FC2ブログ
03.08
Sun
150308_1.jpg

150308_2.jpg

150308_3.jpg
2025年2月27日  東伊豆河津町で写す

150308_4.jpg
 2025年2月27日  南伊豆下賀茂温泉で写す

IMG_0775.jpg

IMG_0781.jpg

IMG_0784.jpg
寒緋桜 2015年3月14日 武蔵野市境で写す

春まだ浅い、澄んだ空気に広がる青空。ピンクの櫻がクッキリと浮かぶ。カワズザクラ。カワズサクラはいい。だから毎年ここ河津を訪ねる。三島から天城峠を越え、目が回るループ橋を降り、河津七瀧を左に、ひたすら下る。河津川河口付近が見所。カワズザクラ。河津櫻。この地が発祥の地だという。昭和30年頃見つかったというから未だ新しい。知らない人も多いかも知れない。十数年前に初めて訪れた時は出店もパラパラ。櫻も河口付近だったが年々花の帯は川を遡る。今年はウイークデーだったが人の波、車、観光バスでごった返しだった。駐車場は満車、仕方なく空き地に止めさせて貰った。心せくままに、そそくさと見て回り、調べておいた下賀茂温泉に移動。此処は静かだった。川岸にかなりの櫻並木が満開だった。下草のように菜の花も満開だった。菜の花は至る所に咲いていた。少し頂き帰ってから辛子和えにして食べた。八百屋のものより苦みがあったが野生の味がいい。

河津櫻は寒緋櫻と大島桜の自然交配だそうだ。農家の庭に植えて置いた大島桜と寒緋櫻が交雑した。どちらが父か母かは知らない。人間に例えれば有色人種と白人の混血。大島桜から花の大きさを受けつぎ、濃いピンクと早咲きを寒緋櫻から受けついだという。原木が今でも元の農家の庭に元気だ。河津櫻は接ぎ木で増やした。種を蒔いても河津桜にはならない。先祖返りするからだそうだ。

大島桜は伊豆周辺の山桜。伊豆大島に多く、名前の由来という。若木の葉っぱは桜餅に。大島で生産がさかんだそうだ。里櫻の代表、ソメイヨシノの片親でもあるという。

寒緋櫻は、初めて見る人はエッ、これって櫻?という人がいるかも知れない。変わった櫻だ。半開きに下向きに咲き、濃い緋色が櫻のイメージに遠いから。下向きに恥ずかしそうだが派手に美しい。それもその筈、沖縄出身だ。葉が出る前に房状に賑やかに咲く。沖縄の民謡カチャーシャが聞こえて来そうだ。石垣島に自生しているそうだ。沖縄では1月に咲く。元々の名は緋寒櫻。彼岸桜と間違えないようにと名を変えたと云うが、いやいや緋寒櫻だと譲らない人もいるらしい。

陽春の能は桜が主役。桜の精まで登場する。昔から日本人はどの花よりも桜を愛したのだろう。桜の能はやはり「熊野(ゆや)」。美女の憂愁を描いた作品。熊野は遠江ノ國(静岡)の人、横暴な平宗盛に愛されている。明日をも知れぬ重病の母の手紙を携え侍女がやって来る。熊野の帰国を切々と訴える母の手紙を、熊野が宗盛と一緒に読む「文ノ段」がいい。宗盛は許さない。気晴らしにと清水寺で花見の宴を催す。清水寺の地主権現の桜は洛陽一の桜の名所。清水へ向かう花見車の熊野、花見の宴で心もそぞろに舞う熊野の舞。美女の憂愁が滲み出て絶品。熊野は短尺に一首をしたためる。「いかにせん。都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん」散る花を母の命に例えた熊野の必死の訴えに、さすがの宗盛も心を動かし帰国を許す。宗盛の心が変わらない内にと、宴の場からそのまま旅立つ。
悲しみのどん底から嬉しさへと急転する美女の歓喜が美しい。
若い頃、師匠に熊野には国許に想う人がいたと聞いたがその気持ちで舞うのかと聞いた。師匠一喝。余計な事は考えるな。台無しではないかと。何が台無しか今も時々考える。
     
能「熊野」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。

comment 0
back-to-top