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08.30
Sun
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沖縄県北谷町 東シナ海の残照

次第
砂内桂馬、団塊の世代。
世に在った日々は遠い。住む世を分かつ二つの世界、淀み淀む後の世に住む。
突然、先の世に回帰する。それは過去の幻影。残照の如く輝き、やがて閑かに消えて行く。
再び空虚に包まれる。

前回までのあらすじ。
桂馬は幼い頃、母親に女性に対する警戒心を植え付けられた。多感な思春期から、それは桂馬のトラウマとなって行った。
偶然、桂馬は桜子と知り合った。桜子は派手やかな雰囲気の女性だった。桂馬は警戒した。その桜子に桂馬は卒論の代筆を頼まれた。桂馬は桜子と度々会わざるを得なかった。桜子は東京の大学を選んだ経緯、医者である父の苦悩を語った。桂馬は桜子の意外な見識に驚きやがて惹かれていった。桂馬のトラウマは、しだいに霞んでいった。
冬休みを早めに桜子は故郷の寒河江に帰って行った。桂馬は上野に桜子を見送った。何かの予感だろうか胸騒ぎが桂馬を襲った。

桜子が寒河江に帰って十日程、桂馬も故郷の塩竃に帰った。従兄弟の左千夫が上野駅まで見送った。
「この間、久徳に話があると呼び出されたが、後で話すといって帰って行ったンだ。何か悩んでいるようだったがお前、心当たりはないか?」
桂馬はドキリとした。桜子がなにげなく話した「久徳さんから手紙がくるの。なんだか怖い」、その言葉が胸を刺した。
桂馬はうろたえながら「知らない」と答えた。

塩竃では父も母も姉の曜子も暖かく迎えてくれた。こびり付いていた左千夫の言葉が少しずつ消えていった。
次の日、桜子からの手紙を左千夫が転送してくれた。
桂馬は久しぶりに塩竃神社の急峻な階段を桜子の手紙を片手に登った。
はずむ息も、むしろ心地よかった。
塩釜港を見下ろす芝生に腰を下ろし桜子の手紙の封を丁寧に切った。
和紙に、淡いピンク色の折り紙を、花びらの形に切って貼り付けた手製の便箋だった。万年筆のインクが少し滲み花のようだった。
母が姉、曜子のために作った絵本を思い出しながら読んだ。

「昨日、父に誘われ湯殿山に行きました。駐車場から見上げる朱塗りの大鳥居が、空に浮かんでいるようで感動でした。芭蕉の銭踏む道は雪が薄ら積もって、銭は雪の下でした。
ご神体の霊岩から立ちのぼる湯の煙に、父は手を合わせていました。父の目に涙がにじんでいました。
土着の信仰と思っていたし、無信心の私も、あれほど苦しんでいた父だったのに、人間とはいったい何?と思いました。私もごく自然に涙ぐみました。
母は相変わらず、卒業したら郷里の医学部に入りなさいといいます。父は「止しておけ」と耳打ちします。
入れる訳もないのに、母の何かの含みだと思います。
そうそう、売店の夫婦コケシの一方が桂馬さんにそっくり。可愛かったので買ってきました。こんど一緒に行きましょう。また書きますね。」
桂馬は塩竃の住所を知らせようと葉書を書いた。雪の蔵王がきれいだと。
桜子からの返信はなかった。桂馬は待った。
わずか十日程だったが、桂馬はしだいに黒い雲に包まれていった。見送りに来た左千夫の言葉がよみがえったからだった。

桂馬の様子に気がついたのか、母はフミが入院しているので見舞いに行ったらと勧めた。
筋萎縮症という難病を患っているという。
桂馬には信じ難かった。健康そのもののイメージがフミだったからだ。
幼い頃の記憶がよみがえり懐かしさが胸と目を襲った。
フミは、小さな旅館を経営する祖母のお手伝いさんだった。中学を卒業してすぐ祖母のところに来た。
幼顔が残る丸顔に、くるりと大きな目、お下げ髪の可愛い子だった。
明るく陽気なフミは幼い桂馬の面倒をよく見てくれた。
ザリガニ釣りの記憶がいつまでも鮮明だった。
フミは二十歳前、祖母の肝煎りで後妻に入った。
桂馬の母はしきりに可哀想といった。
フミ自身が嫌がったという話は聞かなかったのに「フミは貧しかった両親が喜んだことが嬉しい」と云ったというが、本音だろうかと母は桂馬にしきりに愚痴った。
分別のある母がこうまで愚痴るのが不思議な程だった。
フミの嫁ぎ先は運送業を営んでいて裕福だった。フミは先妻の子とその後生まれた我が子を分け隔てなく育てた。

桂馬は青葉城跡へ通じる坂道を病院目指して歩いた。幼い頃の記憶がよみがえった。
桂馬と手をつなぎ、振りながら歌った「お手々つないで」のフミの歌声がよみがえった。
病室はベッド一つの個室だった。
フミは弱々しく入り口に顔を向けた。
桂馬はペコリと頭を下げ
「桂馬です」言葉は続かなかった。
桂馬はベッドわきの椅子に腰掛けフミの顔をまじまじと見つめた。
あの艶やかな健康色は消え青白かったが丸顔の大きな目は昔のままだった。
「桂馬ちゃん?ほんと?懐かしいわ。立派になって」消え入りそうな声だった。フミの目に涙が浮かんだ。
「昨日お母さんが来て下さったの。桂馬ちゃん、元気がないって。失恋でもしたの?」
「はい。きまった人がいるらしいンです」素直な自分が不思議だった。昔のフミと桂馬に戻ったのだ。
「いいわね。いまの私には喜びよりも桂馬ちゃんの、その悲しみと苦しみが欲しいわ。生きている実感がより切実ですものね。いまの桂馬ちゃんには無理だけど、後で解るわよ、きっと」フミは頭を用心深げにゆっくり上に向けながら
「今の私には喜びも悲しみもないの。そうね、考えて見ると私には“恋”はなかったナ。そりゃあ旦那様は優しくていい人よ、でも優しいと恋は違うものネ、贅沢だけど」フミは天井を見つめたまま、まばたきもなく、穏やかに口元が微笑を含んでいた。
「お祖母ちゃんの旅館にいた頃、これと云うほどのもの、何もなかったけど、これも青春の一つの形よね。でも楽しかったナ。そうネ私の唯一の初恋の人は桂馬ちゃんかナ」フミは弱々しく笑った。

桂馬は病院の坂を下った。
「喜びより悲しみ、苦しみ」つぶやきながら坂を下りた。
「重病を患うと、そうゆう心境になるのだろうか、でも何時か解るとも云ってた、何時かはとは何時のことだろう」ぶつぶつと呟いた。
家では母と姉、曜子が待っていた。
「どうだった?」
「ウン元気だった。教えてもらった。よく分からないけど。喜びより悲しみ、苦しみが欲しいって」
「何ヨそれ。まるで禅問答」曜子は真顔だった。
「元気はウソだけど。可哀想よね。まだ四十前よ。苦しみ悲しみの真っ最中なのに。苦しみ悲しみにも種類がある、桂馬、お前のことを云ってるのよ、きっと」母は肩を落と桂馬を見つめた。母も桂馬の変調に気付いていたのだろう。
ともあれ桜子に手紙を書こう。桂馬は机に向かった。

正月の休みも終わり桂馬は大崎の下宿先、叔父の家に帰った。
「ラブレターが来てるぞ」従兄弟の左千夫が封筒を鼻先に突きつけた。
「彼女か?お前も隅におけないナ、坊やみたいな顔して中々やるじゃあないか」とニヤリと笑った。
「違いますよ、ただの知り合いです」
手紙は、私も桂馬さんにどうしても、どうしても聞いて欲しい事があります、とだけの文面だった。
桂馬は場所と時間だけの簡単なハガキを書いた。

桜子は渋谷のハチ公の前で待っていた。ハンドバッグを前で両手に持ち、視線は遠かった。桂馬が近づくのも気が付かなかった。
「ごめん。待たせた様ですね」桂馬は努めて明るく声をかけた。
「いいえ」桜子は弱々しく微笑んだ。
「以前、コーヒーが美味しい店があると言ってましたね。その店に行きましょう」いつの間にか敬語になっていた。緊張の所為だった。
知り合って間もなく桜子に誘われた店だった。
その時桂馬は断った。桜子に対する警戒心からだった。
むげに断った稚気がよみがえった。
店は女性の客が多かった。時折嬌声が聞こえた。ここだったら桜子の話が無理なく聞けるかも知れないと桂馬は思った。
桜子は桂馬の胸の辺りをじっと見つめながら、
「私が寒河江に帰って二週間ほど、久徳さんが訪ねて来ました。電話があったのです。
驚きました。ほんとに驚いたのです。
新宿のカチュウシャでご一緒した帰りに送って頂いたあと、二回ほど下宿の洗足まで訪ねて来られて。
その時は仕事の用で近くに来たのでとおっしゃって、駅前で、世間話でした。
心に留めるものは何もなかったのです」桜子はうつむきハンカチを鼻に当て言葉を切った。
「何の用で寒河江まで来たのだろうと不思議でした。寒河江の駅の改札を出てしばらく、急に振り返り、私の目を凝視して“オレは何人か、女と付き合ったが特別な思いはなかった。オレは初めて女に惚れた。お前を、どうしようもなく好きになったのだ”こういったのです」桜子は俯いたまま
「私の幼稚な経験の中で想像もつかない大事件でした。久徳さんは一泊して東京に帰っていきました」桜子は顔を上げ桂馬の目を見つめ
「日が経つにつれ、私の頭の中に大事にしまっておいた物までが徐々に消えて行ってしまいました。久徳さんのことが頭の中を占めていきました」
“大事にしまっておいた物”とはなんだろう、もしかしてオレの事もあるのだろうか、“消えていった”とは、オレは桜子にとってその程度の存在だったのだろうか。
それとも久徳の言葉の他に、全てを消し去る重大な事が起こったのだろうか、桂馬の頭の中は急回転だった。
「前にも手紙に書いたと思いますけど、父の苦悩を見て思ったように、これからも一匹の動物になるのだと思います。身体が命ずるまま、生きていくのだと思います」
桂馬は相づちも打たず聞くだけだった。何はともあれ桜子に対する自分の気持ちを伝えなければと焦ったが「身体が命ずるまま生きる」という桜子のその言葉が重かった。桂馬は己の不甲斐なさが悲しかった。

二人は顔を見合わせ立ち上がった。コーヒーは手つかず、そのままだった。
「目黒まで送ります」桂馬の発した言葉は唯それだけだった。
目蒲線の改札前は通勤客の帰宅前か、人はまばらだった。
二人は肩を並べ改札に向かった。
いきなり大きな腕が伸び桜子の右の手を掴んだ。久徳だった。
桜子は鋭い声を上げ久徳を見上げ、うなだれて久徳に引きずられて行った。
桂馬は息をのんだ。何が起こったのか認識するまで時間がかかった。遠ざかる二人を見据え、立ち尽くした。

つづく



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