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12.10
Sat
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立ち枯れたシシウド セリ科 2016年10月21日乙女高原で写す。以下同じ

「秋来ぬと、目にはさやかに見えねども。風の音にぞ驚かれぬる」古今和歌集の歌だそうだ。昔、誰かに教わったのだろう、暑いときまって思い出す。今年の夏も暑かった。
十月半ば過ぎ、山梨の乙女高原に秋の花を見に行った。下界は“目にはさやかに”だったがここはさすが高原、初冬の装いに近かかった。シシウドも御覧のとおり既に立ち枯れていた。

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リンドウ リンドウ科

数個固まって咲く。先に咲いたものは既に枯れていた。花の中に、袋に包まれた種がある。子供の頃、若い種を食べた。根は猛烈に苦く胃の薬だそうだが、種は苦くなかったような記憶だ。子供の頃、野山を駆けまわり遊んだ。好奇心からだろうが、色々な木や草の実を食べたが中毒を起こした記憶はない。

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アキノキリンソウ キク科

金色に豪華に咲くこの花もほとんどは枯れていた。御覧のとおり哀れな姿で数本わずかに枯れ残っていた。別名アワダチソウ。小さな花が穂状に、泡立つように群がって咲くからだろうか。可哀そうな云い様だが、空き地などに遠慮会釈なくはびこる悪名高いアメリカ渡来のセイタカアワダチソウも仲間。

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ナナカマド バラ科

真っ赤な実、名もいい。バラ科にはリンゴ、桃、梨など美味しい果物が多い。見るからに固そうだが、もしかして美味しいのではないかと、食べてみようと思ってあの手この手で試みたが木が高くて取れなかった。東北、北海道にある木だとばかり思っていた。東京近辺でも雁ガ腹摺山や富士山五合目程度の標高の山にもある。南の屋久島にもあるそうだ。屋久島、宮之浦岳は1935M、九州一の高山。 
七回かまどに入れても燃えないが語源だという。七日間炭窯に入れて炭を焼く七日窯だと反論する学者もいるらしいが、素人には“燃えない”が身近でいい。

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アザミ キク科

野アザミだと思う。確かかどうか自信がないが。NHKのラジオ歌謡に「アザミの歌」というのがあった記憶がある。力感のある男の歌手が情緒豊かに歌っていた。“香れよせめて我が胸に”と歌っていた。花はいい匂いがするのだろうか嗅いでみたいがトゲが怖い。
乙女高原の花々は秋も末で皆ショボかったがアザミだけが我が物顔に咲いていた。きれいだから摘んで帰ろうと思うがトゲが怖いので止めた。
アザミはトゲだらけだがキリッとしてカッコいい。悟りを開いた高僧の雰囲気だ。

能にはいろいろな僧が登場する。高僧も登場する。「殺生石」の玄翁、「三輪」の玄賓などなど。
玄翁は鎌倉の海蔵寺の開山。法力で那須野の、怪物が変身した大石を打ち割った。その名を超デカイ金槌、ゲンノウと名を残す高僧。那須野の活躍は、能「殺生石」に作られた。
玄賓は平安京を開いた桓武天皇の病気平癒を祈り救った高僧。三輪山に隠棲していたが桓武天皇の帰依を受け僧官を授けられることになったが、それを嫌い逃げ回り越後で渡し守をしていた。ここも弟子に見つかり又行方をくらまし、以後行方知れずとなったそうだ。   
玄賓は能「三輪」に作られた。前場に玄賓の詫び住まいを情緒豊かに描き、後場では三輪明神が三輪神社の由来を語り舞い神楽を舞う魅力的な能。「玄翁」も「玄賓」もワキが勤める。

能では僧の役を多くワキが勤める。能の作者はどうして僧を主役にした能を作らなかったのだろう。分かるような気もするが偏見だろうから意見は止めて置こう。
僧が主役の能が全然ない訳ではない。「熊坂」「俊寛」「放下僧」などがあるがいずれも僧というイメージから外れた変わったキャラクターだ。
熊坂は大盗賊、俊寛は政権転覆を企てた政略家。放下僧は複雑だ。

放下僧-01
能「放下僧」 鞨鼓を打ち鳴らし面白く舞い仇を油断させ、仇討の機会を狙う。(平成五年東京金剛会例会 シテ二十六世金剛流宗家 金剛永謹 写真 宮本成美)

能「放下僧」のシテ(主役)牧野の何某は自ら望み剃髪し仏に仕える身。彼の父は殺された。親の仇を討たない者は親不孝だという弟が談合を持ちかける。彼は仏に仕える身、仇討ちは瞋恚邪性の人の妄言だと断る。弟は中国の故事を語る。「母を虎に喰われた男が百日、虎の住む野原に出て虎を狙う。ある夕暮れ虎に似た石を虎と思い込み矢を射た。矢は石を射抜き夥しい血が流れた」
やはり彼は母には弱かった。弟の申し出を受け入れる。彼は放下僧の姿で仇討ちの旅に出る。放下僧は室町中期に流行った僧形の芸能者。コキリコを打ちならし小歌を歌った。

能「放下僧」は敵討ちの話だが、禅問答を聞かせ、小歌と鞨鼓を見せ、クセを聞かせ、見せる能。禅問答は難解だが当時の人には身近だったのだろう。ノリのいい小歌は室町時代に流行ったものがそのまま残っていると云い、興味深い。クセでは自然の現象、風物が仏法世界の真理の具現であるとする禅宗の教理を謡う。金春禅竹作の名作「芭蕉」のクセに似る。
敵討ちは人を殺すことだ。僧が人を殺す、当然その苦しみ呵責は測りがたい。この能にはその文言が一言もない。然しシテの姿にその苦しみが滲み出ていたとこの時の能評に書かれていた。その記憶が今も鮮明に残っている。物語の中に隠れているものを、それぞれの人がそれぞれのものを見出す、能はいいナと思う。
能「放下僧」「殺生石」「三輪」の詳しい解説はそれぞれをクリックしてください。
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