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06.27
Sat
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梅雨の雨雲に覆われた奥多摩方面の残照
(2015年6月20日 府中市住吉町 鎌倉街道、多摩川に架かる関戸橋から写す)

次第
砂内桂馬。団塊の世代。
霧の中を彷徨う如く索漠たる日々。
突然一条の光が差し込む。思い出だ。幼い時の、少年の時の、壮年期の想い出だったりする。
想い出の悲しみ、苦しみは、今では幸せに変質する。生きている証であり生きる心の糧でもある。
しかしそれは残照なのだ。しばらく輝き静に消えていく。索漠たる彼方に。

前回のあらすじ。
桂馬は少年期、母親に女性に対する警戒心を植え付けられた。理由は薄々感じたが母の思惑は想像するだけだった。
桂馬は女子学生四人組と偶然知り合った。
その中の一人、桜子は一際目立った。桂馬の警戒心は桜子に向けられた。
その桜子に桂馬は卒論の代筆を頼まれた。
卒論の執筆の遣り取りの中で、桂馬の桜子への警戒心は徐々に薄らいでいった。
卒論を提出して数日後、桜子が江ノ島に近い腰越の担当教授の家を訪ねようと桂馬を誘った。
腰越からの帰途、二人は日もかなり傾いた湘南の海岸を歩いた。
江ノ島と遥かな富士山が美しかった。
突然立ち止まった桜子は桂馬の肩を掴み唇を重ねた。桂馬には初めての‘事件’だった。


衝撃だった。人の行動にはたいがい予兆があるものだが、心の準備をする瞬間もなかった。母の顔が一瞬浮かんだがたちまち消え、母が教えた喪失感も罪悪感もなかったのは不思議だった。母のバリアが破られたのだ。
数日の間、衝撃が頭に浮かんでは消え浮かんでは消えた。
唇に残った生暖かい感覚が消え、なにか懐かしさに似たものに変ろうとしたころ桜子から手紙が届いた。
渡したい物があるので大崎の駅改札で待っているという簡単な文面だった。朝七時半とあった。
その朝、桂馬は落ち着かなかった。七時半に何か曰くがあるのだろうかと思いをめぐらしながら下駄を鳴らして明電舎の塀つたいに駅に向かった。
通勤の人達は急ぎ足に、うつむきかげんに桂馬を追い越していった。
桜子は改札の端に小ぶりの紙袋を下げて立っていた。
深い紺色のワンピース、布地の靴、帽子はなく、髪は後ろに無造作に束ねていた。秋も深まった朝だったが、コートは着ていなかった。
渋谷の駅前で会ったときの花やかさは、まるでなかった。少し大人っぽく見えたが清楚な姿だった。
桂馬は手を挙げて歩み寄った。
桜子は深々とお辞儀をして改札の柵に歩み寄り紙袋を差し出した。
「朝早く、ごめんなさい。出来るだけ早くお渡ししたくて」
「あ、いや」
「それでは、これで。さようなら」桜子はふたたび深々とお辞儀をした。桂馬は、桜子の‘さようなら’に咄嗟に反応した。
「今から何処かへ行くンですか?」
「いいえ。お渡しするの、朝の方がいいと思って」
「それでは戸越銀座まで歩きませんか。戸越から電車に乗ってもそう遠回りではないと思う、意外と近いンです。」誘いは自然だった。
「いいンですか?ご迷惑ではないですか?」
「いや」桂馬は頭を小さく振った。
「それではお言葉に甘えてそうします。」
二人は芳水小学校の石垣伝いの坂道を登った。
「これ、何が入ってるの」桂馬は紙袋の中をのぞき込んだ。
「与謝野晶子の、みだれ髪とお手紙です。でも今読んでは駄目です。お家に帰ってから読んで下さい」桜子は紙袋を軽く押さえて、
「腰越で、銀杏の葉っぱ四,五枚放り上げて“銀杏散るなり夕陽の丘に”と笑ったでしょう。私、忘れないように必死に覚えて、先生に聞いたの。ちょうど、みだれ髪の初版の復刻版が出ているよ、と教えて頂いたの」
「ほう、みだれ髪」
桂馬が少年の頃、教科書か何かで覚えたのだろうか、頭にこびりついていたのだ。多分、与謝野晶子は激情の人とばかり思っていて、この歌が意外だったので覚えたのだろう。
二人の会話は淀みがなかった。気遣いの敬語もいつの間にか消えた。緊張が解けたようだった。桂馬は変化して行く自分の心を思った。

駅前の小さい商店街はいつものような活気だった。
「あそこのパン屋で朝飯しよう。結構旨いンだ。コーヒーも結構いけるよ」
「あら?桂馬さんコーヒー、嫌いではなかった?」桜子は初めて笑顔を見せた。渋谷の駅前で桜子にコーヒーに誘われ邪険に断った稚気が甦った。
「あれからコーヒー、練習したンだ」照れ隠しはぎこちなかった。
桜子は、上目使いに桂馬をみて微笑みコクリとうなずき、
「はい、お供致します」
桂馬が勢いよくドアを引いた。店の中には客の若い女性が一人、細長いパンを千切っていた。
「あら、意外にきれいなお店ですね」桜子の言葉はお世辞ではなく、場末にしては小綺麗な店だった。
店主は桂馬が下宿している叔母の友達だった。叔母の息子、従兄弟の左千夫のお気に入りで、休みには桂馬をお供に通った。
「いらっしゃいませ」奥から声がして店主が現れた。
「あら、桂ちゃん、早いわね。今日は佐っちゃんは?ア、そうよね、今日は会社よね」店主は桜子に顔を向け、
「お友達?きれいなお嬢さんね」と微笑んだ。
店主は注文を聞き、桂馬に片目をつぶって見せ、奥のカーテンに消えた。桂馬は店主の背中に、
「違います。ただの知り合いです」
桂馬は急に大人になった気分で少し嬉しかった。
鎌倉の‘事件’のわだかまりが二人の会話の節々にあったがお互い口には出さなかった。
「ねえ、桂馬さん。久徳さんってどんな人?時々電話、かかってくるの。アパートのおばさんが気をつけなさいよって云うの。少し怖いわ」
「僕の兄のような従兄弟の友達。少しオッチョコチョイだけど普通の人だよ」久徳の話はそれだけで終わった。
「このお店、気にいったわ。またご一緒させてください」
「いつでもどうぞお声をおかけ下さい」微笑みながら応じた。
「貴重なお時間を、どうもありがとうございました。それではこれで」
桂馬はもう少し居たい気分だったが店の人の目もあったし桜子の手紙も気になった。
「あ、そうそう。先生が又腰越に来て、とおっしゃって」桜子は急に目を落として
「ごめんなさい。わたし、なにを云っているのかしら。何しに来たのか忘れていました。ごめんなさい」
桜子は江ノ島海岸の‘事件’の事を云っているのだろう、打ち解けていたと思っていた桂馬は少しさびしかった。桂馬の中ではとっくに想い出に変質していたのに、桜子の言葉が意外だったから。
二人は店の前で左右に別れた。桜子は振り返り振り返り小さく手を振った。桂馬も振り返った。濃紺のワンピース姿がきれいだった。

桜子の手紙の内容に、桂馬はおおよそ見当をつけた。読むのが怖かった。自然与謝野晶子の復刻本に手が行った。
復刻版の表紙はハートの絵がきれいだった。表題のページの裏に絵の説明があった。「表紙画みだれ髪の輪郭は恋愛の矢のハートを射たるにて矢の根より吹き出でたる花は詩を意味せるなり」
桂馬にも与謝野晶子の情熱の片鱗があるのではと桜子は思って少し心を和らげたのではないかと桂馬は思った。

 手紙は手作りの白い和紙の封筒の中に、罫線のない便箋二枚だった。
「からだが、かってに動いたのです。わたし自身も信じられないのです。ほんとうです。信じてください。お願いです。どんな方法で償えばいいのでしょう。考えても考えても混乱するばかりです。教えて下さい」一枚目は‘事件’のことだけだった。
二枚目には、
「みだれ髪の復刻本を見つけました。“銀杏散るなり夕日の丘に”の歌はありません。先生に伺ったら、明星の同人、三人の合同歌集「恋衣」にあるそうです。探してみます」
桂馬は、アグラのまま頭の後ろに両手を組み仰向けになって天井を見つめた。天井板の木目模様が色々の形に変化した。桂馬は桜子を思った。心の中を占めていく桜子を思った。

秋が深まり銀杏の木々の葉も残り少なくなったある日、桂馬は思い切って桜子に手紙を書いた。腰越に行こうと誘った。教授や磊落な夫人の話を聞きたいと書いた。
桂馬には苦手な類の人達だったが、桜子を誘う理由や名分がなかったからだ。女性など誘ったことがなかった桂馬には、理由も名分もなくてはならなかったのだ。
桜子の返事は早かった。

ウイークデーの午後の横須賀線はガラ空きだった。
晩秋の空は明るく空気は澄み風もなかった。花柄のワンピース、長い髪を後ろで無造作に束ねた清楚な姿の桜子がまぶしかった。
並んで座った二人の会話は途切れ途切れだった。
横浜から若い黒人の男の二人連れが乗り込んだ。
二人の態度は堂々としていた。異国で、しかも異人種の中で、こうも堂々としている姿が桂馬には羨ましかった。
「フォークナーはアメリカの南部出身の作家だそうだけど、インデイアンや黒人には好意的だったと解説に書いてありましたね。私は黒人を虐げた南部の人達を書いた作家だとばかり想像していたの。異人種への差別は悪いことだと思っていても、嫌悪感は、身体が勝手に反応するのだと何かの本で読んだのか、誰かに聞いたのか忘れたけど、そんなことをテーマに書いた人かなと想像していたの」
桜子の発言に桂馬は桜子の顔をじっと見つめた。驚いたのだ。
「あら、ごめんなさい。生意気云って。あの二人を見ていたら思い出したの」
これ程の見識を持っている桜子が卒論を書けない訳はない。だったらその理由は何か。
そう言えば卒論を提出したのは十月だった。提出期限には早すぎる。桂馬の混乱は大船まで続いた。
「桂馬さん、先生のお宅までご一緒する?無理しなくてもいいですよ。苦手でしょう。実は奥様には一緒だとは話してないの」
「助かるナ。ほんとは苦手なンだ。腰越港の網小屋に去年の夏知り合ったおじさんがいる。おじさんと話してるネ。おじさん、話し好きなンだ。ゆっくりしてきていいよ」

おじさんとの話しの種も尽きかけ、陽が大きく傾いたころ。桜子が網小屋に現れた。
「ごめんなさい。奥様に引き留められて。先生、今日も居なかったの。急に講演、頼まれ
たそうです。奥様、手ぐすね引いて待ってたようで、話が尽きないの」
網小屋のおじさんが帰り支度を始めた。
「おじさん、面白い海の話、楽しかった。ありがとう」
二人は網小屋を出て人気のない海岸を歩いた。波の音が静に尾を引いた。晩秋の澄み切った潮風の、かすかな香りが二人を包み、砂を踏む感覚がやさしく靴の底から伝わり、その音はリズムをつくった。
二人は手をつないだ。自然に。二人は立ち止まった。波の音が消えた。唇を重ねた。自然に。      
     つづく

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06.21
Sun
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IMG_1047.jpg   2015年6月1日 武蔵野市境南町 で写す  

 六月の初め頃、高尾の多摩森林科学園にサイハイランの写真を撮りに行った。
去年みごとな群生を見つけたので。
何の疑いも無く行った。
ところが一本も無かった。辺り一面掘り返した後があった。イノシシめだ。ここにはイノシシが沢山いるという。
イノシシがサイハイランを食べるかどうか知らないがイノシシめの仕業だと思った。
イノシシにとっては有らぬ疑いかも知れないが。
おまけに雨が降ってきて他の場所を探せなかった。
仕方なく鉢植えの情けない写真となった。

サイハイランの名は、昔の武将が戦いの時、兵を指揮し打ち振った采配に似ているので名付けられたという。
ランの仲間は豪華なものが多いが、サイハイランは地味だ。枯葉色の萼と云うのだそうだが、これが鞘のように赤紫の花びらを包んでチラリ、チラリと見え隠れする。これが気に入っている。チラリがいい。
能の大成者世阿弥は「秘すれば花なり」と、世に言う「花伝書」に書いているそうだ。
花伝書は世界中に有名だという。「秘すれば花」は、つまりチラリなのでは。
葉と花の茎は丸い球根から直に出る変わった奴。球根は実は茎だという。
全国にあるそうだが八王子の山裾や高尾山周辺でよく見かける。

この花に初めて会ったのは十数年前。神奈川県伊勢原市の大山、阿夫利神社から七沢温泉へ抜ける山道の竹藪にクマガイ草があると聞いたので駆けつけた。クマガイ草は竹藪が好きだそうだ。
篠竹や真竹のヤブに手当たり次第にもぐり込んだが見つからなかった。よくよく考えれば当たり前。
野性の熊谷草や敦盛草は今や国宝級。そこいらの目につく所にあるわけがない。
その竹藪でサイハイランの群生を見つけた。花茎が1メートル位の巨大なものもあった。
名前も分からないまま珍しかったので頂いた。
汗と泥んこになって七沢温泉にたどり着き、客一人もいない大浴槽に一人で浸かった。
風呂から上がったらビニールの袋のサイハイランが無い。
さんざん探したら受付にあった。
受付のおじさん、「掃除の婆さんがゴミだろうかと持ってきたンですよ。麦の穂に似てますね。これ何にするんですか?」
折しも麦秋に近く、小麦の穂並みが風になびいて、きれいだった。

采配といえば能「頼政」。宇治川の合戦で敵将、田原忠綱が宇治川の渡河作戦で采配を打ち振り兵を叱咤激励する有様を頼政自身が床几に座ったままで見せる。その迫力は比類がない。この能一番の見どころ。
源頼政は平安後期の武将。源氏ながら平家に与し、平清盛のお気に入りで、破格の三位まで官位を進めた。
鵺を退治し、歌人としても名を残した。老境に入って、勝ち目のない平家打倒を企て、宇治の平等院で戦死した。
能「頼政」はその模様を作った作品。その頼政の所行は謎で、頼政を評して「鵺の様な人」と云われたという。
鵺は得体の知れない怪物。頭は猿、胴は狸、尻尾は蛇、手足は虎。夜な夜な宮殿の上に現れ天皇を呪い、命を取ろうとした。
この能の面は専用面「頼政」。鵺の様な頼政像を表す奇っ怪な面。
この能の前場に宇治川の情景が謡われる。歌人、頼政を讃えるかのような美しい詞章。
能「頼政」詳しい解説は「能、曲目の解説」をご覧下さい。又は本文中の青い太字「頼政」をクリックして下さい。
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06.13
Sat
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2015年5月25日 東京都府中市多磨墓地で写す。上から菩提樹の花、花盛り、並木。

府中市の東の端にある多磨墓地でこの木の花を見つけた。
隣接する都立公園、浅間山にムサシノキスゲを見に行った帰り道だった。武蔵野キスゲは浅間山だけに生育するキスゲ。去年、20日頃見に行ったのでまだ咲いているだろうと行ったら既に終わり実になっていて一輪も咲いていなかった。ガッカリ、人気のない多磨墓地をガタガタ。古自転車のペタルが重かった。ヒョイと見上げたら見慣れない花が咲いている。葉には見覚えがある。菩提樹だった。薄黄色の花は清楚で、きれいだった。菩提樹にきれいな花が咲くとは聞いたことも無かったし初めて見たので感激千仞だった。

菩提樹はお釈迦様がこの木の下で悟りを開いたという聖なる木。菩提樹と呼ばれる木は三種類あるらしい。インドボダイジュ、中国原産ボダイジュ、西洋ボダイジュ。
中国産と西洋産は近縁らしいがインド産は全くの他人だそうだ。よく似てはいるが、葉の大きさや厚み、ザラザラが少し違う。
お釈迦様が悟りを開いたブッダガヤの聖地の菩提樹はまだ小さい木だった。以前の木はヒンズウ教の仏教迫害の時、切られたと仏教徒らしい人達が教えてくれた。デリーやベナレスなど北インドはヒンズウ教とイスラム教がほとんどで、仏教は数パーセントだという。北インドの街に菩提樹を見かけなかったのは彼らに切られたのではと要らぬ勘ぐりをした。見当違いかも知れない。
北インドの町中では見かけなかったが、デカン高原の麓の街、バンガロールに聖人サイババを拝みに行ったとき泊まったホテルの庭に大木があった。気温も風速も風向も一年を通してほとんど変わらないという涼やかな風が菩提樹の葉を揺らしていた。その光景が懐かしい。

西洋菩提樹はシュウベルトの歌でたいていの人は知っていると思う。
日本にある中国原産の菩提樹はシナノキ科だそうだ。親のシナノキは科ノ木で、信濃木とも云うそうだ。日本だけにあり、長野県に多く、有用木だという。葉、樹形ともに菩提樹にそっくり。
インド菩提樹は日本では育たない。他人の空似の中国原産を「菩提樹」と名を付けたのだろうか。お寺や墓地に多く植えられている。

どうしてシナノキを菩提樹にしなかったのだろう。ひがみ根性の意見だが、中国産が有り難いのだ。日本人は外国に弱い。日本は昔、中国に学び、明治維新後、西洋に学んだ。だがそれは遥か昔の話。多方面で外国を追い越した今も外国崇拝を引きずっている。愛国心もうすい。外国では至る所に国旗が誇らしい。日本では日の丸ならぬイタリアやフランスの国旗がレストランにはためく。日の丸を見るのは官公庁とスポーツの国際試合などの時だけ。この時だけ‘日本人’は一時的愛国者に変身するのだ。祝祭日にでも門前に日の丸を掲げようものなら右翼扱いだ。家庭に日の丸を持っている人は希だと思う。かくいう我が家にもないが。
昔はテクノロジーは兎も角、文化的には外国を凌いでいたのだ。日本人として誇りを持とうと感銘を受けた本を読んだ。ウロ覚えで間違っているかも知れないが。
著者がパリで十二単衣のショウをしたそうだ。観客の文化人達が「フランスでは海賊のようなかっこうをしていた時に日本ではこんな豪華な着物を着ていたのか」と驚いたそうだ。著者はさらに、同じ頃「源氏物語」があったと云いたかったが彼らがもっと驚くだろうと止めたそうだ。「源氏物語」が世に出た頃は世界のどこにも匹適する物語は無かった。源氏は世界に誇る名著なのだ。と聞いた。

日本を吹聴して本題が逸れてしまった。菩提樹は仏の木。南無阿弥陀仏だ。南無阿弥陀仏を繰り返し繰り返し唱える能の名作がある。「隅田川」だ。教科書に取り上げられたので知っている人は多いと思う。
能「隅田川」は人買いに連れ去られた我が子を探して歩く母親の物語。狂女物と呼ばれる。狂女物は、危ない女の一人旅、また旅費を稼ぐため、我が子の情報を得るため、狂気を装って所の風物を種に即興の芸を見せ旅をする。
狂女物は芸の面白さを見せるのを目的とした作品群だが「隅田川」は更にもう一つが加わる。
能「隅田川」の狂女は武蔵の国、隅田川にやって来る。ここは在原業平が都に残した妻を偲んで歌を詠んだ、よく知られた所だ。渡し守の船頭は狂女に面白く狂えと云い、狂わなければ船に乗せないという。狂女は業平の伊勢物語を巧みに歌詞にして謡い、舞い狂い、船頭をやり込める。狂女は才女なのだ。
対岸から念仏が聞こえる。船頭は念仏について語る。ワキ方の重い習いだ。
都の少年が人買いに連れられて奥州に下る途中、病に倒れ隅田川のほとりで亡くなる。今日が命日で所の人が供養をしているのだと語る。少年は訪ねる我が子だったのだ。
初め他人事のように聞いていた母は我が子の事ではと疑い初め我が子の事だと気がつく。その経過がいいのだ。心の動き、心理描写がいいのだ。観客も演者も一つになって緊張の淵に沈む。抜群の演出、能独特の技法なのかもしれない。

母は鉦鼓を打ち鳴らし南無阿弥陀仏を唱える。供養に集まった所の人も、船の客も唱える。南無阿弥陀仏の唱和は大波となる。悲しみも大波となる。
この能は人の悲しみの本質を描くことを主題にした作品かもしれいと思われてくる。

    能「隅田川」の詳しい解説は「能、曲目の解説」をご覧ください。


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06.07
Sun
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      2015年5月9日 山梨県北杜市で写す。

五月、山の木々を盛大に飾る。遠目には着飾った貴婦人だ。紫は高貴な色。房状の大きな花穂、マメ科特有の花の形が可愛い。白や赤みを帯びた紫など色々あるが、やはり濃い紫がいい。
万葉の昔から愛されてきた花だ。家持も、西行も、芭蕉も詠った。奈良、平安時代、政治を牛耳った豪族、藤原氏一族の家紋でもある。
園芸種も多いという。公園や神社、お寺の藤棚の下は花の頃はもちろん、夏の日陰を求めて満員だ。

図鑑などには落葉低木とあるが、上掲の写真の藤は、幹回りが一抱えもあった。高さ二十メートルもあろうかという大木の、てっぺんまで這い登って盛大に花を咲かせていた。
山で木を育てる林業の人達には厄介者だ。大事な杉や檜に絡みついて悪さをする。駆除するのに骨が折れる。
藤の生命力は桁外れだ。ずっと以前の話だが、林業の人が駆除した藤蔓を杖に山に登った。藤の杖は弾力があって突く度に撓み面白かった。藤の生命力を知っていたので、持ち帰り、試しに庭に突き刺しておいた。切って数日経っていと思うが、芽を出した。

藤は悪さばかりではない。昔の人の生活必需品だった。藤蔓で吊り橋を懸け、編んで籠など日用品を作り、皮で着物を作った。能「鵜飼」で“藤の衣の玉だすき”と謡い、万葉集には「須磨の海人の塩焼衣の藤衣、間遠にしあればは未だ着馴れず」があるそうだ。
「藤衣」は藤の皮の繊維で織った粗末な着物だったようだ。

行ってみたい藤の名所が二カ所あった。一つは富山湾、氷見。この辺り一帯は万葉の時代から有磯海と呼ばれ、景勝地。歌枕だ。七、八年前にここを訊ねた。榊葉乎布神社(さかきばおふじんじゃ)という古風な神社があり鳥居をくぐると大伴家持の歌碑があった。「英遠の浦に寄する白波いや増しに、立ちしき寄せて東風をいたみかも」
万葉人は都から遙々この地を訪れ、風光明媚な有磯海で船遊びをし船を寄せて藤を楽しんだという。神社の裏手は、眼下に富山湾が拡がり、杉の古木に藤が満開だった。英遠(あお)は氷見の10キロほど北、今の阿尾。
行き当たりバッタリに阿尾の宿に泊まった。宿の名は「マイアミ」。アメリカのマイアミを宿の名に拝借かと思ったら定置網の名だそうだ。「待ち網」の訛りだろうと勝手に納得した。露天風呂から眺める静かな富山湾、遥か彼方に立山連峰、すぐ目の下には松にまとわる満開の藤、ここは寒ブリで有名。少々時期遅れだったが並外れて美味しかった。至福の一日だった。

氷見を訊ねたのはもう一つ目的があった。氷見宗忠が寺に籠もって死者の相貌を写して能面、痩男を創作した上日寺を訊ねるためだった。訊ね訊ねたどり着いた寺周辺は前日の雨でぐちゃぐちゃ。おばあちゃん一人、留守番していた。宗忠の事を聞いたらチンプンカンプン。無理もない、訊ねる前に問い合わせた市役所の人も宗忠を知らなかったのだから。

松尾芭蕉は「奥の細道」の旅で、多古の浦の藤波を、花は無くても見たいと、奈呉の浦で所の人に聞いたら、道は磯づたいで海人の粗末な家ばかり、泊めてくれる人はいないだろうと脅され断念「早稲の香や分け入る右は有磯海」の句を残した。「奈呉の浦」は新湊市、「多古の浦」は氷見市、共に藤の名所、歌枕。この藤を作った能に「藤」がある。

もう一カ所訊ねたい藤の名所。東海道線磐田駅近くの池田にある行興寺の長藤。房の長さが1.5メートルもあるという。天然記念物。熊野(ゆや)の長藤と呼ばれ有名だそうだ。
訊ねたい理由がもう一つ。能「熊野(ゆや)」ゆかりの地だから。

能「熊野(ゆや)」は熊野、松風,米の飯と諺になった名曲。この曲のヒロイン、熊野(ゆや)はこの地、池田の宿の長者の娘。楊貴妃もかくやとばかりの美女だった。
平清盛の権勢を継いだ我がまま者、宗盛に愛され京都に止めおかれていた。
故郷、池田の母が明日をも知らぬ重病と侍女、朝顔が母の手紙を携え迎えに来る。
熊野と宗盛が詠む母の手紙、「文ノ段」が絶品だ。
それでも宗盛は帰国を許さない。熊野の気分転換を謀り清水寺、地主の桜の下で酒宴を催す。清水寺に向かう牛車からの眺め、花盛りの絶景も、母の容態を気遣う熊野の眼には入らない。勧められて舞う宴席の舞も心は池田の母にあってそぞろだ。美女の憂愁を描き、絶品だ。
熊野は歌を詠む。「いかにせん、都の春も惜しけれど、馴れし東の花や散るらむ」
さすがの我が儘者、宗盛も心を動かし帰国を許す。熊野の心の闇は急転、曙光へ。美女の喜びの舞が又々絶品だ。心優しい女を描いて又々又絶品。熊野ならずとも日本の女は優しいのだ。

能は人の心の深層に潜む本質をえぐり出す作品が多いという。能「藤」はこうした人間臭さを離れ、人々を美の世界への耽溺に誘う作品だ。
都の僧が善光寺へ向かう途中、氷見の里に立ち寄る。今を盛りの藤が松を覆い美しい。
僧は、「松を引き立て藤が咲いて散って行くことだ」という歌意の古歌を思い出し口ずさむ。
女が現れ「多祜の浦の汀に咲く藤は波までも藤色に染めることだ」の歌もあるのに藤を松の引き立て役にした歌を口ずさむとはと文句を言う。女は藤の精だったのだ。
後場、舞台後方には藤の花が飾られる。多祜の浦の景色だ。藤の精は藤の花の冠をかむり、藤の模様の衣装で再び現れ美しい舞を見せる。数々の氷見の浦、荒磯海の美景を詠んだ古歌をちりばめた詞章が絶品だ。昔の人の並々ならぬ花への愛着が滲み出る作品。
   能熊野(ゆや)」「藤(ふじ)」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。

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