FC2ブログ
07.04
Sat
IMG_1172.jpg

IMG_1182.jpg

IMG_1186.jpg
2015年6月19日 山梨県北都留郡丹波山村で写す

毎年この花を目当てに裏高尾に出向く。
自宅の鉢植えが散りしばらくして、そろそろ見頃かナと裏高尾を訪ねた。
花は既に終わり実になっていた。ガッカリ。悔しさしきり。
諦めきれず思いを巡らした。
青梅街道を遡り塩山に抜ける国道がある。山梨県に入り、丹波山辺りまで行けば標高が高いので、もしや咲いているのではと、次の朝、早起きして行ってみることにした。
生憎、朝から断続的に大雨が降った。
丹波山辺りは大雨が降ると通行止めになる。
対向車も後続車もなかった。心細かった。
柳沢峠近くで大群落を発見、嬉しかった。誰もいなかったから恥ずかしくない、両手を挙げて飛び上がった。
帰りに大菩薩峠の登山口にある、裂け石温泉に浸かるつもりだったが、あまりの嬉しさにすっかり忘れて素通りしてしまった。

ウツギは、卯の花の呼び名の方が通りがいい。
初夏、夏が来ましたヨ~といわんばかりに、純白の、釣り鐘のような花を盛大に、たわわに咲かせる。
花の重みで枝がたわむほど。純白の花盛りの美しさには息を飲む。
幹の中が空っぽなので空木。アジサイの仲間だそうだ。

卯の花といえば、芭蕉の弟子、曽良の句「卯の花をかざしに関の晴れ着かな」を思い出す。
「奥の細道」で芭蕉の供をして、白河の関を通ったときの句だそうだ。
芭蕉子弟の旅は、きびしい旅だったという。うらぶれた姿が目に浮かぶ。
能でもワキ僧が「やつれ果てたる旅姿」と謡うのがしばしばだ。
昔の旅は二本の足が頼りだったのだ。「やつれ果てたる旅姿」に実感が迫る。
この曽良の句は曽良の茶目っ気のように見えて好きだ。本当は極めてまじめな句だろうが。
昔は白河の関を通るときには正装して通るのが習わしだったそうだ。陸奥、みちのくへ入る儀式のようなものだったのだろうか。
曽良の句は、貧乏旅に晴れ着などあろう筈はないが、せめて満開の卯の花を頭に挿して晴れ着の気持ちにしよう、と云うのだろうか。
白河の関には、この曽良の句の句碑や、前九年の役、後三年の役でここを通った武将の歌碑が今でも苔むして健在だ。いよいよ地の果て、陸奥へ入るのだなという感慨の歌だったように思う。

五月の長雨、五月雨を「卯の花くだし(腐し)」というそうだ。能「歌占(うたうら)」では、大汗をかく様子を「時しも卯の花くだしの、五月雨も降やとばかり」と謡う。
能「歌占」は地獄の物語。
今では地獄を信ずる人は少ない。当時の人たちは地獄の存在を深く信じ己の生活を律していたという。

伊勢の神官、渡會家次は、神に暇乞いせず諸国一見の旅に出た。その神罰に俄に頓死して地獄の苦しみを受け三日後に甦った。
今は加賀の国、白山の麓で歌占を生業にしている。歌占は、歌を書いた短尺を引かせ、その歌意から引いた人の身の上を占うというもの。
家次の子は父を慕い白山にたどり着く。歌占によって親子は再会を果たす。
家次は地獄に落ちた経験をクセ舞に作っていた。客の所望に家継は地獄のクセ舞を舞う。
家継はこのクセ舞を舞うと神が憑き苦しむのだが、我が子と帰国出来るのだからと地獄のクセ舞を舞う。
果たして神が憑き、“卯の花くだし”のような汗を流し、震え、戦慄き、足を踏み鳴らして苦しむ。地獄の苦しみを舞い、神罰の苦しみを舞う、圧巻だ。

この曲は「地獄のクセ舞」を眼目にした作品。地獄を信じない現代人も「地獄のクセ舞」の凄惨に戦慄すると思う。
クセ舞は南北朝時代から室町時代に流行った芸能。「地獄のクセ舞」はその時のものを能に取り入れた。
クセ舞は、歌詞は残っているが、どんな節で歌ったのだろうか。能に取り入れられた「クセ舞」の節がそっくりそのままとは考え難いが少しは残っているのではないだろうか。
日本人は平安の昔から、歌謡に至まで多くの文化遺産を遺した。歌謡集では神楽歌、催馬楽、梁塵秘抄、閑吟集などがあるという。世界に例のない文化を持っている日本に、生まれて来てよかったとつくづく思う。

能「歌占」の詳しい解説は「能、曲目の解説」をご覧下さい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
comment 0
back-to-top