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04.12
Sat
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東京湾アクアライン海ほたるの残照。左に富士。


残照 4  卒業証書(一)
その日、桂馬は早めに仕事をきりあげた。数年来待っていた日なのだ。「あらもうお帰りですか、何か急なご用でも?」事務の女社員が聞いた。何時も遅くまでいるのが常だからだ。「大事な用があってね。後、頼むよ」桂馬は返事もそこそこに会社をでた。家まで落ち付かなかった。
桂馬は勢いよく玄関をあけた。
「ただいま」何時もより声も大きかった。
奥から温子が急ぎ足でスリッパを鳴らしてあらわれた。「どうしたの?ずいぶん早いじゃあない?」
温子の声に娘の朝子もあらわれた。落ち着かなさそうにそわそわしていた。朝子にはおおよそのことを話し、段取りを頼んでおいたが父の真意を理解しかねているようだった。
「さっきから朝子もおかしいのよ」「二人で何か企んでるわね?」
温子が二人を微笑を浮かべて代わる代わるにらんだ。
「うん。まあネ」「まあ、いいからそこに座りなさい」
桂馬はテーブルの方に顔を向け温子を促し、向かい合はせに腰を下ろした。
「着替え、なさらないの?」
「うん、後で。朝子、アレ持ってきて」
朝子が証書入れの紙筒を捧げ持ってきた。
「なによ!お芝居?」
「いや、そうじゃあないんだ。まじめなんだ」桂馬は紙筒の中から奉書を取り出し立ち上がって奉書を広げた。思わず温子も立ち上がった。
「卒業証書」
「砂内温子殿」
「あなたは長い間、自分を犠牲にして私たち砂内家の家事、その他いろいろ勤められました。別けても洗濯。美味しい食事(そうでないときもあったが)の支度は毎日であり、かなりの負担であったとおもいます。感謝の気持ちは筆舌に尽くせません。
夫、桂馬は定年間近となり、娘、朝子は卒業のめどがたちました。
ここにあなたの主婦としての責任を解除し嫌なことは、しなくてもいいことに致します。
夫、桂馬。並びに娘、朝子の感謝と決意をこめて証書を授与いたします。
 平成X年十三月三十五日
                夫 砂内桂馬
                娘 砂内朝子
桂馬はテーブル越しに証書を渡し温子の手を握りながら、
「ウンこれでよし!のこりの人生、自分流で歩いてください!老婆心だが、人の命を粗末にすること、かっぱらいは、よした方がいいと思う」
「はいはい、ありがとさんどす」テレ隠しの京都弁で返した。
証書は草花の絵で縁取られていた。真ん中はタンポポの大きな絵だった。
「あまり上手くないわね、朝子が書いたの?」温子はうるんだ目で朝子を見上げて、
「どうしてたんぽぽ?」と聞いた。涙声だった。手もすこし震えていた。朝子は明るく笑って、
「そう、わたしが画いたの。わざと下手に画いたのよ。でも心をこめて画いたのよ」上目使いに温子を見上げニッコリ笑い、
「タンポポはね、真冬以外いつでも咲いてるの。どこにでも咲いてるから珍しくないけど、よく見ると綺麗よ!いつでも笑ってるみたいなの。お母さんみたい!お母さんはいつまでもタンポポでいてほしいの!」桂馬はうつむいて聞いていた。
温子との数十年がよみがえった。
「じゃ、行こうか」
「どこえ?」
「祝賀会。朝子が「寿司よし」に予約をいれたんだ」
三人は寿司屋の暖簾をくぐった。新しい畳の香りが鼻をついた。温子はテーブルにつくなり、
「思い出したわ」と桂馬を見つめた。桂馬も温子を見つめて、
「ながかったね」
「ううん、ちっとも」
朝子は温子の腕をつかんで、
「思い出したって何?ねえ何ンなの?教えて!教えて!」と腕を揺すった。
「結婚するとき、お父さんが、約束だよ!っていったのよ」
桂馬は温子との結婚が決まったとき温子に、
「一つ約束してほしいんだ」と提案した。
「どんなこと?難しいことなの?」温子は眉を寄せた。
「結婚は人と人との契約だと思うンだ。夫婦といっても所詮は他人なんだ。お互いの所有物になるって事ではないと思う。だからお互い束縛しないようにしたいンだよ」
「理屈は解るけど家庭として成り立つの?」
「そう。子育てが終わるまでは、お互い束縛しあい、干渉しあい、ケンカしあい、やっていこうよ。人は生まれてひたすら自分を生き、大人になってひたすら子を育て家を守る。その後が問題だと思う」桂馬はいったん言葉を切り、天井を見上げ、
「子育てが終わったら又自分にかえる。君のためにも、僕のためにも。理想論にしたくにないンだ」
「そうなの。わたしは馬さんに、ずウ~と束縛されたいけど、でもいいわ、約束する」

温子は箸の手を頬につけ考えかんがえ、話した。桂馬も横から補足した。
朝子は目を丸くして、
「へエ~初めて聞いたわ。そんな理屈、聞いたことないわ。どうしてそう考えるようになったの?今でもそう思ってるの?」
「忘れてたんだ。朝子が大学に入ったとき、嬉しくてね、朝子も大きくなったもンだと思った瞬間、思い出したンだよ。そう考えるようになった動機は、複雑だから止めとく。だが、お母さんのためにと考えたンだと思う」
「うんうん、解かるような気もする。いいのかも、いいのかも」朝子はうなずきながら手を叩いて笑った。
三人で手を叩いて笑った。
温子は寿司屋を出るなり、
「あ~びっくりの一日だったわ。どう気持ちの整理をしたらいいのかしら」
「簡単だよ。当たり前のことなんだから。洗濯物、取り入れるより簡単さ」
「そうかしら。でも心の問題よ。そう簡単ではないわ」
温子は床に入っても饒舌だった。桂馬の思いやりが嬉しいとしきりにいった。
温子は改まった口調で、 
「ねえ、社長の息子さんのことだけど、もう大丈夫じゃあない?そろそろ任せて引退したら?」
「引退?会社、辞めるってことか?」温子は笑いながら、
「そう、あなたも自由になるの!もういいンじゃない?」
「冗談じゃあないよ!朝子だってまだ大学じゃあないか」
「なんとかなるわよ!よく云ってたじゃあない。五十過ぎたら辞めてシルクロードや南の島を旅したいって」
「うん、そうだったナ。考えてみてもいいかなア。旅行かア。行きたいなア」
「行きましょうよ。連れてってね」
「ほらもう忘れてる。無理しないようにという意味で卒業証書を渡したンだよ」
「無理じゃあないの、あなたと行きたいの!」温子は桂馬の布団を引っ張った。
「あ、そうだ!」桂馬は布団をはねのけて起き上がり、
「いいタイミングだから話そうと決心したンだ。お袋が亡くなる少し前、温子さんに話してって云はれたことがあるンだよ。だけどお袋の気持ちを思うと口にできなかったンだ」温子は咄嗟に今日の卒業証書と関係がある話なのだろうと胸苦しさをおぼえた。 (つづく)

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