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2015年3月29日伊豆土肥で写す

ちょっとした山へ行けばお目にかかれるのでたいての人は知っていると思う。
派手に沢山咲く花ではないから目立たないがよくよく見ると可愛い。雄花と雌花があるらしい。子供達が雌花を手の甲に立てて遊んだ。今時の子供はもっと面白い遊びがあるらしいから見向きもしない。  
アケビは有用植物。実はもちろん若芽は少々苦いが山菜。蔓は籠などアケビ細工に、利尿剤でもある。昔は種から油を取ったそうだ。
実は卵形の薄紫。熟すと縦にパカッと割れ、綿のような果肉に包まれ、沢山の種が集まった握り拳があらわれる。口にすると甘い。他の果実とは甘さの質が違う。雑味のない純粋な甘さだ。山形の米沢で、種をくりぬいた果皮の中に味噌で和えた野菜などを詰めて油で焼いた珍味を食べた。苦かったが、“なるほど”の味だった。

米沢は上杉謙信の家来の子孫が暮らす町だ。米沢藩は穀倉、越後(新潟)から改易になった。米沢は山に囲まれた盆地、越後と雲泥の差だ。謙信の子孫というプライドから格式を守るための経費、加えて宝暦の大飢饉で餓死者が続出するなど、財政は破綻状態になったという。
ここで登場したのが上杉鷹山。鷹山は日向國(宮崎)の小さな、五万石ほどの高鍋藩、秋月家の次男坊。小さい頃から天才少年と云われたそうだ。幕府の肝煎りで上杉藩の藩主になったが小藩の出身だったので藩の重臣に馬鹿にされ苦労したらしい。
色々な産業を起こした。その名残が今に残る米沢織。
農村の振興に力を入れ人口を増やすために越後から女性を呼んで結婚させ、堕胎、間引きを禁じ、貧しい人に手当を支給したという。
人口減少が問題視されている今の日本、参考にならないだろうか。 
飢饉対策に力を入れ、冬を越すための保存食の作り方を集めた本「かてもの(糧物?)」を作った。天明の大飢饉には一人の餓死者も出なかったと言う。今でも郊外の屋敷の周りに「うこぎ(若芽をたべる)」が植えてあり往時が偲ばれる。
鷹山は米沢の人達の神様。神社に祀られている。
鷹山の卓抜した業績、政治理念を紹介した著書「上杉鷹山」はアメリカの大統領だったクリントンさんの愛読書だったそうだ。

米沢の自慢がもう一つ。小野小町。小町は出羽國郡司の娘。米沢の町外れにある小野川温泉に小町の腰掛け石というのがある。
小野小町は平安前期の歌人。六歌仙の一人。歌才、容姿共に抜群だったそうだ。語り継がれた美人は皆頭が良かったという。楊貴妃、クレオパトラ然り。賢く頭が良いのも美人の条件だろうか。
小野小町は美人ゆえに色々な伝説を生んだ。能ではお婆さんの小町が最奥にランクされる。
中でも「卒都婆小町」は老いて乞食になった無残な小町だから驚く。

能に「通小町」がある。深草少将が小町のもとに百夜通ったという、百夜通い伝説を作った作品。百夜通いの九十九日目の夜、突然死んでしまった男の凄惨な妄執を描く。背筋に戦慄が走る。
シテ(主役)は深草少将。小町はツレ(連役)。
前半、数々の木の実の名を連ねた「木の実づくし」の謡が美しい。木の実の数は少将が通った数を暗示しているようにも聞こえ、通ってくる少将を傍観するように非情な小町の姿が見えてくるようでもある。
シテ、深草少将は後半現れる。僧に成仏を頼む小町を阻み「さらば煩悩の犬となって打たるるとも離れじ」と凄まじい。
 少将は罪障懺悔に百夜通いを見せる。月の夜も、闇夜も、雨、雪の夜も。「たまたま曇らぬ時だにも身一つに降る涙の雨か」と叫ぶ。
漆黒の闇路を行く様を舞う「立回り」では風に笠を飛ばされ地面を這い回り探す姿が哀れだ。「かように心を尽し尽して」と、心の叫びが共感を呼ぶ。

「卒都婆小町」「通小町」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧ください。
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