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05.02
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サガバノスミレサイシン 2015年4月12日金時山で写す

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タチツボスミレ 2015年4月24日箱根仙石原で写す

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スミレ 2015年4月27日武蔵野市境南町で写す

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富士山 2015年4月12日金時山山頂で写す

スミレ、ロマンを誘う花らしい。宝塚の美女達が歌う「スミレの花の咲く頃、はじめて君を知りぬ」宝塚歌劇団フアンならずとも耳の片隅にあるのでは?
万葉の時代も恋心を誘ったようだ。
「春の野にスミレ摘みにと来し我そ、野をなつかしみ、一夜寝にける」よく知られた万葉の歌だ。
万葉の時代にも“野の花好き”がいたのだと嬉しくなったが、どうもこの歌、相聞歌らしい。つまり恋の歌だという。ガッカリしたりうれしくなったり。
スミレの種類は50種以上の多さ。当たり前だがそれぞれ、何々スミレと名が付く。姿や葉の色は違っても可愛い花の形はほぼ同じ。ややこしい名前は気にせず「スミレ」で可愛がりたい。

ナガバノスミレサイシン。スミレサイシンというのが日本海側にあるという。太平洋側にはないので、お目に掛かった事がない。大型のスミレで茎や根が旨いらしい。特に根はトロロで珍味と云う。ナガバノスミレサイシンはスミレサイシンに似ているから付いた名なのだろう。根はさほど大きくなく、とてもトロロにはならないが若い茎は美味しい。町の人家近くには無いが、ちょっとした山に行けばよく見かける。サイシンは細辛、根を漢方薬に。

タチツボスミレ。人家近くにもある一番身近なスミレかも知れない。多くのスミレは根際から葉が出るがタチツボスミレは茎がのびる。身近な割には変わった姿だ。茎があるのはタチツボスミレだけではないが。

スミレ。他のスミレは何々スミレと頭に付くがこれはただ「スミレ」。人家近くにも多い。
濃い紫が美しい。昔の人はスミレで着物を染めたそうだが、このスミレだろうか。昔からスミレの色は人々の憧れだったのだろう。
このスミレはヘソ曲がりだ。あまりの可愛さに鉢に植えても一,二年、いつの間にか居なくなる。残念と諦めていると鉢の外で花を咲かせている。思わず、鉢は窮屈だった?と話しかけたりする。草原や土手などに多いが、日当たりの良い石垣や道路のアスファルトの隙間に咲いているのを見かける。ヘンな場所が好きなカワイコちゃんなのだ。

富士山。もちろん富士山は野草ではない。だが、あまりの感動だったので誰彼となく話したいのだ。
仲間と箱根で謡曲の会をした。二十歳代からの仲間だ。グズグズ朝食を済ませて金時山に登った。前夜の雨で登山道はぐちゃぐちゃ。かなりの急坂に難渋したが、山頂からの絶景に息を飲んだ。掛かっていた雲が一気に晴れたのだ。少々ガスっぽかったが富士山の勇姿に圧倒された。
金時山は平安時代の武将、坂田金時にあやかってついた名。金時は源頼光の四天王の一人。幼名金太郎。ここで生まれ獣と遊び、熊などと相撲大会をしたと童謡に歌われている。
山頂の茶屋の「金時娘」が有名だ。茶屋の中に皇太子など有名人と並んで撮った写真が飾ってあった。写真は茶色かかって変色が進んでいた。時の流れに何かが胸に迫った。
当の金時娘はキノコ汁を作っていた。背中が見えた。背中は丸かった。

昔は早春の野や川岸で若菜を摘んだという。吉野川を菜摘川とも呼んだ。若菜は食べるために、神に供えるために。その中にスミレもあったのだろう。スミレも貴重な食材だったというから。
能には若菜摘みの情景がしばしば登場する。「求塚」「二人静」「國栖」など。求塚、二人静は以前紹介した。

能「國栖(くず)」は壬申の乱を脚色したもの。大友皇子に追われ、吉野の山奥に逃げ込んだ大海人皇子(天武天皇)を蔵王権現の化身らしい老人と姥夫婦が救うという話。
 シテ、老人夫婦の登場がいい。
「姥や給え。祖父(おおじ)が伏屋のうえにあたって、客星の御立ちあったは拝まい給うたか」古風なセリフ回しと雰囲気で、いきなり上古の時代に引きずり込まれる。
吉野の山中を彷徨う大海人皇子一行が老人の住処にたどり着く。老人夫婦は二、三日食事を召し上がっていない皇子に、老人は吉野川で釣った鮎を紅葉葉で焼いて、姥は吉野川の川岸で摘んだ、若菜、根芹を差し上げる。セリの中にスミレも混ざっていたかもしれない。
皇子は感謝の気持ちを込めて鮎の半身を老人に賜る。老人は昔、神功皇后が新羅(五世紀~十世紀頃、朝鮮半島にあった國)に遠征した時、鮎を放って戦勝を占った例に倣って吉野川に半身の鮎を放つ。吉野川の激流を飛び跳ねて泳ぐ鮎の様子を、老人は髪を振り乱して舞う。見どこらだ。
追手の武士に小屋を発見され、老人は皇子を船の中に隠す。追手と老人の息詰まる駆け引きは最大の見どころ聞きどころ。劇的緊迫感に圧倒される能だ。
老人夫婦は、天女が現れ舞を舞い皇子を慰めるだろうと静に退場する。やがて天女が現れ後に「五節の舞」と呼ばれる舞を舞う。
後場は修験道の守護神、荒神の蔵王権現が國を守る神意を見せて暴れ回る。

「國栖奏」を見に行きませんか。吉野町南國栖の浄見原神社で二月十三日に奏される。土地の人の説明で、天武天皇の即位の時奏されたものだという。古式豊に奏される。
  能「國栖(くず)」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧ください。

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