竃の神様ありがとうございました、亀しゃんありがとう」おおげさに手を合わせた。いつもの温子だ、桂馬の後ろめたさもあっけなく氷解した。
「これでお父さんやお母さんに会える自信がつきました」

家では両親と姉が待っていた。桂馬が玄関を開けるなり、待ち侘びていたのだろうか母と姉とスリッパの音を忍ばせて現れた。
桂馬は母と姉と交わす温子の挨拶に驚いた。いつもの少女っぽさが消え、いっぱしの大人に変身していたからだ。桂馬には母と姉という隔たりが厳然とあるのだ。その母と姉と対等に挨拶を交わす温子が遥かに桂馬より大人に見え距離をさえ感じた。
母は温子に、「変わり者の桂馬を気に入って頂いてありがとう」といった。
父も、「よろしく頼みますね」といった。
姉の曜子が桂馬の幼時の時の話を夢中で話した。父も母も「そうだったね」とか「そうだったの?」とか笑いながら相づちを打つだけだった。少女時代、陰気な性格だった姉がこうまで明るく賑やかに話すのがありがたかった。
桂馬の姉、曜子は祖母から引き継いだ小さな旅館「望海荘」を営んでいた。祖母から引き継いだのは母だったが、母は「私は陰気な性格だから接客業には向かない」と早々姉に引き継いだ。温子はその望海荘に泊まる事になった。
「向こうにお食事が用意してあります。父と母は照れくさいンでしょう、皆で楽しくだって」
父も母もニコニコ顔で玄関まで見送った。

姉は桂馬と温子の顔を代わる代わる見ながら望海荘に着くまで話し続けた。
「気が付いたと思うけど、母はあまり社交的な人ではないの、昔からよ。でもネ、冷静に人を見て、ここぞと思うとき助けてくれる人よ。私は母に私の人生をつくってもらったの。大袈裟だと思うでしょう?これでも人には言えない苦しみ悲しみ、もがいたことがあったの。本当の事よ。私は母の一部分と思ってる」
少女の頃まったくの陰気で寡黙だった姉とは思えなかった。
望海荘では安海と姉の夫、辰之が待っていた。二人とも顔が赤かった。
「あら、安海さんいらっしゃい。久しぶりね」姉は安海が来ているとが意外だったようだった。
「ハイ、勝手にお酒、頂いてます。珍客がお見えになると編集長からお聞きしたもんで押し掛けました」辰之は地方紙の編集長、安海は新入り記者だった。砂内家と安海の家は親戚付き合いだった。
「おいおい、編集長は止せよ、社の中だけにしろ」辰之は安海を制して温子に向き直り、
「曜子から聞いております、よろしく」両膝を立て不器用にお辞儀した。曜子は桂馬と温子を並ばせて座らせ、
「紹介します。五代温子さんです。近い将来、砂内家の家族になります」
「わぁ~すっごい美人。桂馬、全然違うじゃあない。昨日、私に少しは似ているといったけど、全然違う。私はスッポンだわ。月とスッポン」安海が大仰に驚いて見せた。酔っているのだろうがいつもの安海らしかった。みんな無遠慮に笑った。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」温子は深々と頭を下げた。何の準備もなしに桂馬の電話に居たたまれなくて飛び出して来たのが恥ずかしく、重荷になっていた。桂馬の父母や周りの人の好意が重荷を下ろしてくれた。
「結婚式やその外色々、計画したら私に知らせて。こちらの事は私にって。お父さんとお母さんに任されました。出来るだけ早い内に温子さんのご両親にご挨拶に行きたいそうよ。桂馬と一緒に。温子さん、ご両親のご都合お伺いしてね」桂馬は姉が頼もしかった。こうした人の生活の上の細かい事は、やはり女性が一枚も二枚も上だと桂馬はつくづく思った。姉は辰之に向き直り
「わたしも行きたいナ、太宰府の天満宮も見たいし、いい?」
「どうぞどうぞ」
「ほんと?でもね、旦那様一人にして旅に出かけるなんて気が引けるし、あなたは、どうぞ、どうぞと口ではおっしゃるけど本当は嫌でしょう?」姉は笑いながら夫の顔を覗き込んだ。
「とんでもない、それはお前がそう思い込んでるだけだよ。オレだってたまには心置きなく一人のんびりしたいサ」
「うん、うん、なるほど、なるほど、納得、納得。近々結婚する我が身に、おおいに参考になりました」安海が頭を上下に振りながら呟いた。みんなが笑った。座はいっぺんに和んだ。安海も結婚が決まっていた。相手は先輩記者だった。
「ところで桂馬、どうしてと云うか、どういう陰謀でこの美人をチョロまかしたの?白状して頂きましょうか」座は安海の独壇場に向かう気配だった。
「チョロマカシは酷いよ。昨日話しただろう。あれですべてだ」
「いいえ、その話しは全くありません。ただただひたすら許嫁解消の懇願だけでした」
「ええっ?」辰之と姉が口をそろえた。
「そうなのよ。小さい頃、私の父と桂馬のお父さん、仲良しだったでしょう。父が遠洋漁業から帰ると決まって大酒飲んで、オイ婿殿とか嫁さんとか、からかったでしょう。桂馬は昨日まで許嫁だと信じていたンだよネ」安海が悪戯っぽい目で桂馬を見た。
「その話しの切っ掛けになった話しがあるンです。ご披露しましょう」
安海の話を桂馬は母からも父からも聞いたことはなかったが奥底の記憶の断片が甦った。
 桂馬が5,6才、安海は2,3才、の頃の話だった。二人は何時も一緒に遊んだ。ある初秋、二人は日が暮れても帰って来なかった。近所の人達も交えて大騒ぎで探した。
桂馬がしくしく泣く安海の手を引き「泣くな、泣くなと」とベソを掻きながら帰るところを安海の祖母が見付けた。二人は空の五右衛門の中で眠りこけていたのだ。
五右衛門風呂は安海の父が遠洋帰りの楽しみに作った露天風呂だった。自宅からやや離れた海の見下ろせる小高いところにあって子供たちの格好の遊び場だった。
その時、安海の父は航海中だった。帰ってかから聞かされた。安海の父は子煩悩だった。よほどの事に思ったのだろう、それ以来桂馬は“婿殿”になったのだった。
「面白いお話、桂馬さんの一面を見た様な気がします」桂馬の朴訥とも思える性格は生まれ付きの性格もあるだろうが、幼い時のこうした“事件”も影響しているのだろう。幼時、これと云った思い出のない温子には羨ましかった。
「桂馬は恥ずかしがり屋だから白状は難しい。ねえ、温子さん、どんな手で桂馬は貴女を射落としたの?この桂馬にしては謎なのよ、興味あるわ、話してくださる?」
「おい、安海、止せよ。じゃあ、白状するよ。オレが崖から飛び降りたンだ」
「いいえ私です」温子には何の抵抗もなかった。座の雰囲気がそうさせたのだろう。胸の中にしまって置いた大切な物を取り出すように、だったが惜しげはなかった。
あの時の中央線の情景が、音と色までが付いて甦った。
桂馬はガラ空きの中央線の中で眠っていた。桂馬の手から本が落ちた。聖書だった。聖書は分厚く黒い表紙だった。「聖書」と書いた金文字が不思議な力で温子の目を射た。
温子は桂馬の袖をつまみ上げ聖書を抱かせたが桂馬は目を覚まさなかった。桂馬の異様な姿が温子の興味を引いた。スーツにネクタイの地味た、キチンとした姿だったが、長い髪を女性の入浴用のキャップに押し込んでいた。
「その長い髪、安らかな寝顔、貴方はまさかキリスト様ではないわよねフフフ」温子の興味が思いも寄らない行動に向かわせた。この異様な雰囲気の男の正体の片鱗でも知りたいと思ったのだ。新宿で下りた桂馬の跡を付けた。桂馬の姿は西部新宿駅前のショットバー「西部」の中に消えた。温子も続いた。外に客はいなかった。桂馬は温子に無関心だった。
その後、二人は高尾山で再び巡り合った。
「心臓が止まるかと思うほどびっくりしました。まさか広い東京で又会うなんて。消えてしまいたいほど恥ずかしかったンです」
「わ~驚いた。人は見かけによらないものね。この私にだって出来ないナ」安海は大仰に驚いて見せた。
今まで黙って聞いていた辰之が興に乗ったのか、
「いや、そうではない。桂馬君と温子さんは結ばれる運命にあったンだよ。二人の中から人には見えない、感じられもしない或る物が放射されて二人を結び付けたンだ。そのために、その人にはあり得ない様に見える行動をするンだ。ウンそうだ」
「だったら私が彼にとった行動も、彼がプロポーズしたのも同じよね。安心した」
「いや、それは違う。君があまりにも、しつこいから彼が観念したンだ」
「それは、酷いよ。私、泣きますよ」
「お前の泣き顔が見たいもんだネ」
みんなの爆笑のうちに時計の針は12時を遥かに回っていた。

次の朝、桂馬は篠竹の竿を担いで姉の玄関をくぐった。
「あら、桂馬、どうしたの?その格好」
「彼女とザリガニ釣りしようかと思って」
「え?子供みたい。ま、上がって。お茶でも飲んで。温子さん、まだお休みよ。だいぶお疲れのようよ。昨夜も遅かったし、朝ご飯は?」
「ほしくない」
姉が台所に立った。
「おはようございます」温子がすっかり着替えを済まして出てきた。
「よく眠れた?」温子は磊落な性格だが神経の細やかな所もあるのだ。予想外に桂馬の身内に会って緊張がほぐれないままだったかも知れない。
「はい。よく眠れました。昨夜は楽しかったわ。皆さんのお話ですっかりほぐれて、ぐっすり眠れました」
台所から姉がお盆を持って出てきた。立ったまま
「あら、温子さん、もっとお休みになればいいのに。あら、いやだ、おはよう、が先よネ」
「お茶を飲みましょう。それからと、これ、おにぎり。朝ご飯たべている暇はないわよね、桂馬。ザリガニ釣りながら仲良く食べて。大漁だといいわね」
「ザリガニですか?」温子が怪訝そうか顔で桂馬を見た。
「思い出したのよ。台所しながら。フミ姉さんがザリガニ釣りに桂馬を誘いに来たわよね。竿を担いで玄関のまえに立ってた。めったに笑わない母がニコニコして、大漁だといいわねって。お母さんと同じ事云っちゃった。懐かしいわ」
「姉さん、ザリガニ釣りなんてつまらないって捨て台詞残して学校に行ったナ」
「あの頃は複雑だったのよ。でも本当は羨ましかったのだと思う」
「あ、そうそう。その余所行きの態ではザリガニさんが敬遠するわよ。私の仕事着、着て行って」
温子は後先も考えず衝動的に塩竃まで来たのだった。着替えなど無かった。
姉は二人の帽子、敷物も用意してくれた。

小川は昔のままだった。田んぼの水が流れ込むのだろう薄く枯れ草色に濁っていた。向こう側に砂が堆積して溝ソバがこんもりと茂っているのも昔のままだった。
昔の光景が甦った。フミとザリガニ釣りをした思い出だった。
「桂馬ちゃん、見てご覧、向こうの草、ピンク色の花が咲いているでしょう」フミが竿を向けた先に溝ソバが咲いていた。
「きれいだけど小さなトゲが沢山ついてるの。触ると痛いよ。あの草とそっくりの草があるの。あそこの藪の中に咲いているよ。“継子の尻ぬぐい”っていう名前だよ」
「ひどいよネ、小さな子供のお尻をあの草で拭くンだって。泣き声が聞こえる、怖いよネ」フミが両手で耳を塞いだで見せた。
「桂馬ちゃん、継子って知ってる?おねえちゃんも、よくは分からないけど、でも子供は誰でもどんな事情があっても関係なく可愛いよネ、継子は関係ないよネ」
幼い桂馬に継子いじめなど理解出来る訳がないが「継子の尻ぬぐい」の印象は強烈だった。フミの「継子いじめ」の話はフミのその後の衝撃的な生活の変化を自身で予言したのだと後に桂馬は思った。
「そろそろ始めるか」桂馬が温子に竿をわたした。
道糸は太めの木綿糸だった。先端に釘が結わえ付けてあった。
「あれ?釣り針ではないの?エサはどこに付けるの?」
「いや、今日は、太公望にしよう」
「えっ?太公望?もしかしてあの大昔の中国の?」
「君にフミ姉ちゃんの話を聞いて欲しかったンだ」
桂馬は姉、曜子との遣り取りでフミの名が出ると、僅かだが変わった反応をした。万事反応の薄い桂馬だ、よほど特別な人なのだろう。
桂馬は釣り糸を馴れた手つきで向こうに投げ込んだ。温子も真似て投げ込んだ。桂馬は、しばらく竿の先を見つめていた。
「フミねえちゃんは、ほんとに可哀想な人だった。本人は、私はほんとに幸せだったと云ってたけど。でも、ほんとに可哀想な人だった。母も姉もそう云ってるンだ」

フミは古川の農家の娘だった。祖父の代は小作人だった。父もわずかな田畑を耕し他所の農家の手伝いや頼まれれば農家以外の仕事をして細々と暮らしていた。
フミは中学を卒業するとすぐに桂馬の祖母が経営する小さな旅館にお手伝いさんとして来た。幼顔が残る目元の涼しい子だった。お手伝いのフミには友達も出来なかった。
フミは桂馬を可愛がった。母はフミを、今時こんな素直で自分の境涯も気にせず明るい子はいないと褒めそやした。
旅館の前を嬌声を上げて通る同年配の女の子にも気軽にお辞儀した。羨ましそうな素振りは微塵もなかった。母はしきりに、羨ましいだろうに可哀想にと云った。
フミがまだ二十歳前の秋、祖母がフミの縁談を持って来た。相手は祖母の遠縁で、仙台で運送業を営み裕福だった。後妻だった。嫁ぎ先には先妻の子がいた。
「フミちゃん、あなたは、まだまだ若いのよ。あなたのお父さんやお母さん、紹介した私の義母の事は気にせず、よくよく考えて。決めてしまったら後戻り出来ないのよ」母は必死にフミを説得した。
「父や母が、よかった、ありがとうと云ってくれました。それが何より嬉しいです」とフミは答えた。
「今時、若すぎます。それも後妻で」母呟きは涙声だった。
フミは先妻の子とその後生まれた自分の子を分け隔て無く育てた。
フミが四十才過ぎた頃、難病の「筋萎縮症」に罹った。そう永くは保たないと母が知らせてきた。
「桂馬ちゃん、何か苦しいことがあるの」フミは力のない目でも桂馬の苦しみを見抜いた。
「いいわね。苦しみも悲しみも人の幸せの一つの形なのよ。今の私には何も無いけど、苦しみも悲しみも山ほどだった。今一つ一つ噛みしめているの」フミは、フミの父や母が喜んだのが嬉しいと後妻に入った。そのことを信じていた桂馬にはフミの言葉が衝撃だった。苦しみ悲しみ、心の葛藤をこうして処理して生きてきたのだろうと居たたまれなかった。

「僕は君との結婚を誰よりも先ずフミ姉ちゃんに喜んで貰いたかった。」
桂馬の頬に涙が伝わった。幾筋も。温子は桂馬の涙を見つめた。
「初めて君を八王子で見たとき、フミ姉ちゃんだと思ったンだ」
温子がハンカチを差し出した。桂馬は温子の手をハンカチごと鷲づかみにした。
「フミ、、、、、、、」
つづく
comment 0
back-to-top