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05.09
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2015年4月17日 調布市神代植物公園で写す

初めてこの花の名を知ったのは二十歳すぎの頃だったと思う。花好きの山男の先輩に誘われて武甲山に登った時だった。「オイ花を見に行こう。ちょっとした山だぞ」山登りなど全く関心がなかったのか行き先など何も聞かなかった。兄のお下がりの古いスーツに古革靴、レインコートという出で立ちだった。
先輩は足下から頭のてっぺんまで見上げ呆れ顔に「マいいだろう」といった。
登山口にオドリコソウが群生していた。すーと伸びた茎がみずみずしくきれいだった。
「踊り子草だ。花を見てみろ。花弁の上の方が笠だ。笠を被った踊り子になぞらえたンだ」

武甲山はチチブイワザクラなど固有種もある山草の宝庫だが不幸にも石灰岩の山。
永年セメントの材料に掘られ1336メートルの山が消えようとしている。

郷土芸能には笠を使った踊りが多い。越中オハラ節、花笠音頭、佐渡おけさ、などなど。
佐渡おけさは盆踊りらしい。十数年前、佐渡で盆踊りの行列に出会った。道路いっぱいに静に踊っていた。歌詞は聴き取れなかったがよく聞く歌詞とは違っていた。
櫓を組んでの花やかな盆踊りに馴れていたので珍しかった。車だったので引き返そうかと迷った。踊りの列は踊りを中断、通してくれた。佐渡の人達は優しい。通りすぎて車を降り見物した。佐渡おけさは明るく闊達な唄だと思っていた。静に哀調を帯びていた。盆踊りは本来、死者を弔う行事。しみじみとよかった。丁度夕暮れ時、感慨一入だった。

能に登場する踊り子と云えば先ず「百万」。百万は実在したクセ舞の名手。「地獄のクセ舞」を得意としていた。昔の人は仏教を深く信仰していた。今のイスラム国よりも純粋に信心していたのだ。百万のクセ舞に、悪いことはしてはいけないと大いに感得したに違いない。
クセ舞は平安時代の、静御前の、あの白拍子の後を受け、南北朝時代から室町時代に流行った芸能。
観阿弥が能に取り入れ能の中心にした。能が永く受けつがれる芸能になったのも観阿弥の手柄ではないだろうか。昔は色々の芸能があったが、歌詞は残っていても音符がない。今のクセ舞の節が当時のままかどうかは知らないが少なくとも似ているのではないかと思う。同じことが同じように能に取り入れられた「小歌」にも云えるのでは。観阿弥は偉い。文化勲章を追贈したくらいだ。なりたくはないが総理大臣だったら。

能「百万」は行方知らずの我が子を捜す母親の話だが、子探しは作能上の方便、眼目はクセ舞の名手、百万の舞だ。
嵯峨の清涼寺の念仏法要に集まった群衆の前で俄狂女となった百万が我が子を捜すために色々な舞を見せる。
まず念仏の音頭取りが下手だと難癖をつけ、代わって音頭を取り山車を引く「車の段」、狂いの芸「笹の段」、故郷の奈良から子を捜して都に上る様子をクセ舞に作った「クセ」。
初めから終わりまで休むことなく舞い続ける。
舞の名手、百万らしく、舞づくめの曲だ。

能「百万」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。

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