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08.02
Sat
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平成26年8月1日 新潟県雨飾山、登山口で撮す

名前の由来はさまざま。峻険な山の岨(そば)に生えるからとか、また葉の形が蕎麦の葉に似ていて食べても味が似ているとか。しかしこの名前を大方の学者は、味も、葉の付け根、縁のギザギザなどが、ソバと全く違うといい、分が悪いようだ。でも素人には学者とは違う目があるのでは。蕎麦は身近な食べ物だ。葉の大きさや薄く柔らかそうな感じが蕎麦を連想したのかも知れない、と思えば素人には、こちらの名も納得。
地方によってチチナ、ヤマトトキ、ソマナの呼び名もあるようだ。
チチナは摘み取ると白い乳のような汁が出るから。ヤマトトキはツリガネニンジンに似ているから。

ツリガネニンジンはトトキの名で知られ、この方が通りがいい。トトキは人里近くから、かなりの高山まで、馴染みの深い山菜。俗謡に「山でうまいはオケラにトトキ、里でうまいは瓜、なすび。又は、嫁に喰わすはおしゅござる。」
ヤマトトキの名は、少々山深いところにあるトトキという意味だろうか。

ソマナは杣人の菜。杣人は林業に携わる人。仕事を終えた杣人がソマナを手に帰る姿が目に浮かんで楽しい。能「安宅」に、義経主従が奥州を目指して落ちて行くようすを謡った句に「なほ行く先に見えたるは杣山人の板取」がある。板取は地名。杣は植林した山。日本で作られた漢字だそうだ。万葉集にも杣人を詠んだ歌があるそうだ。日本人は大昔から植林をしていたのだろう。「板取」の地名は育てた木を板に加工する人の住む部落が、地名になったのだろうか。

杣人の姿で登場する能に「忠度(ただのり)」がある。Jrのスイカが登場するまえに定期券やキップを悪用して途中を、ただ乗りするのを隠語で薩摩守と言った。あの薩摩守忠度だ。
平忠度は平清盛の末弟。熊野育ち、大力、屈強の早業で知られた武将。歌人としても知られ藤原俊成に師事した。千載集、新勅撰集、玉葉集などに入集した名うての歌人だったという。

能「忠度」は和歌への執心を描いた作品。
人の「たましい」は魂魄、つまり魂と魄、二つがあるという。人が死ぬと魂はあの世へ旅立つが魄は四十九日の間「草葉の陰」などでこの世に残した執心を精算するという。能では四十九日が過ぎても執心去りやらず、この世にさまよい出る幽霊を主題にしたものが多い。「忠度」もその一つ。
 忠度の執心のキーワードは「櫻」。「さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」。この忠度の歌が千載集に入集しても朝敵故に「詠み人知らず」であった。また「行き暮れて木の下蔭を宿戸せば花や今宵の主ならまし」と書いた自作の歌の短冊を、えびら(矢を入れて背に負う道具)に結びつけ一ノ谷の合戦に臨んだ。花とはもちろん櫻。この二首が忠度の「執心」となってこの世に彷徨い出るのだ。

山人姿で現れた老人(忠度の化身)は山からの帰り道「薪に花を折り添えて」若木の櫻を訪れ櫻の花を供えて帰るのだと独り言をいう。若木の櫻は忠度の亡き後のしるしにと、後の人が植えた櫻だ。藤原俊成の死後出家した元家人の僧が若木の櫻をおとずれる。宿を請う僧に老人は「行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし」の歌をひいて若木の櫻の下に泊まることをすすめ、歌への執心をみせ前場を終わる。櫻一色の、春の長閑けさと古戦場の想い出が重なり合う前場だ。
後場は戦場へ赴く途次、藤原俊成の門を叩き、千載集、詠み人知らずの自作「さざ波や」の歌に作者、忠度の名を付けるよう懇願する和歌への執心を語る。続く岡部六弥太に討たれる場面は生々しいが修羅物につきものの修羅道の描写「カケリ」がないのが救いだ。雅の心が残るからだ。終曲に「行き暮れて」の歌をくり返し「執心」を見せとめる。世阿弥が自身で語った自信作。 能「忠度」の詳しい解説は金剛流潤星会、ホームページ、能、曲目の細説をご覧下さい。
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