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10.31
Sat
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奥多摩方面の残照 2015年10月30日 武蔵野市武蔵境駅前スイングビルから写す。

次第
砂内桂馬、団塊の世代。昼とも夜ともなく日を過ごす。
時に思い出が訪れる。それは残照。しばらく輝き、そしてしずかに消えて行く。

ギャー。鋭い声だった。
鳥だろうか。
桂馬は足を止め、声の方向を見上げた。
尾の長い灰色の鳥が大きな木に止まっている。木には白い掌状の花が満開だった。
桂馬は高尾の登山口にいた。
「尾長だよ。格好いい割に声が行儀悪いネ。白い花は熊野ミズキ」
背後から声がした。桂馬は操り人形のように振り返った。
「アッ森田さん」
「僕も五代さんに教えてもらったンだよ。あの鳥と花の名前」森田が後ろを振り返った。
森田の後ろに若い女性が、目を剥いて口を半ば開けて桂馬を凝視して立っていた。
「どうしたの?五代さん。この男が、そんなに珍しい顔をしてるの?」
温子は慌てて視線を落とし、「ごめんなさい」と頭を下げた。
白い半袖のブラウスがまぶしかった。
お下げ髪の丸顔が塩釜のフミに似ていると桂馬は咄嗟に思った。
「実はネ、君に似てるな、と後を追って来たンだ」
「こちらの綺麗なお姉ちゃん、五代温子さん。福岡県出身。“梅が枝餅”の大宰府天満宮の近くだって。今、地元選出議員の秘書をしているンだ」森田は温子をふり返り
「こちら砂内桂馬君。宮城県塩釜出身」
「大学の後輩でネ、同じ会社で一緒だったンだ。助けてもらってネ、いわば命の恩人」
温子はぺこりと頭を下げ、うつむいたまま隠れるように森田の後ろに廻った。
「君にはろくに挨拶もしないで会社、辞めてしまった。わるかった」森田の誠実そうな物腰は元のままだった。
「今、親父の仕事、本屋を手伝っている。後を継ぐことになると思う」
「子供会の世話役もしていてね、五代さんに手伝ってもらっているンだ。今日は遠足。いま子供達はお土産買っている。遠足よりもお土産買うのが楽しいようだ」
「ところで君はまたここにどうして?」森田は足元から頭のてっぺんまで見上げて
「その身なりでは山歩きでもなさそうだし」
「定京さんの一周忌の法事だったンですよ。技術課の定京さん、森田さんも知っていると思う、何しろ名物男だったから。去年、風呂場で倒れてそのまま逝ってしまったンです」
「あ、あの定京さん。山伏もやってた。裏高尾で滝修行していたよね、僕も誘われたナ、懐かしいネ」
「それは残念だね。本人も心残りだったろう。何しろ意欲の塊の様な人だったから」森田はボソリと呟いた。

森田は桂馬の会社の先輩だった。
温厚でおとなしい性格だった。
営業部だったので取引先の接待の席も多かった。
森田は酒に弱かったが、いつの間にか可なりの量を飲むようになった。
もともと酒に弱い体質だった所為かアルコール依存症になった。
病状は急速に悪化、入院という事態になった。
温厚な誠実な森田は取引先との折衝にはなくてはならない存在だった。
完治しないまま退院した。
退院した森田に、営業部の人達は、時には部、課長も出て、退院祝いと称して度々席を設け森田に酒を無理に飲ませた。
病院で処方された、酒を受け付けない薬を飲んでいた森田は、嘔吐しながら酒を飲んだ。
心優しい森田は断れなかったのだ。
森田はすっかり元の病状に戻り、再入院となった。
瞬間激高型の性格だった桂馬は先輩の危機とばかり営業部に怒鳴り込んだ。
部長はニヤニヤ笑って相手にしなかった。
森田は再入院した。森田は会社を辞めた。

「折角、久し振りに会ったのだから一杯、と云いたいところだが子供たちがネ」
「森田さん、また酒、飲んでるンですか?」桂馬は思わず目を剥いた。
昔の森田の姿が蘇ったのだ。
「付き合いにビール二杯位は飲むヨ、あとはウーロン茶。もともとそう好きではなかったから。だが酒の席は嫌ではないよ。」
「女房に散々説教されてネ。君が部長に怒鳴り込んで。一時はどうなる事かと身が竦む思いだったが。まだ会社に執着があったからねえ。結局会社、辞める決心をしたんだ。君と女房のおかげだよ。今はこのとうり」森田は腕を二度突き上げて見せ
「君にこんな処で遇うなんて、奇遇も奇遇。ゆっくり話したいが、そろそろ子ども達が。今度またゆっくり会おうよ」森田は手をあげ振り返りながら去っていった。
温子も後に続いた。
桂馬は二人の後ろ姿を追い続けた。
古い記憶の底に沈んだ宝物を思い出し、懐かしむように。

「森田さん」温子が森田の背中に呼びかけた。
「うん。どうしたの?」森田は歩きながら振り返り
「桂馬が気に入ったの?」と笑った。
「でもダメだよ。桂馬は会社でも名うての女嫌いなんだ」「ハッハッハ」
「男嫌いなら私も負けないわ」笑いながら応じた温子は急に真顔になり足を止め
「私、あの人知ってるの」
「えっ」森田の笑顔が消えた。
「去年、九月の初め頃、あの人と中央線の電車の中で出会ったの」

その日、温子は夏休みが終わり、土産の“梅が枝餅”を届けに父の友人の代議士宅を訪ねた。
梅が枝餅は代議士の奥さんの好物だった。
犬好きだった奥さんは大型の犬を三匹も飼っていた。
温子も大の犬好きだったのでしばしば代議士宅を訪れ犬達と遊んだ。
代議士宅の裏は小金井公園に隣接していた。
隣は農家の栗林だった。手入れも行き届かず荒れ放題で境界の竹垣も壊れ、犬達の格好の遊び場だった。
犬達は温子を待っていたかのようにじゃれつき栗林に誘った。
小金井公園にまで侵入した犬達を、連れ戻すのにクタクタだった。
久し振りに犬達と遊んだ温子は、心地よい疲れに充実して武蔵小金井駅から電車に乗った。
太陽は大きく傾いていたが、夏の名残の日差しは暑かった。
車中はガラ空きだった。片隅の席にお爺さんが一人居眠りしているだけだった。
温子は解放感に叫びたくなり、わざと座席の中央に、ドカリと音を立てて座ったが、やがて犬達との遊びがきつかったのか温子の肩から眠気が下りてきた。
温子は両手で奥さんに貰った“月下美人”の苗木をしっかり抱え込んだ。
「あなたに似た白い水蓮のような、きれいな花が咲くわよ」
ミズゴケで丁寧に包みながら奥さんが話した言葉が、夢現の遠くから木霊のように、かすかに聞こえてきた。
“ゴトン、バサッ”異様な音に温子はハッと目を見開いた。
斜向かいの床に分厚い黒い表紙の本が落ちていた。
男が両手をだらりとぶら下げ眠っていた。
温子は弾かれたように立ち上がり本を拾い上げた。
表紙に「旧約聖書」と書いてあった。
温子は男の両手の袖口をつまみあげ膝に乗せ本を抱かせた。男は薄目を開け、うつむけた顔をコクリと動かし、また目をつぶった。
どこから乗り込んできたのだろう、短時間にこうも安々と眠りこけるとは、犬十匹とでも遊んだのですかと呟いて苦笑したが、叉落とさないかと心配で眠気は飛んで行った。
男は異様な格好だった。
薄いグレーの夏服にネクタイ、黒の革靴、どう見ても典型的なサラリーマン姿だった。
異様は頭だった。
女性が入浴のときかぶるネットの帽子をかぶっていたのだ。長い髪がネットの中に包み込まれているのだろうネットが膨らんでいた。
異様な男の姿と旧約聖書とが不釣り合いだった。
温子の腑に、なかなか落ちない男の様子は、温子の好奇心を掻き立てた。
電車は温子の下車駅、荻窪駅を通り過ぎてしまった。
「よし!この男の正体を突き止めてやろう」
「少々はしたない所業だが、たまには好奇心を満たすのも精神衛生上もいいものだ」温子の興奮は高まっていった。
男は中野駅で、弾かれたように目を開けきょろきょろと辺りを見回し、駅を確認したのだろうまた目をつぶった。
男が座席を立ったのは新宿だった。温子も後に続いた。
男は脇見もせず人込みを器用によけ東口に出た。
山手線ガード下、青梅街道の横断歩道を渡り、西武新宿駅入り口前で立ち止まった。
男は道路を横切り「西武」と書いた店に消えた。
酒場らしかった。
「この人はこの店で働いているのだろう」
「追跡完了、帰ろう」
温子は西武線の切符を買い改札に向かった。
温子は立ち止まった。
「頭はネットを取れば店員らしく見えないこともない、だが聖書と夏服と靴が不似合だ」
「よし追跡再開」温子は散々迷い、意を決して「西武」のドアを開けた。
温子は行動的な女だったが、こんな冒険はしたことはなかった。しかも怖い歌舞伎町で。
温子を動かしたのは一体“何”?温子には後々まで永遠の謎だった。

話に聞くショットバーというのだろうか。
男はカウンターの奥にいた。
大きめのグラスを前に、頬杖をついてジッと何かを見つめていた。
バーテンというのだろう、白いシャツに黒のチョッキ、蝶ネクタイ、前掛けの男がコップを熱心に磨いていた。
「後から友達がきます。待たせて貰っていいですか?とりあえずアップルジュースください」温子の声は上ずった。
後ろの棚には酒の瓶がずらりと並んでいた。
これほどの種類の酒を、客は知っていて飲むのだろうか、温子には異様な光景だった。
酒の瓶はいろいろの色、形をしていた。
温子は瓶たちに見入った。
薄暗い明りの中で、生きているかのような、その姿に温子は魅せられていった。
瓶たちはチカチカと自己主張を始めて温子に迫った。
温子の緊張は膨張し、耐えられなくなった。
「すみません友達が来ないようです。お勘定をお願いします」
温子はあたふたと椅子から下り、ドアを開け、左右も確認せず店の前の道路を横切った。
「もしもし、忘れ物。ここに置いときますよ」面倒臭そうな声が背後から聞こえた。
あの男だった。
ドアから半身だけを乗り出し、こちらは見ずに包みをドアの外に置いた。
奥さんに貰った月下美人の苗木だった。

つづく






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