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08.31
Sat
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富士山6合目 令和元年8月26日ガスのチョイ晴れ間に写す。以下同じ

思い付きだったので出発が遅かった。おまけに富士吉田口の有料道路は夏の間
マイカー規制、バスに乗り換え行った。大幅に予定時間遅れ。
晩夏の富士山、花は少ないだろうと期待無しで行った。

「田子の浦にうちいでて見れば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」
百人一首でお馴染みの歌。山辺赤人の歌だそうだ。
新幹線など無い700百年前、奈良の都からはるばる赤人さんは富士山見物に
やって来たのだろうか、などと冗談が出る程富士山は美しい。
同じころ修験道の始祖、役行者は度々流刑地の伊豆大島をこっそり抜け出し
空を飛び富士山に遊びに行った。
富士山の神様は木花開耶姫(このはなさくやひめ)
“富士は日本一の山♪”唱歌にも歌われた。富士山が日本人の心の山である訳を
吹聴したが、山の高さも美しさも何といっても“日本一”。日本人なら誰しも認める。
いや美しさは世界一かも知れない。たくさんの外国人が訪れるのもその現れだろう。
日本嫌いで今話題の大統領からクレームを頂くかも知れないが(日本海の名に
イチャモンを頂いた事があったので)

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ミヤマオトコヨモギ(深山男蓬) キク科

荒々しい登山道際の砂礫の中に咲いていた。
能の名曲「熊野(ゆや)」で「草木は雨露の恵み養い得ては花の父母たり」と
病身の母を思いやり謡う。植物だけではなく生きとし生けるものに水は命、
水気のない過酷な環境に逞しく咲くので男ヨモギかと思ったら違うらしい。
きれいな花とは云い難いが水気のない砂礫に頭をうなだれ優しく健気に
可愛らしく咲いている。一ぺんに気に入った。
“富士には月見草がよく似合う”太宰治の言葉だそうだが治さんは
ミヤマオトコヨモギを見たことがなかったのだろう。
見ていたらきっと“富士にはミヤマオトコヨモギがよく似合う”と
なったに違いない。

かく云う者も始めて見た。不思議な姿に見入った。
富士山レンジャー(国立公園の管理員)の若い女性に教えてもらった。
色々な花の名や咲いている場所も詳しく親切に教えて頂いた。
登山の人達の安全を助ける仕事なのだろうか忙しく立ち働く姿に日本の女性の姿を見た。
やはり日本の女性は世界一優しい。日本人の優しさは外国に行って実感する。
僅かな見聞だが永年外国を渡り歩いた友人も同感だと云った。
富士登山の外国の人達がその姿に接し帰国後優しさを真似るかもしれない。
オリンピックが近い。オリンピックは日本の國をアピールする狙いもあるだろう。
富士レンジャーの人達はオリンピックに匹敵する外國の登山客に接する。
世界一優しい日本人の姿を見せて外国の人を感動させると思う。
その重要さはオリンピックに引けを取らない。
過酷な環境の中の仕事、健闘を祈るばかり。

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フジアザミ(富士薊) キク科

種類の多いアザミの中で一番大きいそうだ。
全身トゲで武装、オッカナイ姿に圧倒される。花はきれいで殺風景な部屋に
飾りたいが恐くて手が出ない。
土産物屋で売ってるヤマゴボウの漬物は昔はフジアザミの根だったそうだ。
今は本物のゴボウ。つまり土産物屋のものは偽物。
だが矢鱈に掘られると富士山の象徴が絶滅の危機に瀕する。
富士山の周辺に多いそうだから。
土砂崩れ防止の壁際の砂礫に咲いていた。
これもレンジャーの女性に教えてもらった。

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キオン(黄苑)キク科

草丈、葉、花、均整の取れた花。野に置くにはモッタイナイ。
その昔、キオンを眺めながら女性数人が何やら騒いでいた。
そこで知ったかぶりのワタクシ、しゃしゃり出て、
「これはハンゴンソウという花です。昔この花を焚いてあの世に赴いた
想う人の魂を呼び寄せました。漢の武帝もこの反魂草で亡くなった最愛の
妃、李夫人を呼び寄せました。“花筐”と云う能につくられています」
女性の後ろでジット聞いていたおじさん「きれいですネ。ハンゴンソウによく
似てますね。でもこれは“キオン”ではないですかね、きっとそうですよ」
高い鼻がトタンにぺしゃんこ。知ったかぶりはいけません!

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トモエシオガマ(巴塩釜) ハマウツボ科

不思議な名。同類の塩釜菊にあやかった名という。
巴は捻じれて咲くからで成程だが塩釜がさっぱり分からない。
図鑑の説明では「浜で美しい」が「葉まで美しい」にかけた名とあるが
何のことだか鈍い頭は働かない。
昔は釜で塩を焚いた。渦を巻いて沸騰する様子かナと勝手に解釈している。
昔も陸奥の塩釜は美景で知られ人々の憧れだった。
彼の芭蕉も「奥の細道」であまりの美景に“筆舌に尽くし難し”だったのか
句を詠まなかったそうだ。
塩釜の地名の由来は昔、製塩が盛んだったことによるという。
美景の塩釜の沸騰する塩釜が、きれいな花シオガマの名の由来だと嬉しい。

塩釜の浜辺に立ち昇る塩を焚く煙はこの上ない風趣だったのだろう。
平安前期、嵯峨天皇の皇子、融大臣は六条河原に塩釜の景色を造った。
大阪湾から船で汐を運ばせ塩を焚き立ち昇る煙に塩釜を偲んだ。
日毎に三千人の人夫を動員、塩を焚かせた桁外れの風流人だった。
その後、余りの規模の大きさに後を継ぐ人がなかった。

能「融」の前場で担桶(たご、木製の桶)を担いだ老人、融大臣の幽霊が
僧の前に現れ、六条河原に造った塩釜の浦での御遊の様子を語り、
その後を継ぐ人もなく荒れ果てた六条の塩釜の浦を嘆く。
壮大な規模故に嘆きも深い。その姿に観客もいつの間にか融大臣に同化、
嘆く身となって行く。
「秋の夜の長物語よしなや、まずいざや汐を汲まんとて」と
汀に行くと見て汐曇りに紛れ姿を消す。

僧は融大臣が再び現れるのを信じて待つ。
現れた融大臣はカッコいい大臣姿。カッコいい姿で御遊の舞を見せる。
浮きやかなリズムトと音律、洗練された舞が昔の大宮人の御遊を偲ばせ雅、優雅。
「この光陰に誘われて月の都に入り給うよそおい、名残惜しの面影や」
融大臣は清浄無垢の月の都の住人になっていたのだと思わせて留める。
月の都に赴く融大臣にあやかって、野辺の送りや追善に謡われる。

とおる3
「まず、いざや汐を汲まんとて」汐を汲む老人(融大臣の化身)

とおる1
月に思いを寄せる融大臣

能「融」の詳しい解説はこちらこちら


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