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04.05
Sun
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キブシ 2015年3月28日 西伊豆土肥で写す

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白花タンポポ 2015年3月28日 石廊崎で写す

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ヤブツバキ咲き残り 2015年3月29日 沼津御用邸で写す

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大島桜の実 西伊豆土肥清雲寺で写す

三月末、伊豆を訪れた。目的は春の花を撮るため。新潟の雪割草を目論んだが新潟地方は猛吹雪で断念。暖かい伊豆の草花に決めた。山桜が満開だった。道ばたの山桜を撮ろうと忍び寄ったら段差につまずき転んでしまった。手、膝、は血だらけ、足首まで捻挫。通りがかりの車の人が助け起しテイシュで血を拭いてくれた。続く車が四、五台止まり声をかけてくれた。あまりの痛さに、ろくなお礼も言えなかった。日本人は優しい。感謝!おかげで山に潜って花を探すことが出来ず足を引きずり道端の花しか撮れなかった。

キブシは、きれいという程の花ではないが春一番に咲く。オウ~咲いてる、春だな~と思わせる。長く細い枝にぶら下がって咲く。花の少ない時期に存在感だ。
木に咲く藤、木藤と信じていたら、黄藤だった。本当は木五倍子(きぶし)だそうだ。
木につく五倍子(ふし)という意味。五倍子は河原や藪に生える邪魔者の木、ヌルデの葉につく虫こぶ。お歯黒の原料。キブシの実もお歯黒の原料だった。
お歯黒は昔、既婚の女性が歯を染めた。ニッと笑って黒い歯を見せ、手を出しちゃだめよと。公家も染めた。

能には魅力ある公家が登場する。魅力№1は破天荒公家、源融(みなもとの、とおる)だ。平安前期、1100年前の人。嵯峨天皇の子。源の姓を賜って臣籍に下った。臣籍に下るのは皇族が増え過ぎるから。
融は六条河原に大邸宅を造った。宮城県の塩竃の景色を写した大庭園を造り、大阪湾から毎日、船で潮を運ばせて塩を炊かせ、その煙を楽しんだ。誇張だろうが人手三千。塩竃の景勝は都人の憧れだったのだ。
融の死後、宇多法皇に贈られたが、あまりの規模に手を焼き、荒れ果てて幽霊屋敷と恐れられた。源氏物語で夕顔の上が怨霊に取り殺された「某の院」は「河原の院」だった。
京都の東本願寺の別邸「枳殻亭(きこくてい)」は「河原の院」跡だという。

能「融」は前場、旅の僧の前に融の幽霊、汐汲みの老人が現れ、荒れ果てた「河原の院」に涙し、僧に昔の豪奢を語る。後場は、融の大臣が在りし日の姿で現れ遊舞の舞を雅に舞い、やがて月の都に帰って行く。人の憧れ「雅」を作った美しい名曲。
追善にこの曲の結末「この光陰に誘われて、月の都に入り給うよそおい、あら名残惜しの面影や」を謡う。「追加」という。結婚式などの慶事に謡う“高砂”は「祝言」

白花タンポポ
タンポポは何やら外国語に聞こえるが純然たる日本語。花の形が鼓に似ているからとか、鼓の擬音からとか。鼓の擬音は今はポンポンだが昔はタン、ポ、ポだった。つづみ草とも云ったらしい。
箱根の西、関西は白花タンポポが多い。関東から東では見たことがないが山梨のブドウ畑で見たことがある。黄色いタンポポは関西にカンサイタンポポ、関東にカントウカンポポ。北海道にエゾタンポポ、高山にシロウマタンポポ。花弁の下の苞が反り返っているのは西洋タンポポ。

ヤブツバキ
今回は寂しい花だったので。前回の蒸し返しながら。
この花を見るときまって思い出す。郷里に皆がキー爺と呼ぶ爺さんがいた。喜之助が本名。
何時も飄々と人生を楽しむ田園詩人だった。即興で作詞作曲して唄った。秀作を皆が唄った。その一つ「キ-(喜イ)が死んだら墓所に埋めて、墓所お前にツバキを植えて花を咲かせてヒョドリ呼んでキーよキーよと鳴かせたい」ヒヨドリはキーキーと甲高く鳴く。悪食だが優雅に花の蜜が好物だ。くちばしに黄色い花粉をくっつけてツバキの蜜を吸う。

オオシマザクラ
三月八日に紹介した「カワズザクラ」の片親「オオシマザクラ」。原木の花を撮りに行ったがあまりの人集りに近づけず断念した。今回、咲き残りがあるかナと期待したがご覧の通り既に実になっていた。

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