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07.25
Sat
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鳴子の残照 2015年7月11日 宮城県東鳴子で写す

次第
砂内桂馬。団塊の世代。活きいきと送った日々の記憶は遠く、かすか。
今は午前十一時。静まり返った家。
部屋のガラス窓の彼方にケヤキの木。葉の固まりが丸く浮き出る。
あっ、あの人だ。行かなくては。桂馬はシャキッと立ち上がる。
想い出の波が押し寄せたのだ。
しかしそれは残照。残照は桂馬の心をしばし潤し、そして静に消えていく。

前回までのあらすじ。
桂馬は幼いころ母親に、女性に対する警戒心を植え付けられた。成長と共にその意味を感じ始め、桂馬のトラウマになっていった。
桂馬は偶然、桜子と知り合った。派手やかな雰囲気の桜子に桂馬の警戒心はつのった。
その桜子に桂馬は卒論の代筆を頼まれた。
卒論をめぐる遣り取りの中で桂馬は桜子のなかに意外な知性を見いだした。
桂馬の警戒心は薄らいでいった。
桜子に誘われ担当の教授宅を、江ノ島近くの腰越に訪ねた。帰途二人は夕暮れの波打ち際を歩いた。
二人はごく自然に手をつなぎ、ごく自然に唇をかさねた。
桂馬の警戒心はしだいに消え恋心に変わっていった。


十二月も半ばになっても穏やかな日がつづいた。
桜子が少し早いが田舎の寒河江に帰るという。母親の意向だと云った。
桂馬は上野駅に見送りに行くことにした。上野駅の改札前広場は色々な人がごった返していた。
約束の時間を大きく過ぎても桜子は現れなかった。
桂馬は売店の端に立って通る人を眺めた。いつものクセだ。桂馬は人を待つのが嫌ではない。通り過ぎて行く色々な人に、その人の身の上、ドラマを描くのだ。
着飾った若い女性が足早に通りすぎる、恋人に会いに行くのだろうか。恋人はそれなりの人に違いない。
腰をかがめ杖を突いた老人。おばあさんが亡くなったのだろう。上着のボタンが二つともとれて無くなっている。
改札口から手を振り振り桜子が現れた。
「ごめんなさい。出がけに下宿のおばさんにつかまって。あなたの素行がこの頃怪しいからお母さんに電話した、だって。お母さんへの言い訳を教えてあげると、ながながの説教。往生したわ。おばさん、お母さんに頼まれて、わたしのお目付役なの」
「時間がたくさんあります。西郷さんに、さようならしたいけど桂馬さん、いい?」
二人は上野公園の石段を登った。桜子が勢いよく5,6段、駆け上がった。手に持った小さめのバッグと肩のハンドバッグが上下した。桜子は振り返り、
「素行の悪いの、桂馬さんのせいよ。手紙がよく来るしニヤニヤしてるって。おばさんがそういうの」「くくくっ」笑いながらまた階段を駆け上がった。
西郷銅像の周りは相変わらずの賑わいだった。
「ここに来ると東京の活気が身体にしみ込むのよね。だから地方の人が集まるのだと思う」
桜子は丸い鉄の柵を両手に握り遠くを見据えながら、
「わたしの母はわたしを田舎の大学の医学部に入れたかったの。でも、わたしは父の呪縛から逃げて、東京の活気を吸って一匹の動物になりたかったの」
「えっ、呪縛?動物?」桂馬は驚いた。桜子の口から出た言葉とも思えなかったからだ。
桜子は遠くを見つめながら
「そうそう。わたしの身の上話、聞いていただける?前からそう思っていたんです」
二人はベンチに移動した。
「わたしの父は内科医で、母は産婦人科医なの。祖父の代から寒河江の同じところで開業していてね、父は婿養子なの。わたしはその一人っ子。
祖父は遠縁の父に学資をだして跡継ぎにしたの。それについては父からも母からも不平、聞いたことないからいいとして、あら、話しの要領、悪いわね。父の呪縛から話します」
桜子の「父」という発音が桂馬の心を撫でていった。一瞬、田舎の父の顔が浮かんだ。

桜子の父は県立病院の内科医を永く務めた。
医者は常に人の命と向き合うのだから冷たい心も必要なのだ、桜子の父の口癖だという。患者の病状に一喜一憂し、亡くなったからといって気を落としていたら身体が幾つあっても足りない、心もねじ曲がる、ともいった。
父は言葉と裏腹に、担当の患者が重体になると看護婦に電話で連絡させ、寝ている時でも宴会中でも病院に駆けつけた。患者が亡くなると首をうな垂れて帰ってくることもあった。
桜子の父は時々立石寺に籠もった。山寺から帰った父の顔は明るくなっていた。
分別のまだ浅い桜子に人の生死の重みが理解できる筈もなかったが父の心の闇が何となく伝わった。
桜子の父は県立病院を辞め、母の産院を増築して開業するといいだした。患者の臨終に立ち会う事がほとんどなくなるからだろうと周囲は思った。
母も賛成だった。そうすることが祖父の目論みでもあったからだ。
中学も半ばになった桜子を父は立石寺、山寺に誘った。
芭蕉の句碑の前で、帽子を脱ぎ腋に挟んで「閑さや岩に沁み入る蝉の声」とつぶやき句碑に手を合わせた。
「閑かさ、とは何だと思う?意味の捉え方は立場によって人それぞれだと思うが、桜子は閑かさが欲しいと思うことある?ウン桜子には少し早いかね。閑かさが欲しいのは、大人の或人か、医者だからね」
父がいうように桜子には「閑さ」の意味は解からなかったが、父の心の内の思いが重くのしかかった。後に父の「呪縛」となったのだった。
「私は母の思いを振り切って東京に出ようと思ったの。父の呪縛から逃れるために。
父も賛成したわ。父が云う「閑さ」の意味が私流にうっすらと解るような気がしたからです。なにも考えず、ただ生きることだけを考えて生きる一匹の動物になろうと思ったの」
うなだれ気味に呟くように話していた桜子は急に顔を上げ桂馬を見つめ
「あら、ごめんなさい。変な身の上話。桂馬さんには関係ないわよネ、でもスッキリしたわ」
桜子は握り拳をつくり両手を突き上げノビをした。
「深刻な話をしたらお腹すいたわ。早めのお昼食べましょう。これお願い」
桜子がバッグを両手で持ち上げ桂馬に突きだした。
二人の手がふれ合った。
桜子の暖かい血の温もりが桂馬の心臓に急激に流れ込んだ。
二人は見つめあった。

二人は銅像前の階段を下り、下の大衆食堂に向かった。食堂は満員だった。大広間に古びた薄い座布団を敷き、家族連れ、団体の客がテーブルを囲んで声高に、賑やかに、懐かしさを憶える喧噪だった。
通路は履き物が散乱していた。
「ここに来ると色々のお国言葉が聞けて楽しいの。桂馬さんの仙台弁と山形弁と、すこし違うの、知ってる?」
「えっ、寒河江と仙台は近いよ。仙山線で一時間半位だよ」
「そうだけど」
桂馬は考え込む桜子の横顔を見つめた。桜子は急に顔を上げ
「そうそう、海と山との違いよ。仙台、塩竃は海の町、寒河江は山麓の町」
「仙台だって山はあるよ。宮城蔵王」
「あら、山形だって。山形蔵王」
二人は顔を見合わせて笑った。
「わたしたち、お互い蔵王を眺めて育ったのね」
「ウン」桂馬は照れ隠しに下を向いて頷いた。
「わたしたちが出会ったのも偶然ではないかもしれないわ。蔵王様々」桂馬は下を向いたまま、また頷いた。
二人は初めて、くだけた話の小山を築いた。
桜子は時計を覗き込み
「あら、もうこんな時間?旅立ちの時間だわ。着いたら手紙、書くわね。雪の蔵王、待ってるかな」
桜子の“旅立ち”が桂馬の心に尾を引いた。桜子の顔には一点の曇りもなかったのに。

師走のホームは、ごった返しだった。列車の中もかなり混んでいるようだった。
桂馬は新たに増えた土産の紙袋とバッグを列車に乗り込んだ桜子に手渡した。桜子は紙袋とバッグを窮屈そうに両手に提げ振り返って微笑み、人混みの奥に消えた。
荷物を座席に置いたのだろう、引き返した桜子は昇降口のポールを片手に握り手を振った。
桂馬には、発車までの所在ない時間が苦しかった。ホームの人混みを見たり、天井を見上げたりした。
時々桜子を見た。
桜子は顔を見合わせる度に小さく手を振った。
列車が動き出した。
桜子が窓ガラスに手を擦りつけるように、ひっしに手を振った。桂馬も手を挙げ二三歩、列車に引きずられるように歩んだ。
遠ざかって行く列車のうしろ姿が、黒い長いスカートを着た魔女のように見えた。何もかも黒いスカートの中に掻き込んで、飛び去っていくように見えた。
桂馬は大きく吐息をついた。空虚が桂馬を包んだ。
   つづく
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07.18
Sat
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ヤマアジサイ 2015年6月19日 東京都奥多摩町日原で写す

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ガクアジサイ 2015年7月16日東京都調布市野川公園で写す

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アジサイ(交配種) 2015年6月12日 東京都八王子市高尾 多摩森林科学園で写す

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ノリウツギ 2015年7月11日 岩手県久慈市で写す

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カシワバアジサイ 2015年7月18日 東京都千駄ヶ谷で写す。植栽。見頃を過ぎて変色している

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能「猩々」 2008年6月28日 渋谷区千駄ヶ谷国立能楽堂 シテ山田夏樹


梅雨時の花といえばアジサイ。知らない人はいないと思う。あちこちの庭先に植えてあり馴染みの深い花だ。
昔から愛された花らしく交配種が色々ある。最近はエッ!これがアジサイ?とビックリする珍奇なものもある。
この“アジサイ”という名前、交配種の名前だということを知ったのはつい数年前。
交配種の元々の親は「ガクアジサイ」や「ヤマアジサイ」
ガクアジサイもヤマアジサイも日本の固有種。
アメリカ産で同じアジサイ属のカシワバアジサイがある。時々庭などに植えているのを見かける。花は房状で葉は深く切れ込み、ザラザラ。柏餅のカシワに似ているからの名前だという。同じアジサイ属のノリウツギの感じ。アジサイのイメージにほど遠い。
ノリウツギは「糊空木」。樹皮のネバネバを、和紙を漉くときの粘着剤に使うそうだ。
「アジサイ」の名は、紫の花が重なって咲くからとも、また中国産のアジサイに似た花、紫陽花の名を拝借して、アジサイの原種も交配種もひっくるめてアジサイと呼んだそうだ。
普通なら親の「ガクアジサイ」が「アジサイ」で交配したものが「何々アジサイ」と名前を付けるのが普通だろう、何かヘンだと思っていた。訳を知ってビックリ。

明治の頃アメリカから来た植物学者がアジサイに学名を付けた。そのアジサイが交配種だった。彼は交配種だとは知らなかったのではないかといわれているそうだ。
この辺が、へんてこりんな、名前の取り違いではないかと素人流に思う。

アジサイといえばお滝さん。シーボルトの日本人妻。
帰国したシーボルトはアジサイに最愛の妻、お滝さんの名「オタクサ」と付けた。ドイツ語読みだそうだ。
数年前NHKテレビで、オランダの植物園にあるシーボルトが持ち帰った植物を紹介していた。これが“オタクサ”と中年の女性のガイドが得意げに紹介していたのを思い出す。

シーボルトはドイツの医者、博物学者でもあったという。1823年長崎の出島にやってきた。特別の許可を得て出島の外に診療所兼蘭学塾、鳴滝塾を開き日本人の患者を治療し、蘭学を教え教育した。
シーボルトは患者であった美人の小滝さんに一目惚れ、お滝さんは遊女以外立ち入り禁止の出島に遊女の名を遊女屋から借り二人で住んだそうだ。娘のイネは日本初めの女医だという。
シーボルトは貴族の出、高学歴、プライドの高い人。それがお滝さんにぞっこん。だからアジサイに最愛の人の名をドイツ名として付けた。
日本の女性は優しく美しいから。
これに因んでアジサイを最愛の人に、母の日に贈る風習があるそうだ。
シーボルトを偲んで贈りたいが母はもうこの世にいない。せめて墓前にでもと思う。
シーボルトは帰国後、日本から持ち帰った植物の植物園を作った。その花の豪華さに人々はビックリしたとか。その中でも「鹿の子ユリ」は同じ重さの金と交換だったそうだ。

日本は熱帯雨林帯並みに降雨量が多い国だという。ヒマラヤ山脈で偏西風の流れが変わるからだと聞いたことがある。ヒマラヤ山脈がなければ日本も欧米や、中国の乾燥地帯と同じ運命にあったとか。偏西風、ジェット気流、貿易風などよく聞く、理解はおぼつかなく想像の範囲だが。
日本は多雨のため植物が多い。中国でヤブガラシ、アメリカの田舎ではクズの厄介者を植えていたのを見た。中国の自治区、敦煌、ウルムチ、トルファンなどのオアシスの町では雑草も生えていなかった。緑豊かな日本に生まれてよかった。

アジサイは陰気な雰囲気が微塵もない。満面の笑顔だ。
能の面はほとんどが寂しい顔、怖い顔だ。ただ一つアジサイのように満面の笑みを浮かべた面がある。「猩々」だ。
能「猩々」は祝言の曲。浮きやかな登場の囃子「下がり端」に乗って登場、終曲まで休みなく舞い通す。
身につける物は足袋以外は全て赤。赤は祝言の色。面の赤は酒に酔った顔の色。
リズム感たっぷりの「渡り拍子」の謡いは徹頭徹尾、酒の徳を謡い、その謡いに乗って舞う酔態の舞が面白い。
能の中で一番短い曲だが大事にされてきた曲。特殊演出の「乱(みだれ)」は「石橋(しゃっきょう)」とならぶ大曲。能楽師は、「乱」、「石橋」などの獅子、「道成寺」を披いて一人前となる。
能「猩々」の話は単純。「揚子江に住む猩々が正直者の親孝行男に、その徳を賞で、いくら汲んでも湧き出る酒の壺を授ける。男はこの酒を売って裕福になった」

猩々は中国の想像上の動物。河に住み人の言葉を話し酒を好む。いわば河の妖精。日本の河童のようなものだろうか。
中国では妖精の猩々も日本では散々。古典に登場する猩々は例外なく悪し様に扱われ今では大酒飲みや夏の厄介者、ショウジョウ蠅に名を残す程度。
能「猩々」で美しい妖精に仕立てた作者に頭を垂れるのみ。

能「猩々」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。

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07.11
Sat
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荒れ寺、在原寺に現れた女

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在原業平の墓に花、水を手向け合掌して昔を偲ぶ女

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生い茂るススキをかき分け井筒の底の水鏡に、業平の形見を着た己の姿を写して見、業平を偲ぶ女

先月28日に「井筒」を舞った。
井筒は能を大成したという世阿弥の作。伊勢物語、二十三段を脚色したもの。
平易な、解りやすい詞章で能に馴染みの薄い人も親しみやすい能だと思う。
純粋な、ひたむきな女性の恋を描いた作品。
こうした恋心は誰しも心に描き又は経験があろうから訴えるものは大きいと思う。

井筒は幼時から思春期、結婚後までの恋の物語を、女の追憶をとおして描いた作品。
女は紀有常の娘。男は有原業平。業平は登場しない。
「隣どうしの幼い男女が井筒(井戸の枠)に寄り添い井戸の底の水鏡に互いの姿を映すなどして無邪気に遊んだ。やがて二人は思春期を迎えた。男は女に恋文に添え歌を贈る。【筒井筒、井筒にかけしまろが丈、生いにけらしな妹見ざる間に】女も返歌した。【比べ来し、振り分け髪も肩過ぎぬ、君ならずして誰か上ぐべき】こうして二人は結ばれた。夫婦には危機もあった。業平に女が出来たのだ。女の許に通う業平の身を案じて妻は歌を詠む【風吹けば沖つ白波龍田山、夜半にや君が一人行くらむ】さすがの業平も妻の真心にうたれ、高安通いを止めた」以上が前場。
後場は紀有常の娘が業平の形見の装束、直衣、冠、太刀を佩いて現れ業平を偲ぶ舞を舞い井筒に業平姿の自分を映し業平を偲ぶ。

能の「次第」「下歌」は、続く物語の内容を要約又は暗示するものが多いように思う。
この曲の次第、「曉ごとの閼伽の水、月も心や澄ますらん」仏に水を捧げていると心も澄んでくるという。この女の心の曇りとはいったい何だったのか。単なる仏への帰依では無いだろう。
つづく下歌では「一筋に、頼む仏の御手の糸、導き給え法の声」と謡う。
御手の糸は、仏の手に懸けられた五色の糸。亡者はその糸の端にすがり往生する。
以前、地獄の亡者が憔悴し痩せ細った手で、仏の御手から垂れた糸に縋りついている絵を見たことがある。
この女の心の曇り、迷いとは何だったのだろうか。演ずる側にはしっかりしたものを掴んで演じなければならない。
シテの登場後、心情を述べるくだりは、“長渡り”と称して長丁場だ。息が上がり苦しい。その上情感を込めて謡わなくてはならない。劇の成否が掛かっているといっても大げさではない。苦しいなど云って居れない。

クセは一曲の中心。
幼時から馴れ親しみ、思春期を経て結婚するまでを物語る。地謡が謡うがシテの代弁なのだ。背筋を伸ばしあたかも自分が話しているようにしなければならない。ワキに向いたり外したりするのも、このためだ。
クセの前のサシで夫、業平に女が出来た“事件”が前置きのように語られる。奇異に思われるかも知れないが、この曲が純愛一辺倒ではない深み、を持たせていると思った。

今回は小書(本来の型を変えた演出)で、物着、段ノ序、古比ノ舞で演じた。いずれも後場の小書だ。
物着は中入りせず後見座で装束を着替える。段ノ序は「懐かしや」「昔男に」「移り舞」「雪を回らす」と区切り女の想いを強調し、「古比ノ舞」も女の業平への想いを濃密に圧縮した形に表現するため。アイ語りとワキの待ち謡いは省略される。
いずれも前場の情緒を、途切れることなく後場につなぐための小書だ。

後場は狂乱とまではいかないが、業平を追憶し思慕する女の心の昂揚が眼目。
型の緩急、謡い出しのタイミングなどに意を用いなければならない。細心の注意を怠ると一曲台無しになる。
生い茂る井筒の際のススキをかき分け、業平の形見の装束を着た我が姿を井筒の水鏡に写して見るところや、「しぼめる花の色のうて匂い」で、袖を巻いてひざまずく型がもっとも意を使うところだ。
「井筒の水鏡」の型は、二人の思い出の凝縮でありこの曲のシンボル。
「しぼめる花」は古今集仮名序での紀貫之の業平評を巧みに使って情緒を生み出しているところと理解した。

能「井筒」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。

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07.04
Sat
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2015年6月19日 山梨県北都留郡丹波山村で写す

毎年この花を目当てに裏高尾に出向く。
自宅の鉢植えが散りしばらくして、そろそろ見頃かナと裏高尾を訪ねた。
花は既に終わり実になっていた。ガッカリ。悔しさしきり。
諦めきれず思いを巡らした。
青梅街道を遡り塩山に抜ける国道がある。山梨県に入り、丹波山辺りまで行けば標高が高いので、もしや咲いているのではと、次の朝、早起きして行ってみることにした。
生憎、朝から断続的に大雨が降った。
丹波山辺りは大雨が降ると通行止めになる。
対向車も後続車もなかった。心細かった。
柳沢峠近くで大群落を発見、嬉しかった。誰もいなかったから恥ずかしくない、両手を挙げて飛び上がった。
帰りに大菩薩峠の登山口にある、裂け石温泉に浸かるつもりだったが、あまりの嬉しさにすっかり忘れて素通りしてしまった。

ウツギは、卯の花の呼び名の方が通りがいい。
初夏、夏が来ましたヨ~といわんばかりに、純白の、釣り鐘のような花を盛大に、たわわに咲かせる。
花の重みで枝がたわむほど。純白の花盛りの美しさには息を飲む。
幹の中が空っぽなので空木。アジサイの仲間だそうだ。

卯の花といえば、芭蕉の弟子、曽良の句「卯の花をかざしに関の晴れ着かな」を思い出す。
「奥の細道」で芭蕉の供をして、白河の関を通ったときの句だそうだ。
芭蕉子弟の旅は、きびしい旅だったという。うらぶれた姿が目に浮かぶ。
能でもワキ僧が「やつれ果てたる旅姿」と謡うのがしばしばだ。
昔の旅は二本の足が頼りだったのだ。「やつれ果てたる旅姿」に実感が迫る。
この曽良の句は曽良の茶目っ気のように見えて好きだ。本当は極めてまじめな句だろうが。
昔は白河の関を通るときには正装して通るのが習わしだったそうだ。陸奥、みちのくへ入る儀式のようなものだったのだろうか。
曽良の句は、貧乏旅に晴れ着などあろう筈はないが、せめて満開の卯の花を頭に挿して晴れ着の気持ちにしよう、と云うのだろうか。
白河の関には、この曽良の句の句碑や、前九年の役、後三年の役でここを通った武将の歌碑が今でも苔むして健在だ。いよいよ地の果て、陸奥へ入るのだなという感慨の歌だったように思う。

五月の長雨、五月雨を「卯の花くだし(腐し)」というそうだ。能「歌占(うたうら)」では、大汗をかく様子を「時しも卯の花くだしの、五月雨も降やとばかり」と謡う。
能「歌占」は地獄の物語。
今では地獄を信ずる人は少ない。当時の人たちは地獄の存在を深く信じ己の生活を律していたという。

伊勢の神官、渡會家次は、神に暇乞いせず諸国一見の旅に出た。その神罰に俄に頓死して地獄の苦しみを受け三日後に甦った。
今は加賀の国、白山の麓で歌占を生業にしている。歌占は、歌を書いた短尺を引かせ、その歌意から引いた人の身の上を占うというもの。
家次の子は父を慕い白山にたどり着く。歌占によって親子は再会を果たす。
家次は地獄に落ちた経験をクセ舞に作っていた。客の所望に家継は地獄のクセ舞を舞う。
家継はこのクセ舞を舞うと神が憑き苦しむのだが、我が子と帰国出来るのだからと地獄のクセ舞を舞う。
果たして神が憑き、“卯の花くだし”のような汗を流し、震え、戦慄き、足を踏み鳴らして苦しむ。地獄の苦しみを舞い、神罰の苦しみを舞う、圧巻だ。

この曲は「地獄のクセ舞」を眼目にした作品。地獄を信じない現代人も「地獄のクセ舞」の凄惨に戦慄すると思う。
クセ舞は南北朝時代から室町時代に流行った芸能。「地獄のクセ舞」はその時のものを能に取り入れた。
クセ舞は、歌詞は残っているが、どんな節で歌ったのだろうか。能に取り入れられた「クセ舞」の節がそっくりそのままとは考え難いが少しは残っているのではないだろうか。
日本人は平安の昔から、歌謡に至まで多くの文化遺産を遺した。歌謡集では神楽歌、催馬楽、梁塵秘抄、閑吟集などがあるという。世界に例のない文化を持っている日本に、生まれて来てよかったとつくづく思う。

能「歌占」の詳しい解説は「能、曲目の解説」をご覧下さい。

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