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12.19
Sat
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ムクゲ 2015年9月5日 武蔵野市で写す。

生け垣などに、ごく普通に目にする。珍しくない所為か誰も気に止めない。清楚な美しさがもったいない。
日本原産かと思っていたら中国産だそうだ。詩経に載るというから中国では二千数百年前から愛されていた花なのだろうか。韓国の国花でもある。一日花で、咲いては萎れまた咲き、延々と咲き続く。その姿に韓国の人は永遠性を感じたという。
ムクゲ、漢字で槿、の仲間にはハイビスカス、フヨウ(芙蓉)、モミジ葵など、きれいな花が多い。

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ハイビスカス 2015年8月22日 沖縄県糸満市で写す

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フヨウ 2015年10月2日 武蔵野市で写す

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モミジ葵 2015年9月13日 武蔵野市で写す。

「道の辺の槿は馬に食われけり」よく知られた芭蕉の句。
芭蕉は言葉の遊びに近かった俳諧を芸術の域に高め、俳聖と言われた人。
この句を詠んで弟子のひんしゅくを買ったと聞いたことがあるような気がする。確かどうかは分からない。弟子の顰蹙を買ったという理由は分かるような気がする。
芭蕉の「奥の細道」の大行脚は平安後期の大歌人、西行の奥州行脚の跡に憧れた旅だったと、これも聞いたような気がする。
芭蕉は持病もちで、死をも覚悟して旅立ったという。
白河の関近くの、遊行柳で芭蕉は「田一枚、植えて立ち去る柳かな」の句を残している。
遊行柳は西行が「道の辺に清水流るる楊蔭、しばしとてこそ立ちとまりけれ」と詠んだ旧跡。芭蕉の憧れの地でもあったのだろうか。
白河の関は地の果て奥州への玄関口であったという。
十数年前にもなろうか、新聞のコラムに、奥の細道紀行の芭蕉の手控えの、「田一枚」の句は、別に貼った紙に書いてあった。その下には別の句が書いてあったことがレントゲン撮影で発見されたとあった。
芭蕉は遊行柳で詠んだ句が、余りにも西行の歌を意識し過ぎていると思って作り直したのではないかともあった。芭蕉の句の「植えて立ち去る」に、西行の歌「しばしとてこそ」の心を残したとも。
西行は当時の人の憧れだったのだ。「能」に作らない訳がない。西行の「道の辺に清水流るる」の歌を種にした、能「遊行柳」だ。

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閑寂な舞を舞う古木の柳の精
能「遊行柳」は古木の柳の精が舞う、閑寂な情趣の舞が魅力の能。
西行の歌「道の辺に清水流るる」の歌を種に、老体の品位と尊厳を、日本人の感性で引き出した作品。
柳の精の老人は「序ノ舞」をまう。「序の舞」は優艶な女性が舞う、優美な舞というのが通念だが、優美とはまた異質の美しさに、昇華した舞となる。
「クセ」では柳に纏わる故事を、美しい詞章を連ねて舞う。
中でも源氏物語、若菜の巻、女三の宮の物語に登場する、蹴鞠や、飼い猫の話の「蹴鞠」の型や「手飼いの虎の引き綱」などの変わった型が魅力だ。

その上から戦中までは目上の人や、老人を敬い大切にする気風があったが、今ではトンと忘れ去られた。こう老人が増えた昨今では猶更だ。「老人の日」はあるが。
能「遊行柳」の詳しい解説はこちら

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