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02.18
Sat
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五大堂遠景 松林の奥が日本美術院跡 2017年1月14日写す。以下同じ。

五浦は福島県境に近い茨城の北部、大津港の近くの景勝の地。
上野の芸大の前身、東京美術学校を作った一人、岡倉天心が住んだ。五大堂は天心の瞑想の隠所だったという。美術学校での色々な問題で受けた心の負担を癒すためだったのだろうか。天心は日本美術院を五浦に移し、天心の門弟、横山大観、菱田春草、下村観山なども移り住み日本画の制作活動をした。現在、日本美術院跡は茨城大学が管理していて庭園風に整備され、美術館がある。
五大堂は五年前の東日本大震災の大津波で台座を残して波にさらわれた。茨城大学の学生や福島の潜水業者の協力で海の中を探し回り、壊れた五大堂の残骸や屋根のてっぺんの宝珠など拾い上げたそうだ。
大津波の後、五大堂は元の五大堂そっくりに復元された。屋根の宝珠は前の物だろうか。
兎に角絶景の地。泊まるところは大きなホテルや民宿も数あるが、民宿「五浦」がおすすめ。外観は綺麗とは云い難いが、崖っぷちの景色抜群、天然温泉かけ流し、料理がいい。

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ツバキ ツバキ科

五大堂と周辺の絶景が見渡せる公園に植えられていた。
「山寺の、石のきざはし、下りくれば、椿こぼれぬ右に左に」今年初めて見た椿だった。感激一入。昔教わった落合直文の句を思い出した。
椿にはきれいな思い出がある。屋久島の名前は忘れたが、集落の県道沿いに、椿の大木があり周りは広場になっていて傍らに井戸があった。屋久島特産、御影石の割石で囲った苔むした井戸だった。子供が数人、桶に椿の花を水で揉んでアブクを作って大はしゃぎしていた。今は彼らも彼女らも大人になっている。井戸の思い出は胸の中に健在だろうか。
椿の歌は万葉集に数首あるそうだが能には登場の記憶がない。だが井戸は登場する、「井筒」だ。井筒は上演頻度の高い名曲だ。この曲の名を耳にする度に屋久島での光景を思い出す。

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“業平の面影”業平の装束を付けた女は井戸に己の姿を映して業平を偲ぶ。

伊勢物語は主に在原業平の物語だという。百二十五からなる物語は歌の枕詞のように短いものが多く補注書によって理解されてきたようだ。
「井筒」は伊勢物語、23段を脚色した能。
伊勢物語23段の物語「昔、男の子と女の子が何時も井戸の傍らで遊んでいた。二人は恥ずかしがる年頃になり一緒に遊ばなくなった。男が女に歌を送る“筒井つの、井筒にかけしまろがたけ、過ぎにけらしな妹見ざるまに”女の返歌“くらべこし、ふりわけ髪も肩すぎぬ、君ならずして誰かあぐべき”二人は結ばれた。その後、男は高安の里に女が出来て通った。女は嫉妬する様子もなく高安に行く夫を気持ちよく見送った。男はこれを不審に思い妻に想う男が出来たのではと疑い、ある日高安へ行くふりをして植え込みに隠れ見張った。女はうつろな目で遠くを眺め“風吹けば沖つ白浪たつた山、夜半にや君がひとり越ゆらむ”と歌を詠んだ。男は女のひたむきに男を想う純情に打たれ高安には通わなくなった」
龍田山は高安に抜ける山。苦しい坂、そのうえ追いはぎの出る怖い山と恐れられていたそうだ。

能「井筒」は前場のクセで、井戸の水鏡を見て遊ぶ幼児の頃の二人、成長して結ばれるまでを「筒井筒」の歌を核に情緒豊かに歌い上げる。型はなく謡だけの居クセだが詞章も節も優れ、想像を掻き立てるに十分。むしろ型は不要とさえ思わせる。
「中入」後、女の情念が燃える。シテの出から終曲まで魅力的な謡、型の連続だが特に井筒の際に生えたススキを払いのけ業平の面影を見る型(上掲の写真)は人の胸を打つ数ある型の中でもトップクラスだ。
蛇足だが伊勢物語の、高安の女の話は、物語が不自然であることや、文章の長いことなどから後に付け加えたものではないかという。能「井筒」ではクリにこの時の女の歌“風吹けば沖つ白波”が謡われるが女の純情に高安の女は影さえも浮かばない。
能「井筒」の詳しい解説はこちら


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