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04.25
Sat
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アセビ 4月12日仙石原で写す

四月の中旬、金時山に登った。十日ほど前に捻挫した足を包帯でぎゅうぎゅう固定して。春の花見たさに。この辺りは珍しい花があると聞いていたので。残念ながら不自由な足では見つけられなかった。

アセビ、白く釣り鐘のような花が可愛い。山の尾根筋など乾いた所が好きらしい。庭や垣に植えているので知っている人は多いと思う。万葉の昔から庭園を飾ったという。
「馬酔木」と書く。馬が食べると足が痺れて動けなくなると云うことらしい。呼吸中枢をやられるという。
だが馬は毒のある草や木は食べない。馬の大きい唇に秘密があるのだ。唇をくっ付けあってお互いの気持ちを確かめ合うには理想的な唇だ。しかし“くっ付けあい”は人間だけ。
馬や牛の食堂でもある、道端や野原、牧場にはウマノアシガタやスズランなど毒草が多い。牛や馬はあの大きな唇で、毒草と食べられる草を上手に選別して食べる。そのための唇なのだ。草や木の葉を上手にまとめ上げて食べるための機能もある。
十数年前、中国のウイグル自治区ウルムチを旅した。ここは四月末から五月始めが早春、砂漠に生えている紅柳という灌木の芽立ちをラクダが食べていた。大きな唇が血だらけだった。この木には鋭いトゲがあるのだ。「食べ物は命なのだ」その衝撃は未だ消えない。
この紅柳はピンクの綺麗な小花をつけていた。ラクダも花も命を守ろうと。感動だった。
アセビは一名ウジ殺し。数十年前、山小屋ではトイレにアセビの枝を投げ込んで殺虫剤にした。若い世代はウジを知らない人が多いと思う。今では中々お目に掛からないから。ウジは金蠅の幼虫。腐ったものに集まり、トイレの主。
登山道の外れに不心得者が“大”の用を足し、それに金蠅が集った。山男達は、あっ“シナノキンバイ(金蠅)だと洒落た。シナノキンバイは「信濃金梅」。キンポウゲ科の高山植物。黄色い大きな花を綺麗に咲かせる。山男達は優しいのだ。その人がその所行に及んだ経緯に心を巡らすのだ。

数十年前は農業や林業など牛馬の動力が頼りだった。牛馬は草を食べさせてさえいれば文句も云わず働く。今の石油動力は高価な上に深刻な公害をまき散らす。
戦国時代以前、戦いの機動力は馬だった。能でも馬に乗った武将が活躍する。中でも十六歳で、いたいけな命を散らした「平敦盛」は哀れだ。敦盛は平清盛の甥。一ノ谷の合戦で関東の荒武者、熊谷次郎直実に討たれた。平氏は武家の集団だが中身は公達だった。
味噌やチーズを食べ、鍛えた屈強な関東武士に敵う訳がない。

能「敦盛」勇壮な戦いを描いた作品ではない。幼顔の残る雅な公達の最後を主題にした作品。
敦盛を討った熊谷直実は悔悛の念に出家、敦盛の最期の地、一ノ谷を訪れ敦盛を弔う。
敦盛の亡霊が草刈り男で現れる。草刈り男が謡う、笛を主題にした「草刈り歌」が面白い。敦盛は笛の名手だったのだ。
後場、クセに滅び行く平家の悲哀と須磨の浦の悲惨な暮らしが語られ涙を誘う。
終曲は直実に討たれる場面を再現する。討った本人、直実を前にしての再現。直実の懺悔心如何ばかりかと迫力だ。
 面は幼顔の残る「十六」敦盛は十六歳、今の中3か高校一年。戦いを描いた「修羅物」では敦盛を主人公にした曲だけ「中の舞」系統の舞を優雅に舞う。雅な少年武士だから。
能「敦盛」の詳しいは解説は「能曲目の解説」をご覧ください。
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04.18
Sat
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2015年3月28日 太平洋の残照 土肥港で写す。

   
次第
竹内桂馬。団塊の世代。退職してから久しい。世間との繋がりの世界が狭まっていく淋しさも年ごとに薄らいでいく。空白の時の拡がりの中に突然、想い出が甦る。想い出は残照だった。輝きは束の間だった。残照が去った後「空虚」が桂馬を襲った。(次第の意味は前回にあります)

前回のあらすじ
従兄弟の友人、久徳に連れられて桂馬は道玄坂の名曲喫茶「ライオン」に行った。そこで運命の糸の端に絡まれる。女子学生らしい三人組の一人が誤って久徳の上着にコーヒーをこぼしたのだ。二ヶ月程経って桂馬は久徳に歌声喫茶、カチュウシャに誘われた。運命の糸は此処まで伸びていたのだ。二人の前に例の三人組が現れたのだった。

三人組は顔を見合わせ
「あの時の」と声を揃えて叫んだ。
「あの時は大変申し訳ありませんでした」とコーヒーをこぼした一人が深々と頭を下げた。
「いいんだ、いいんだ、安物の上着だから。あんなの捨てちゃったよ」久徳の冗談に三人組の表情が緩んだ。
「どうぞお座りください」久徳が立ち上がって丁寧にお辞儀をしてニヤリと笑った。三人組も笑いながら
「有り難うございます」と返した。
突然、カチュウシャが始まった。この店のテーマソングだった。頃合いを見計らって店のリーダーのアコーデオンが始めるのだった。
久徳も歌った。桂馬も三人組も歌った。桂馬は仙台の友達が歌っていたのを聞き知っていたのだ。
三人組は謡いながら歌集を取り出した。
「持ってますか」一人が久徳の顔の前に歌集を突きだした。手のひらサイズの表紙に、毛布のような布を頭から被った女が画いてあった。雪の中をネフリュウドフを探し求めてさまようカチュウシャだろうか、そばをトロイカが走っている絵だった。
「いいや、思いつきで来たので」
「買ってきます、この間のお詫びに」
久徳も桂馬も三人組やまわりに引きずられてテンションを上げていった。
ピクニックが始まった。 
「丘を越え行こうよ、口笛吹きつつ、空は澄み青空、牧場をさして。歌おう朗らに、共に手を取り、ラララララ、、、、アヒルさん、ガアガア。牛さんも、モウモウ。豚さんも、ブウブウ」手を叩き、テーブルを叩き、床を踏み鳴らした。興奮の大波がうねった。
興奮の波は休憩まで続いた。
「君の出身地は?」久徳の質問もごく自然に聞こえた。歌ですっかり同化したのだった。
「山形の寒河江」
「サクランボの産地だネ。どうりで可愛い」色白の丸顔が下向きに微笑んだ。
「私は紀州、南部」
「南高梅の産地アンド道成寺。清姫のようにヤキモチ焼かないよネ優しい顔だもンね」
久徳の冗談に声を合わせて笑った。
「私は鹿児島の桜島」
「エッ薩摩おごじょ?」
「おごじょ、よく知ってますね」
「ウン、友達が鹿児島でね。“おごじょ、こらこらチョノゲがおてた。持たんチョノゲがナンガおつっか”♪。オハラ節。教えて貰ったンだ。おごじょは娘さん、チョノゲは手ぬぐい、おてた、は落ちた、だよね。薩摩弁はさっぱり分からない、外国語並みだよね」
久徳がタバコに火を付けた。
「灰皿ですね」テーブルの端に座っていた紀州南部娘が呟き斜向かいの久徳に灰皿を押しやった。久徳の上着にコーヒーをこぼした子だ。次の瞬間、灰皿は元の所へ引き寄せられ
ひっくり返った。灰皿は黒いゴム紐付きでテーブルの端に固定されていた。盗まれないように。吸い殻が散乱し、灰が舞った。
「すみません、すみません、ごめんなさい、ごめんなさい」紀州娘はハンカチを取り出し吸い殻を拭き寄せた。寒河江も桜島も手伝った。
「私ってどうしてこうそそっかしいのかしら、この間のライオンでもそうだったし」
今にも泣き出しそうな声だった。
「いいんだよ、ここはカチューシャ。ハプニング大歓迎。見てご覧、向こうのテーブル。笑っているだろう。彼らもきっとやったんだよ。店の人もこれを期待してゴム紐にしたんだよきっと」久徳はタバコを灰皿に捻り込みながら
「君達とは何か因縁があるんだよきっと」と寒河江娘を見て笑った。
「そうかも知れませんね、二度の大失敗ですものね」
寒河江娘は時計をのぞき込んだ。
「あら、もうこんな時間?そろそろ帰らなくちゃ、アパートのおばさん、うるさいの。お母さんの親戚で私のこと見張ってるみたいなの。嫌よね」寒河江眉を寄せて見せた。
「どこに住んでるの?」
「洗足池です」
「あそこのボート、いいよね。前、よく乗ったんだ。僕も同じ方向だから途中まで送るよ」桂馬は久徳の顔をまじまじと見つめた。
「反対方向の亀戸なのに」だが言葉にならなかった。
桂馬と久徳と三人組は歌舞伎町の雑踏に混ざり込んだ。桂馬には、こんな雑踏は東京に来てからで、経験が薄かった。三人組と久徳の姿を見失わないようにと必死だった。
ようやく新宿駅の改札に入るなり久徳はホームの入り口を指差し
「僕はこの人を送って行くから。今日は楽しかった。君達気をつけて帰って。三度目の正直で又逢おう」と二人に手を挙げ
「桂馬、叔父さんと叔母さんによろしく、左千夫には喋るな」と階段を上がった。寒河江娘は空ろな目で二人の娘と階段を交互に見、小さく手を振りながら久徳の後に付いて階段を登って行った。
「房江、大丈夫かしら。なんだかフワフワしてたわネ。あの人、まじめ?」不安そうな二人の目が桂馬を見上げた。桂馬は返事が見つからなかった。「まじめ」の意味が分からなかったのだ。金品をだまし取るという意味ではなさそうだったから。返事には間があった。
「たぶん大丈夫。花粉みたいな人だから」
「え?」
桂馬は大学の友人、金丸の話を思い出した。「昔の人が、草木心無しとはいえども、時を知る、と云ったそうだ。つまり時が来ると花を咲かせ、花粉を飛ばして花粉本来の仕事をする。人間だって草木と変わらないサ。色々考えて行動するように見えても人間の規範からはみ出ることは出来ない。植物だって、人間だって結果的には同じサ」金丸がどうしてそんな話をしたか忘れたが桂馬の心の隅に凝っていたのだ。桂馬は彼女たちに、大した事が出来る人ではない、と云って安心させたかったのだ。
その後久徳からなんの音沙汰もなかった。桂馬もカチュウシャの事はすっかり忘れていた。
三ヶ月ほど経った夜、久徳から電話があった。
「よう~しばらく。彼女達どうした?二人とも可愛いじゃないか。どっちにした?道成寺?薩摩おごじょ?」久徳の声は明るかった。
「関係ありません。興味なしです」
「そう怒るな。冗談冗談。実はナ彼女がお前に頼みがあるそうだ。どうだい今度の日曜、三人で逢わないか」
「彼女?誰ですかそれ。お金だったら僕は五百円しか持ってません」
「カチュウシャの時の、オレが送って行った子だよ」
久徳と彼女の間に何があったのかと思い自然、皮肉口調になっていく自分が可笑しかった。
久徳は約束の時間と場所を云い一方的に電話を切った。
日曜日、桂馬は重たい足を引きずり約束の渋谷、ハチ公前に行った。時間前、彼女は紙袋を下げ立っていた。
「久徳さんはまだですか?」
「こんにちは、この間は有り難うございました」と深々と頭を下げた。色白の丸顔が大人っぽく見えた。
「久徳さんは急用で来られないそうです」桂馬は目を剥いて彼女の顔を凝視した。桂馬の心の動揺は久徳が来ないという意外さだけではなかった。
つづく








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04.11
Sat
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2015年3月29日伊豆土肥で写す

ちょっとした山へ行けばお目にかかれるのでたいての人は知っていると思う。
派手に沢山咲く花ではないから目立たないがよくよく見ると可愛い。雄花と雌花があるらしい。子供達が雌花を手の甲に立てて遊んだ。今時の子供はもっと面白い遊びがあるらしいから見向きもしない。  
アケビは有用植物。実はもちろん若芽は少々苦いが山菜。蔓は籠などアケビ細工に、利尿剤でもある。昔は種から油を取ったそうだ。
実は卵形の薄紫。熟すと縦にパカッと割れ、綿のような果肉に包まれ、沢山の種が集まった握り拳があらわれる。口にすると甘い。他の果実とは甘さの質が違う。雑味のない純粋な甘さだ。山形の米沢で、種をくりぬいた果皮の中に味噌で和えた野菜などを詰めて油で焼いた珍味を食べた。苦かったが、“なるほど”の味だった。

米沢は上杉謙信の家来の子孫が暮らす町だ。米沢藩は穀倉、越後(新潟)から改易になった。米沢は山に囲まれた盆地、越後と雲泥の差だ。謙信の子孫というプライドから格式を守るための経費、加えて宝暦の大飢饉で餓死者が続出するなど、財政は破綻状態になったという。
ここで登場したのが上杉鷹山。鷹山は日向國(宮崎)の小さな、五万石ほどの高鍋藩、秋月家の次男坊。小さい頃から天才少年と云われたそうだ。幕府の肝煎りで上杉藩の藩主になったが小藩の出身だったので藩の重臣に馬鹿にされ苦労したらしい。
色々な産業を起こした。その名残が今に残る米沢織。
農村の振興に力を入れ人口を増やすために越後から女性を呼んで結婚させ、堕胎、間引きを禁じ、貧しい人に手当を支給したという。
人口減少が問題視されている今の日本、参考にならないだろうか。 
飢饉対策に力を入れ、冬を越すための保存食の作り方を集めた本「かてもの(糧物?)」を作った。天明の大飢饉には一人の餓死者も出なかったと言う。今でも郊外の屋敷の周りに「うこぎ(若芽をたべる)」が植えてあり往時が偲ばれる。
鷹山は米沢の人達の神様。神社に祀られている。
鷹山の卓抜した業績、政治理念を紹介した著書「上杉鷹山」はアメリカの大統領だったクリントンさんの愛読書だったそうだ。

米沢の自慢がもう一つ。小野小町。小町は出羽國郡司の娘。米沢の町外れにある小野川温泉に小町の腰掛け石というのがある。
小野小町は平安前期の歌人。六歌仙の一人。歌才、容姿共に抜群だったそうだ。語り継がれた美人は皆頭が良かったという。楊貴妃、クレオパトラ然り。賢く頭が良いのも美人の条件だろうか。
小野小町は美人ゆえに色々な伝説を生んだ。能ではお婆さんの小町が最奥にランクされる。
中でも「卒都婆小町」は老いて乞食になった無残な小町だから驚く。

能に「通小町」がある。深草少将が小町のもとに百夜通ったという、百夜通い伝説を作った作品。百夜通いの九十九日目の夜、突然死んでしまった男の凄惨な妄執を描く。背筋に戦慄が走る。
シテ(主役)は深草少将。小町はツレ(連役)。
前半、数々の木の実の名を連ねた「木の実づくし」の謡が美しい。木の実の数は少将が通った数を暗示しているようにも聞こえ、通ってくる少将を傍観するように非情な小町の姿が見えてくるようでもある。
シテ、深草少将は後半現れる。僧に成仏を頼む小町を阻み「さらば煩悩の犬となって打たるるとも離れじ」と凄まじい。
 少将は罪障懺悔に百夜通いを見せる。月の夜も、闇夜も、雨、雪の夜も。「たまたま曇らぬ時だにも身一つに降る涙の雨か」と叫ぶ。
漆黒の闇路を行く様を舞う「立回り」では風に笠を飛ばされ地面を這い回り探す姿が哀れだ。「かように心を尽し尽して」と、心の叫びが共感を呼ぶ。

「卒都婆小町」「通小町」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧ください。
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04.05
Sun
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キブシ 2015年3月28日 西伊豆土肥で写す

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白花タンポポ 2015年3月28日 石廊崎で写す

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ヤブツバキ咲き残り 2015年3月29日 沼津御用邸で写す

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大島桜の実 西伊豆土肥清雲寺で写す

三月末、伊豆を訪れた。目的は春の花を撮るため。新潟の雪割草を目論んだが新潟地方は猛吹雪で断念。暖かい伊豆の草花に決めた。山桜が満開だった。道ばたの山桜を撮ろうと忍び寄ったら段差につまずき転んでしまった。手、膝、は血だらけ、足首まで捻挫。通りがかりの車の人が助け起しテイシュで血を拭いてくれた。続く車が四、五台止まり声をかけてくれた。あまりの痛さに、ろくなお礼も言えなかった。日本人は優しい。感謝!おかげで山に潜って花を探すことが出来ず足を引きずり道端の花しか撮れなかった。

キブシは、きれいという程の花ではないが春一番に咲く。オウ~咲いてる、春だな~と思わせる。長く細い枝にぶら下がって咲く。花の少ない時期に存在感だ。
木に咲く藤、木藤と信じていたら、黄藤だった。本当は木五倍子(きぶし)だそうだ。
木につく五倍子(ふし)という意味。五倍子は河原や藪に生える邪魔者の木、ヌルデの葉につく虫こぶ。お歯黒の原料。キブシの実もお歯黒の原料だった。
お歯黒は昔、既婚の女性が歯を染めた。ニッと笑って黒い歯を見せ、手を出しちゃだめよと。公家も染めた。

能には魅力ある公家が登場する。魅力№1は破天荒公家、源融(みなもとの、とおる)だ。平安前期、1100年前の人。嵯峨天皇の子。源の姓を賜って臣籍に下った。臣籍に下るのは皇族が増え過ぎるから。
融は六条河原に大邸宅を造った。宮城県の塩竃の景色を写した大庭園を造り、大阪湾から毎日、船で潮を運ばせて塩を炊かせ、その煙を楽しんだ。誇張だろうが人手三千。塩竃の景勝は都人の憧れだったのだ。
融の死後、宇多法皇に贈られたが、あまりの規模に手を焼き、荒れ果てて幽霊屋敷と恐れられた。源氏物語で夕顔の上が怨霊に取り殺された「某の院」は「河原の院」だった。
京都の東本願寺の別邸「枳殻亭(きこくてい)」は「河原の院」跡だという。

能「融」は前場、旅の僧の前に融の幽霊、汐汲みの老人が現れ、荒れ果てた「河原の院」に涙し、僧に昔の豪奢を語る。後場は、融の大臣が在りし日の姿で現れ遊舞の舞を雅に舞い、やがて月の都に帰って行く。人の憧れ「雅」を作った美しい名曲。
追善にこの曲の結末「この光陰に誘われて、月の都に入り給うよそおい、あら名残惜しの面影や」を謡う。「追加」という。結婚式などの慶事に謡う“高砂”は「祝言」

白花タンポポ
タンポポは何やら外国語に聞こえるが純然たる日本語。花の形が鼓に似ているからとか、鼓の擬音からとか。鼓の擬音は今はポンポンだが昔はタン、ポ、ポだった。つづみ草とも云ったらしい。
箱根の西、関西は白花タンポポが多い。関東から東では見たことがないが山梨のブドウ畑で見たことがある。黄色いタンポポは関西にカンサイタンポポ、関東にカントウカンポポ。北海道にエゾタンポポ、高山にシロウマタンポポ。花弁の下の苞が反り返っているのは西洋タンポポ。

ヤブツバキ
今回は寂しい花だったので。前回の蒸し返しながら。
この花を見るときまって思い出す。郷里に皆がキー爺と呼ぶ爺さんがいた。喜之助が本名。
何時も飄々と人生を楽しむ田園詩人だった。即興で作詞作曲して唄った。秀作を皆が唄った。その一つ「キ-(喜イ)が死んだら墓所に埋めて、墓所お前にツバキを植えて花を咲かせてヒョドリ呼んでキーよキーよと鳴かせたい」ヒヨドリはキーキーと甲高く鳴く。悪食だが優雅に花の蜜が好物だ。くちばしに黄色い花粉をくっつけてツバキの蜜を吸う。

オオシマザクラ
三月八日に紹介した「カワズザクラ」の片親「オオシマザクラ」。原木の花を撮りに行ったがあまりの人集りに近づけず断念した。今回、咲き残りがあるかナと期待したがご覧の通り既に実になっていた。

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