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06.24
Tue
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26年6月18日写す。

町を出ると原っぱや、道ばたにまで咲く。花の色合いはさほど美しいとは云えないが姿形がこの上なく魅力てきだ。富士山の三合目辺りの火山礫に大群落があった。瘦せて背も低く、花も一つか二つ。その姿がこの上なく可愛かった。蛍袋。山小菜の名も。「火垂る」は提灯のことだという。下向きに垂れ下がって咲く姿が、提灯に似てからだそうだ。子供が蛍を入れて遊ぶからとも。蛍を入れて遊ぶには少々小さいがイメージに合う、そう思っている人が多いのでは。
山小菜は若芽を野菜として普通にたべるから。馴染み深い山菜だ。

「能」に登場する草花を取り上げようとの試みであったが、能では花はあまり登場しない。秋の七草など、限られている。いきおい、こじつけになり不自然このうえもない。野の花好き、能好きには、こじつけ、また楽しからずや、にしておこう。

能「葵上」で「水暗き沢辺の蛍のかげよりも、光君とぞ契らん」と謡う。愛する男を恋敵から奪い返そうと、悲痛な心情を謡う。
「葵上」は源氏物語、葵の巻から。高貴な女性、二条御息所の嫉妬を描いた作品。御息所は高貴な身分というプライドをもってしても押さえ切れず、生き霊となって病床に伏す光源氏の正妻、葵上を襲う。言い知れぬ哀れさがひしひしと胸をうつ。上演回数、一、二を争う名曲。一般の興味は鬼となって現れた御息所の怨霊と調伏の僧との激闘だが、また、恨みの生き霊となった理由を述べる心情の吐露が心を打つ。身に多少の覚えがあるからだろうか。続く「後妻打ち」(うわなりうち、室町時代にあった風習。恋敵を妬んで打つこと)の「枕の段」が迫力満点。見所だ。

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06.17
Tue
イワタバコ
イワタバコ   イワタバコ科   2014年6月15日写す 植栽 鎌倉産

全国に山地に自生。北海道にはないらしい。
じめじめした岩や沢筋の岸壁に生える。直射日光に弱く当たると日焼けを起こし枯れてしまう。陰湿な日陰を好むが、姿は陰湿ではない。葉も美しいし、明るい紫色の、星形の花が可愛い。花弁はやや厚く造花のよう。美しい女性のイヤリングにしたい姿だ。愛好者は多く鉢植えなどに。花期に、奥多摩や山梨の沢筋に見に行く。変わった処では鎌倉。どうしてこんな明るいところに?と思う所に。切り通しや山陰、植えたのだろうが石垣にまで。日光、輪王寺の石垣でも見かけた。奥多摩などは7月半ば、鎌倉はそれより早く6月中半。別名、岩ジシャ、瀧ジシャ、岩菜、などなど。ジシャとはレタスのことらしい。名が示すように昔からよく食べられていたのだろうか。いかにも美味しそうな葉っぱだが苦い。苦みは薬効があるのではと食べるのかナ?と疑いたくなる。
十数年前、富山と新潟の境にある山姥伝説の里を訪ねた。車で境川を一時間ほど遡った山中だった。山姥の洞窟は沢沿いを辿り尾根をつめた所にあった。帰途、滝壺際の岩にイワタバコの大群落、花盛りだった。採ろうと、ついつい悪心を起こし岩によじ登ったが、何しろ苔むしてつるつる。ドボン!滝壺は深く頭は水面下まで潜っても足が届かなかった。山姥さまの怒り、山姥さまごめんなさいと、呟きながらずぶ濡れ這々の体で。

この里を訪ねたのは能「山姥」を舞うため、どんな所か見ておきたかったから。この能の山姥は人を食う恐ろしい女鬼ではない。この山姥の住んでいる所は、後ろに北アルプス、立山連峰を背にした深山。その霊気のような存在で、哲学的な要素を持った能だという。
白髪に、恐ろしげな面、生木をへし折った形だという「鹿背杖」突いて現れる。山姥は名のとうり女だがその姿は性を超えた威厳を感ずる。これだけでも十分想像、空想をかき立てる。この姿で「山姥の山めぐり」のクセ舞、山巡りの様子の「働き」をまう。重量感たっぷりの舞だ。この「クセ」は鎌倉室町時代に庶民の間に流行った「クセ舞」に前後を付け足して作った能だという。この時代に普通の民間の人達がこれ程の精神生活を送っていたとは驚きだ。昔の人は全てに劣っていると思っていたから。
この能を舞う前までは内容の理解が難しく感情移入ができない能だと思って敬遠していた。舞って見ると舞ごたえのある素晴らしい能だった。内容の理解は今一つだが、「感じるもの」が大きかった。「わけの分からない大きな物」に感情移入した貴重な経験だった。
理解できなければ納得しないというのは止めてフランス人流に「感じて」舞う、見る、能にはそんな所もあるのでは?
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06.10
Tue
やなぎ
楊(ヤナギ)  ヤナギ科 2014年5月31日 長野県、車山 「柳じょ」が見える。

ふでりんどう
フデリンドウ リンドウ科 2014年5月31日 長野県、車山

わらび
ワラビ シダ類 2014年5月31日 長野県、車山


五月も終わりの31日、白樺湖を見下ろす車山を訪ねた。目的は山菜採りと野の花の写真撮り。ワラビを知らない人は希だと思うので余計な説明は省略する。今回の主役、ヤナギを写そうと腹ばいになったら、フデリンドウが目の前に!フデリンドウは平地では早春から咲き始める。ここは標高が高いので遅く咲くのだろう。花は小さく可憐。空色のその色合いが何ともいえない。キザっぽいが早春の希望の色!よく似たリンドウにハルリンドウがある。ハルリンドウは茎のてっぺんに花一つ。フデリンドウは複数咲かせる。

柳を知らない人はまずいないとおもう。ヤナギ、という字には柳、楊と二つある。柳は、シダレ柳。楊はシダレず、直立した枝のヤナギだと聞いたが真偽のほどは自信がない。街路樹や庭木のシダレ柳は中国原産。日本には40種類程のヤナギがあるがシダレ柳は無いそうだ。中国ではシダレ柳の枝を「柳條」といい、輪にして離別の人に贈る風習があったそうだ。また中国では五月、綿毛に包まれた柳の種が雪のように舞い上がるという。その幻想的な光景を見せたいと中国の知人がいう。「柳じょ」というそうだ。柳じょ、の「じょ」は「如」の下に「糸」と書く。糸の如し。楊は雌雄異株。日本に輸入されたのは雄株で、挿し木で増やす、つまりクローンだ。雌木を輸入しなかった理由はわからない。雌木がないので「柳じょ」はないと思っていた。十年くらい前だったか八ヶ岳の「鉢巻き道路」を車で走っていたら「柳じょ」に出会ったのだ。日本にもあったのだ。その感激は忘れられない。数個がふわふわ風に乗って浮いている程度で、中国のものには遠く及ばないが。
 
福島県県にある白河の関跡近くに「遊行柳」というのがある。(正確には、栃木県那須郡)この柳を詠んだ西行法師の歌「道野のべに、清水流るる柳かげ、しばしとてこそ、立ちとまりけれ」。以来、歌枕になった。西行に憧れ、この地を訪れた芭蕉は奥の細道に「田一枚、植えて立ち去る柳かな」の句をのこした。あまりにも有名なこの句には後日談があって、芭蕉のメモノートには別の句が書いてありその上に紙を貼り「田一まい」の句が書いてあったそうだ。西行の歌を意識し過ぎと思ったのだろうという。
十数年前この地を訪ねた。田んぼの中を流れる小川の縁に小さな、瘦せた柳が植えてあり農家の人に聞いてやっとたどり着いた。一昨年再びこの地を訪ねたら整備され、立派な遺跡になっていた。入り口には石碑と、教育委員会制作の解説カンバンがあった。大きな「道の駅」も。偉大な西行、芭蕉に、今の若者の目を向けさせる大きな役となればありがたいことだ。

「遊行柳」は時宗の本山、精浄光寺、通称、遊行寺に伝わる説話によるという。遊行寺の住職は代々、御札を配り十念を授け諸国を遊行した。この地を訪れた遊行の上人の前に朽ち木の柳の精が老人姿で現れ御札と十念を授けられたという。「遊行」とは僧が布教をして諸国を巡ること、十念は仏の教えを唱えることらしい。
遊行寺は今も藤沢市にある。Jr藤沢駅から歩いて15分位。長い参道の、大きな立派なお寺だ。
 
西行の歌「道のべに」の歌と遊行寺の説話を題材にした能に「遊行柳」がある。老人は醜いもの、が相場だがこの能は品格ある端正な老人姿の柳の精が主人公だ。閑寂枯淡の境地を描く名作。さしたる物語はないが、一曲の中心部、クセに清水寺の縁起、これはいいとして「源氏物語」、柏木が女三の宮を見初める艶っぽい場面があり、どう演ずるか興味の湧くところだ。柳の精の老人が「序ノ舞」を舞う。序ノ舞は女性に似つかわしい流麗な舞だが、老人の、枯淡の味の「序ノ舞」がまたたまらない。この上なく日本人を感じる能。クセの中に「蹴鞠の型」、「手飼の虎の引き綱」の珍しい型も見どころだ。

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06.01
Sun
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   5月23日写す 多磨霊園植栽

初夏、10メートルにも及ぶ大木が真っ白の花の帽子をかぶり、里山、深山の山裾をかざる。五月に入ると春の花は野山から姿を消し夏草が勢いづく。春と夏の花の端境期。暑からず寒からずいい陽気が続くが、野の花好きには淋しい季節だ。この季節にこの花が咲くから嬉しい。山法師とも山帽子とも書くそうだ。巨大な真っ白い姿は威厳のある山法師に見立てたのだろうが、でも山帽子のほうがいい。花嫁さんの綿帽子や、尼さんの花帽子が連想されて心が和む。果実は、垣根でよく見かけるビナンカズラの実にそっくり。食べられるが、そう美味しくない。焼酎につけて果実酒にするといいらしい。
 
この花を見ると、能「大原御幸」の建礼門院の清楚な姿が目にうかぶ。平家物語絵巻「大原御幸」で見る建礼門院は小さな身体に蒼白な顔、花帽子姿が痛々しく哀れを誘う。平清盛の娘、建礼門院徳子は高倉天皇妃となり安徳天皇を生んだのが23歳。当時、上流階級の子女は15歳頃から結婚、出産するのが普通だったと云うから、かなり遅い出産、そのぶん我が子、亡き安徳天皇への追慕は一入であったろう。

能「大原御幸」は、壇ノ浦の合戦で安徳天皇と共に入水した建礼門院が、ひとり助けられ、大原の寂光院に入り、我が子安徳天皇と平家一門の菩提を弔う。後白河法皇が訪れ、建礼門院は安徳天皇の入水、一門の最後を物語る。
初夏の寂光院のたたずまいの描写が美しい。ドラマのないドラマ。いかにも能らしい能だ。日本人の感性で見てほしい能。昔から今まで大事にされてきた超名作、大作。
 つや消しの蛇足だが、この花帽子、絹で緻密に織ってあるので通気性がすこぶる悪い。頭からスッポリかぶり、目だけ出す。まるでイスラムの女性。息苦しいことこの上なく。おおげさだが酸欠状態だ。

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