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08.30
Sun
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沖縄県北谷町 東シナ海の残照

次第
砂内桂馬、団塊の世代。
世に在った日々は遠い。住む世を分かつ二つの世界、淀み淀む後の世に住む。
突然、先の世に回帰する。それは過去の幻影。残照の如く輝き、やがて閑かに消えて行く。
再び空虚に包まれる。

前回までのあらすじ。
桂馬は幼い頃、母親に女性に対する警戒心を植え付けられた。多感な思春期から、それは桂馬のトラウマとなって行った。
偶然、桂馬は桜子と知り合った。桜子は派手やかな雰囲気の女性だった。桂馬は警戒した。その桜子に桂馬は卒論の代筆を頼まれた。桂馬は桜子と度々会わざるを得なかった。桜子は東京の大学を選んだ経緯、医者である父の苦悩を語った。桂馬は桜子の意外な見識に驚きやがて惹かれていった。桂馬のトラウマは、しだいに霞んでいった。
冬休みを早めに桜子は故郷の寒河江に帰って行った。桂馬は上野に桜子を見送った。何かの予感だろうか胸騒ぎが桂馬を襲った。

桜子が寒河江に帰って十日程、桂馬も故郷の塩竃に帰った。従兄弟の左千夫が上野駅まで見送った。
「この間、久徳に話があると呼び出されたが、後で話すといって帰って行ったンだ。何か悩んでいるようだったがお前、心当たりはないか?」
桂馬はドキリとした。桜子がなにげなく話した「久徳さんから手紙がくるの。なんだか怖い」、その言葉が胸を刺した。
桂馬はうろたえながら「知らない」と答えた。

塩竃では父も母も姉の曜子も暖かく迎えてくれた。こびり付いていた左千夫の言葉が少しずつ消えていった。
次の日、桜子からの手紙を左千夫が転送してくれた。
桂馬は久しぶりに塩竃神社の急峻な階段を桜子の手紙を片手に登った。
はずむ息も、むしろ心地よかった。
塩釜港を見下ろす芝生に腰を下ろし桜子の手紙の封を丁寧に切った。
和紙に、淡いピンク色の折り紙を、花びらの形に切って貼り付けた手製の便箋だった。万年筆のインクが少し滲み花のようだった。
母が姉、曜子のために作った絵本を思い出しながら読んだ。

「昨日、父に誘われ湯殿山に行きました。駐車場から見上げる朱塗りの大鳥居が、空に浮かんでいるようで感動でした。芭蕉の銭踏む道は雪が薄ら積もって、銭は雪の下でした。
ご神体の霊岩から立ちのぼる湯の煙に、父は手を合わせていました。父の目に涙がにじんでいました。
土着の信仰と思っていたし、無信心の私も、あれほど苦しんでいた父だったのに、人間とはいったい何?と思いました。私もごく自然に涙ぐみました。
母は相変わらず、卒業したら郷里の医学部に入りなさいといいます。父は「止しておけ」と耳打ちします。
入れる訳もないのに、母の何かの含みだと思います。
そうそう、売店の夫婦コケシの一方が桂馬さんにそっくり。可愛かったので買ってきました。こんど一緒に行きましょう。また書きますね。」
桂馬は塩竃の住所を知らせようと葉書を書いた。雪の蔵王がきれいだと。
桜子からの返信はなかった。桂馬は待った。
わずか十日程だったが、桂馬はしだいに黒い雲に包まれていった。見送りに来た左千夫の言葉がよみがえったからだった。

桂馬の様子に気がついたのか、母はフミが入院しているので見舞いに行ったらと勧めた。
筋萎縮症という難病を患っているという。
桂馬には信じ難かった。健康そのもののイメージがフミだったからだ。
幼い頃の記憶がよみがえり懐かしさが胸と目を襲った。
フミは、小さな旅館を経営する祖母のお手伝いさんだった。中学を卒業してすぐ祖母のところに来た。
幼顔が残る丸顔に、くるりと大きな目、お下げ髪の可愛い子だった。
明るく陽気なフミは幼い桂馬の面倒をよく見てくれた。
ザリガニ釣りの記憶がいつまでも鮮明だった。
フミは二十歳前、祖母の肝煎りで後妻に入った。
桂馬の母はしきりに可哀想といった。
フミ自身が嫌がったという話は聞かなかったのに「フミは貧しかった両親が喜んだことが嬉しい」と云ったというが、本音だろうかと母は桂馬にしきりに愚痴った。
分別のある母がこうまで愚痴るのが不思議な程だった。
フミの嫁ぎ先は運送業を営んでいて裕福だった。フミは先妻の子とその後生まれた我が子を分け隔てなく育てた。

桂馬は青葉城跡へ通じる坂道を病院目指して歩いた。幼い頃の記憶がよみがえった。
桂馬と手をつなぎ、振りながら歌った「お手々つないで」のフミの歌声がよみがえった。
病室はベッド一つの個室だった。
フミは弱々しく入り口に顔を向けた。
桂馬はペコリと頭を下げ
「桂馬です」言葉は続かなかった。
桂馬はベッドわきの椅子に腰掛けフミの顔をまじまじと見つめた。
あの艶やかな健康色は消え青白かったが丸顔の大きな目は昔のままだった。
「桂馬ちゃん?ほんと?懐かしいわ。立派になって」消え入りそうな声だった。フミの目に涙が浮かんだ。
「昨日お母さんが来て下さったの。桂馬ちゃん、元気がないって。失恋でもしたの?」
「はい。きまった人がいるらしいンです」素直な自分が不思議だった。昔のフミと桂馬に戻ったのだ。
「いいわね。いまの私には喜びよりも桂馬ちゃんの、その悲しみと苦しみが欲しいわ。生きている実感がより切実ですものね。いまの桂馬ちゃんには無理だけど、後で解るわよ、きっと」フミは頭を用心深げにゆっくり上に向けながら
「今の私には喜びも悲しみもないの。そうね、考えて見ると私には“恋”はなかったナ。そりゃあ旦那様は優しくていい人よ、でも優しいと恋は違うものネ、贅沢だけど」フミは天井を見つめたまま、まばたきもなく、穏やかに口元が微笑を含んでいた。
「お祖母ちゃんの旅館にいた頃、これと云うほどのもの、何もなかったけど、これも青春の一つの形よね。でも楽しかったナ。そうネ私の唯一の初恋の人は桂馬ちゃんかナ」フミは弱々しく笑った。

桂馬は病院の坂を下った。
「喜びより悲しみ、苦しみ」つぶやきながら坂を下りた。
「重病を患うと、そうゆう心境になるのだろうか、でも何時か解るとも云ってた、何時かはとは何時のことだろう」ぶつぶつと呟いた。
家では母と姉、曜子が待っていた。
「どうだった?」
「ウン元気だった。教えてもらった。よく分からないけど。喜びより悲しみ、苦しみが欲しいって」
「何ヨそれ。まるで禅問答」曜子は真顔だった。
「元気はウソだけど。可哀想よね。まだ四十前よ。苦しみ悲しみの真っ最中なのに。苦しみ悲しみにも種類がある、桂馬、お前のことを云ってるのよ、きっと」母は肩を落と桂馬を見つめた。母も桂馬の変調に気付いていたのだろう。
ともあれ桜子に手紙を書こう。桂馬は机に向かった。

正月の休みも終わり桂馬は大崎の下宿先、叔父の家に帰った。
「ラブレターが来てるぞ」従兄弟の左千夫が封筒を鼻先に突きつけた。
「彼女か?お前も隅におけないナ、坊やみたいな顔して中々やるじゃあないか」とニヤリと笑った。
「違いますよ、ただの知り合いです」
手紙は、私も桂馬さんにどうしても、どうしても聞いて欲しい事があります、とだけの文面だった。
桂馬は場所と時間だけの簡単なハガキを書いた。

桜子は渋谷のハチ公の前で待っていた。ハンドバッグを前で両手に持ち、視線は遠かった。桂馬が近づくのも気が付かなかった。
「ごめん。待たせた様ですね」桂馬は努めて明るく声をかけた。
「いいえ」桜子は弱々しく微笑んだ。
「以前、コーヒーが美味しい店があると言ってましたね。その店に行きましょう」いつの間にか敬語になっていた。緊張の所為だった。
知り合って間もなく桜子に誘われた店だった。
その時桂馬は断った。桜子に対する警戒心からだった。
むげに断った稚気がよみがえった。
店は女性の客が多かった。時折嬌声が聞こえた。ここだったら桜子の話が無理なく聞けるかも知れないと桂馬は思った。
桜子は桂馬の胸の辺りをじっと見つめながら、
「私が寒河江に帰って二週間ほど、久徳さんが訪ねて来ました。電話があったのです。
驚きました。ほんとに驚いたのです。
新宿のカチュウシャでご一緒した帰りに送って頂いたあと、二回ほど下宿の洗足まで訪ねて来られて。
その時は仕事の用で近くに来たのでとおっしゃって、駅前で、世間話でした。
心に留めるものは何もなかったのです」桜子はうつむきハンカチを鼻に当て言葉を切った。
「何の用で寒河江まで来たのだろうと不思議でした。寒河江の駅の改札を出てしばらく、急に振り返り、私の目を凝視して“オレは何人か、女と付き合ったが特別な思いはなかった。オレは初めて女に惚れた。お前を、どうしようもなく好きになったのだ”こういったのです」桜子は俯いたまま
「私の幼稚な経験の中で想像もつかない大事件でした。久徳さんは一泊して東京に帰っていきました」桜子は顔を上げ桂馬の目を見つめ
「日が経つにつれ、私の頭の中に大事にしまっておいた物までが徐々に消えて行ってしまいました。久徳さんのことが頭の中を占めていきました」
“大事にしまっておいた物”とはなんだろう、もしかしてオレの事もあるのだろうか、“消えていった”とは、オレは桜子にとってその程度の存在だったのだろうか。
それとも久徳の言葉の他に、全てを消し去る重大な事が起こったのだろうか、桂馬の頭の中は急回転だった。
「前にも手紙に書いたと思いますけど、父の苦悩を見て思ったように、これからも一匹の動物になるのだと思います。身体が命ずるまま、生きていくのだと思います」
桂馬は相づちも打たず聞くだけだった。何はともあれ桜子に対する自分の気持ちを伝えなければと焦ったが「身体が命ずるまま生きる」という桜子のその言葉が重かった。桂馬は己の不甲斐なさが悲しかった。

二人は顔を見合わせ立ち上がった。コーヒーは手つかず、そのままだった。
「目黒まで送ります」桂馬の発した言葉は唯それだけだった。
目蒲線の改札前は通勤客の帰宅前か、人はまばらだった。
二人は肩を並べ改札に向かった。
いきなり大きな腕が伸び桜子の右の手を掴んだ。久徳だった。
桜子は鋭い声を上げ久徳を見上げ、うなだれて久徳に引きずられて行った。
桂馬は息をのんだ。何が起こったのか認識するまで時間がかかった。遠ざかる二人を見据え、立ち尽くした。

つづく



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08.23
Sun
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オミナエシ 2015年8月7日 長野県聖高原で写す
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オミナエシ 同上
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オトコエシ 2015年8月7日長野県聖高原で写す
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オトコエシ 同上

鵜飼・三千春02071
能「鵜飼」 松明を振りかざして鮎を追う鵜飼の老人

秋の七草。詩歌に詠まれ、昔から愛された花。
女郎花と書く。女郎のように艶めかしいというのだろうか。
葉は目立たず花ばかりが艶めく。
色といい形といい野性の花で、これ程整った花も珍しいのではないだろうか。
少しは欠点もあった方がいいのではないかと思ったりする。
人に例えれば、非の打ち所のない美男美女よりも少し欠点がある方が可愛げがあるとか。

女郎は一般の女性や、また上流階級の女房や局を指すこともあるらしいが、女郎花の女郎は遊郭の女性を指す方に軍配が上がりそうだ。
能「女郎花」では「色めきたてる女郎花、後ろめたくや思うらん。女郎と書ける花の名に、誰、偕老を契りけん」と謡う。
女郎を貶める訳ではないが、女郎花ではなく“上臈花”にして欲しかった。冗談だが。
 オミナエシの兄弟分にオトコエシがある。花の色は白。名のように大柄で何となく男っぽい。
昔のご飯は蒸したオコワ風のご飯で硬かったそうだ。栗ご飯の方が柔らかった。そこで米だけのご飯を男メシ、栗ご飯を女メシと呼んだ。これを花の名にした。
オトコメシ、オンナメシが訛ってオトコエシ、オミナエシになったという。
出来すぎで、なにか作り話のようにも聞こえるが。
能ではオミナメシ、メシと発音する。

女郎花の群生は夏の炎天に燃え立つようだ。炎の色は赤いというのが普通だが、黄色にも見える。炎の赤は“明”では、と思ったりする。
はるか昔の話だが、啓平さんと皆に呼ばれ親しまれた知人がいた。面倒見のいい行動的な人だった。
彼の発案で富士山麓の道志村に「みんなの家」を建てた。全て手作り。
水はすぐ近くを流れる沢。水を取り入れるホースを落ち葉がふさいで度々断水、大騒ぎだった。
そこで餅焼き網と茶こしで落ち葉を防いだ。“絶の妙”のアイデアと皆にほめられ鼻が高かった。その外は何も出来なかったから。
「みんなの家」の前のススキ原に女郎花が群生していた。帰りに子供達や女性達が歓声を上げ女郎花を手折った。この上ないお土産だった。
みんなが振りかざす女郎花の束が“松明”に似ていると思った。

能に、松明を振りかざして殺された老人の話がある。「鵜飼」だ。
「鵜ノ段」と呼ばれる名場面が中心となる能だ。
「漆黒の闇。松明の明かりが水の面を照らす。アユが躍る。禁漁を犯し、命をかけアユを獲る。恐怖はやがてアユを獲る面白さに変わっていく」
能はドラマ性をあまり重要視しない。わずかなこの一場面に老人の境涯を見、老人を通して己の境涯を見る。僅かな一場面が大きく拡がりとなる。

日蓮上人とおぼしき僧が甲州、石和川のお堂に泊まる。
夜半、松明をかざして老人が現れる。
老人は僧に、殺生禁断のこの石和川で密漁して殺されたその亡霊であると語り、僧の勧めで罪障懺悔に密漁の様を見せる。
罪障懺悔は犯した罪を再現して悔い改め来世を願うことで、僧の好奇心を満たす為ではないという。
僧達は河原の小石に経文を書き付け石和川に投げ込み老人を弔う。
やがて閻魔大王が現れ、老人は殺生の大罪を重ねた、その罪は重く地獄に落とすべきだが、以前、僧を我が家に泊め、もてなした善行により極楽に送ると、大王の威勢を見せる。

老人は一宿一飯のお陰で救われた。神仏のお賽銭はケチらない方が良いかナと思ったり。
前場の重量感に比べ、後場の閻魔大王は日蓮宗のコマーシャルめいているが視覚的には十分楽しめる後場だ。
   能「鵜飼」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。
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08.15
Sat
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モミジイチゴの花 2015年5月10日八王子市高尾 多摩森林科学園で写す

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ニガイチゴ 2015年5月10日八王子市高尾 多摩森林科学園で写す

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よく目にするが名はわからない 2015年6月10日岩手県久慈市で写す

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ドクウツギ 2015年6月10日岩手県久慈市で写す
 
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ドクウツギ 2015年6月10日岩手県久慈市で写す

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「竹生島」 琵琶湖の美景を眺め竹生島に向かう廷臣一行

   
野山に自生する野性のイチゴは木に熟れるものと草に熟れるものとがある。種類も色々たくさんあるらしい。赤い実、黄色い実、美味しい実、まずい実など様々。
木になるイチゴと草になるイチゴの違いは木と草の違いだけではない。草のイチゴは中味が肉質、木イチゴは丸い粒々の集合体。中味はジュースが詰まっている。
木イチゴはトゲがあり厄介だが、実は赤や黄色に透き通って、まるで宝石。
初夏から晩秋まで色々なイチゴが実る。

野山を駆け回り、美しく実ったイチゴを食べ、弁当箱に詰めて持ち帰った少年の日が懐かしい。
「イチゴ(1,5)を咥えて(加え)毒(6)。毒(6)に3(3コ)を咥え(加え)薬(9)」
男の子も女の子も口々に叫び立て食べた。
戦後日本は未曾有の豊かな時代を迎えた。米の稲、茄子の木を知らない人もいると聞いた。
ましてや山野の木の実、草の実を味わう人は僅かだと思う。
懐かしい少年時代を送った田舎は遥かな片田舎。休日でも子供の姿が見えない。訳を聞いたら塾か、家に籠もってゲームだそうだ。
裏高尾で小学生の集団に出会った。ギボシの葉っぱで包んだモミジイチゴを、美味しいよと差し出したらジロリと一瞥、結構です。豊になった世を喜ぶべきだろうが何か淋しい。

七月の中頃、岩手県久慈市の海岸近くで毒空木を見つけた。ついつい手が出る程の美しさだ。完熟も過ぎ黒く変色の実もあった。この毒空木、根から葉のてっぺんまで、木全体に猛毒がある。木イチゴと間違えて食べ中毒を起こした“事件”が度々報道されたが、この頃トント聞かない。食料が巷に溢れかえっている今、野山の物は食べない。野山の果実を熟知している人が楽しみに食べる。

野山の果実は宝石のように美しい。この宝石を見つけながら歩くのも山歩きの醍醐味だ。
人間は宝石が大好きだ。洞穴生活の昔から人間は全身を宝石で飾り立ててきた。宝石は豊かさの表れだろうか、願望だろうか祈りだろうか。

「神」を主題にした能がある。初番目物と呼ばれる作品群。能会の初番に演じられる。
天下泰平、五穀豊穣を祈願する。これらの能は宝石や財宝などを民の幸せを象徴するものとして使うことが多い。
能「竹生島」もその一つ。
時の廷臣が竹生島に参詣する。漁師の老人と若い女性が釣り船に廷臣一行を乗せ竹生島に案内する。折しも琵琶湖は春爛漫。雪のように山々を飾る櫻が湖面に映る。
この美しい情景を「緑樹、影沈んで、魚木に上る気色あり、月海上に浮かんでは兎も波を走るか、、、、、」湖面に映った木に泳ぎまわる魚がその木に登っているように見え、月の兎も波を蹴立て走るように見えるというのだ。絶妙な描写だ。
春爛漫、のどかな琵琶湖の美しい景色を描いて絶品。
老人と若い女は実は琵琶湖の守護神、龍神と弁財天の化身だった。竹生島に着いて老人は水中に女はお堂に姿を消す。
再び本来の姿で現れた弁財天は廷臣一行に天女の舞を見せ、龍神は金銀珠玉を捧げる。
廷臣は天皇の臣下。天皇は天皇個人ではなく、民全体を代表して表し、金銀珠玉は民の幸せを表しているのではないかと思う。

能「竹生島」の詳しい解説は「能曲目の解説」をご覧下さい。
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08.08
Sat
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2015年6月12日 八王子市高尾 多摩森林科学センターで写す

野や山の少し湿り気のある所が好きなようだ。、珍しい花ではない。桜の形をした小さな花を房状に咲かせる。清楚な花。
虎の尻尾になぞらえてオカトラノオ。オカは沼に咲くヌマトラノオや海草のウミトラノオがあるので区別するためだそうだ。

この花に忘れられない思い出がある。
娘が小学校3年の時、“いじめ”にあった。「ばい菌」と呼ばれていじめられた。
ある日、夜九時になっても帰って来なかった。友達の家など心当たりを探した。
机の上に置き手紙があった。「章子は家出します」
夜遅く農家の拓さんから電話があった。章子が訪ねて来たと。
拓さんは埼玉県小川町竹沢の農家。無農薬、有機肥料の野菜を仲間と作っていた。
この野菜を共同購入する会を作った。
拓さんも山田、こちらも山田だったので「かかしの会」と名を付けた。
日曜、祭日毎に会の人や子供を連れて、収穫や草むしりに通った。
章子は八高線、竹沢の駅から拓さんの家までの道をよく知っていたのだ。
二三日泊めて頂き様子を見に行った。
拓さん曰く「子供が学校にも行かずブラブラするのはどんなものか、これ以上預かれません」拓さんは律儀な人だった。
 埼玉県東松山市に「原爆の図」で知られる丸木美術館がある。丸木位理、俊画伯夫妻と親しくして頂いていたので助けを乞うことにした。
俊さん「嫌な学校なんぞ行かなくてもよろしい。ここには学校より面白く為になる教材が沢山ある」と引き受けて下さった。
以来、章子は美術館のアイドルだったが秋も終わりのある日突然、学校に復帰して丸木夫妻と親をガッカリさせた。
親がガッカリしたのは、まだまだ美術館にいて欲しかったからだ。
章子のいじめを知って、担任の先生に会った時、先生が「いじめられる側にも原因があるのでは」と突き放されたから。当時は“いじめ”に対する認識はこの程度だった。

竹沢駅から拓さんの家まで二キロ弱、所々に「オカトラノオ」の群生があった。当時はきれいだなと思いながら名も知らなかった。
章子はオカトラノオをお尻に当てて“ヘチャ”の尻尾とふざけた。他の子供達も当ててヘチャの尻尾と叫声を上げた。“ヘチャ”は当時飼っていた猫の名前だった。
この花を見るたびに当時を思い出し胸が痛くなる。
章子が歩いたこの道には街灯などなく真っ暗、梟が鳴いていて怖かったと章子はいっていた。その章子も今は二児の母、人生、何があっても時は流れるものだとつくづく思う。

鵺という鳥がいるそうだ。その鳴き声が薄気味悪いという。鵺の声を聞いたことはないが章子が竹沢の暗闇で聞いた梟のように気味悪いのだろうか。
能に「鵺」がある。頭は猿、尻尾は蛇、足手は虎、鳴き声は鵺に似ているという怪物。
天皇の命を狙い源頼政に殺された。
旅の僧が所の人に宿を断られ、川岸のお堂に泊まる。
夜更け、丸太の舟に乗って、人に似た怪物が現れる。名を聞くと頼政に殺された鵺の亡霊だという。
僧は罪障懺悔にとその時の有様を訪ねる。
鵺の亡霊はその奇っ怪な姿で頼政になり、鵺を殺す様子を見せる。
扇を重籐の強弓に、鵺を射落し、すかさず扇を刀に鵺を刺す。奇っ怪な姿の殺戮に息を飲むリアルさだ。
鵺の亡霊は成仏の手立てもないまま悲しげな鳴き声を残し再び丸太に乗り暗闇に消える。
地謡が「幾重に聞くは鵺の声、恐ろしやすさまじや、あら恐ろしやすさまじや」と謡う。

僧は鵺のために経をよむ。仏法は人間のみならず怪物の鵺も、万物を成仏に導く。
経に引かれて鵺が生前の姿で現れ、頼政の文武の誉れを語り「頼政は名を上げて、我は名を流す空舟に押し入れられて、、、、、、、月日も見えず、暗きより暗き道にぞ入りにける、遥かに照らせ山の端の月、、、、、」と悲痛な叫び声を上げながら海の底に沈んで行く。

前場も後場も頼政の武勇が中心に語られる。殺された鵺の悲哀は武勇の陰だ。その故だろうか鵺の悲哀が身を切る。
 鵺は反体制の人達だともいう。だからといってこの能に意味があるわけではないと思う。
素直に哀れな鵺の姿を見たい。
「暗きより暗き道にぞ入りにける、、、、、」は和泉式部の歌。この歌を巧みに使い更に広い意味に、ドラマも加える。謡曲文学の優れた特徴だ。
  能「」の詳しい解説は「「能曲目の解説」をご覧下さい。

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08.01
Sat
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2015年6月17日 長野県諏訪市車山で写す。

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2015年7月11日 岩手県久慈市で写す。

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2015年6月19日 山梨県丹波村で写す。花は終わり実になっていた。

暑さを感じ始める頃、中央高速沿いの山の処々に真っ白の固まりが浮かび上がる。クマノミズキだ。夏が近いなと嬉しくなる。高尾山近辺にも見られる。
花房は、指を広げた手のひらくらいで平、小花の集合。大木なので近くで見るのは難しいが、崖の下に生えている木で丁度目の高さに咲いているのを見た。真っ白な小花の群れが可愛い。
熊野地方に多いので「熊野水木」だそうだ。
水木の名は、水を沢山吸い上げるからという。材は真っ白、お盆やこけしの材料だそうだ。
 七月の中頃、盛岡から久慈へ出て、津波の後を仙台まで辿った。処々にクマノミズキが咲いていた。

最近まで「クマノミズキ」を「オオカメノキ」だとばかり信じていた。オオカメノキは、もの知りの友人に教わった。白神山地のブナ林に咲いていたのが印象的だった。
クマノミズキとオオカメノキは素人目には、似ていないこともないが、その違いは雲泥の差。大木と灌木の差どころではない。どうして信じ込んだのだろう、多分花の形が亀の甲羅を思わせ、気に入ったからだろう。

「オオカメノキ(大亀の木)」が気に入ったのには理由がある。高校生の頃まで、あだ名がカメだったから。
万事、反応が鈍く、こんなことがあった。
自宅で酔った兄と兄の友人が喧嘩を始めた。兄が友達の頭を思いっきり箒の柄でぶっ叩いた。血がしたたり落ちた。
これをニヤニヤ笑って見ていた。
 止めるのが常識だろう、やはりお前は亀か、と両親にひどく叱られた。
クマノミズキもオオカメノキも大好きだ。両方とも花の形、葉の形が「亀」を思わせるのだ。皇族にあやかって「おしるし」にしようかなと。冗談だが。

熊野地方は多雨で有名。クマノミズキも多いのだろう。
数年前、伊勢神宮、熊野三山を訪ねた。お伊勢参りで寿命を延ばそうという冗談に乗せられて。
二泊三日。一泊目は内宮近くの漁師の民宿。伊勢エビの刺身が絶品だった。
伊勢神宮は内宮も外宮も神さびた深い森の中。さすが日本の中心、信仰の中心。感涙とどまらず。少々大げさだが。
熊野三山も伊勢神宮の近くだと思い込んでいた。
伊勢神宮は三重県、熊野三山は和歌山県だった。伊勢神宮から熊野三山まで、車で5時間はかかったと思う。
悪い癖で行く場所の事もろくに調べず宿も行き当たりバッタリ。あちこちで道に迷った。お陰で日程が大幅に狂った。
しかし迷った道は鬱蒼とした大森林、山の上からの眺めも緑、緑、緑、緑の大波がうねっていた。おおいに癒された。無計画旅行の余得だと納得。
熊野三山、速玉神社、那智神社、本宮もそれぞれかなりの距離、これも予想外だった。
那智神社の大滝には圧倒された。映像で見るのと全然違う規模と迫力。那智神社は元々修験道の道場だったと云うが、頷ける。

三熊野は修験道のメッカ。
修験道は比叡山や吉野の仏教と三熊野の神道が習合したものだそうだ。吉野から熊野まで峻険なルートは僧達の修行の絶好の場所だったから。
 朝廷の信仰も厚かったという。後白河院は生涯三十数回行幸したそうだ。
和歌の神様とまで持ち上げられた、藤原定家は後鳥羽院の熊野御幸に随行、先払いのあばら屋で持病が起こり苦しんだと「名月記」にあるそうだ。
骨を刺す程の痛言を吐く変人だったという定家が、持病の苦しみに吐いた言葉が聞きたいものだと熊野古道を歩きながら思ったりした。

二泊目は本宮近くの湯峯温泉。本宮参りの人の湯垢離場(ゆごりば)。
三熊野行幸のお休み所でもあり、彼の小栗判官が湯峰温泉の湯で、死の淵から甦ったという伝説もある名湯。
今は少々さびれているが露天風呂が素晴らしかった。そのうえ宿代が思いの外、安かった。

昔、伊勢神宮近くの阿漕ケ浦は伊勢神宮に供える魚を獲るため禁漁区だった。
能に「阿漕」がある。この殺生禁断の海に網を引いて殺された漁師の話。
殺された阿漕の供養をする僧の前に阿漕の亡霊が現れ、禁漁の海に網を引く有様を再現してみせる。
イロエと呼ばれる網を引くシーン、恐ろしいほどの緊張が舞台に充満する。
阿漕は生活のため、禁漁の掟と仏の殺生戒を犯してまで、己の命と後世をかけて網を引く。戦慄が走る。
たちまち海は地獄の劫火に包まれ助けを求める阿漕の叫び声を残して能は終わる。
仏の前には貧者も弱きも容赦はないのだ。貧しき故に、弱き故に殺生戒を犯し地獄に落ちる。
宗教に縛られた中世の人々の叫びが聞こえる能だ。
能「阿漕」の詳しい解説は「能、曲目の解説」ご覧下さい。

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