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Sun
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2014年10月12日 小平市サイクリングロードで写す

葉に悪臭、つまり嫌な匂いがあるのでついた名だそうだ。全国どこにでもある木。夏、枝先にテイカカズラに似た白い花が、かたまって咲く。その実が美しい。暗紫色の怪しげに底光りする輝きは黒真珠にそっくり。昔は着物の染料にしたという。なるほどとうなずける。
葉の悪臭はその美しい実を護るためかもしれないと思ったりする。この臭い葉を人間が食べるのだ。なんでも食べてみる人間、どんな動物よりもどう猛だナと。
昔、祖母がこの葉を茹でてザルに干してあったのを母が見て「なにも、こんなもの食べなくても」と呟いていたのを思い出す。
幼い時の記憶で、さだかではないが祖母が味噌汁の具にして食べさせてくれた。臭みはなく、とろりとしていたように思う。
薬にもなるらしい。昔、といっても4,50年前までは、ちょっとした病気、風邪や腹痛、下痢などは民間薬で治した。野山の草や木だ。特に苦みや臭み、形など、特徴のあるものに薬効があると信じられていたようだし実際そのようだ。
 
幅広の葉のクサギやアカメガシワ、高菜の葉までゴサイと呼ぶ地方がある。ゴサイは御菜葉の短縮。菜を盛る葉という意だという。昔は神のお供えをこれらの葉に乗せて供えたと聞いたことがある。人の手で作ったものでない清浄無垢の器で神に捧げるということだろう。

能「半蔀」では夕顔の花を神に供え「手に取れば、手ぶさ(手首の意)に穢る立てながら、三世の仏に花奉る」と謡う。
能「半蔀」は、源氏物語「夕顔の巻」の脚色。まぼろしのように儚く死んでいった、薄幸の女、夕顔と光源氏の出会いを焦点に,情緒のベールをかけ、おぼろ、朧と描いた作品。「雨夜の品定め」で、弱々しく内気な性格、又、無邪気な子供っぽい性格と評された夕顔の性格や、女の「いとおしさ」をも思わせる作品。
「夕顔の巻」からの作品にはもう一曲、世阿弥の自信作「夕顔」がある。「半蔀」と対をなすように全く趣の違う作品だ。ひたすら薄幸の女を描き源氏との愛の文言など無いに等しい。荒れ果てた「某の院」で取り殺される夕顔を語るクセは戦慄だ。薄幸の運命を背負った夕顔の霊は僧の弔いに成仏する。鮮烈な共感と安堵感が迫る。
この二つの作品、「半蔀」は名も無い人の作品、「夕顔」は能の大成者、世阿弥の作品。しかし上演頻度は断然「半蔀」が多い。世の人は悲恋よりも甘い恋物語を好むようだ。冗談が過ぎるようだが。
   詳しい解説は「曲目の解説」をご覧下さい。
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