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07.11
Sat
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荒れ寺、在原寺に現れた女

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在原業平の墓に花、水を手向け合掌して昔を偲ぶ女

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生い茂るススキをかき分け井筒の底の水鏡に、業平の形見を着た己の姿を写して見、業平を偲ぶ女

先月28日に「井筒」を舞った。
井筒は能を大成したという世阿弥の作。伊勢物語、二十三段を脚色したもの。
平易な、解りやすい詞章で能に馴染みの薄い人も親しみやすい能だと思う。
純粋な、ひたむきな女性の恋を描いた作品。
こうした恋心は誰しも心に描き又は経験があろうから訴えるものは大きいと思う。

井筒は幼時から思春期、結婚後までの恋の物語を、女の追憶をとおして描いた作品。
女は紀有常の娘。男は有原業平。業平は登場しない。
「隣どうしの幼い男女が井筒(井戸の枠)に寄り添い井戸の底の水鏡に互いの姿を映すなどして無邪気に遊んだ。やがて二人は思春期を迎えた。男は女に恋文に添え歌を贈る。【筒井筒、井筒にかけしまろが丈、生いにけらしな妹見ざる間に】女も返歌した。【比べ来し、振り分け髪も肩過ぎぬ、君ならずして誰か上ぐべき】こうして二人は結ばれた。夫婦には危機もあった。業平に女が出来たのだ。女の許に通う業平の身を案じて妻は歌を詠む【風吹けば沖つ白波龍田山、夜半にや君が一人行くらむ】さすがの業平も妻の真心にうたれ、高安通いを止めた」以上が前場。
後場は紀有常の娘が業平の形見の装束、直衣、冠、太刀を佩いて現れ業平を偲ぶ舞を舞い井筒に業平姿の自分を映し業平を偲ぶ。

能の「次第」「下歌」は、続く物語の内容を要約又は暗示するものが多いように思う。
この曲の次第、「曉ごとの閼伽の水、月も心や澄ますらん」仏に水を捧げていると心も澄んでくるという。この女の心の曇りとはいったい何だったのか。単なる仏への帰依では無いだろう。
つづく下歌では「一筋に、頼む仏の御手の糸、導き給え法の声」と謡う。
御手の糸は、仏の手に懸けられた五色の糸。亡者はその糸の端にすがり往生する。
以前、地獄の亡者が憔悴し痩せ細った手で、仏の御手から垂れた糸に縋りついている絵を見たことがある。
この女の心の曇り、迷いとは何だったのだろうか。演ずる側にはしっかりしたものを掴んで演じなければならない。
シテの登場後、心情を述べるくだりは、“長渡り”と称して長丁場だ。息が上がり苦しい。その上情感を込めて謡わなくてはならない。劇の成否が掛かっているといっても大げさではない。苦しいなど云って居れない。

クセは一曲の中心。
幼時から馴れ親しみ、思春期を経て結婚するまでを物語る。地謡が謡うがシテの代弁なのだ。背筋を伸ばしあたかも自分が話しているようにしなければならない。ワキに向いたり外したりするのも、このためだ。
クセの前のサシで夫、業平に女が出来た“事件”が前置きのように語られる。奇異に思われるかも知れないが、この曲が純愛一辺倒ではない深み、を持たせていると思った。

今回は小書(本来の型を変えた演出)で、物着、段ノ序、古比ノ舞で演じた。いずれも後場の小書だ。
物着は中入りせず後見座で装束を着替える。段ノ序は「懐かしや」「昔男に」「移り舞」「雪を回らす」と区切り女の想いを強調し、「古比ノ舞」も女の業平への想いを濃密に圧縮した形に表現するため。アイ語りとワキの待ち謡いは省略される。
いずれも前場の情緒を、途切れることなく後場につなぐための小書だ。

後場は狂乱とまではいかないが、業平を追憶し思慕する女の心の昂揚が眼目。
型の緩急、謡い出しのタイミングなどに意を用いなければならない。細心の注意を怠ると一曲台無しになる。
生い茂る井筒の際のススキをかき分け、業平の形見の装束を着た我が姿を井筒の水鏡に写して見るところや、「しぼめる花の色のうて匂い」で、袖を巻いてひざまずく型がもっとも意を使うところだ。
「井筒の水鏡」の型は、二人の思い出の凝縮でありこの曲のシンボル。
「しぼめる花」は古今集仮名序での紀貫之の業平評を巧みに使って情緒を生み出しているところと理解した。

能「井筒」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。

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