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03.01
Sun
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2015年2月15日東京都調布市都立野川公園で写す

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2015年2月21日植栽


福寿草。なんとも幸せな名を頂いたものだと感心する。その名の通り花は満面の笑みを浮かべて咲く。葉がまたいい。鳥の羽のように細かく切れ込みきれいだ。七分開きの花は太陽光を受け易いようにと云うがそんな計算はそっちのけで幸せそうに咲いているように見える。
東北地方ではマンサグ、ツチマンサグと呼ぶという。雪の残る土の中から、まず咲き始めると云う意味だそうだ。まず咲くの“まず”は、緑も花もない荒涼とした冬景色の残る中に咲き出した嬉しさを云うのだろうか。
促成栽培の花を正月にも飾る。旧正月ごろから咲き始めるからと、貝原益軒は元日草と名付けたという。
この幸せ者も夏草が茂り始める初夏には実を結んで枯れる。だが大きな根は来年の夢を見ながら眠る。福寿草のように寿命の短い植物をエフェメラルプラントとよぶそうだ。儚い命をエフェメラ、カゲロウ(蜉蝣)にたとえという。
フクジュソウは毒草。女性に例えての諺だが「きれいな花に毒あり」を地で行く。根は強心剤。「毒と薬は同じ物」という見本。以前は薬用の栽培畑があちこちあったが今はトント見かけない。
昔は東京近辺では八王子周辺が野生の名所だったそうだ。八王子草と呼んだという。福寿草に限らず野生種の名花は激減している。生育地が荒れているのも一つの理由ではないだろうか。昔は落ち葉を掻き堆肥にし、草を刈って牛馬の飼料にした。野山はきれいに掃除され色々な草花の楽園だった。
昨年友人に牧野富太郎の「植物知識」を頂いた。牧野富太郎と云えば植物学の神様的存在。本は初心者向けの文庫本。
内容は初心者向けだが「前書き」と「あとがき」の植物に対する思いに圧倒された。
「自然は宗教、本尊は植物。儒教、仏教となんら変わらない」と云う。
“びっくり”をもう一つ「花は誠に美麗で且つ趣味に富んだ生殖器であり動物の醜い生殖器とは雲泥の差があり、とても比べものにはならない」と喝破しておられる。
図鑑を読んでも感じるように紋切り型のまじめな学者の中にあってこれ程人間味のある人だったのかと尊敬を新たにした。

福寿とは当たり前だが、福を祝福するということ。人は折り目節目に祝い事をする。正月、ひな祭り、還暦等々。能も天下太平、五穀豊穣を祈願、祝福する神事から始まったと云う。
お祝いの能「高砂」を知らない人は少ないと思う。結婚式に謡われる。数あるお祝いの能の中で結婚式に歌われる理由が「高砂」だけにある。

話の主役は爺さんと婆さん。名木、高砂の松を見物に来た阿蘇の神主、友成が松の下を掃き清めている老人夫婦に逢う。爺さんは住吉の人、婆さんは高砂の人だという。
住吉はここ高砂から大阪湾を隔てて遥か彼方。友成が、どうして離れて暮らしているのかと不思議がると、婆さんは「山川万里を隔つれども妹背の道(夫婦の情愛)は遠からず」と答え、爺さんも相生の松の例を引いて夫婦の道を説く。実は二人は高砂と住吉の明神だった。 

結婚式に謡うのは「高砂やこの浦船に帆を上げて」がよく知られている。これはワキ友成が、爺さんが住んでいる住吉に向かう場面。結婚式では二人の門出に、適例だとして謡うのだろうか。昔は同じ「高砂」の一節「四海波静にて、国も治まる時津風。枝を鳴らさぬ御世なれや。あひに相生の松こそめでたかりけれ」が一般的だった。

江戸時代、将軍は正月、江戸城に諸国の大名、江戸の町民を招いて五番立ての大がかりな能会を催した。先ず祈りの能「翁」、翁に付随して祝言の能が舞われた。
幕開け、楽頭格が将軍の方に向かい平伏「四海波」を謡った。「松こそめでたかりけれ」の松は松平、将軍家をも指す。
 今は毎年二月に能楽協会主催、東京都助成の本格五番立て「式能」が国立能楽堂で催される。御前十時から午後七時頃まで長大な式典だ。
能「高砂」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。
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