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02.22
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2014年10月16日山梨県瑞牆山で写す。

マムシグサか自信がない。テンナンショウ属には数十種があり学者でも分類が難しいらしい。ましてや素人に分かる訳がない。当たらずとも遠からず、“野草好き”に免じて勘弁して頂く。
茎の文様が蛇のマムシに似ているので付いた名だそうだ。マムシはおいといて、よくよく見ると色と云い模様といい、う~ンと頷き感心する。植物がどうしてこれ程の模様を作るのだろうかと。
花がまた変わっている。壺型で花は壺の中に。蓋まで付いている。まるで鎌首を持ち上げたマムシだ。かじると猛烈にえぐく、いがらっぽい、口の中は火事。
いたずら好きの山男が人に囓らせて喜ぶ話をよく聞く。毒だそうだが身体に障るほど食べる人はまずいないと思う。
実は熟すとピンク。透き通るようにきれい。まるで宝石。熟した実、半熟、まだ青いものが混じり合ったものがあった。まるで色々な宝石をちりばめたようできれいだった。

この実を見ていると思い出す。十数年前、インドのアグラ城を訪れた。1560年頃、(日本の室町後期)ムガール帝国の王が建てたというインド砂岩の壮大な城だった。柱に色とりどりの宝石が埋め込まれていた。宝石に興味が無いので名前は覚えていない。所々ほじくった跡があった。この國を植民地にしていた人達が、いい物を選らんで持って行ったそうだ。庭にラピスラズリの原石で作ったベンチがあり真ん中にヒビが入っていた。これも植民地さんが持って行こうとして叩き割ろうとした跡だとガイドさんが教えてくれた。あまりの重さに諦めたそうだ。ラピスラズリの原石がこれ程大きいものかは知らないが中東辺りから運んで来たそうだ。
この城の、大きな川の斜向かいにタージマハールまみえる。
タージマハールは美しい。門に一足を踏み入れ、一見しただけでハッと息を飲む。世界にこれほど美しい建造物が他に在るだろうかと思った。王妃の墓だという。「わたしを愛しているのなら世界一美しい墓を作って欲しい」。王妃の遺言で、二十二年の歳月をかけて建てられた。門の屋根のてっぺんに作り物の鳥が二十二羽並んでいた。工事の歳月を一年ごとに、鳥一羽ずつ増やして数えたと聞いた。王も、作る人もなみなみならぬ思いだったのだろう。王妃は王との間に十四人の子をもうけた。王は我が子の王子に、アグラ城に幽閉され対岸のタージマハールを眺め王妃を偲び、幽閉のまま生涯を送ったという。

能にもアグラ城の王と同じ悲惨な境遇の生涯を送った男がいる。
悪七兵衛平景清だ。景清は平家の猛将。平家が滅んで源氏の世の中を見るのを厭い、自らの手で両眼をえぐり取ったという。日向の國に流され、あばら屋に住み所の人、道行く人に哀れみを乞う乞食の生活を送る。
この能はドラマ性が薄い。
老残の敗将を鎌倉からはるばる娘が訪ねる。己の境涯を恥じ名乗れない心の動揺。娘にせがまれ語る武勇に、甦る昔。共に暮せない不遇に親子は涙してわかれる。
武士の気骨や親子の情愛、盲目の無残な身の上を風の音、波の音、雪など自然現象などに託して吐露する。「心」を見せる能なのだ。冒頭、景清が己の境涯を述べる「松門の謡」が曲の主旨を凝縮した傑作だ。演者はそれぞれの想いを持って演ずると云う。

「景清」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧ください。
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02.14
Sat
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平成27年2月2日 武蔵野市境南町で写す


梅に先立って真冬ひっそり咲く。梅とおなじように葉は花が終わって春に出る。「蝋梅」の名は、花の形が梅に似ていて、風合いが蝋細工にそっくりだから。といっても梅とは縁遠いという。
葉はざらざら、まるで紙ヤスリ。枝は梅のような“たおやかさ”が全くなく、まっすぐ。姿、形に味のないこの木に、美しい花を咲かせるから驚きだ。花の上品な香りが絶品だ。「ろう月」(旧暦十二月、師走の異称)に咲くから「ろう梅」という説もあるらしい。

この美しい花を付けた枝に黒い皺だらけの去年の実が付いていることがある。
十数年前この実を鎌倉のお寺で無断で頂き庭に埋めておいた。芽が出ないまま、すっかり忘れていた。
バリ島で食べたマンゴスチンの種を庭に埋めた。これも芽が出ず忘れていた。
次の年、不思議な芽が出た。丸いユキノシタの形で厚く艶やかな葉だった。シメた、この不思議な葉は紛れもなくマンゴスチンだと狂喜した。
成長するにつれ丸い葉は消えザラザラの葉になった。ロウバイだった。周章狼狽まではなかったが。ガッカリ。
ロウバイが咲く真冬、咲く花は椿くらいで寂しく凄まじい季節だ。野山の草花は皆無にひとしい。その中でロウバイは、ひっそり寂しげに咲く。この花に見入っていると何かを語りかけてくるようだ。能「黒塚」の女が糸車を繰りながら人の世の悲哀を唄っている場面が目に浮かぶ。
     

能「黒塚」は評価の高い曲ではない。曲柄も娯楽性を目的とした五番目に分類される曲だが内容の深さは名曲だ。
主人公、シテは中年の女。世の中の苦しみを生きてきた。
晩秋の安達が原の一軒家に、行き暮れた那智の高僧一行が宿を借りる。あばら屋には女が一人、成す業もなく無為の日々を嘆いている。女は僧一行に糸繰り車を繰ってみせる。繰り出される長い糸を見つめ、長く際限のない人の世の苦しみをつぶやく。
つづいて女が謡う糸繰り唄がいい。源氏物語や都の祭りの様子を織り交ぜて謡う。
女は焚き火をして僧達をもてなそうと山に向かう。「かまえてわらわが閨の内ばしご覧候な」と凄み、念を押す。
連れの強力が女の寝間を覗く。部屋には死体累々、女は鬼だったのだ。
女は鬼の正体を現し“覗くな”という「約束」を破ったと僧一行に襲いかかる。

女の鬼と僧一行との闘争の迫力は一級品だが、糸繰り車の場面が重なり「哀れ」がふつふつと湧き出る。
能には色々な鬼が登場する。ただ邪悪なもともとの鬼、恨み、嫉妬などが昂じて鬼になったもの等々。さすれば黒塚の鬼は何か。怒りは何か。累々と積まれた死体は何かなど考えさせられる能だ。
  
   能【黒塚】の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧ください。
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02.07
Sat
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南房総 沖ノ島から望む太平洋の残照 2015年1月23日写す

一部分書き直しました。内容が主題から離れていた部分があったからです。

はじめに:砂内桂馬。団塊の世代生まれ。桂馬に老いの前兆が現れたのは或る夏の朝だった。妻、温子の面影に誘わ れ、二人の想い出の地、信州の車山に彼の姿があった。衝動に駆られたのだった。想い出から覚めた桂馬を焦燥感と空虚感が襲った。以来公園のベンチや路傍の石垣にもたれる彼の姿があった。想い出が去った後の桂馬の姿だった。虚空に向けられた彼の空ろな視線を人々は哀れむかのように見て通りすぎた。
        

桂馬の祖母の旅館は歓楽街に近かった。夕方近くには、ここで働く女達が洗い桶を抱え下駄を鳴らして銭湯に通った。女達は表で遊ぶ桂馬に声をかけた。「坊や、可愛いね」女達の後ろに脂粉の香りが漂った。祖母や母にはない匂いだった。
「おばあちゃん、おねえちゃん、いい匂いがしたよ」帳場でタバコを吸っていた祖母はタバコの灰を落としながら笑い出した。
「あまえも男かね。五歳の男かね」
笑う祖母の、数本並んだ金歯が光った。桂馬は笑う祖母が怖かった。
祖母は急に真顔になって、金歯の口をきっと結び目を剥いて、
「桂馬、大きくなっても、あのおねえちゃん達と遊んだらだめだよ」眼鏡の奥の目はしばらく桂馬を見据えていたが、また急に笑い出した。
桂馬はこの時のことを生涯忘れることが出来なかった。
祖母は桂馬を可愛がった。旅館の暇な時間によく桂馬を呼んだ。送り迎えは、まだ幼顔が残るお手伝いの少女、フミだった。フミと桂馬はいつも手をつないで歩いた。握った手を振りふり歩いた。歌は何時も「お手々つないで」だった。桂馬は時々フミの顔を見上げた。小さな丸顔に、澄んだ大きい目がきれいな娘だった。
「フミねえちゃん、どうしてあのおねえちゃん達と遊んではいけないの?」
「う~ン」フミは少し考えてから、
「わかンないナ、お母さんに聞いて」桂馬の顔をのぞき込みニッコリ笑った。
歌を聞きつけた母は玄関を出て待っていた。母はフミに小銭を握らせて、「ありがとう」とフミの背中に四、五回手を振った。桂馬も振った。
フミは振り返り「ありがとうございました」とていねいにお辞儀をした。きれいな姿だった。
「お母さん」桂馬は母の背中に呼び掛けた。
「おばあちゃんがネ、ぼくが大きくなっても、おねえちゃん達と遊んでは駄目だって。どうして?」
「え?どこのおねえちゃん?」
「おばあちゃんの家の前を通る、きれいなおねえちゃん。いい匂いがするよ」母は桂馬をジット見つめ、しばらくして、
「いま忙しいから後で」と台所の暖簾にきえた。
母は桂馬との遣り取りに慎重だった。それは桂馬が幼い時だけで長ずるに従って影をひそめた。桂馬には母の不思議な部分の一つだった。
その晩、母は桂馬の枕を引っ張った。
「桂馬、きれいなおねえちゃんのことだけどネ。おばあちゃんの家の近くにいる。きれいにお化粧して、いい匂いの。おばあちゃんが云うように、大人になっても遊んだらだめ。忘れたら駄目よ。何時までも」
「どうして駄目なの?おねえちゃん達、悪いい人?」
「そうじゃあないのよ。み~んないい人よ」
「だったらどうしてだめなの?」
「自分が悪い人になるから。今は小さいから桂馬には分からないけど大きくなったら分かるよ」

その朝、桂馬は遅くまで目が覚めなかった。
「桂馬起きなさい。フミねえちゃんが迎えにきますよ」襖の外から母の声がした。
「今日は曜子姉ちゃんと行きたい」
「曜子は学校です。とっくに学校に行きました」母の返事は素っ気なかった。
桂馬が朝ご飯をすませた頃、玄関が勢いよく開いた。
「おはようございます」元気な声が聞こえ、身の丈ほどの篠竹の竿をかついだフミがニコニコしながら立っていた。
母はエプロンで手を拭き拭き玄関に向かい
「あらどうしたの?フミちゃんその格好?」
「今日は暇なので、どこかで遊んで来なさいって、おかみさんに許可をもらいました。けど、わたしまだ友達がまだいません。桂馬ちゃん貸して下さい。ザリガニ釣りします」フミは竿を突きだして見せ微笑んだ。
「あらいいわね。お願いします。大漁だといいわね」母も笑いながら応じた。
川まではかなりの道のりだったが二人のおしゃべりは尽きなかった。
「フミ姉ちゃん、ちっとも匂いしないね、どうして?」
「さあ、どうしてでしょう」
「お祖母ちゃんも少し匂いするよ。お母さんも少し」「お母さんがお使いでなかなか帰ってこないときお母さんの着物に鼻、くっつけるの。やさしい匂いだよ」
川は浅く向こう岸に砂が盛り上がり草が茂り水面まで垂れ下がっていた。
フミは竿の先に木綿糸を結わえ付け、木綿糸の先にスルメの足を結び付けた。
「ハイできあがり。よ~し、おねえちゃんの手くらいの大物をつるぞ!」
勢いよく向こうへ投げ込み桂馬に竿を手渡した。
桂馬は竿を上げたり下げたり、ザリガニが食いつく暇がないのか、なかなか釣れなかった。
「あっ、カラス。見て」
フミが指差した。二羽のカラスが鳴き交わしながら飛んでいく。
「きっとお父さんカラスとお母さんカラスよね。赤ちゃんカラスが待ってるのよ、きっと。こんな歌、知ってる?」
「カラスなぜ鳴くの、カラスは山に、可愛い七つの子があるからよ」
「知ってる。この歌すき。ぼく上手だよ。隣のおばちゃん、ほめるよ」
「あらほんと。こんど聞かせて」
「いいよ。歌ってあげる」
「カラスはネ、とっても賢いんだよ。人間の言葉をしゃべるの。お兄ちゃんのお友達が、カラスを飼っていてネ、その子の名前が勝良っていうンだけど朝、カチュラ、オキナチャイって、勝良のお母さんの真似するの。そのカラスね、勝良のお父さんが山から赤ん坊カラスを捕まえてきたンだって。わたしのお兄ちゃん、それが羨ましくてね。わたしを連れてカラスの赤ちゃん、捕まえに行ったンだよ」桂馬の目が輝きだした。
「僕もカラスの赤ちゃん、捕まえに行きたい。ザリガニは止めて行こうよ」
ザリガニはまだ一匹も釣れていなかった。フミは笑いながら竿を上げエサを向こうへ投げ込みながら、
「無理、無理!カラスは怖いよ。命がけで赤ちゃん、守るンだから」
フミは兄に連れられてカラスの雛を捕まえに行ったときの恐怖が甦った。
フミには五才年上の兄がいた。フミの兄は優しい少年だった。いつもフミと一緒だった。カラスの巣は父から教わった。お寺の山道を通るとカラスが集まり、やかましく鳴き騒ぐことがあった。
フミの父は松の木を見上げ梢の方を指差し
「あそこにカラスの巣があるンだよ。近づくと頭をつつかれるぞ。近寄ったらダメだよ。カラスは子煩悩なンだ。」父は二人の顔を見比べて「お父さんだって、お前達を誰かがさらい来たら必死に闘うよ、カラスだっておなじだよ」
兄はカラスが生まれる時期は覚えていたが、カラスの怖さをそれほど信じていなかったのだ。
兄は友達をも誘わずフミだけを連れてお寺の山道へ向かった。
腰に竹の棒を差していた。
「兄ちゃん、その棒、何にするの」
「これか」兄は振り返り棒を抜き刀のように振り下ろしてみせ
「カラスが襲ってきたら、こうやってカラスをたたくンだ」
「カラス、かわいそうだよ」
「オレだってこわいンだよ。この棒のこと、勝良に教わったンだ」
松の木に近づく、とどこからともなく二羽のカラスが現れ忙しく飛び交い鳴き騒いだ。兄はフミを見て「よし」とうなずき松の木に登り始めた。カラスの鳴き声は更に烈しくなった。応援に来たのか数羽のカラスが混じり合い松の幹をつつき、周りの木の枯れ枝を折り兄に体当たりするかのように掠め飛び威嚇した。カラスはフミの頭上をも掠め飛んだ。フミは頭を抱えうずくまり絶叫した。
兄はカラスの子を捕まえられなかった。兄はフミに
「お前が、止めてと泣いて騒ぐから止めたんだ。怖かったからじゃあないぞ。カラスも可哀想だしナ」
フミは恐怖に震えながらも兄の優しさが嬉しかった。

 フミは釣り竿を放り投げて、幼い桂馬に、さも友達に話すかのように身振り手振りでカラスの恐怖を話した。フミの話は幼い桂馬に衝撃だった。フミの恐怖心は桂馬の心の奥底に沈着していった。
「後でわかったンだけど勝良のお父さん、カラスの赤ちゃん売るつもりだったの」「カラスの赤ちゃん高く売れるンだって」
「人間の言葉、喋らせるの?」
「うウン」フミは頭を大きく振り
「お化粧ハケを作るおじさんに売るの」「カラスの赤ちゃんのお腹の毛は柔らかくて上等のハケが出来るンだって」「お祖母ちゃんチの(家)の近くの、きれいなおねえちゃん達、みんな持ってるよ」
「そのカラスの赤ちゃんの毛でお化粧するの?」
「そう、だからきれいなの」
「だからいい匂いがするんだ」
「そうかもネ」
「カラスの赤ちゃん、毛、取られて痛いよね」
「死んでしまうの」
いつかどこかで見た、毛をむしられて吊された鳥の残酷な姿が脳裏に浮かび、幼い桂馬に衝撃が走った。

桂馬は、日常の生活にないメイク、例えば歌舞伎や演歌の歌手、芸者の映像などを見ると、祖母の家近くの、歓楽街の女性の脂粉が、カラスの恐怖と抱き合わせに甦り、胸を圧迫した。これがトラウマというものだろうと桂馬は思っている。









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02.01
Sun
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2015年1月23日写す

大寒のすぐあと南房総を訪ねた。この辺りは国定公園、暖かく景色がいい。その上、露地でも色々な花を栽培している。栽培品種にはあまり興味はないが、誘われるままに行ってみた。きれいだった。
フラワーラインと呼ぶ道路を車で走った。道の両側に、延々と菜の花が植えてあり満開だった。
「菜の花や、月は東に日は西に」与謝蕪村の句を思い出した。のどかな、暖かい春爛漫の景色の句だと思っていた。菜の花は冬から早春の花らしい。季語も冬とあったり春とあったり。春爛漫の句と思ったのは思い違いだろうか。
観賞用に植えられている「菜の花」は「チリメン白菜」や「野沢菜」などだそうだ。
もともとの菜の花は「油菜」。種から「油」を採るために栽培される。
昔は、食用はもちろん行灯などの照明に必需品だった。蕪村の句や夏目漱石の作品に登場する菜の花は「油菜」。
白菜や小松菜、蕪などアブラナ科の野菜の多くは「油菜」の交配種だそうだ。つまりこれらの母親だという。
菜の花は美味しい野菜。「カラシ和え」が一番。
束ねた菜の花の蕾の先端が、わずかに黄色いのが店頭に並ぶと春を感じる。
意外かも知れないが、菜の花の仲間で一番美味しいのは白菜の花。もちろん、まだ咲ききらない蕾と茎。わずかにほろ苦く、味わい、食感が抜群。
次が高菜の花。これは蕾ができたばかりの幼い花茎を浅漬けにする。ワサビと同じ成分だろうが、また違う辛みが鼻にツンとくる。「鼻ハジキ」と母が呼んでいたのを思い出す。

多摩川の河川敷や土手に菜の花が咲く。少々大げさだが春の楽しみ、これに勝る物はない。セリなども一緒に摘んでくる。
昔は春浅くからセリなどの野草を摘んで食べたようだ。正月七日に春の七草を摘んで神前に供え諸事を祈る風習は、ここから生まれたのだろうか。若菜摘はおもに女性の仕事だったのだろう、能では「菜摘女」として登場する。

能「求塚」の菜摘女は薄氷の生田川で若菜を摘む。身を切る川風が舞台をふき抜ける。
菜摘女達は万葉や古今集などを織り交ぜた歌を歌いながら摘む。この優雅な歌声は凍える寒さに耐えようと歌う様に聞こえて、なお美しい情景を描き出す。
「求塚」は凄惨な能だ。寒々とした若菜摘の舞台設定は凄惨なドラマへの展開を暗示するかのよう。
女は通り掛かりの僧に求塚の謂われを物語る。「昔、生田の里に住む莵名日少女(うないおとめ)は同じ日の同じ時に二人の男に求愛される。選びかねた女は生田川のオシドリを射させ、当たった男を選ぶという。二人の男の矢は当時に鴦に当たる。女は、つがいを失ったオシドリの思いを二人の男の上に馳せ、己の罪の深さに絶望し、生田川に身を投げる。二人の男も女の塚の前で刺し違える」
女は「昔この所に莵名日少女と申す女の候しが」と他人事の様に語り始め、核心近く「その時わらわ思うよう」と自分の話になっていく。菜摘女はじつは莵名日少女の亡霊だったのだ。見事な転換だ。息を飲み、引きずり込まれる。演ずる側に口伝があるという。
女は殺生戒、邪淫戒を犯した罪で地獄に落ちる。能には地獄を描いた作品が多い。なかでもこの能の地獄の凄惨な描写は、比類がない。女は八大地獄の苦しみを受ける。可憐な少女にも容赦がない。地獄の鬼に追われ、火の柱を抱き、無間の底に真っ逆さまに落ちる、そのリアルな型を見れば無信心な観客も地獄を味わう。この能には救いがない。女は永遠に地獄を彷徨う、と暗示するかのように終曲となる。

能「求塚」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。

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