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12.07
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奥秩父連山の残照 2014年10月24日府中市都立浅間山公園から写す

前回、卒業証書(四)のあらすじ
桂馬は姉、曜子が母の実子でないことを母から打ち明けられた。母は同じことを姉にも話した。姉はすでに感づいていたので驚きはなく、むしろ嬉しかったと電話をよこした。姉は事実を感づいた少女の頃の苦しみを長文の手紙に書いた。桂馬と妻の温子、娘の朝子は手紙を読み姉曜子の苦しみを思いやり、夜遅くまで話しあった。

曜子には小さい頃から友達らしい友達がいなかった。
高校に入ってしばらくして良子と親しくなった。良子は漁師の娘でいつも明るく快活な娘だった。内気な曜子は良子の性格が羨ましかった。
良子は学校の曜子の帰りに時々曜子の家に寄った。良子は曜子の部屋を眺め回し、あれ何?これ何?と曜子を困らせたが、飾らない、開け放った、そんな性格の良子が曜子には羨ましかった。二人は同じクラスだった。

二年生の新学期に新しく赴任した先生が二人の担任になった。大学を卒業したての若い男の先生だった。新進気鋭の先生の気迫に生徒達は圧倒された。
「曜子、宿題書いた?変な宿題!人間が死んだらどうなる?だって。お化けになる!って書こうかな。ハッハッハッハ」良子は豪快に笑った。
一週間後、先生は作文を読み上げた。
「今日は傑作二題。始めに桜井良子作」
「もしわたしが死んだら、魂だけになって空中を飛び回り、お金持ちの綺麗な奥さんを捜し、お腹に潜り込んでお金持ちの子に生まれ変わります」
「良子ふざけすぎだよ」誰かが叫んだ。みんな一斉に笑った。
「いやいや、人間の本質を突いた傑作だと思う」先生は真顔で制した。
「次、宮内健之作」
「人間が死んだら肉体は分解して窒素や炭素などの元素に戻ります。人間の精神も、まだ人間が知らない、電気のような目に見えない、強いて言えば、異次元の色々な元素から出来ていると思います。私は今まで、人間の心の動きは或る物質の化学的、物理的反応の結果生じるものと思っていましたが、人の心の複雑な動きが、単なる化学的、物理的反応で生じるには無理があると思うからです。肉体を作っている元素群と精神を作っている元素群は人が死ぬとばらばらに分解して空中を浮遊します。ある時、あるきっかけで凝り固まり人や動物、木や草になります。ですから世の中の動物、植物はこれらの元素を共有しているのです。今の僕の一部は隣のおばさんのお祖母ちゃんの一部だったかも知れません」
「おー建之!素晴らしい。全然分かんないけど」誰かがまた叫んだ。またみんながどっと笑った。
「今度の宿題。若い君達に“死”について考えてもらうのは変だと思うでしょう。しかし“死”について考える事は“生”について考えることに通じるとおもいます。今日は桜井さんと宮内君の作品について話し合いましよう。その前に、桜井、宮内両君の作品について、仏教に輪廻という教えがあります。桜井、宮内君の作品は輪廻の一つの解釈だと思います。帰ったら輪廻について調べてください。お坊さんに聞くのもいいですね」
その日も良子は曜子の家に寄った。
「良子の作文、考えさせられたわ。誰の子ってないのよね。肉体も魂も勝手に誰かのお腹に宿る。母親は誰でもいいの。短くて単純に見えても大きな意味を含んでると思うわ。宮内君の作文、よく分からないけど内容的には同じだと思う。“今の僕は隣のおばさんのお祖母ちゃんだったかも知れない”が心にひっかかるの」

次の日曜日、曜子は良子の家を訪ねた。良子は家の手伝いをしていた。
「すぐ行くから私の部屋で待ってて」
良子の部屋は二階だった。女の子らしく綺麗に片づいていた。棚にカバンなど学校の道具があるだけで余分な物はなかった。机の上にユリの絵の表紙に「植物知識 牧野富太郎」と書いた文庫本と、ハートに矢が突き刺さった絵の与謝野晶子の「乱れ髪」が無造作に置いてあり、毛越寺の庭園の写真が飾ってあった。小さな額が趣を添えていた。予想外の良子の一面を見たようで曜子には驚きだった。「良き友を得た」の感が胸に迫った。
曜子は窓を開け窓枠の敷居に腰掛け下を見下ろした。雀が数羽、エサを漁っていた。
「雀はいいナ。食べることだけ考えていれはいいンだから」呟きが口を突いて出た。
良子が勢いよく階段を踏み鳴らして上がってきた。お盆を両手に捧げ持ち、
「ようこそおいで下さいました。粗茶でございます」皿の上にはアメ色の煎餅があった。曜子には馴染みの煎餅だった。花巻の銘菓「鼈甲煎餅」で祖母の旅館のお茶うけだった。
「お忙しいところにお邪魔致しまして申し訳ございません。その上美味しい 鼈甲煎餅まで」
曜子は畳に両手を突いて丁寧におじぎをしてから顔あげ良子を見上げた。二人は声を上げて笑った。
「鼈甲煎餅、どうして知ってるの?」
「お祖母ちゃんの旅館のお茶請け。お祖母ちゃん、花巻の生まれなの」
「良子はどうして?」
「花巻から毎月送ってくるの。父と母、漁が暇の時よく温泉に行くのよ。花巻の温泉で食べて気に入ったんだって。父は甘党なの。母がね、父の為に探してっていうので夏休みの初日、暑い中、花巻駅の売店を探したの。売店の人、親切な人でね、丁度品切れで送ってもらう約束したの」
「ベッコウってなに?あの眼鏡の縁かな?」
「そうでしょう。櫛やかんざしも。亀の甲羅よ」
「じゃあ食べると長生きするね」
「万年も」
「ハッハッハ」良子は快活に笑った。曜子も笑った。
「ご両親、鶴と亀、仲がいいのね」
「でもないの。時々夫婦喧嘩するの。この間、父がね、他所の女の人ジット見てたって、つまんないことで夫婦喧嘩するの」
「仲がいい証拠よ。夫婦喧嘩か~。うちではないな~。夫婦喧嘩。いいな!」
「さっきネ母さんから怒鳴られたのよ」「曜子さんが来るなら前もって云わなきゃ駄目じゃあないか、おまえの無二の親友だろう、だって」「うちの母さんすぐ怒鳴るの」「さすがに今はやらないけど中学の頃はよくぶたれたのよ」「どうしてぶつのって云うと、母さんの子だからぶつ権利がある、だってサ」「子の権利は母親の前では制限されるの?」「曜子のお母さんと雲泥の差よね。わたしも曜子のお母さんみたいな上品な綺麗なお母さんが欲しかったナ」良子の母親論は延々と続いた。
曜子には良子の母親論に差し挟む適当な言葉がなかった。しだいに孤独感がつのっていった。
「帰る」
「え、もう帰るの?何か気にさわった?」
「ううン。色々参考になった。ありがとう」
「え?何の参考?」曜子はそれには答えず微笑みだけ返して階段を下りた。
「駅まで送るよ」
「いいの。一人で帰る。送ってもらっても良子は帰りに道草するでしょう。お母さんにまたぶたれるわよ」
「ハッハッハ」良子は快活に笑って手を振った。
曜子の足は駅には向かず海岸に向かっていた。
「お母さん、怒るの、ぶつの、母の権利、夫婦喧嘩」良子の言葉が耳に纏わりつく。
物置に入れられてお仕置きされた桂馬の姿が重なった。あの時桂馬が羨ましかった。曜子は母に叱られたこともお仕置きされたこともなかった。

波が波打ち際をゆっくり走りながら、遠くまで細い線を引いていく。
曜子は波の行方を追いながら「どこまで行くのだろう,頼りない走りだナ」、大きなため息をついた。
「いつまでこんな事考えるのかな」想いはしぜんと口を動かし呟きに変わった。
曜子は片手を突きゆっくり腰を上げた。日はすでに落ちかかり西の山の端の雲が赤く燃え上がった。曜子は遠くの沖の方を見るともなく見ながら歩きだした。乾いた砂は足音を消し煙のように足首に纏わり付いた。
そうだ歌を歌おう。
「あした浜辺をさまよえば、昔の事ぞ偲ばるる。風の音よ雲のさまよ。寄する波も、貝の色も」学校で習った「浜辺の歌」が口を突いて出た。
曜子は歌が得意ではなかったが[浜辺の歌]は気に入っていた。寂しげな旋律がすきだった。作詞の、凝った昔風の名前には興味は湧かなかったが実名に似た作曲の成田為三の名に懐かしさを覚えたのだった。
曜子はまだ十六才、「昔の事ぞ偲ばるる」年齢ではない。しかし静に吹く風、穏やかな波、水平線に浮かぶ赤い雲は少女の感傷を誘った。
曜子は砂を引きずるように歩き小声で呟くように歌いながら歩いた。
やがて少女の感傷は無機質と化し曜子に迫った。
「おねえちゃん」大きな声に驚き顔を上げると大きな犬を連れた老人が立っていた。
「こんなに遅くどうしたんだね。べっぴんさんの一人歩きは危ないよ。早く帰らんといかん」
「なんなら、そこまで送ってやろうか?」大きな声だったが優しい響きだった。
「いいえ一人で大丈夫です。すぐ帰ります。ありがとうございます」曜子はていねいにお辞儀をして足早に歩いた。
「どうしてこんな時間にあんな淋しい海なんかに行ったのだろう」
「なに云ってるの、曜子さん!分かってるくせに。淋しいのよ、淋しいの、あなたは!どう気持ちの整理を付ければいいのか分からないの!駄目な曜子さんね!」ブツブツ呟きながら駅へ急いだ。
母が駅で待っていると云ったが本当だろうか。期待と、待っていてほしくないと、気持は半々だった。
野蒜の駅のホームに母は待っていた。風呂敷包みを膝に乗せその上に日傘を置き又その上に両手を置いて背筋を伸ばしてベンチに浅く腰掛けた姿は端正で美しかった。
かなりの時間待ったのだろう。曜子が近づくと顔だけ曜子に向けほほえんだ。ほほえみは少しこわばっているように見えた。
「ごめんなさい」曜子は母に寄り添うように腰を下ろした。
母は視線を遠くに移した。曜子も遠くを見た。日はとっくに沈んだのだろう、遠くの小島が黒く塊のように海の中に居座っていた。
曜子は島を見続けた。島は曜子の胸から抜け出した「何か」の黒点となって曜子に迫った。
しばらく互いの無言がつづいた。二人は遠くを見続けた。
母は遠くを見据えたまま
「曜子、、、、、」声は毅然としていた
「苦しいかい。苦しむだけ苦しみなさい。苦しまなければ答へは来ないよ」母はそう云っているのではないだろうか。
曜子は視線を落とした。
「お母さん」曜子は母の膝に顔をうずめた。
やがて曜子の背中は大きく波うった。
「いいのよ、それでいいのよ」母は手を曜子の背中に優しく置いた。
曜子の背中の波はしだいにおさまっていった。
「もう遅いから帰りましょう」曜子は顔を上げ母の顔をジッと見つめた。母の顔はまさしく*「絵本」の顔だった。  
つづく   卒業証書は終わり。次回は桂馬と温子の出会い。

注*「絵本」:曜子が実母の存在を知った時に実母の面影をきれいに想像させようと書いた母の手作りの絵本。残照5 卒業証書(二)参照

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