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07.12
Sat
140628_1.jpg 「懐かしやと言わんとすれば」我が子の頭を撫でようとする亡者。

六月二十八日能「善知鳥」を舞った。善知鳥、殺生石の二番立て。曲趣が似ていると、指摘もあった。初番を鬘物か狂女物にすれば番組としては整うが、よく考えるとこの二曲は似て非なるもの、そのままでいくことにした。「善知鳥」は想い出のある曲だ。正直なところこれに拘ったのかもしれない。「善知鳥」は世阿弥の作、分かりやすい能だ。地獄に落ちて苦しむ猟師の話。仏教の世界が遠のいた現代では「地獄」は異次元の世界だが、現代人はまた、この世の地獄に苦しんでいる。この二つの地獄を重ね合わせて観る人もいるかも知れないなど勝手に思ったりして。

この能の要は三つ。
その一。立山の地獄から、故郷の外ケ浜の妻子の前にあらわれた猟師の霊が、あの世とこの世に隔てられた悲しみをみせる。
その二。殺生戒を犯した罪に怯えながらの猟。次第にその興奮が高まっていくさまを見せる。ウトウという鳥を捕らえるようすを見せる「カケリ」が臨場感満点、一番の見どころだ。
今回は「組落シ」の小書。カケリの最後、いったん囃子が手をとめる演出。
 その三。猟師が落ちた地獄のさりさまを見せる。猟師が獲ったウトウの親は空から血の雨を降らし猟師は妻子が手向けた蓑笠を着て逃げ惑う。涙の血は肉を溶かすのだ。さらにウトウは化鳥となって猟師の肉を裂き目をくりぬき食う。凄惨この上もない地獄の描写。「助けたまえ御僧」と叫びながらまた地獄へ落ちて行く。現代人も共感するところがあるかも知れないと、これもまた勝手に。

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①ワキの登場  
シテは揚げ幕の前に立つ。ワキの「山路に分かつ巷の数、多くは悪趣の険路ぞと、、、、、ざんぎの心、時過ぎて、、、」と謡うのを聞いているとしだいに地獄の亡者になっていく。
僧は地獄があるという立山を訪ね霊場巡りをし、地獄に通じるという分かれ道を見、その恐ろしさに我が身の犯した罪を思い懺悔の心を起こしたのだ。
呼びかけ

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②シテは幕の内から、僧に「去年死んで今この立山の地獄にいる者だが、外ケ浜にいる妻に蓑と笠を手向けてくれるようにと伝えてくれ」と呼びかけながら僧に近づいていく。遠近を表現しなければならない。歩きながらの「呼び掛け」はいつでも苦しい。ワキの地獄の情景作りに乗せられたか、さほど苦しくはなかった。※ 外の浜は青森県、日本海に面した津軽半島北端、竜飛岬に近い地。

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③証拠の袖を千切る。
僧は、なにか証拠の物がなければ妻は信じないだろうという。亡者はそれならばと、死ぬ間際まで着ていた着物の片袖をちぎって僧にわたす。
 袖は千切れ易いように工夫する。失敗した時のことを考え自分で付けるものらしいが今度も人に頼んだ。少しバリバリと音がするのが臨場感があっていいのだが音無しだった。幕に入るのも工夫のいるところだ。僧への期待感と、また地獄へ帰る暗さがなくてはならないだろう。
  これで中入り。前場の終わり。シテは舞台に入ることはなく前場を終わる。

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④舞台は外の浜。僧は亡者の故郷、外の浜に亡者の妻を訪ね証拠の片袖を渡す。
シテは生前の猟師の装束をつける。
後見に装束を付けて貰っていると、装束の間から、また鏡の間から僧と妻の問答が聞こえてくる。
しだいに妻や子への思いや、外ケ浜の懐かしい景色が浮かんでくる。

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⑤後場。猟師の霊は故郷、外ヶ浜の妻子の前に現れる。
僧の読経に引かれるように出ようと思うが、思うようにいかない。かの観世寿夫の名言
「幕放れ(幕から橋掛かりへ出ること)は足がすくむ」が頭をよぎる。
一声の後のサシが苦痛だ。長文の上に難解だ。仏の慈悲を願うのだが、理解して聞いてくれるだろうか?と思いながら以心伝心と云うのもあると自身に言い聞かせる。

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⑥子の千代童の頭を撫でる。
子が可愛いのは自分が殺した鳥や獣も同じだと子に駆け寄り頭を撫でようとすると子のすがたは消えてしまう。地謡が「横障の雲の隔てか悲しやな」と謡う。横障の雲とは悟りを妨げる雲だという。どう表現したらいいのだろうか?親子はあの世とこの世に隔てられたのだとすると型が納得いく。中でも消えた子を探す型が生きてくる。
猟師の霊は望郷の念にワキ正面の彼方を遠望する。遠くに故郷がある態だ。反対側の妻子の方を見るのもあるらしい。妻子は故郷に居るのだから理屈に合う。
だが能には理屈を越えたものがある。ワキ正面のほうがはるかに遥かだ。情緒的だと思う。

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⑦クリ、サシ、クセ
ここにくると観客には失礼だがホッとする。座れるからだ。「善知鳥」は世阿弥の作品。世阿弥の作品は整然としていて文章の流れも抜群で解かりやすい。他の曲では解りにくいのが多いクリ、サシ、クセだが「善知鳥」は解やすい。ジッと聞き入り次の、静と動の烈しい見せ場の団円、「カケリ」「キリ」に向けて心の準備をする。次第に心の高揚を覚える。

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⑧「カケリ」
ウトウを獲る。静に忍び寄り、たたき落とそうとすが失敗、行方を追う。静から動へ、間合いが問題だ。舞台正面で砂に中に隠れていた子の鳥を見つける。足拍子をふむ。心の高揚だ。

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⑨「カケリ」のトメに足拍子を強く踏む。すかさず大鼓が気合いと共に頭を打つ。付けて地謡は「親は空にて血の涙を」と謡う。この緊迫感に助けられた。
空から見ていた親鳥は血の雨を降らせる。笠をかざして逃げ惑う。蓑笠を手向けて欲しいと頼んだのは、このためだったのだ。地謡が「紅葉の橋の鵲か」と謡う。紅葉の橋は天の川に架かった橋。牽牛、織り姫の血の涙で赤い。情緒が付加される。シテは笠を目付柱、目がけ投げ上げる。笠は放物線を描いて落ちる。
さながら紅葉の橋だ。物語的には意味希薄だが、見る側をハッとさせて面白い演出だ。

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⑩キリ。凄惨な地獄絵図を見せる。
ここ地獄では生前、猟で殺した鳥、獣は怪鳥、怪獣となって猟師を襲い、猛火はその身を焼く。急調の謡に乗って、一つ一つの場面を丁寧に表現しなければならない。体力は限界に近い。火事場の馬鹿力を頼みに最後の力をふりしぼる。
留拍子を踏み幕へ静に向かう。生活のため仏の教え、殺生戒を犯さざるを得ない身の上の哀れが、後ろ姿に見えるようにと静に歩む。

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