FC2ブログ
01.02
Sat
明けましておめでとうございます。
拙い文章をお読み頂き誠に有り難うございます。
野草の花好きが昂じてブログをと思い立ちました。ですが野草の知識は極、ごく浅薄です。
「能」もついでに紹介させて頂いています。情熱だけは一流ですが、三流半の楽師ですので、当を得た紹介は、これも身に余ります。文章も素人故、御判読頂きたいと存じます。

めでたさも中くらいなり、おらが春。
めでたい正月に水をさすようで申し訳ないが、正月毎にこの句が頭をよぎり、少年の頃の正月を思い出します。一茶の真意や本当の句の意味は分かりませんが自分流の解釈で。

IMG_1964.jpg

武蔵野市内の植木屋さんの庭先に毎年正月に飾られます。定番の門松よりも願いを込めているようで嬉しい。南天、万両、千両の実の赤が正月気分をあおります。

IMG_1963.jpg

ナンテン 2015年12月20日 武蔵野市内で写す。
漢字で南天、難を転ずると縁起をかついで正月に喜ばれるといいます。

IMG_1934.jpg

マンリョウ 2015年12月28日 武蔵野市内で写す。
漢字で万両、センリョウ(千両)と共に古くから正月の飾りに喜ばれてきました。

IMG_1989.jpg
センリョウ 2016年1月1日 武蔵野市内で写す。

IMG_1915.jpg
IMG_1972.jpg

ロウバイ 2015年12月31日 武蔵野市内で写す。
花の少ない初冬に咲く有難い花。蝋細工のよう花だから蝋梅、陰暦12月の異称、臘月に咲くから臘梅とも。
繊細な蝋細工のような花びらが魅力。そのうえ気高い香り。
たとい百花両乱の季節に咲いたとしても目を引こと請け合いの美しさだ。
二月に入ったら、この花を見に北鎌倉の明月院をよく訪ねた。この頃満開の見ごろ。
古い話だがバリ島でマンゴスチンを食べた。余りの美味しさにタネを持って帰り、猫の額に蒔いた。
翌年の春、ツワブキの葉のような形の小さい葉が二枚現れた。見たこともない怪しげな形だった。マンゴスチンに違いないと喜んだ。
本葉らしき葉が出た。成長につれて普通の木の葉になった。触って見たらザラザラ。
蝋梅だった。よくよく思い出してみたら、その前の年だったか、明月院で拾って埋めておいたタネからでた芽だった。
ロウバイは蝋梅と書いても梅に縁も所縁もないそうだが、梅は緒花に先駆けて咲き、松竹梅と呼ばれ、目出度い花として親しまれている。その梅にあやかった呼び名でもあるだろうか。
梅の花が主題ではないが悲惨な物語に、梅の花を薫らせた能がある。能「弱法師」だ。

yoroboshi.jpg

“おう、見るぞとよ見るぞとよ”心眼に浮かぶ景色に呼び掛け叫ぶ盲目の少年、俊徳。

能「弱法師」は盲目の少年、俊徳丸の悲惨な境涯を描いた物語。
俊徳は人の讒言により父に家を追われ、悲しみの涙で盲目となり、天王寺の観音にすがり、人の施しに命を繋ぐ。盲目故、よろめき歩く姿を弱法師とあだ名された。
「出で入りの、月をみざれば明け暮れの、夜の境を得ぞしらぬ。、、、、、深き思いを人や知る」少年、俊徳の悲愴な述懐だ。
父道俊は、さすがに哀れに思い俊徳の後世の往生を願う七日間の施行を行う。
施行の場に現れた俊徳に、父道俊は、我が子とは知らず弱法師と呼び掛け、施行を受けるよう勧める。悲しい出会いだ。
俊徳は袖を広げ施行を受ける。折しも梅の花が満開。ふくいくと梅の香が漂い、花びらが俊徳に散りかかる。俊徳は花も施行と袖に受ける。詩情漂う場面だ。
深い悲しみは梅の香に包まれて香を増し、馥郁とした気が観客の胸に染み渡る。
父道俊は日想観の時間だと教える。日想観は西方極楽浄土を想念して入り日を拝むのだ。
シテ俊徳は杖を使い閑かに舞台を一巡する。イロエだ。目に見えない入り日を心眼で見、浄土を想念する清らかな姿が目に沁み入る。
浄土への想念は、やがて過去に見た難波の浦の情景に変わっていく。若い盲目の少年の血が過去を呼ぶ。
「月落ちかかる淡路、、、、、絵島、須磨、明石、紀の海までも見えたり見えたり。満目青山は心にあり」「おう、見るぞとよ、見るぞとよ」と叫ぶ。
昔への憧憬は狂おしく昂揚し過去の幻影を求めて、杖を象徴的に使い舞台いっぱいに、橋掛かりまで使い、舞い狂う。
「狂い」と呼ぶ場面だ。この狂いを見せるために作られた能だと思われてくる迫力だ。
能「弱法師」の詳しい解説はこちら


comment 0
back-to-top