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03.29
Sun
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2015年3月16日写す。武蔵野市境南町植栽

ユリ科だそうだがユリのイメージにはほど遠い。分類する学者は何を根拠にして分類するのだろうかと興味が湧く。葉は根際から出て茎がない。地べたに数枚の葉を笠のように丸く広げ、葉の真ん中から、まだ暑さの残る頃から早々に蕾を出し、早春に咲き始める。蕾の先から紅紫色の花が顔をのぞかせる。感激だ。これが野草と思うほどきれい。雪割草と呼ぶ地方もあるときく。雪解けとともに咲くからだという。花が終わりに近づくと花の茎が伸び出し5、60センチにもなる。種を遠くへ飛ばすためだろうか。賢いな~植物も色々考えるのだろうかと思ったりする。

雪割草は普通には、桜草やスハマソウ、ミスミソウを指す。
新潟出身の友人がいる。実家は農家。新潟にはミスミソウが沢山あると聞いて採集を頼んだ。送られて来たものは無造作に引きちぎったような状態だった。農家の人にとっては、ただの雑草なのだろう。その中にショウジョウバカマが混じっていた。残念ながら根がなかった。昨年、スハマソウの名所、弥彦神社の山中を探したが見つからなかった。ここもご多分に洩れず少なくなっているのだろうか。

ショウジョウバカマは猩々袴。猩々は中国の想像上の動物。水の妖精。人の言葉を話し酒を好む。日本の古典にも登場するが散々無慈悲の扱いだ。今は猩々を知る人は少ないと思う。大酒飲みや夏の厄介者、目の赤いショウジョウ蠅にその名残を残している。

ショウジョウバカマの名の由来は能「猩々」から。数枚広げた葉が袴のヒダに似ていて秋に赤く変色するからだろうか。
能「猩々」の装束は足袋以外、面から頭髪まで全て赤。赤はお祝いの色であり猩々の酔いを表す。能「猩々」は祝言の曲。親孝行の男に、猩々がその褒美にと、いくら汲んでも次々に湧き出る酒壺を与える。男はその酒を売って金持ちになったという羨ましい話。
主人公の猩々は登場から終曲まで休むことなく酔態の舞を舞い続ける。
この能には特殊演出「乱(みだれ)」がある。波の上で舞う酔態の舞を強調する。技術的に難度が高く、獅子、乱、道成寺と三つの難曲の難関を披き能楽師は一人前となる。
  
能「猩々」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧ください。

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03.21
Sat
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ヤブツバキ 2015年2月28日伊東市ツバキ園で写す

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ヤブツバキの大木、上は河津桜

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ヤブツバキの落花

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交配種 胡蝶ワビスケ

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交配種 太郎冠者

暖地では十二月から咲き始める。花の少ない時期に貴重な花だ。冷え込みのきびしい1,2月、生垣などで花びらの縁が黒く霜焼けしているのを見かける。いたわしい。暖かい日差しを待って咲けばいいのにと囁きたくなる。
花びらは厚いが、柔らかな色合いがいい。美女の白い歯並みのように、きちんと並んだ雄シベがきれいだ。その先端の、黄色い花粉がまたきれいだ。
野性のつばきをヤブツバキと呼ぶそうだ。ツヤ光りする濃い緑の葉に、真っ赤な花が魅力だ。暖地に「大ツバキ」と呼ばれる花も実も大きいツバキがある。ピンク色で美しさには少々劣るが盛大に花と実をつける。子供の頃、水で揉んで泡立て遊んだのを思い出す。

昔から愛された花だろうか交配種が多い。対馬には色々なヤブツバキがあって交配の親にすると聞いたように思うが本当かどうか自信がない。
日本海側の寒い地方にはヤブツバキはないと云われていたが数十年前に発見された。雪ツバキ、と聞いた記憶があるがこれも自信がない。
伊豆七島のどの島か忘れたが防風のため椿を植え、副産物の椿油の生産が全国一だという。
四国では「カタシ」と呼ぶそうだ。薩南では「カターシ」だ。材が堅いからだという。磨いて床柱にしたりする。昔の人も堅いカタシを利用したらしく、五千年前の遺跡からヤブツバキで作った櫛が見つかったそうだ。

サザンカ、花弁が薄いがツバキと区別出来ないほどよく似ている。油を取ったり材の利用も同じだ。
花の散り方が違う。花びらがばらばらに散る。
ツバキは花弁が底で“くっついて”いるので散る時は全部一緒にポトリと落ちる。
「椿落ちて昨日の雨を落としけり」蕪村の句だそうだ。新古今調の匂いもするが杯状の花の特徴をよく写していると思う。
昔、武家屋敷には植えなかったと聞いたことがある。落ちる花を武士の首にたとえて忌み嫌ったからと。
黒沢明の「椿三十郎」で隣の武家屋敷からめちゃくちゃに切り落とされた椿の花が流れて来るシーンがあった。いまだに頭の中に居座って離れない。

「山寺の石のきざはし下り来れば椿こぼれぬ右に左に」落合直文の一首。
少年の頃、教科書か何かで覚えたのだろう。田舎の鎮守の森にもツバキがあってその落花を見て、なるほどと覚えたのだろうか。ただ覚えていたのは「左に右に」だった。記憶の曖昧さに苦笑が出る。
ツバキの落花は盛大。新しいのや半分腐りかけたものなど美醜こもごも。キザな云い方だが人生を思わせないだろうか。

落花が散り敷いた美しい情景を謡う能がある。「葛城」だ。
「笠は重し呉山の雪、靴は香ばし楚地の花」漢詩の一節を巧みに取り入れ美しく謡う。元の詩の幅を豊に超え情緒が溢れる。
落花が美しいのは梅や桜。三好達治が「甍のうへ」で歌ったのも桜。
だが梅も桜も散った花びらは踏んでも匂わない。ツバキだったら匂うかも知れない。

能「葛城」は雪の能。葛城の明神参詣の山伏が大雪に立ち往生しているとこの山に住む女が庵に案内する。先に述べた詩は、先に立って案内する女の、雪にまみれた姿を謡ったものだ。
女は実は葛城の明神だった。役行者に縛られ洞窟に閉じ込められ、その苦しみを山伏に切々と訴える。森閑と静まりかえった大雪の庵の中の情景が心に沁みる。能の優れた作劇法だ。
後場では月下の大雪原に神代の高天原が出現、神々の興宴が繰り広げられる。

能「葛城」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。

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03.15
Sun
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2015年1月23日房総 野崎灯台で写す、伊豆大島三原山の残照

桂馬に能楽師の友人がいる。能に「次第」というのがあると彼に教わった。三つの短い句で、展開する物語を総括または暗示するという。プロローグを知らない人は少ないと思う。両方とも目的はおなじ。「次第」は「プロローグ」より遥かに古い。偉大な先人を想い「次第」を書こうと思う。

次第
砂内桂馬。団塊の世代。仕事を退役して久しい。今は「思い出」に生きる。彼にとって「思い出」は残照なのだ。「残照」は突然、衝撃的にやってきて輝き、そして去る。「残照」が去ったあと、「空虚」が桂馬を襲うのだった。

「初恋」という言葉を聞くたびに桂馬の背筋が硬直した。二十代の始めに経験した、桂馬には衝撃的な事件が連動して思い出されるからだった。
幼稚園の先生や学校の先生に初恋をしたとか、初恋は何歳だったとか、活字で見たり聞いたりする。そのたびに硬直した。幼い頃、祖母のお手伝いのフミや中学や高校の同級の女の子に親しみを感じることはあった。それは人間として当然持っている感情で初恋とは異質のものだと思っている。
初恋という言葉には甘美な響きが伴う。だが恋は異性に対する関心の高まりだろう。桂馬の経験もまさしく初恋の部類だったのだ。桂馬の硬直の原因でもあったのだ。

桂馬と久徳は肩を並べ百軒店の坂を登った。敷き詰められたレンガは、すり減ってあちこちに窪みができて歩きにくかった。久徳は立ち止まり
「あの突き当たりの露地を入った左側のところだ」と指をさした。
露地は人がようやくすり違えるほどに細かった。バアーがずらりと並んでいた。
開店の準備だろうか道路側にドアを開け薄い布を頭に被った女がタバコを片手に掃除をしていた。カウンターと背もたれのない一本足の丸いイスが一列に並んでいるのが見えた。
「この露地のバーは“暴力バー”で有名なんだ。うっかり酔っぱらって迷い込んだら、中に担ぎ込まれて身ぐるみはがされるンだ。気をつけろヨ。だけどお前は何時も学生服だから大丈夫だ。ホッペの赤い学生は狙わないよ。ハッハッハ」久徳は空を見上げて笑った。
「あれだ」久徳の指差す向こうに「ライオン」のカンバンが見えた。
「電話でも話したが、あの名曲喫茶の再生装置は東洋一なんだ」とにかく入ろう。
店の中は薄暗かった。学生らしい女性三人と中年の夫婦のような二組だけで、広い店はガランとしていた。
「あそこがいい」久徳は女性三人の斜向かいを指差した。店主だろうか改まった服装の年配の男が「いらっしゃいませ」と小声で頭を下げた。
「コーヒー二つ」久徳が指を二本立てて突きだした。
「どうだ、いいだろう。生の演奏に限りなく近いンだ」久徳は腕を組んで目を閉じ俯いて聞き入った。
クラシック音楽もコーヒーも桂馬には縁遠かった。
「おやじの尺八とは百八十度違うな」呟きがかすかに唇を動かした。
桂馬の父親の尺八は、賛竹流免許皆伝の腕前だった。暇なときは、職場や自宅で教えていたほどだった。謹厳実直の中に茶目っ気もあった。桂馬が好きなところでもあった。名曲を吹くからと人を正座させ「枯れススキ」吹いて皆を笑わせた。「枯れススキ」は昭和初期に流行った演歌だったから。

桂馬は東京の大学に通っている。母は行かせたくなかったようだったが父が熱心に勧めた。
五反田で父の弟が小さな時計屋を営んでいた。桂馬はこの叔父の家に下宿した。二階が桂馬の部屋だった。
窓の外に洗濯干し場があって、窓から簡単に降りられた。近くに神社があって杉やケヤキの巨木がそびえ立っていた。桂馬は気が滅入った時など気分転換に洗濯場に降り、神社の方に向かい両手を空に突き上げ大きく“伸び”をして欠伸をするのが常だった。
母と姉と登った田舎の塩竃神社の急峻な石段が思い出された。
隣の部屋には叔父の一人っ子、左千夫がいた。左千夫は証券会社に勤めていた。ほとんど毎日同じ時間に出勤、同じ時間に帰宅した。食事や風呂以外は机に向かい文庫本を読んでいた。
「久徳に気をつけろ。あやつは遊び好きだから」左千夫の口癖だった。この家に来て間もなく左千夫と桂馬は兄弟のように心を通わせていた。
何の面白味もない左千夫と“遊び好き”な久徳がどうして友達になったのか不思議だった。二人は大学以来の友達だった。久徳は時々左千夫の部屋に来た。部屋から聞こえてくる大きなはなし声と大きな笑い声は久徳のものだけだった。
 久徳の父親は亀戸で従業員5,6人の小さなメリヤス工場を営んでいた。久徳は大学を卒業したら家業を継ぐことを条件に父親を説得して進学しが、家業を継ぐ気など全くなかった。彼は外交官を目指して国家試験に三度挑んだが失敗した。
「オレに外交官は荷が重すぎ。メリヤス屋の兄ちゃんがお似合いだよ」久徳は時々自虐的に話したが悲壮感はなかった。久徳はメリヤス屋を継ぐ決心をしたが働きぶりは真面目とは云えなかった。

店は異様に静だった。桂馬には聞き慣れない旋律だったが甘い空気に眠気を催した。
突然久徳は座り直り桂馬に顔を近づけ
「おい桂馬。お前知ってるか。左千夫には彼女がいるンだよ、オレだっていないのに」とささやいた。
「彼奴はね、山が好きでね、彼女はワンゲル部の後輩なンだ」
「彼奴の初デートについて行ったンだよ。無粋なこと嫌だと断ったら、きまり悪いからついて来いだって。後楽園で三人同じ百五十円のラーメン食べて。高くて不味いンだよあそこのラーメン。食べ終わったらオレに耳打ちして“お前帰れ”、追っぱらわれたンだよ」久徳はニヤリと笑い
「彼女、丸顔の色白で結構イカスんだよ。山でもネ、薄化粧して歯を磨くンだって」
「えっ、山では化粧、歯磨きご法度?」
「そうらしい。左千夫曰く、人間本来の姿に戻るンだって」
「まるでマタギか山伏ですね。山男は蛮カラを目指すンですか。それもいいですね」
「それでいて薄化粧、歯磨きの彼女のオノロケをするンだよ。あの紋切りの左千夫がだよ。そんな彼女を好きになるなんて、矛盾してるよネ」久徳は言葉を切り両手を頭の後ろで組み椅子に深く凭れ
「でもナ、恋は全てに優先するからナ」
「謹厳実直な中に剽軽な所もある、奴の魅力だよ。人間、短所と長所は同じものだナ」“謹厳実直”“ひょうきん”桂馬は父を思い出し、血の繋がりを思った。
こんな場所でこんな話題を出すのも久徳らしいと思いながら、この人は本当にクラシックが好きなのだろうか、ポーズで聞いているのではないのだろうかと思った。

この時“事件”が起こったのだった。人間、些細な事で人生が変わる事もあり得るものだと後に桂馬はつくづく思ったのだ。
斜向かいの女性三人が帰り支度を始めた。左手にハンドバッグとコートを持ち通路に出た。後ろの女性は伝票を右手に持ち続いた。後ろの女性が急によろめいた。コートが久徳のコーヒー茶碗を払った。茶碗は床に落ち派手な音を立てて割れた。少し残っていたコーヒーが久徳の上着を濡らした。三人は振り返り叫び声を上げ硬直し、震える手でハンカチを取りだした。
「大丈夫、大したことはないよ」久徳はハンカチ受け取り上着を拭いた。
「ほらほら、怖いおじさんが布巾持って来るよ、早く逃げた方がいいよ」
女性達は何度も何度もお辞儀しながらレジに向かった。
 久徳は店員が持ってきた布巾で丁寧に上着を拭きながら
「俺たちも出ようか。折角の名曲も腰を折られたからナ」
久徳が真面目に聞いていたのは最初の短い時間だけで後は従兄弟、左千夫の噂話だけだったのだ。やはりクラシック好きはポーズだったのではないかと可笑しかった。
久徳は桂馬を後ろに、足早に道玄坂を下り左の露地に入った。突き当たりに「ライオン」と書いたカンバンが見えた。
「えっ。ここもライオンですか」桂馬は驚いた。青い大きなテントは喫茶店に似つかわしくなかったからだ。
「違うンだ。ビアホールだよ。テント張りの店が若者に人気なンだ。親父から小遣せしめたから奢るよ」
店はほぼ満員だった。
「ここでは大声で喋っても大丈夫だ」話題はまた左千夫家族の話になっていった。
「彼奴の親父さんがまた変わっているよネ」念を押すように桂馬を見て
「オレが遊びに行くと、“おう”と云うだけ、愛想なし。マ、その方が気楽だけどネ」
「あれだけ無愛想でも商売が成り立つンだから。ま、おばさんのおかげだネ。夫婦とは不思議だネ。神様の仕業かネ。天の配剤と云うやつかネ羨ましいネ」久徳は快活に笑った。
左千夫の母は父親とは対照的に社交家だった。総花教の信者だった。布教促進の会合や教会に欠かさず出向いた。誕生日や入学の子を持つ信者を目ざとく見つけ時計を売った。
口の悪い仲間が
「貴女の信心は一に時計教、二に総花教よね」とからかった。
「そうよ“衣食足りて礼節を知る”よ」と応じ全く気にしなかった。
左千夫家族の話題は尽きなかった。
「おじさん、酒が好きだよネ。肴が変わってるンだ。おばさん、ボヤいてたナ。“わたしの作ったオカズ食べないで自分のだけ自分で作る”だって。“じゃあ皆ンなの分おじさんに作って貰ったら”と云ったら、“冗談じゃあないわよ、あんなものとても食べられないわよ”だって」
叔父、左千夫の父は午後三時近くになるとそわそわし始め、手早に店の片付けをして買い物籠をぶら下げ商店街を物色した。酒のつまみが変わっていた。変わった食材の代表、まず鶏の手羽。それも先端の三角形の所だけ。丁寧に炭火で焼き、油で揚げてレモン醤油で食べる。次が鯛の中骨。スプーンでこれも丁寧に削ぎ“中落ち”を作る。傍目にも彼の作るつまみは変わっているのは歴然だった。「旨い物だったらオレはメンツに拘らない」彼の口癖だった。
「人の幸せって何ンだろうな。おじさん、自分流に生きてる。オレなんかメリヤス屋に成り下がって問屋に虐められて惨めだよ。自分が見えない。仮にオレが外交官になれたとしても退官すれば、ただの爺さんだモンね。過去の栄光を偲ぶ」
久徳は話を締め括った。二人は渋谷の駅で別れた。階段を上る久徳の後ろ姿が寂しげだった。

渋谷で久徳と別れてから二ヶ月近く、彼から桂馬にも左千夫にも全く連絡がなかった。
「音沙汰なしですね。どうしたンですかね」悄然と駅の階段を登る久徳の姿が浮かんだ。
「大丈夫だよ。おおかた親父に叱られたンだろう。まじめに働けってね」左千夫は文庫本から目を離し顔だけで振り返りニヤリと笑った。
それから数日後電話があった。
「よ~、元気か。ごぶさた。今度の土曜、暇あるだろう。付き合えヨ。問屋に叩かれて滅入ってるんだ。気晴らしに行こう。左千夫?あいつはダメだ。難しい話と小言ばかりだからなア」久徳は待ち合わせの場所と時間を云って一方的に電話を切った。
約束の時間にかなり遅れて久徳はあらわれた。
「カチュウシャに行こう。お前、行ったことないだろう、オレは三回目。歌は得意じゃあないけど気晴らしに最適」
二人は歌舞伎町の雑踏に混ざり込んだ。
桂馬が東京にきて一番驚いたのは雑踏だった。一人一人心を持った人間であることが信じられなかった。
カチュウシャは歌声喫茶だ。往時より下火だといわれていたが、二階の入り口までアコーデオンと歌声が、かなりのボリュームで聞こえて来た。二人は汚れた階段を上った。
 ロシアの民族衣装を着た女性がマイクを片手に派手な身振りで歌い、あご髭をはやした男がアコーデオンを弾いていた。
時間が早いせいか七分くらいの入りだったがタバコの煙は霞み、歌声は溢れ、女も男も力みで顔は赤かった。
「ここにするか」久徳が大声で指を指した壁際のテーブルに席を取った。
二人は歌うわけでもなく聞くわけでもなく頭の後ろに両手を組んで天井を眺めていた。
「ここいいですか」女の声に二人は顔をあげ
「アッ」と息を呑みフリーズとなって硬直した。百軒店「ライオン」の女性三人組だったのだった。
つづく


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03.08
Sun
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2025年2月27日  東伊豆河津町で写す

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 2025年2月27日  南伊豆下賀茂温泉で写す

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寒緋桜 2015年3月14日 武蔵野市境で写す

春まだ浅い、澄んだ空気に広がる青空。ピンクの櫻がクッキリと浮かぶ。カワズザクラ。カワズサクラはいい。だから毎年ここ河津を訪ねる。三島から天城峠を越え、目が回るループ橋を降り、河津七瀧を左に、ひたすら下る。河津川河口付近が見所。カワズザクラ。河津櫻。この地が発祥の地だという。昭和30年頃見つかったというから未だ新しい。知らない人も多いかも知れない。十数年前に初めて訪れた時は出店もパラパラ。櫻も河口付近だったが年々花の帯は川を遡る。今年はウイークデーだったが人の波、車、観光バスでごった返しだった。駐車場は満車、仕方なく空き地に止めさせて貰った。心せくままに、そそくさと見て回り、調べておいた下賀茂温泉に移動。此処は静かだった。川岸にかなりの櫻並木が満開だった。下草のように菜の花も満開だった。菜の花は至る所に咲いていた。少し頂き帰ってから辛子和えにして食べた。八百屋のものより苦みがあったが野生の味がいい。

河津櫻は寒緋櫻と大島桜の自然交配だそうだ。農家の庭に植えて置いた大島桜と寒緋櫻が交雑した。どちらが父か母かは知らない。人間に例えれば有色人種と白人の混血。大島桜から花の大きさを受けつぎ、濃いピンクと早咲きを寒緋櫻から受けついだという。原木が今でも元の農家の庭に元気だ。河津櫻は接ぎ木で増やした。種を蒔いても河津桜にはならない。先祖返りするからだそうだ。

大島桜は伊豆周辺の山桜。伊豆大島に多く、名前の由来という。若木の葉っぱは桜餅に。大島で生産がさかんだそうだ。里櫻の代表、ソメイヨシノの片親でもあるという。

寒緋櫻は、初めて見る人はエッ、これって櫻?という人がいるかも知れない。変わった櫻だ。半開きに下向きに咲き、濃い緋色が櫻のイメージに遠いから。下向きに恥ずかしそうだが派手に美しい。それもその筈、沖縄出身だ。葉が出る前に房状に賑やかに咲く。沖縄の民謡カチャーシャが聞こえて来そうだ。石垣島に自生しているそうだ。沖縄では1月に咲く。元々の名は緋寒櫻。彼岸桜と間違えないようにと名を変えたと云うが、いやいや緋寒櫻だと譲らない人もいるらしい。

陽春の能は桜が主役。桜の精まで登場する。昔から日本人はどの花よりも桜を愛したのだろう。桜の能はやはり「熊野(ゆや)」。美女の憂愁を描いた作品。熊野は遠江ノ國(静岡)の人、横暴な平宗盛に愛されている。明日をも知れぬ重病の母の手紙を携え侍女がやって来る。熊野の帰国を切々と訴える母の手紙を、熊野が宗盛と一緒に読む「文ノ段」がいい。宗盛は許さない。気晴らしにと清水寺で花見の宴を催す。清水寺の地主権現の桜は洛陽一の桜の名所。清水へ向かう花見車の熊野、花見の宴で心もそぞろに舞う熊野の舞。美女の憂愁が滲み出て絶品。熊野は短尺に一首をしたためる。「いかにせん。都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん」散る花を母の命に例えた熊野の必死の訴えに、さすがの宗盛も心を動かし帰国を許す。宗盛の心が変わらない内にと、宴の場からそのまま旅立つ。
悲しみのどん底から嬉しさへと急転する美女の歓喜が美しい。
若い頃、師匠に熊野には国許に想う人がいたと聞いたがその気持ちで舞うのかと聞いた。師匠一喝。余計な事は考えるな。台無しではないかと。何が台無しか今も時々考える。
     
能「熊野」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。

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03.01
Sun
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2015年2月15日東京都調布市都立野川公園で写す

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2015年2月21日植栽


福寿草。なんとも幸せな名を頂いたものだと感心する。その名の通り花は満面の笑みを浮かべて咲く。葉がまたいい。鳥の羽のように細かく切れ込みきれいだ。七分開きの花は太陽光を受け易いようにと云うがそんな計算はそっちのけで幸せそうに咲いているように見える。
東北地方ではマンサグ、ツチマンサグと呼ぶという。雪の残る土の中から、まず咲き始めると云う意味だそうだ。まず咲くの“まず”は、緑も花もない荒涼とした冬景色の残る中に咲き出した嬉しさを云うのだろうか。
促成栽培の花を正月にも飾る。旧正月ごろから咲き始めるからと、貝原益軒は元日草と名付けたという。
この幸せ者も夏草が茂り始める初夏には実を結んで枯れる。だが大きな根は来年の夢を見ながら眠る。福寿草のように寿命の短い植物をエフェメラルプラントとよぶそうだ。儚い命をエフェメラ、カゲロウ(蜉蝣)にたとえという。
フクジュソウは毒草。女性に例えての諺だが「きれいな花に毒あり」を地で行く。根は強心剤。「毒と薬は同じ物」という見本。以前は薬用の栽培畑があちこちあったが今はトント見かけない。
昔は東京近辺では八王子周辺が野生の名所だったそうだ。八王子草と呼んだという。福寿草に限らず野生種の名花は激減している。生育地が荒れているのも一つの理由ではないだろうか。昔は落ち葉を掻き堆肥にし、草を刈って牛馬の飼料にした。野山はきれいに掃除され色々な草花の楽園だった。
昨年友人に牧野富太郎の「植物知識」を頂いた。牧野富太郎と云えば植物学の神様的存在。本は初心者向けの文庫本。
内容は初心者向けだが「前書き」と「あとがき」の植物に対する思いに圧倒された。
「自然は宗教、本尊は植物。儒教、仏教となんら変わらない」と云う。
“びっくり”をもう一つ「花は誠に美麗で且つ趣味に富んだ生殖器であり動物の醜い生殖器とは雲泥の差があり、とても比べものにはならない」と喝破しておられる。
図鑑を読んでも感じるように紋切り型のまじめな学者の中にあってこれ程人間味のある人だったのかと尊敬を新たにした。

福寿とは当たり前だが、福を祝福するということ。人は折り目節目に祝い事をする。正月、ひな祭り、還暦等々。能も天下太平、五穀豊穣を祈願、祝福する神事から始まったと云う。
お祝いの能「高砂」を知らない人は少ないと思う。結婚式に謡われる。数あるお祝いの能の中で結婚式に歌われる理由が「高砂」だけにある。

話の主役は爺さんと婆さん。名木、高砂の松を見物に来た阿蘇の神主、友成が松の下を掃き清めている老人夫婦に逢う。爺さんは住吉の人、婆さんは高砂の人だという。
住吉はここ高砂から大阪湾を隔てて遥か彼方。友成が、どうして離れて暮らしているのかと不思議がると、婆さんは「山川万里を隔つれども妹背の道(夫婦の情愛)は遠からず」と答え、爺さんも相生の松の例を引いて夫婦の道を説く。実は二人は高砂と住吉の明神だった。 

結婚式に謡うのは「高砂やこの浦船に帆を上げて」がよく知られている。これはワキ友成が、爺さんが住んでいる住吉に向かう場面。結婚式では二人の門出に、適例だとして謡うのだろうか。昔は同じ「高砂」の一節「四海波静にて、国も治まる時津風。枝を鳴らさぬ御世なれや。あひに相生の松こそめでたかりけれ」が一般的だった。

江戸時代、将軍は正月、江戸城に諸国の大名、江戸の町民を招いて五番立ての大がかりな能会を催した。先ず祈りの能「翁」、翁に付随して祝言の能が舞われた。
幕開け、楽頭格が将軍の方に向かい平伏「四海波」を謡った。「松こそめでたかりけれ」の松は松平、将軍家をも指す。
 今は毎年二月に能楽協会主催、東京都助成の本格五番立て「式能」が国立能楽堂で催される。御前十時から午後七時頃まで長大な式典だ。
能「高砂」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。
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