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11.05
Sat
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人々の暮らしの営みの上に映える残照。
東京都三鷹市、太宰治も愛したという三鷹操車場に架かる陸橋から。2016年10月15日写す。

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能楽に「次第」というのがあるという。七五調基準の3句からなり情緒ある節で謡われる。
物語を要約的、暗示的、象徴的に語るという。いわゆる「ブロローグ」の類いだが次第は遥かな昔、中世の日本人が作った。

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砂内桂馬。団塊の世代。世にあった時は去って遥か。今は無為の時を過ごす。感動も感傷も衰えてしまった。だが時折、風の音、木々の揺らぎなどの自然現象や人の笑い声、怒声などに桂馬の心は反応して徐々に膨らみ思い出につながっていく。
鳥が梅の木の枝にとまった。枝が揺れる。桂馬はガラス窓越しに鳥を見つめる。遠くから耳鳴りのように人の声が聞こえる。「尾長だよ」聞き覚えのある声だった。声の主の後ろに隠れるようにお下げ髪の少女のような風貌を残す女性が桂馬を凝視している、、、桂馬の思い出が広がって行く。
それは残照だった。しばらく華やかに輝き静かに消えて行く。

前回までのあらすじ
桂馬は北国の塩釜で生まれ育った。桂馬は幼い時から女性に対する警戒感を持っていた。母に教えられたのだと桂馬は思っている。桂馬に姉がいる。桂馬の祖母が桂馬の母に、訳は聞かずに育ててほしいと連れて来た。母は姉の出自を詮索し悩んだ様だった。一年後、祖母は姉の出生を母に話そうとしただ母は断った。理由は分からない。悩んだ末の決断だったのだろう。姉が母の子ではないことを桂馬は薄々感じていた。姉の煩悶が伝わったからだ。だが桂馬は母に聞くことはなかった。母は姉を桂馬よりも気を使って育てた。桂馬はその母の姿を見て育った。桂馬の性格は親子の血もあろうが、母の姿から作り上げたものが少なからずあると桂馬は思っている。桂馬は東京の大学を出、就職した。
桂馬と五代温子の出会いは劇的だった。桂馬と性格の全く違う磊落な温子に桂馬は惹かれて行く。「ままごと」と称して土、日曜を温子の部屋で過ごすことになったのも温子の提案だった。男の下半身は理性とは関係ないのだ、何時獣になるか分からないと桂馬は温子に冗談まじりに云った。桂馬の性格を知っている温子は、いつ獣になるの?とからかった。桂馬は勿体ないから今は止めて置くと云った。ある夜、他愛ない切っ掛けから桂馬が獣になった。温子は必死に抵抗した。温子の涙を見て桂馬は我に返った。落ち込む桂馬に、心の準備もなかったし、抵抗するのは女の本能、嫌だからではないと桂馬を慰めた。
 叔父の忠告もあり桂馬は温子と結婚することを決意する。温子の両親の許しを貰うため温子の故郷、大宰府へ向かう。桂馬の両親と姉も挨拶にと大宰府に行くことになった。

残照
初めて乗る新幹線は魔法の列車だった。京都を三時過ぎに出発して九時前にはもう博多駅に着いた。車窓から見る景色は仙台へ向かう列車の景色とは違っていた。もの珍しがり屋の桂馬を楽しませたが時々不安が頭を持ち上げた。「温子さんをください。それだけでいいのよ」、温子は云うが、桂馬は混乱した。桂馬の神経の細さを温子は思いやってか、いつもよりも饒舌だった。
「二回目に亀しゃんと高尾で会ったとき、魂が空の彼方に飛んで行ったナ、でもあれは神様のお引き合わせよネ」
「二回目ではないよ、初めてだろう?どうして驚いたの?」
「いいえ二回目です。この間、告白したわよ。一回目は中央線の中。亀しゃん眠りコケて持ってた聖書落として、私が拾ってあげたのよ。亀しゃん、薄目を開けてコクッと頭を動かしただけ、変なクリスチャンと思った」
「え?聖書?そうだった?あの頃は何でも興味があったからナ」
「今も、でしょう?あの時の格好忘れられないナ。ちゃんとしたスーツにネクタイ、黒の靴、それだけだったらどう見ても真面目なサラリーマン。ところが女の入浴用の網キャップに長い髪を押し込んでた。それが私の好奇心を刺激したのよネ。正体を突き止めてやろうと新宿で降りた亀しゃんの後をつけたのよ。スリル、満点だったナ。どうしてあんな冒険をしたのか永遠の謎と思ったけど、今にして思えば神様が二人を結びつけたのよネ。アーラッキー」
「ところで森田さん、会社で一緒だったそうだけど親しいお付き合いだったのよネ」
「そう。会社は官公庁の仕事もしていてね、森田さん営業だったから監査の時、準備を手伝ったんだ。仕事帰りに吉祥寺のハーモニカ横丁で飲んだり、三鷹駅南口のオココ屋で飲んだり」
「オココ屋?それって何?」
「三河屋っていう酒屋の立ち飲み。向かいに惣菜屋があってね、その店で漬物を買って、酒屋のサバの缶詰が肴だった。タクアンなどの漬物を江戸言葉でオココって呼ぶんだ。三河屋がオココ屋になったわけだ。森田さんは生粋の江戸っ子なんだよ。オココ屋って命名なんざ~江戸っ子の粋なんだぜイ」
「フッフッフ。亀しゃんも江戸っ子になったの?ところで高尾で会った時、喪服を着てたわよね。会社の人の一周忌だとか云ってた」
「そう。よく覚えてるね。森田さんもよく知っている卜部っていう人の一周忌。彼は飛びっきりの腕を持った職人だった。何事にも積極的でネ、仏教に興味を持って、通信教育で僧籍をものにしたンだ。八王子の自宅を勧善院と名づけてお寺にした。修験道にも興味を持って不動明王を勧請してネ、開眼式に呼ばれこともあった。僕の尊敬する人の一人だよ。彼を見て、人生とは何だろう、僕は一体何を考え勉強してきたのだろう。僕の大学は職業訓練所だったのかとつくづく思った」

桂馬の不安が和らいだと安心したのだろう、車窓の景色が暮れて行くにつれて温子は桂馬の肩に寄り添い、寝てしまった。桂馬の不安はまた徐々に膨らんでいった。

羽田からの飛行機便だった両親と姉は駅前のホテルにすでに着いていた。
「塩釜の寿司は日本一だと思っていたが、福岡空港で食べた福岡の寿司も負けず劣らず美味かった。東西両横綱だ」塩釜の地魚に馴れていた父は有明海や玄界灘の魚介が珍しくて美味かったと云った。姉が旅行カバンの中のものを丁寧に出しながら、
「お父さんがネ、桂馬にも食べさせたいナっていうから、二人前買ってきたの。食べて」
二人は車中のお喋りで、夕食も食べそこねていた。空腹にはいっそう美味しかった。
「明日、両親と相談して頃合いを見計らってお迎えに参ります。桂馬さんは家に泊まって下さればいいんですけど。恥ずかしいでしょう?」桂馬の性格を家族は熟知なのだ、三人顔を見合わせてニヤリと笑い姉が、
「桂馬、久し振りでお父さんとベッドを並べるのが楽しみよネ?」

翌朝、家族四人はホテルの朝食のテーブルを囲んだ。姉曜子が嫁ぎ、桂馬が東京に出てから家族四人だけで食卓を囲むことはなかったのだ。父も母も姉もこの時を噛み締めているに違いない。これだけでも充分だ、博多までやってきた甲斐がある。桂馬は突き上げて来る思いを飲み込んだ。
食事を終えたのは十時前だった。話題も尽き、所在がなかった。温子が何時もの目ざとさで桂馬たちを見つけて手を振りながら近寄ってきた。
「天神さんにご案内したいと思います。お昼ごろまで天神さんにお参りして、近くの行きつけのお店で私の両親に会って頂きますが如何でしょうか?」
「嬉しいわ。天神様にお参りするの楽しみにしてた、温子さんありがとう」姉の曜子の目が輝いた。

塩釜神社よりは大きい神社だろうとは想像していたが、門前の賑わいに驚いた。
土産物の店が軒を連ね、塩釜神社にはない賑わいだった。塩釜神社は陸奥國一の宮だが静かな佇まいだ。店も買い物客も静かだ。九州の人と東北の人達の気質の違いを見るようだった。
「すみません、少し待ててください。あのお店のおかみさんとお友達なんです。桂馬さんを自慢してきます」呆気に取られている桂馬の父母と姉を参道の真ん中に置いて、温子は目を剥く桂馬の手を引いて店に向かった。
店先からおかみさんの賑やかな笑い声が聞こえて来た。桂馬の父母や姉にとっては珍しく意外な光景だったが、辺りの賑わいに溶け込み自然にさえ見えた。
塩釜の周りの人には見ない磊落な屈託のない明るい温子の姿を始めて見て三人は安堵の色を見せた。
「お参りしましょう」温子が指さす参道の奥に大鳥居が見えた。
珍しくも、しおらしく両手を合わせていた桂馬が両親と姉に、
「悪いが此処で、三人で見物していてくれないか、やはり彼女の両親に挨拶して来る」
「ああ、その方がいい。こちらは心配いらないよ。色々のお宮をお参りしていれば二、三時間はかかるだろう、行っておいで。温子さん頼みます」父の言葉に優しさがこもっていた。温子は迷ったが、思いつめたような桂馬を見て桂馬に従った。温子は地図を曜子に示しながら、
「それではお言葉に甘えて。このお店が私の両親にお会いして頂くお店です。二時間以内にはきっとこちらに行きます」

温子の実家は大宰府最寄りの駅の一つ二つほど手前駅の駅裏だった。隣はクスノ木の大木が数本茂った広々とした公園、反対隣は電車の保線資材の置き場だった。広い敷地に枕木や古い線路、砂利などがうず高く積まれていた。後援も資材置き場も、温子の家との境界の垣根らしきものはなかった。晴れ渡った空の彼方に、遠く山並みが霞んでいた。解放感溢れた所で温子は育ったのだと桂馬は思った。
突然の二人の出現に両親は慌てた様だった。通された部屋の床の間に老夫婦が落ち葉を掃いている「高砂」の掛け軸が掛かっていた。正月やお祝い事に、あちこちでよく見る掛け軸だったが桂馬には新鮮に見えた。自分たちのために掛けたのだろう。
お茶を運んできた温子の母が、掛け軸を凝視する桂馬に、
「お父さんがね、どこからか借りて来たんです。何時もは天神さんの宮司さんの書ですけどね」
温子の父が着物を改めて桂馬の前に座った。温子の母がお茶を勧め、
「気の利いたお菓子も用意できませんでしたがどうぞお一つ」温子が緊張の面持ちの桂馬の横に座った。空気が垂直に逆立った。桂馬は深々と頭を下げたが言葉が出なかった。空気はますます張り詰め、時間が凝縮した。
「桂馬さん、よろしく頼みます」温子の父は頭を下げた。
「そうだ、ご両親が店に着く前に行って、いろいろ相談しなくては。お前達は後からゆっくり来なさい、桂馬さんを案内して」そそくさと出て行った。
「お父さん」温子の呼び掛けに振り返った温子の父の顔には緊張が残っていた。
「桂馬さん、ごめんなさい。長い間、一緒に暮らしているとお父さんのこと、何でも分かるんです。実直な桂馬さんを信頼しているのです。桂馬さん温子をよろしく頼みます、お父さんの体がそう云ってました。不束な娘をよろしくお願いします」
「フッフッ、前から思ってたけど、お父さんと桂馬さん、そっくり。照れ屋さん。照れくさくて居たたまれなかったのよ」
酒の席では気質の東西は無かった。さほど口にしない酒だったが女性軍も和んだ。桂馬だけが酔えなかった。

翌日、桂馬の父は福岡空港へ、母と姉は鹿児島行の列車に乗った。温子はもう一日と懇願する母を説き伏せ、昼過ぎの新幹線を予約した。緊張続きの桂馬が心配だったのだ。
桂馬は車窓から海を見るのが好きらしかった。福岡から門司までは左側が海だが海が見えるのは僅か、門司を過ぎ本州に入ると右側が海だ。福岡の工業地帯、関門トンネル、瀬戸内海のうみ、刻々と変わる景色に時々桂馬は「うん、うん」とうなずいた。温子は桂馬に声を掛けなかった。桂馬の緊張を沿線の景色が徐々に吸い取っていくように思えたからだ。
「鶴さん、どうしたの?いやに大人しいじゃないか。もうすぐ尾道。懐かしいな」
「えっ、懐かしい?来たことあるの?」
「いや、ない。林芙美子が住んでた町だから。僕は林芙美子が好きなんだ。赤貧の中、仲間の男などに媚びを売ってまで“放浪記”を書いたそうだ。昨日話した卜部さんを思い出すよ」桂馬は目的のためには、どんな犠牲も厭わず我武者羅に突き進む人が好きなのだ。自分には出来ないから、憧れなんだと桂馬は云った。
温子は桂馬が元の桂馬を取り戻したようで嬉しかった。
「それではこれからの予定を発表します。え~新横浜で下車します。横須賀線に乗り換え鎌倉に行きます」
「エ、鎌倉?何しに?僕は早く帰って寝たいよ」
「いいえ、我儘は許されません。亀しゃんの慰労会をいたします。会場は駅からタクシーで五分。フレンチレストランです。今夜は駅前のホテルに宿泊いたします。いずれも予約済みです」
「え、フランス料理?洋食は苦手だナ~。ナイフとフォーク、面倒だし。どうしてフランス?」
「この度は記念すべき日々でした。それにふさわしいお祝いを、相応しい場所で二人きりで致します。フッフッフ。実を云うとネ、前から好きな人が出来たら連れて来ようと、たくらんでた所なの。奥さんに、お友達とのお食事会に連れてきて頂いたレストラン。素敵なお店よ。」
「奥さんって、鶴さんが秘書してた議員の奥さん?」「そうで~す」

レストランはその昔、名のある政治家か財界人の別荘だったのだろう。車寄せのある玄関、広い洋風の庭がきれいなレストランだった。
「日本人だから日本人らしく食べればいいのよ。無理に、下手にナイフ、フォークを使って食べても折角の料理の味が半減よネ」温子が箸を注文した。ウエイトレスは愛想よく、心得顔だった。
異国風の雰囲気に、桂馬は少し気おくれした。ビールの味までが違っていた。通りがかりのウエイトレスに「ドイツのビール?」と聞いた。「いいえ、日本ビールのエビスビールです」ウエイトレスが微笑んだ。
ワインを注文した。飲み馴れないワインも秘酒の味わいだった。温子も飲んだ。温子の笑顔が花に咲いた。
その夜、ふたりは結ばれた。
桂馬は眠れなかった。明けやらない材木座海岸を一人で歩いた。動く物の気配のない海岸は波の音までも沈黙気味だった。沖の釣り船はまだ火を灯していた。桂馬は頭の中を空にしようと努めた。無駄だった。桂馬は腰を下ろし周りに身を任せた。
人の気配が始まり桂馬は腰を上げた。
温子はまだ眠っていた。桂馬の気配に弾かれたように半身を起こした温子は
「あら亀しゃん、お早うございます。歯を磨いて来ます」温子が洗面所に立った。
温子が跳ね上げた布団の下のシーツを桂馬は見た。シーツの一点を凝視した。
理解するまでの時間が永かった。桂馬は魚のつかみ取りの如くにシーツを剥がし元どうりに布団を掛け、階段を駆け下りた。
眼鏡をかけた中年のフロントは無造作にシーツを広げ、汚れをしげしげと見て「エー、そうですね。洗濯代としまして千七百円いただきます」
温子は全く気が付かなかったようだった。桂馬は胸を撫でおろした。

次の日曜日、桂馬は温子を新宿の伊勢丹に誘った。紅白の大福を、塩釜の母、姉の曜子、大宰府の温子の母、森田宛に「私たちは結婚します」とメモを添えて送った。
「どうして大福?どんな意味があるの?それに身内に婚約の報告?変ね」
「ほんとは紅白の餅がいいンだけど。大福で代用。どんな意味?いいンだ。色々想像してもらう。楽しみだナ」
桂馬が餅を送ることを思いついたのは、森田から聞いた話を思い出したからだ。鎌倉での事は桂馬にとって人生の一大事だったのだ。この事を心の中に、記念の玉にして置きたいと、恥ずかしがり屋の桂馬が考えに考え、辿り着いた納得いく妙案だった。桂馬の悪戯心もあった。

森田が桂馬に語った源氏物語の話はこうだった。
「葵の巻」で、源氏は幼い時から育てて来た紫の上と、時に添い寝して過ごしていた。紫の上が成長の兆しを見せた或る夜、源氏は紫の上を無理に奪った。その後、紫の上は源氏に無言の抗議を続けた。幼さの残る紫の上は、兄の様に慕っていた源氏の所業が理解できなかったのだろう。容赦もなかった源氏が許せなかったのだろうか。紫の上は当然抵抗したに違いない。
源氏は身の回りの人、友人、知人に紅白の餅を送った。当時、初枕を祝う習慣だったのだろうが、紫の上の身分を広く知らしめるためでもあったのだろう。源氏の紫の上への深い愛情でもあった。
 桂馬は以前、獣になった時、温子の涙を見て我に返った。その時桂馬は森田の話を思い出した。なよなよと女性のような殿上人にも及ばなかったと苦笑したのを思い出したのだった。
森田は当然気が付く筈だ。奥さんにどう説明するだろうか。桂馬の温子に対する深い愛情だよと説明するだろう。そう信じよう。
   ―おわりー
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