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08.01
Sat
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2015年6月17日 長野県諏訪市車山で写す。

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2015年7月11日 岩手県久慈市で写す。

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2015年6月19日 山梨県丹波村で写す。花は終わり実になっていた。

暑さを感じ始める頃、中央高速沿いの山の処々に真っ白の固まりが浮かび上がる。クマノミズキだ。夏が近いなと嬉しくなる。高尾山近辺にも見られる。
花房は、指を広げた手のひらくらいで平、小花の集合。大木なので近くで見るのは難しいが、崖の下に生えている木で丁度目の高さに咲いているのを見た。真っ白な小花の群れが可愛い。
熊野地方に多いので「熊野水木」だそうだ。
水木の名は、水を沢山吸い上げるからという。材は真っ白、お盆やこけしの材料だそうだ。
 七月の中頃、盛岡から久慈へ出て、津波の後を仙台まで辿った。処々にクマノミズキが咲いていた。

最近まで「クマノミズキ」を「オオカメノキ」だとばかり信じていた。オオカメノキは、もの知りの友人に教わった。白神山地のブナ林に咲いていたのが印象的だった。
クマノミズキとオオカメノキは素人目には、似ていないこともないが、その違いは雲泥の差。大木と灌木の差どころではない。どうして信じ込んだのだろう、多分花の形が亀の甲羅を思わせ、気に入ったからだろう。

「オオカメノキ(大亀の木)」が気に入ったのには理由がある。高校生の頃まで、あだ名がカメだったから。
万事、反応が鈍く、こんなことがあった。
自宅で酔った兄と兄の友人が喧嘩を始めた。兄が友達の頭を思いっきり箒の柄でぶっ叩いた。血がしたたり落ちた。
これをニヤニヤ笑って見ていた。
 止めるのが常識だろう、やはりお前は亀か、と両親にひどく叱られた。
クマノミズキもオオカメノキも大好きだ。両方とも花の形、葉の形が「亀」を思わせるのだ。皇族にあやかって「おしるし」にしようかなと。冗談だが。

熊野地方は多雨で有名。クマノミズキも多いのだろう。
数年前、伊勢神宮、熊野三山を訪ねた。お伊勢参りで寿命を延ばそうという冗談に乗せられて。
二泊三日。一泊目は内宮近くの漁師の民宿。伊勢エビの刺身が絶品だった。
伊勢神宮は内宮も外宮も神さびた深い森の中。さすが日本の中心、信仰の中心。感涙とどまらず。少々大げさだが。
熊野三山も伊勢神宮の近くだと思い込んでいた。
伊勢神宮は三重県、熊野三山は和歌山県だった。伊勢神宮から熊野三山まで、車で5時間はかかったと思う。
悪い癖で行く場所の事もろくに調べず宿も行き当たりバッタリ。あちこちで道に迷った。お陰で日程が大幅に狂った。
しかし迷った道は鬱蒼とした大森林、山の上からの眺めも緑、緑、緑、緑の大波がうねっていた。おおいに癒された。無計画旅行の余得だと納得。
熊野三山、速玉神社、那智神社、本宮もそれぞれかなりの距離、これも予想外だった。
那智神社の大滝には圧倒された。映像で見るのと全然違う規模と迫力。那智神社は元々修験道の道場だったと云うが、頷ける。

三熊野は修験道のメッカ。
修験道は比叡山や吉野の仏教と三熊野の神道が習合したものだそうだ。吉野から熊野まで峻険なルートは僧達の修行の絶好の場所だったから。
 朝廷の信仰も厚かったという。後白河院は生涯三十数回行幸したそうだ。
和歌の神様とまで持ち上げられた、藤原定家は後鳥羽院の熊野御幸に随行、先払いのあばら屋で持病が起こり苦しんだと「名月記」にあるそうだ。
骨を刺す程の痛言を吐く変人だったという定家が、持病の苦しみに吐いた言葉が聞きたいものだと熊野古道を歩きながら思ったりした。

二泊目は本宮近くの湯峯温泉。本宮参りの人の湯垢離場(ゆごりば)。
三熊野行幸のお休み所でもあり、彼の小栗判官が湯峰温泉の湯で、死の淵から甦ったという伝説もある名湯。
今は少々さびれているが露天風呂が素晴らしかった。そのうえ宿代が思いの外、安かった。

昔、伊勢神宮近くの阿漕ケ浦は伊勢神宮に供える魚を獲るため禁漁区だった。
能に「阿漕」がある。この殺生禁断の海に網を引いて殺された漁師の話。
殺された阿漕の供養をする僧の前に阿漕の亡霊が現れ、禁漁の海に網を引く有様を再現してみせる。
イロエと呼ばれる網を引くシーン、恐ろしいほどの緊張が舞台に充満する。
阿漕は生活のため、禁漁の掟と仏の殺生戒を犯してまで、己の命と後世をかけて網を引く。戦慄が走る。
たちまち海は地獄の劫火に包まれ助けを求める阿漕の叫び声を残して能は終わる。
仏の前には貧者も弱きも容赦はないのだ。貧しき故に、弱き故に殺生戒を犯し地獄に落ちる。
宗教に縛られた中世の人々の叫びが聞こえる能だ。
能「阿漕」の詳しい解説は「能、曲目の解説」ご覧下さい。

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