FC2ブログ
08.26
Tue
oniyuri_1.jpg
オニユリ(ユリ科) 平成26年8月1日 新潟県糸魚川市で写す

 

oniyuri_2.jpg
コオニユリ(ユリ科) 平成26年8月17日14日長野県小淵沢で写す

ダイダイ色の鮮やかな美しい花だ。この花に鬼の名を付けたのは誰だろう。心無しとしか言いようがない。葉の付け根に黒く丸いムカゴがつく。このムカゴを鬼の牙に見立てたのだろうか?これが美しい姿に少しキズかも知れない。
ムカゴは地に落ち芽をだす。ムカゴは赤ん坊だ。綺麗なお母さん花に免じて目をつぶってほしいところ。
畑の周りや田んぼの畦、土手などでよく見かける。
一名テンガイユリというそうだ。テンガイとは天蓋だろうか。お寺の本堂にぶら下がっている笠のような飾り物。天人の冠も天蓋の類だそうだ。豪華な花の姿からだろうか。こちらの名を本名にしたい。 
オニユリは確証は無いが中国辺りから渡来した疑いがあると、ものの本にある。二次大戦後の日本人は外国に対して自信がないように見える。いい物は渡来品だと言うし、果ては日本人そのものがシベリヤ経由でこの國に住みついたという。何彼かににつけて外国を崇拝する。世界に誇れる文化持つ國なのに、自分の國に自信が持てない。政治家にもその気配が見えないだろうか。外国の実力者の前で小さくなっているように見える気がする。少なくともオニユリは日本のものだ!といいたい。

コオニユリはオニユリより一回りキャシャで小ぶり。ムカゴがなく貴婦人の姿。オニユリの根は少々苦味があるがコオニユリにはない。共に食用。

この花をダシに鬼の能を紹介するのは気がひけるが「許してたもれ」と頭を下げるばかり。
鬼の能に二種類ある。「葵上」など、心の葛藤から鬼になる四番目物、殺されて当然の人間性の無い鬼の五番目物。
四番目は人の心の中にひそむ本質をえぐり出す深刻な題材をあつかったものが多い。この種の能を見て、心身共に疲れた肩をほぐすのが五番目。あ~痛快、面白かったと帰っていただく。
「大江山」は五番目だが、ひと味違う能。大江山に住む鬼、酒呑童子の話。酒呑童子とは酒をこよなく愛する故に付いた名。
もともと童子は比叡山にすんでいたが、伝教大師最澄が比叡山に根本中堂を建て拠点にして童子は追い払われ、大江山に移り住んだ。源頼光が退治に向かう。頼光一行は山伏に変装して童子を騙す。山伏だという頼光一行に、童子は安心して、暖かく迎え酒宴してもてなす。夜半、頼光一行は酔い伏した童子を襲い退治する。

ただの鬼退治の話にしないのがこの能。前シテは可愛い面を付けた少年。酒宴で舞う舞が見応えがある。頼光が召し使う強力と、童子の洗濯女、アイ狂言二人が活躍する。
童話の香りのする能だともいえる。一説に童子の一族は反体制の一族ではないかとの説も。
 能に登場する悪い鬼は男の鬼だ。女の鬼は人間性過多の可哀想な鬼。能の世界では女性ガ重きをなす。首を傾げたくなるが、まァ納得としておこう。

「大江山」の詳しい解説潤星会ホームページ能曲目解説をご覧下さい。
comment 0
08.17
Sun
shimotsuke_1.jpg

shimotsuke_2.jpg
平成26年8月1日 新潟県、雨飾山、登山口で写す。

ピンクの鮮やかな美しい花だ。少し高度を上げた山地に多く咲くようだ。ものの本によれば太平洋側に多いという。谷川岳の厳剛新道の登り口から尾根に達する処々に鮮やかな美しいピンクが微笑んでいたのが忘れられない。此処のシモツケは、ひときわピンクが鮮やかだったように思う。
近所の庭にひときわ鮮やかなピンクを発見、聞いたら「京鹿の子」だという。首を傾げかしげ帰って図鑑で調べたら同種のキョウガノコだった。キョウガノコは園芸種だという。シモツケソウよりさらにピンクが深い。
よく似た花に同じ属のシモツケがある。灌木で、平地の山裾などによく見られ、垣根などにも植えられ庭の縁を飾る。
 

シモツケは下野だろうか。どんな関係があるのか無いのか知らない。下野は現在の栃木県。
この地を舞台とする能は意外と多い方だ。殺生石、遊行柳、船橋、物語の舞台ではないが関係のある「放下僧」など。
能「放下僧」は敵討ちの物語。演劇性の濃い能。主人公のシテは僧侶。僧侶が人を殺す、敵討ちをするという突飛な着想だ。これはシテを放下僧(中世の巷間の芸人)に仕立て禅問答を語らせるため。禅問答は今の我々には理解しがたく興味も薄いが、当時の人には身近で興味のあるものだったのだろう。これにクセ舞、鞨鼓、小唄の舞を加えて「遊狂物」に作った能だ。無駄のない引き締まった能。「遊狂物」は主人公が色々な芸を見せることを主眼とした作品群。当時はこうした芸を「狂う」とも言ったらしい。
詳しい、能「放下僧」の解説はホームページ曲目の解説をご覧下さい。

comment 0
08.10
Sun
140811_1.jpg

140811_2.jpg
平成26年8月1日新潟県雨飾山登山口で写す。(上は満開、下はつぼみ)


和名は姥百合。花が咲く頃には葉が枯れる、葉を歯にかけた名前だというがどうにもピン来ない。「花が咲く」は姥ではなく娘では?と。何かの本で読んだのか、聞いたのか、さだかではないが、乳母が育てた児が花咲く娘になる頃、乳母は歯が抜け姥になる。こうくるとガッテンだ。
根にヤマユリと同じ球根(鱗茎)があって質のいいデンプンを含み美味しい。他のユリにも鱗茎があるのに、ヤマユリといったのは、苦味が全くなく一番美味しいのはヤマユリだから。春の芽立ちの葉っぱも美味しいらしい。「らしい」とはまだ食べたことがないから。赤みをおびたテカテカした丸い葉が少々気味悪い。食べるのには少々勇気がいる。春は美味しい葉っぱがいっぱいだからかも知れない。ユリにはいろいろ種類があって、鱗茎も花も葉も、形はよく似ている。ウバユリは少々不細工だが花も鱗茎も似ているが葉は、これが百合?というほど違う。他の百合は笹のような細い葉だが姥百合は幅が広くまるでチンゲンサイの葉だ。ウバユリ属として区別するのもあるらしい。この区別は葉っぱが違うからかナ?と素人は思ってしまう。(ユリはユリ属をさす)

乳母が活躍する能に「雲雀山」がある。中将姫の物語。中将姫は伝説上の人とも、天平時代のひととも。奈良の二上山の麓にある当麻寺にある国宝、当麻曼荼羅は中将姫が蓮の茎の繊維で一夜にして織ったという伝説だ。この能では中将姫は子方で登場する。自分の境遇を謡う詞章が室町時代の小唄集、閑吟集に採られているという。誰にでも親しまれた人だったのだろう。子方が謡う詩が健気で、姫の境遇を思い涙をさそう。

右大臣藤原豊成は人の讒言を信じ我が子中将姫を雲雀山で殺せと臣下に命じる。臣下はさすがに殺せず草の庵を結び匿い、乳母(シテ)の侍従に姫を養わせる。乳母は季節の木々の花、草花を採り狂気を装い、行き来の人に売り姫を養う。
古今和歌集などの詩歌をちりばめた詞章が少々硬質ながら美しい。シテ、侍従が姫を思い舞うクセ、中ノ舞に他の狂女物とひと味違う趣がある。
中将姫は雲雀山から救い出されて程なく、世の無常を観じ、当麻寺に籠もり生涯、仏に仕えたという。仏の道以外、何も知らない純真無垢のまま生涯を送るということは、どういうことなのだろうか。無信心な俗物には想像も及ばない。 
当麻寺は静かな山の中だったように思う。遠い昔に訪ねた。又訪ねたいと思う。これも何かで読んだか聞いたか定かではないが、当麻寺の名の由来は、昔、この寺で当麻を焚いて恍惚とさせ法悦に導いたと言うが、語呂合わせの戯れ言だろうか。

中将姫は人の讒言に陥った。いつの世でも尽きないものは恨みつらみ、謀略。今はこれらが国家規模で行われるから昔と比較にならないほど恐ろしい。
     能「雲雀山」の詳しい解説ホームページ、能曲目の解説をご覧ください。


comment 0
08.02
Sat
140802_1.jpg

140802_2.jpg
平成26年8月1日 新潟県雨飾山、登山口で撮す

名前の由来はさまざま。峻険な山の岨(そば)に生えるからとか、また葉の形が蕎麦の葉に似ていて食べても味が似ているとか。しかしこの名前を大方の学者は、味も、葉の付け根、縁のギザギザなどが、ソバと全く違うといい、分が悪いようだ。でも素人には学者とは違う目があるのでは。蕎麦は身近な食べ物だ。葉の大きさや薄く柔らかそうな感じが蕎麦を連想したのかも知れない、と思えば素人には、こちらの名も納得。
地方によってチチナ、ヤマトトキ、ソマナの呼び名もあるようだ。
チチナは摘み取ると白い乳のような汁が出るから。ヤマトトキはツリガネニンジンに似ているから。

ツリガネニンジンはトトキの名で知られ、この方が通りがいい。トトキは人里近くから、かなりの高山まで、馴染みの深い山菜。俗謡に「山でうまいはオケラにトトキ、里でうまいは瓜、なすび。又は、嫁に喰わすはおしゅござる。」
ヤマトトキの名は、少々山深いところにあるトトキという意味だろうか。

ソマナは杣人の菜。杣人は林業に携わる人。仕事を終えた杣人がソマナを手に帰る姿が目に浮かんで楽しい。能「安宅」に、義経主従が奥州を目指して落ちて行くようすを謡った句に「なほ行く先に見えたるは杣山人の板取」がある。板取は地名。杣は植林した山。日本で作られた漢字だそうだ。万葉集にも杣人を詠んだ歌があるそうだ。日本人は大昔から植林をしていたのだろう。「板取」の地名は育てた木を板に加工する人の住む部落が、地名になったのだろうか。

杣人の姿で登場する能に「忠度(ただのり)」がある。Jrのスイカが登場するまえに定期券やキップを悪用して途中を、ただ乗りするのを隠語で薩摩守と言った。あの薩摩守忠度だ。
平忠度は平清盛の末弟。熊野育ち、大力、屈強の早業で知られた武将。歌人としても知られ藤原俊成に師事した。千載集、新勅撰集、玉葉集などに入集した名うての歌人だったという。

能「忠度」は和歌への執心を描いた作品。
人の「たましい」は魂魄、つまり魂と魄、二つがあるという。人が死ぬと魂はあの世へ旅立つが魄は四十九日の間「草葉の陰」などでこの世に残した執心を精算するという。能では四十九日が過ぎても執心去りやらず、この世にさまよい出る幽霊を主題にしたものが多い。「忠度」もその一つ。
 忠度の執心のキーワードは「櫻」。「さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」。この忠度の歌が千載集に入集しても朝敵故に「詠み人知らず」であった。また「行き暮れて木の下蔭を宿戸せば花や今宵の主ならまし」と書いた自作の歌の短冊を、えびら(矢を入れて背に負う道具)に結びつけ一ノ谷の合戦に臨んだ。花とはもちろん櫻。この二首が忠度の「執心」となってこの世に彷徨い出るのだ。

山人姿で現れた老人(忠度の化身)は山からの帰り道「薪に花を折り添えて」若木の櫻を訪れ櫻の花を供えて帰るのだと独り言をいう。若木の櫻は忠度の亡き後のしるしにと、後の人が植えた櫻だ。藤原俊成の死後出家した元家人の僧が若木の櫻をおとずれる。宿を請う僧に老人は「行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし」の歌をひいて若木の櫻の下に泊まることをすすめ、歌への執心をみせ前場を終わる。櫻一色の、春の長閑けさと古戦場の想い出が重なり合う前場だ。
後場は戦場へ赴く途次、藤原俊成の門を叩き、千載集、詠み人知らずの自作「さざ波や」の歌に作者、忠度の名を付けるよう懇願する和歌への執心を語る。続く岡部六弥太に討たれる場面は生々しいが修羅物につきものの修羅道の描写「カケリ」がないのが救いだ。雅の心が残るからだ。終曲に「行き暮れて」の歌をくり返し「執心」を見せとめる。世阿弥が自身で語った自信作。 能「忠度」の詳しい解説は金剛流潤星会、ホームページ、能、曲目の細説をご覧下さい。
comment 0
back-to-top