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      2015年5月9日 山梨県北杜市で写す。

五月、山の木々を盛大に飾る。遠目には着飾った貴婦人だ。紫は高貴な色。房状の大きな花穂、マメ科特有の花の形が可愛い。白や赤みを帯びた紫など色々あるが、やはり濃い紫がいい。
万葉の昔から愛されてきた花だ。家持も、西行も、芭蕉も詠った。奈良、平安時代、政治を牛耳った豪族、藤原氏一族の家紋でもある。
園芸種も多いという。公園や神社、お寺の藤棚の下は花の頃はもちろん、夏の日陰を求めて満員だ。

図鑑などには落葉低木とあるが、上掲の写真の藤は、幹回りが一抱えもあった。高さ二十メートルもあろうかという大木の、てっぺんまで這い登って盛大に花を咲かせていた。
山で木を育てる林業の人達には厄介者だ。大事な杉や檜に絡みついて悪さをする。駆除するのに骨が折れる。
藤の生命力は桁外れだ。ずっと以前の話だが、林業の人が駆除した藤蔓を杖に山に登った。藤の杖は弾力があって突く度に撓み面白かった。藤の生命力を知っていたので、持ち帰り、試しに庭に突き刺しておいた。切って数日経っていと思うが、芽を出した。

藤は悪さばかりではない。昔の人の生活必需品だった。藤蔓で吊り橋を懸け、編んで籠など日用品を作り、皮で着物を作った。能「鵜飼」で“藤の衣の玉だすき”と謡い、万葉集には「須磨の海人の塩焼衣の藤衣、間遠にしあればは未だ着馴れず」があるそうだ。
「藤衣」は藤の皮の繊維で織った粗末な着物だったようだ。

行ってみたい藤の名所が二カ所あった。一つは富山湾、氷見。この辺り一帯は万葉の時代から有磯海と呼ばれ、景勝地。歌枕だ。七、八年前にここを訊ねた。榊葉乎布神社(さかきばおふじんじゃ)という古風な神社があり鳥居をくぐると大伴家持の歌碑があった。「英遠の浦に寄する白波いや増しに、立ちしき寄せて東風をいたみかも」
万葉人は都から遙々この地を訪れ、風光明媚な有磯海で船遊びをし船を寄せて藤を楽しんだという。神社の裏手は、眼下に富山湾が拡がり、杉の古木に藤が満開だった。英遠(あお)は氷見の10キロほど北、今の阿尾。
行き当たりバッタリに阿尾の宿に泊まった。宿の名は「マイアミ」。アメリカのマイアミを宿の名に拝借かと思ったら定置網の名だそうだ。「待ち網」の訛りだろうと勝手に納得した。露天風呂から眺める静かな富山湾、遥か彼方に立山連峰、すぐ目の下には松にまとわる満開の藤、ここは寒ブリで有名。少々時期遅れだったが並外れて美味しかった。至福の一日だった。

氷見を訊ねたのはもう一つ目的があった。氷見宗忠が寺に籠もって死者の相貌を写して能面、痩男を創作した上日寺を訊ねるためだった。訊ね訊ねたどり着いた寺周辺は前日の雨でぐちゃぐちゃ。おばあちゃん一人、留守番していた。宗忠の事を聞いたらチンプンカンプン。無理もない、訊ねる前に問い合わせた市役所の人も宗忠を知らなかったのだから。

松尾芭蕉は「奥の細道」の旅で、多古の浦の藤波を、花は無くても見たいと、奈呉の浦で所の人に聞いたら、道は磯づたいで海人の粗末な家ばかり、泊めてくれる人はいないだろうと脅され断念「早稲の香や分け入る右は有磯海」の句を残した。「奈呉の浦」は新湊市、「多古の浦」は氷見市、共に藤の名所、歌枕。この藤を作った能に「藤」がある。

もう一カ所訊ねたい藤の名所。東海道線磐田駅近くの池田にある行興寺の長藤。房の長さが1.5メートルもあるという。天然記念物。熊野(ゆや)の長藤と呼ばれ有名だそうだ。
訊ねたい理由がもう一つ。能「熊野(ゆや)」ゆかりの地だから。

能「熊野(ゆや)」は熊野、松風,米の飯と諺になった名曲。この曲のヒロイン、熊野(ゆや)はこの地、池田の宿の長者の娘。楊貴妃もかくやとばかりの美女だった。
平清盛の権勢を継いだ我がまま者、宗盛に愛され京都に止めおかれていた。
故郷、池田の母が明日をも知らぬ重病と侍女、朝顔が母の手紙を携え迎えに来る。
熊野と宗盛が詠む母の手紙、「文ノ段」が絶品だ。
それでも宗盛は帰国を許さない。熊野の気分転換を謀り清水寺、地主の桜の下で酒宴を催す。清水寺に向かう牛車からの眺め、花盛りの絶景も、母の容態を気遣う熊野の眼には入らない。勧められて舞う宴席の舞も心は池田の母にあってそぞろだ。美女の憂愁を描き、絶品だ。
熊野は歌を詠む。「いかにせん、都の春も惜しけれど、馴れし東の花や散るらむ」
さすがの我が儘者、宗盛も心を動かし帰国を許す。熊野の心の闇は急転、曙光へ。美女の喜びの舞が又々絶品だ。心優しい女を描いて又々又絶品。熊野ならずとも日本の女は優しいのだ。

能は人の心の深層に潜む本質をえぐり出す作品が多いという。能「藤」はこうした人間臭さを離れ、人々を美の世界への耽溺に誘う作品だ。
都の僧が善光寺へ向かう途中、氷見の里に立ち寄る。今を盛りの藤が松を覆い美しい。
僧は、「松を引き立て藤が咲いて散って行くことだ」という歌意の古歌を思い出し口ずさむ。
女が現れ「多祜の浦の汀に咲く藤は波までも藤色に染めることだ」の歌もあるのに藤を松の引き立て役にした歌を口ずさむとはと文句を言う。女は藤の精だったのだ。
後場、舞台後方には藤の花が飾られる。多祜の浦の景色だ。藤の精は藤の花の冠をかむり、藤の模様の衣装で再び現れ美しい舞を見せる。数々の氷見の浦、荒磯海の美景を詠んだ古歌をちりばめた詞章が絶品だ。昔の人の並々ならぬ花への愛着が滲み出る作品。
   能熊野(ゆや)」「藤(ふじ)」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。

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