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05.18
Sun
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サクラソウに西洋サクラソウ、日本サクラソウ、つまり外来種と日本の在来種があるのを知らない人が多いという。花屋に売っているものや花壇に植えてあるのは、ほとんど西洋サクラソウだし日本サクラソウにお目に掛かることは希だからしかたがない。
平地から高山まで色々な品種がある。昔は奥秩父連山から東京湾に注ぐ荒川の田島原や浮間原はサクラソウの名所だったという。河川敷の改修や人間の巣が(家)が増えたからか全く姿を消した。田島原に少し保存されてはいるが。
東京オリンピックの頃までは八ヶ岳周辺に群落が見られたが人災か、お目にかかれない。数年前、必死に探したら牧場の林の中に数本見つけた。その感動は今も忘れられない。
江戸時代、人々は船を浮かべ、豪勢な花見弁当をたずさえて荒川土手にやってきて、花見の宴を開いたという。その花見弁当のお重は今では「お宝」だ。
あまり知られていないが江戸時代から伝わるサクラソウを観賞する伝統がある。江戸時代から作り出された品種は数知れない。愛好者は優れた品種を花の時期には、東屋風の飾り棚を作り飾りたのしむ。朝駆けの武士が変種を見つけて改良を重ね楽しんだのが始まりという。
秩父の武甲山に天然記念物、秩父コザクラがある。武甲山は石灰岩の山だ。石灰岩はセメントの材料だからたまらない。あの大きな山が姿を消しつつある。チチブコザクラもいかな天然記念物でも、もう昇天したかもしれない。

花の頃は、荒川はまさに櫻川であったろう。能に「櫻川」がある。舞台は筑波山の麓から流れ出る櫻川、磯部神社の周辺だ。この辺りは櫻に適した特殊な土壌で色々な種類の山桜があり、幾つかは國の天然記念物だという。少なくとも紀貫之の頃から都に聞こえた名所だったのだろう。この曲で「常よりも春べになれば櫻川、波の花こそ間なく寄すらめ」と紀貫之の歌がうたわれる。
「櫻川」は狂女ものと呼ばれる曲。狂女とは、人買いに連れ去られ、又は行方知らずとなった我が子や、恋人を狂気を装い探し歩く女のこと。旅の途中でその土地の名所にこと寄せた即興の芸を見せ、子の情報を集めると云うのが筋立て。その「狂い」と呼ばれる舞が面白く「クセ」の舞も一段と中身が濃い。舞の面白さを見せるのを目的とした作品群だ。中でも「三井寺」や他の曲とは少々趣を異にする「墨田川」は名曲中の名曲だ。
狂気を装うのは、女の一人旅は何かと危なかっただろうし、旅費のこともあったことだろう。しかし「墨田川」に墨田川の渡し守が「かの者を相待ち船に乗しょうずるにて候」と弱者を助ける情けを見せる。日本人は昔から優しかったのだ。
「櫻川」の狂女は四つ手網を肩にあらわれ櫻川の水面に浮かぶ櫻の花びらを掬い我が子を忍び、狂う。彼女は日向、宮崎から常陸、茨城まで旅した超健脚の女性だ。母性愛の鏡であろう。
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