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07.13
Sat
久々に「半蔀」を勤めた。
「半蔀」は平安中期の長編小説、源氏物語の巻首に近い「夕顔の巻」の
夕顔の上と光源氏との、光の間のような束の間の愛の物語。
源氏物語で夕顔は内気で優しい女とし、薄幸の女に描かれる。
作者は細川家の家臣だった武士、謂わば素人の作。
これほどの作品を作った事も驚きだが、武士が日本の女の優しさの
見本の如きを描くとは驚きの外はない。

シテ(主役)はアシライという静かな登場の囃子で幕放レする。
情緒一辺倒の曲に相応しい出囃子とする。
静かに歩を運ぶという事はかなりの体力を要する。
面を着る(付ける、能では着るという)と遠近感、方向感覚を制限され、
体力の大半を身体のバランスを保つことに費やされるからだろうか。
老人や登山者が杖を用いるのは体重を支えるよりも体のバランスを
支えるのが大きいのと同じ様なものだろう。

半蔀1
「手に取れば手ぶさに穢る立てながら三世の佛に花立てまつる」
僧正遍照の歌を口ずさみ現れた夕顔の上の霊

前場は都、雲林院の僧が仏に手向けた花の供養を行う場に夕顔の上の霊が現れ
夕顔の花を挿し添えるという極簡単な設定。内容の希薄な呆気ない前場だと
いう印象を与えないよう、謡や動きにも細心の注意を払い静かに情緒を漂わせる
事を心掛ける。

僧は挿し添えられた花の名を知らない。「いかななる花を立てけるぞ」と僧。
「愚かのお僧の仰せやな黄昏時の折なるになどかはそれと御覧ぜざる」
夕顔の花は黄昏時に開花する。
優しい女、夕顔の上を演ずることを常に念頭に置く。僧をなじるような詞章を
どう演ずればいいのだろうと考える、割愛は許されない。

「五条辺りと夕顔の空目せし間の夢となり面影ばかり亡き迹の立花の
陰に隠れけり」と唯一の地謡。「面影ばかり亡き迹」で正面に静かに出、
向うをとくと見ると型付け(振り)にある。
“とくと見る”と云う型は人により解釈がいろいろだろう。
二つ三つ歩を運び面をやや上に取り虚空を凝視する。
観る側の想いを引き出せればと期待する。極めて短い前場だが後場の成否を決める場であり極度の緊張に縛られる。

半蔀2
半蔀を押し開け小屋を出る夕顔の上

後場のシテは後見が舞台後方に据えられた藁屋の中。
藁屋は引き廻しと呼ばれる濃紫の布で覆われている。
暗い中で和漢朗詠集を吟ずる。貧しく哀れを詠った詩だが品よく謡うよう努める。
作り物の中に入って舞台に出る演出は少なくない。
能独特の演出だが見慣れていても期待感と好奇心を誘う。
演ずる側も相応の緊張を強いられる。
引き廻しが下されると緊張は更に高まる。

小屋にはヒョウタンがぶら下がっている。夕顔の花はカンピョウの花、
ヒョウタンはカンピョウの変種、夕顔の花の機縁で夕顔の上と源氏は結ばれた。
クセで語られる。

半蔀3
小屋を出、クセを舞う

クセは室町時代に流行った曲舞を能に採り入れたものだという。
曲の中心となっている。決まった型を連ねて舞うことが多く詞章の意味を
表す動きに遠い。型の緩急や形など工夫して詞章の意味に近づける工夫を
するが見る側に通ずるか否かは計算外で只々工夫する難儀でもある。
「半蔀」のクセには詞章の意味を表す具体的な型、お経を聞く、夕顔の花を折る、
花を奉げるなどの型があり演ずる側には納得がありその分心を開ける。

半蔀4
夕顔の花を折り源氏に奉げる夕顔の上

夕顔の上は源氏に誘われて泊った「何某の院」で物の怪に襲われ落命する。
全く同じ題材の曲に世阿弥作の「夕顔」がある。
世阿弥の自信作とされ骨格の整った名作といわれる。
何某の院での恐怖も語られ心理描写の難しい曲。
「半蔀」では「何某の院」には一切ふれられず恐怖の片鱗も語られない。
五条の小家で夕顔の花を機縁に邂逅したことに的が絞られクセ、序の舞、
キリへと情緒一辺倒が途切れることなく連綿と語られる。
難解な語句や故事もなく分かり易く親しみやすい所為か上演頻度も高い。

半蔀5
「また半蔀の内に入りて、そのまま夢とぞなりにける」

夕顔の上の霊は再び小屋に入り顔を隠しうずくまる。
すべては僧の夢だった。

能「半蔀」の詳しい解説はこちら

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