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09.10
Sat
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清泉寮 2016年8月12日 写す以下同じ

遠来の客の要望で山梨県、八ヶ岳麓のキープ牧場に行った。標高1300M余りの高原は爽やかで涼しかった。長野県小淵沢が始発のJR小海線、清里駅に近い。日本一高いところにある名物駅も近い。車で行っても雄大な裾野を引く八ヶ岳の景色が堪能できる。牧場はキリスト教関係の施設、清泉寮の付属牧場だそうだ。清泉寮は一般の人も宿泊できる様だ。目の前に広大な牧場、心が晴れ渡る。牛は全て、赤毛のジャージ種。牛乳は濃厚、この牛乳でつくったアイスクリームが絶品。このアイスクリームだけを目当てに訪れる人も多いとか。牧場の縁伝いの遊歩道を歩いた。十数年前は珍しい花があったように思ったが今回は見つからなかった。

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シシウド セリ科

キープ牧場は高原、ようやく高原の花に出会った。まるで花火のよう。背丈2メーター以上もあるてっぺんに豪華に咲いていた。野菜のニンジンの花にそっくり。セリ科の花は似たようなものが多い。シシウドの茎の中は中空。山の水場で水汲みの樋にしているのをよく見かける。

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イケマ ガガイモ科

春の若芽が美味しい。よく似たものにガガイモがある。同じものだと思って食べていた。ガガイモは住宅地周辺の畑のヘリでも見つかるがイケマは少し山際に行かないと見つからない。太い根は猛毒だそうだ。猛毒の根から出た芽が食べられるのだから不思議。初めて食べたのは誰だろう。人間、食には悪魔的だ。イケマはアイヌ語で「神の足」、輪切りにして魔よけのネックレスにしたそうだ。

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リョウブ リョウブ科

漢字で令法。何やらいわくありげな名だがその由来は分からない。昔から若葉を茹でて飯に混ぜたものをリョウブ飯と云って珍重したというが食べたことはない。米が乏しかった頃、増量のために混ぜたんだ、不味いよ、口の悪い友人が云っていたのを思い出す。穂の様に群がって咲く小さな純白の花は清楚できれいだ。お茶花にすると聞いたことがある。

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コオニユリ ユリ科

コオニユリは小鬼百合。オニユリの小型と云うことらしい。植物の名はなるほどと感服するものもあれば反発を感じるものもある。オニユリの名は後者の最たるものだ。花は燃え立つように辺りを圧して美しい。鮮やかなミカン色に黒い斑点があるのを鬼に見立てたというが、納得できない。コオニユリは小ぶりと云うだけでオニユリと見分けがつかない。オニユリにはよく見ると葉の付け根にムカゴが付いている。びっしり付いた黒いムカゴは鬼の牙のようで少し気味が悪いが。花は豪華に美しいが、実を結ばないそうだ。それ故ムカゴを結んで子孫を増やす。賢い花だと思う。対してそっくりさんのコオニユリはしっかり実を結ぶ。気味わるいムカゴは要らないわけだ。

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ボタンズル キンポウゲ科
ボタンの名は付いても妖艶に、豪華に咲くわけではない。葉が似ているから。ツルは木や草に覆いかぶさり小さな白い花を一面に咲かせる。オヤ、何だろう?と思わせる。島根県では茶葛と呼び葉を茶に、鹿児島では猫ナブリと呼ぶという。猫がじゃれ付くと云うのだろうか。
つる草の美称を“玉鬘”と云うそうだ。
つる草には美しい花を咲かせるものが多い。例えばテッセンなどクレマチスの類、朝顔やカボチャなど瓜類。これらはほとんど外来種や園芸種。やはり“玉鬘”の美称には純白の清楚な花、ボタンズルがうってつけだ。能「玉鬘」の主人公のイメージ。

玉鬘は源氏物語の中でも取り分け優しく、可哀そうな女性、夕顔上の娘。夕顔と頭中将との間の子。夕顔は「箒木の巻」の『雨夜の品定め』で頭中将が語った内気な優しい女性。頭中将の正妻の迫害を恐れて隠れ住んでいた。夕顔はこの隠れ家で源氏と邂逅する。源氏に連れ出された先の「何某の院」で生霊に襲われ非業の最期を遂げる。玉鬘3歳、母の失踪から終生、母への追慕は止まなかった。
玉鬘の乳母は手を尽くし夕顔を探すが行方は分からない。止む無く乳母は夫の任地、筑紫に玉鬘を伴う。この地で玉鬘は美しく成長する。土地の豪族に強引に求婚されて恐怖を募らせ、玄界灘、響灘を突破、決死の逃避行の末、都に辿り着く。玉鬘の行く末祈願に初瀬の観音に詣でこの初瀬で夕顔の侍女、右近に邂逅する。玉鬘は源氏の邸に迎え入れられる。
美貌の玉鬘は蛍兵部卿、夕霧、姉とも知らない柏木、黒髭の大将、源氏自身からも求愛される。困惑はあったが大きな恋の波乱はなく黒髭大将の妻となった。

玉葛2・修102
能「玉葛」 九十九髪(つくもがみ)狂乱の舞を舞う玉葛

能「玉鬘」は源氏物語、玉鬘の巻に依った作品。
前場、シテ玉鬘は水竿を持って現れ「程もなき、舟の泊や初瀬川、上りかねたる岩間かな」
と謡う。若い女の身で初瀬川の激流を遡って来たのだ。激流は筑紫を脱出する途次遭遇した恐怖の響灘の難所を暗示しているのだろうか。
続いて長谷寺周辺の景色を謡う。不安定な玉鬘の心境を下敷きにした情景描写が美しい。クセでは響きの灘の恐怖と玉鬘の母、夕顔の侍女だった右近と邂逅した感激が語られる。アイ狂言の語りでは筑紫からの脱出行と右近との邂逅だけが語られ、その後の玉鬘を取り巻く恋は語られない。
後場では狂乱の姿で現れ「恋わたる、身はそれならで玉鬘」と謡い、更に「九十九髪」と心の乱れを吐露、狂乱の舞「カケリ」を舞う。続くキリも狂乱を極めて舞い成仏の句はあるものの極めて短い句で留める。
この能は主題が不明確で何故の狂乱か曖昧だというのが定評のようだ。
源氏物語は当時の人達に膾炙された物語だった。観客は己の中に物語を呼び起こし、玉鬘の心の中を読み涙したのかもしれない。母に去られた幼い日々、激動の成人の日々、右近との劇的邂逅、多感な年頃の玉鬘の心の乱れだけに焦点を当てた作品だろうか。
この能は愛好者が多い。これと断定せず源氏物語、玉鬘の巻を下敷きに、朧に描いて想像を掻き立てる、この曲の魅力でもあろうか。人には様々な思い出がある。その思い出を重ねて見るのかも知れない。
能「玉鬘」の詳しい解説はこちら


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