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12.17
Sat
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高尾山から下界の眺め。2016年11月2日写す。以下同じ

高尾山は東京の街の西のドン詰まり、通勤電車の終着駅、高尾駅近くに登山口がある。以前は浅川駅と云ったがいつの間にか高尾駅になった。浅川駅は清流、浅川の名に由来。高尾山の奥は山また山、奥秩父へとつづく。
高尾山は山頂に薬王院があり信仰の山であり国定公園であり都民の憩いの場。珍しい植物が多いことでも知られている。このところ登山客が激増、温暖化と相俟って、ある筈のない植物が侵入、貴重な植物が追いやられ激減しているという。

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混雑のメインコース登山口

メインの登山コースは人の波、噂には聞いていたがこれ程とは思っていなかった。仰天!
目的地にいつ行き着けるか見当がつかない。ケーブルカーは二時間待ちだと整理員がメガホンで絶叫していた。山の上の混雑が目に見える。迷うまでもなく諦めた。

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稲荷山コース

以前登ったことのある裏道の稲荷山コースを思い出し、ここから登った。こちらは静かだった。
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メグスリノキ カエデ科

この日のお目当てだった。メインコースの尾根にメグスリノキの大木が三か所ある。人波では辿り着けないと諦めていた。
メグスリノキは「目薬の木」。葉や樹皮を煎じて目薬にしたという。長者の木とも。材を床柱にも使った貴重な木だそうだがそれが名の由来だろうか。透き通るような色合いがきれいだった。

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ヤマノイモ ヤマノイモ科

真っ赤な紅葉にだけ見とれないで、私も見て!とばかり道端の木にへばり付いていた。小さな葉っぱをいっぱいに広げ日の光を集め、養分を造り精一杯に働いて来たのだ。今は役目を終わり、終末を精一杯黄葉で飾ろうとしている。よくよく見ればハート型の薄い黄色の葉が可愛い。
ヤマノイモは山芋、自然薯。市販の長芋より美味しい。だが掘るのは一苦労。

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穿った岩屋に祀られた神様

高尾山は信仰の山でもある。滝行の霊場や祠が数か所ある。滝行をする人は山伏か坊さんか神主だそうだが、人生に迷う人も滝行をするという。だが行者だか迷い人だか見分けはつかない。フンドシ姿だから。滝に打たれ手を合わせ必死に祈る彼らの姿を見ると、自然と頭が垂れ両手が合う。

明治の末、一高(現、東京大学)の学生、藤村操は人生に迷い遺書「巖頭之感」を残して華厳の滝に飛び込んだ。唐の伝奇小説「枕中記」では迷える青年、盧生が道を求めて旅に出、茶屋で道士に枕を借りて寝て50年の間、富貴を極めた夢を見た。夢はキビご飯が未だ炊きあがらない短い間だった。人生、一炊の夢と悟ったという。

盧生の枕の夢は能に作られた。能「邯鄲」。
盧生は「我人間にありながら仏道をも願わずただ茫然と暮らすばかりなり」といい、尊き知識を求めて旅に出る。旅籠のお婆さんに奇特の夢を見るという枕を借りて寝る。いきなり勅使が王位を盧生に譲るという宣旨を伝えに現れる。迷える哀れな青年から王位へ、急転直下の舞台転換だ。宮殿の栄華は地謡によって謡われる。シテ、盧生は僅かな型(所作)だけだが分かり易い詞章に説得力がある。
酒宴の盛大な様子を子方の舞が象徴する。続いてシテが「楽」を舞う。一畳台のベッドは宮殿に早変わり、畳一枚のスペースを広々とした宮殿に見立て悠揚と舞う。舞の中途、足を踏み外す型がありハッとさせる。「空降り」、夢が覚めかた様子を表現するという。
一畳台を下りたシテは舞い続け、これも急転直下一畳台に飛び上がり横臥する。「飛び寝」と云い、夢が覚めたことを表わす危険な型で夢と現実の落差を見せる。
夢から覚めた盧生、「何ごとも一睡の夢」と呟く。滲み出る虚無感は如何ともし難い。  
能「邯鄲」の詳しい解説はこちら
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