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07.30
Sat
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奥多摩の山並みを染める残照。2015年6月23日三鷹市、JR陸橋から写す。

次第
砂内桂馬、団塊の世代。人は世を渡る煩わしさを荒波に例える。桂馬にも荒波如きがあった。その荒波が去って久しい。思うこと感ずること、何事も起伏は乏しく坦々と時は過ぎていく。その桂馬に絵はがきが届く。森の木々に包まれ神社の屋根が浮かびあがっていた。桂馬は凝視する。森の屋根は故郷の塩竃神社に変貌していく。それは優しい思い出を呼び起こした。しばしの残照だった。

前回までのあらすじ
桂馬と温子の出会いは劇的だった。女性が苦手な桂馬だったが天真爛漫、少女っぽさを残す温子に惹かれていく。議員秘書だった温子は父の意向もあり議員の肝煎りで他の会社に就職する事に決まった。通勤に便利な荻窪駅近くのアパートに引っ越す事になった。桂馬は引っ越しを手伝う。
アパートの片付けで桂馬は温子の部屋に泊まった。温子は桂馬に「ままごと」として土曜、日曜、一緒に過ごすことを提案した。「飯事」は二ヶ月ほど続いた。叔父の意見に従い桂馬は温子との結婚を決意する。父母の承諾を得るために塩竃に行く。父母や姉の快諾を得た桂馬は温子に電話する。矢も楯もなく温子は塩竃に駆けつける。夕暮れの塩竃神社の急峻な階段の上で二人は初めて唇を重ねた。

出会い十
温子の胸の鼓動はなかなか収まらなかったが、安堵感のような安らぎが拡がっていった。
この数ヶ月、二人は飯事とはいいながら、お互いを意識しながら過ごしてきた。少なくとも温子自身はそう思っていた。だが時々温子は、桂馬が温子に対して女性としての関心をそれほど見せなかったのが心に懸かることもあったのだ。
安堵感からだろうか、温子から塩竃神社の急峻な階段の恐怖が和らいでいった。桂馬は温子のバッグを左手に、右手に温子の手を取り、用心深く階段を下りた。温子は足許を見つめながら無言だった。口を開くと照れ隠しに気持ちと反対の言葉が出てきそうだったし潤んだ目を桂馬に見せたくなかった。
何時もと違う温子の気配を感じた桂馬は、温子にとんでもない事をしてしまったのではないかと後ろめたさを感じはじめていた。
いきなり温子が桂馬の手を振り払い最後の階段、二段を飛び降り、くるりと振り返り
「やった~!あ~怖かった!塩竃の神様ありがとうございました、亀しゃんありがとう」おおげさに手を合わせた。いつもの温子だ、桂馬の後ろめたさもあっけなく氷解した。
「これでお父さんやお母さんに会える自信がつきました」

家では両親と姉が待っていた。桂馬が玄関を開けるなり、待ち侘びていたのだろうか母と姉とスリッパの音を忍ばせて現れた。
桂馬は母と姉と交わす温子の挨拶に驚いた。いつもの少女っぽさが消え、いっぱしの大人に変身していたからだ。桂馬には母と姉という隔たりが厳然とあるのだ。その母と姉と対等に挨拶を交わす温子が遥かに桂馬より大人に見え距離をさえ感じた。
母は温子に、「変わり者の桂馬を気に入って頂いてありがとう」といった。
父も、「よろしく頼みますね」といった。
姉の曜子が桂馬の幼時の時の話を夢中で話した。父も母も「そうだったね」とか「そうだったの?」とか笑いながら相づちを打つだけだった。少女時代、陰気な性格だった姉がこうまで明るく賑やかに話すのがありがたかった。
桂馬の姉、曜子は祖母から引き継いだ小さな旅館「望海荘」を営んでいた。祖母から引き継いだのは母だったが、母は「私は陰気な性格だから接客業には向かない」と早々姉に引き継いだ。温子はその望海荘に泊まる事になった。
「向こうにお食事が用意してあります。父と母は照れくさいンでしょう、皆で楽しくだって」
父も母もニコニコ顔で玄関まで見送った。

姉は桂馬と温子の顔を代わる代わる見ながら望海荘に着くまで話し続けた。
「気が付いたと思うけど、母はあまり社交的な人ではないの、昔からよ。でもネ、冷静に人を見て、ここぞと思うとき助けてくれる人よ。私は母に私の人生をつくってもらったの。大袈裟だと思うでしょう?これでも人には言えない苦しみ悲しみ、もがいたことがあったの。本当の事よ。私は母の一部分と思ってる」
少女の頃まったくの陰気で寡黙だった姉とは思えなかった。
望海荘では安海と姉の夫、辰之が待っていた。二人とも顔が赤かった。
「あら、安海さんいらっしゃい。久しぶりね」姉は安海が来ているとが意外だったようだった。
「ハイ、勝手にお酒、頂いてます。珍客がお見えになると編集長からお聞きしたもんで押し掛けました」辰之は地方紙の編集長、安海は新入り記者だった。砂内家と安海の家は親戚付き合いだった。
「おいおい、編集長は止せよ、社の中だけにしろ」辰之は安海を制して温子に向き直り、
「曜子から聞いております、よろしく」両膝を立て不器用にお辞儀した。曜子は桂馬と温子を並ばせて座らせ、
「紹介します。五代温子さんです。近い将来、砂内家の家族になります」
「わぁ~すっごい美人。桂馬、全然違うじゃあない。昨日、私に少しは似ているといったけど、全然違う。私はスッポンだわ。月とスッポン」安海が大仰に驚いて見せた。酔っているのだろうがいつもの安海らしかった。みんな無遠慮に笑った。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」温子は深々と頭を下げた。何の準備もなしに桂馬の電話に居たたまれなくて飛び出して来たのが恥ずかしく、重荷になっていた。桂馬の父母や周りの人の好意が重荷を下ろしてくれた。
「結婚式やその外色々、計画したら私に知らせて。こちらの事は私にって。お父さんとお母さんに任されました。出来るだけ早い内に温子さんのご両親にご挨拶に行きたいそうよ。桂馬と一緒に。温子さん、ご両親のご都合お伺いしてね」桂馬は姉が頼もしかった。こうした人の生活の上の細かい事は、やはり女性が一枚も二枚も上だと桂馬はつくづく思った。姉は辰之に向き直り
「わたしも行きたいナ、太宰府の天満宮も見たいし、いい?」
「どうぞどうぞ」
「ほんと?でもね、旦那様一人にして旅に出かけるなんて気が引けるし、あなたは、どうぞ、どうぞと口ではおっしゃるけど本当は嫌でしょう?」姉は笑いながら夫の顔を覗き込んだ。
「とんでもない、それはお前がそう思い込んでるだけだよ。オレだってたまには心置きなく一人のんびりしたいサ」
「うん、うん、なるほど、なるほど、納得、納得。近々結婚する我が身に、おおいに参考になりました」安海が頭を上下に振りながら呟いた。みんなが笑った。座はいっぺんに和んだ。安海も結婚が決まっていた。相手は先輩記者だった。
「ところで桂馬、どうしてと云うか、どういう陰謀でこの美人をチョロまかしたの?白状して頂きましょうか」座は安海の独壇場に向かう気配だった。
「チョロマカシは酷いよ。昨日話しただろう。あれですべてだ」
「いいえ、その話しは全くありません。ただただひたすら許嫁解消の懇願だけでした」
「ええっ?」辰之と姉が口をそろえた。
「そうなのよ。小さい頃、私の父と桂馬のお父さん、仲良しだったでしょう。父が遠洋漁業から帰ると決まって大酒飲んで、オイ婿殿とか嫁さんとか、からかったでしょう。桂馬は昨日まで許嫁だと信じていたンだよネ」安海が悪戯っぽい目で桂馬を見た。
「その話しの切っ掛けになった話しがあるンです。ご披露しましょう」
安海の話を桂馬は母からも父からも聞いたことはなかったが奥底の記憶の断片が甦った。
 桂馬が5,6才、安海は2,3才、の頃の話だった。二人は何時も一緒に遊んだ。ある初秋、二人は日が暮れても帰って来なかった。近所の人達も交えて大騒ぎで探した。
桂馬がしくしく泣く安海の手を引き「泣くな、泣くなと」とベソを掻きながら帰るところを安海の祖母が見付けた。二人は空の五右衛門の中で眠りこけていたのだ。
五右衛門風呂は安海の父が遠洋帰りの楽しみに作った露天風呂だった。自宅からやや離れた海の見下ろせる小高いところにあって子供たちの格好の遊び場だった。
その時、安海の父は航海中だった。帰ってかから聞かされた。安海の父は子煩悩だった。よほどの事に思ったのだろう、それ以来桂馬は“婿殿”になったのだった。
「面白いお話、桂馬さんの一面を見た様な気がします」桂馬の朴訥とも思える性格は生まれ付きの性格もあるだろうが、幼い時のこうした“事件”も影響しているのだろう。幼時、これと云った思い出のない温子には羨ましかった。
「桂馬は恥ずかしがり屋だから白状は難しい。ねえ、温子さん、どんな手で桂馬は貴女を射落としたの?この桂馬にしては謎なのよ、興味あるわ、話してくださる?」
「おい、安海、止せよ。じゃあ、白状するよ。オレが崖から飛び降りたンだ」
「いいえ私です」温子には何の抵抗もなかった。座の雰囲気がそうさせたのだろう。胸の中にしまって置いた大切な物を取り出すように、だったが惜しげはなかった。
あの時の中央線の情景が、音と色までが付いて甦った。
桂馬はガラ空きの中央線の中で眠っていた。桂馬の手から本が落ちた。聖書だった。聖書は分厚く黒い表紙だった。「聖書」と書いた金文字が不思議な力で温子の目を射た。
温子は桂馬の袖をつまみ上げ聖書を抱かせたが桂馬は目を覚まさなかった。桂馬の異様な姿が温子の興味を引いた。スーツにネクタイの地味た、キチンとした姿だったが、長い髪を女性の入浴用のキャップに押し込んでいた。
「その長い髪、安らかな寝顔、貴方はまさかキリスト様ではないわよねフフフ」温子の興味が思いも寄らない行動に向かわせた。この異様な雰囲気の男の正体の片鱗でも知りたいと思ったのだ。新宿で下りた桂馬の跡を付けた。桂馬の姿は西部新宿駅前のショットバー「西部」の中に消えた。温子も続いた。外に客はいなかった。桂馬は温子に無関心だった。
その後、二人は高尾山で再び巡り合った。
「心臓が止まるかと思うほどびっくりしました。まさか広い東京で又会うなんて。消えてしまいたいほど恥ずかしかったンです」
「わ~驚いた。人は見かけによらないものね。この私にだって出来ないナ」安海は大仰に驚いて見せた。
今まで黙って聞いていた辰之が興に乗ったのか、
「いや、そうではない。桂馬君と温子さんは結ばれる運命にあったンだよ。二人の中から人には見えない、感じられもしない或る物が放射されて二人を結び付けたンだ。そのために、その人にはあり得ない様に見える行動をするンだ。ウンそうだ」
「だったら私が彼にとった行動も、彼がプロポーズしたのも同じよね。安心した」
「いや、それは違う。君があまりにも、しつこいから彼が観念したンだ」
「それは、酷いよ。私、泣きますよ」
「お前の泣き顔が見たいもんだネ」
みんなの爆笑のうちに時計の針は12時を遥かに回っていた。

次の朝、桂馬は篠竹の竿を担いで姉の玄関をくぐった。
「あら、桂馬、どうしたの?その格好」
「彼女とザリガニ釣りしようかと思って」
「え?子供みたい。ま、上がって。お茶でも飲んで。温子さん、まだお休みよ。だいぶお疲れのようよ。昨夜も遅かったし、朝ご飯は?」
「ほしくない」
姉が台所に立った。
「おはようございます」温子がすっかり着替えを済まして出てきた。
「よく眠れた?」温子は磊落な性格だが神経の細やかな所もあるのだ。予想外に桂馬の身内に会って緊張がほぐれないままだったかも知れない。
「はい。よく眠れました。昨夜は楽しかったわ。皆さんのお話ですっかりほぐれて、ぐっすり眠れました」
台所から姉がお盆を持って出てきた。立ったまま
「あら、温子さん、もっとお休みになればいいのに。あら、いやだ、おはよう、が先よネ」
「お茶を飲みましょう。それからと、これ、おにぎり。朝ご飯たべている暇はないわよね、桂馬。ザリガニ釣りながら仲良く食べて。大漁だといいわね」
「ザリガニですか?」温子が怪訝そうか顔で桂馬を見た。
「思い出したのよ。台所しながら。フミ姉さんがザリガニ釣りに桂馬を誘いに来たわよね。竿を担いで玄関のまえに立ってた。めったに笑わない母がニコニコして、大漁だといいわねって。お母さんと同じ事云っちゃった。懐かしいわ」
「姉さん、ザリガニ釣りなんてつまらないって捨て台詞残して学校に行ったナ」
「あの頃は複雑だったのよ。でも本当は羨ましかったのだと思う」
「あ、そうそう。その余所行きの態ではザリガニさんが敬遠するわよ。私の仕事着、着て行って」
温子は後先も考えず衝動的に塩竃まで来たのだった。着替えなど無かった。
姉は二人の帽子、敷物も用意してくれた。

小川は昔のままだった。田んぼの水が流れ込むのだろう薄く枯れ草色に濁っていた。向こう側に砂が堆積して溝ソバがこんもりと茂っているのも昔のままだった。
昔の光景が甦った。フミとザリガニ釣りをした思い出だった。
「桂馬ちゃん、見てご覧、向こうの草、ピンク色の花が咲いているでしょう」フミが竿を向けた先に溝ソバが咲いていた。
「きれいだけど小さなトゲが沢山ついてるの。触ると痛いよ。あの草とそっくりの草があるの。あそこの藪の中に咲いているよ。“継子の尻ぬぐい”っていう名前だよ」
「ひどいよネ、小さな子供のお尻をあの草で拭くンだって。泣き声が聞こえる、怖いよネ」フミが両手で耳を塞いだで見せた。
「桂馬ちゃん、継子って知ってる?おねえちゃんも、よくは分からないけど、でも子供は誰でもどんな事情があっても関係なく可愛いよネ、継子は関係ないよネ」
幼い桂馬に継子いじめなど理解出来る訳がないが「継子の尻ぬぐい」の印象は強烈だった。フミの「継子いじめ」の話はフミのその後の衝撃的な生活の変化を自身で予言したのだと後に桂馬は思った。
「そろそろ始めるか」桂馬が温子に竿をわたした。
道糸は太めの木綿糸だった。先端に釘が結わえ付けてあった。
「あれ?釣り針ではないの?エサはどこに付けるの?」
「いや、今日は、太公望にしよう」
「えっ?太公望?もしかしてあの大昔の中国の?」
「君にフミ姉ちゃんの話を聞いて欲しかったンだ」
桂馬は姉、曜子との遣り取りでフミの名が出ると、僅かだが変わった反応をした。万事反応の薄い桂馬だ、よほど特別な人なのだろう。
桂馬は釣り糸を馴れた手つきで向こうに投げ込んだ。温子も真似て投げ込んだ。桂馬は、しばらく竿の先を見つめていた。
「フミねえちゃんは、ほんとに可哀想な人だった。本人は、私はほんとに幸せだったと云ってたけど。でも、ほんとに可哀想な人だった。母も姉もそう云ってるンだ」

フミは古川の農家の娘だった。祖父の代は小作人だった。父もわずかな田畑を耕し他所の農家の手伝いや頼まれれば農家以外の仕事をして細々と暮らしていた。
フミは中学を卒業するとすぐに桂馬の祖母が経営する小さな旅館にお手伝いさんとして来た。幼顔が残る目元の涼しい子だった。お手伝いのフミには友達も出来なかった。
フミは桂馬を可愛がった。母はフミを、今時こんな素直で自分の境涯も気にせず明るい子はいないと褒めそやした。
旅館の前を嬌声を上げて通る同年配の女の子にも気軽にお辞儀した。羨ましそうな素振りは微塵もなかった。母はしきりに、羨ましいだろうに可哀想にと云った。
フミがまだ二十歳前の秋、祖母がフミの縁談を持って来た。相手は祖母の遠縁で、仙台で運送業を営み裕福だった。後妻だった。嫁ぎ先には先妻の子がいた。
「フミちゃん、あなたは、まだまだ若いのよ。あなたのお父さんやお母さん、紹介した私の義母の事は気にせず、よくよく考えて。決めてしまったら後戻り出来ないのよ」母は必死にフミを説得した。
「父や母が、よかった、ありがとうと云ってくれました。それが何より嬉しいです」とフミは答えた。
「今時、若すぎます。それも後妻で」母呟きは涙声だった。
フミは先妻の子とその後生まれた自分の子を分け隔て無く育てた。
フミが四十才過ぎた頃、難病の「筋萎縮症」に罹った。そう永くは保たないと母が知らせてきた。
「桂馬ちゃん、何か苦しいことがあるの」フミは力のない目でも桂馬の苦しみを見抜いた。
「いいわね。苦しみも悲しみも人の幸せの一つの形なのよ。今の私には何も無いけど、苦しみも悲しみも山ほどだった。今一つ一つ噛みしめているの」フミは、フミの父や母が喜んだのが嬉しいと後妻に入った。そのことを信じていた桂馬にはフミの言葉が衝撃だった。苦しみ悲しみ、心の葛藤をこうして処理して生きてきたのだろうと居たたまれなかった。

「僕は君との結婚を誰よりも先ずフミ姉ちゃんに喜んで貰いたかった。」
桂馬の頬に涙が伝わった。幾筋も。温子は桂馬の涙を見つめた。
「初めて君を八王子で見たとき、フミ姉ちゃんだと思ったンだ」
温子がハンカチを差し出した。桂馬は温子の手をハンカチごと鷲づかみにした。
「フミ、、、、、、、」
つづく
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07.23
Sat
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富士山七合目の小屋 2016年7月1日写す。

7月1日富士山の花を撮りに行った。五合目の土産物売店から6合目の登山口に向かう
途中、中国人の若い女の子と一緒に歩いた。いろいろな話が楽しかった。分からないところは木の枝で地面に漢字を書いた。日本もそうだが中国は略字が多い。中国の略字と日本の略字は違うものがほとんど。それでも結構通じて面白かった。別れ際にスパムおにぎりを上げたたらお返しにとお菓子を色々頂いた。中国の一円札も頂いた。中国は儒教の国、仁義に厚いと聞く。急変する中国社会にあっても人の心は容易くは変わらないようだ。頂いたお菓子は日本製だったのは意外だったが、よくよく考えれば当たり前かも知れない。

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ノコギリソウ キク科 一合目で写す。
葉が鋸の歯のように切れ込んでいるので付いた名だという。花も葉も茎も均整がとれてきれいだ。薄いピンク色もある。山の草原に多い花だが植えて置くとあちこちに芽を出す。生命力のある花らしい。

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シモツケ バラ科 上に同じ。
庭木にも植えていて馴染みの花。背の低い灌木だが横に繁る。富士山のものは、ひょろりと小さくかわいかった。よく似た花にシモツケソウがある。京鹿の子にそっくり。この二つはどう違うのか分からない。花がシモツケに似ているから付いた名だそうだ。シモツケを木シモツケ、シモツケソウを草シモツケとも呼ぶそうだ。シモツケは下野(昔の栃木県)で発見されたので付いた名だという。

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ナナカマド バラ科 五合目で写す。
東北で街路樹の並木をよく見る。北地の樹かと思っていた。材が固く七回竈に入れても燃え残ることから七竈。上質の炭の材とか。秋に熟す赤い実は果実酒に。色は綺麗だが味は好きずき。

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シロバナヘビイチゴ バラ科 五合目で写す。
初めてこの花に出会ったのは新潟の赤倉スキー場だった。30前後の若い男に教わった。野草のマニアらしかった。イチゴは外国のものと思っていたので日本にも野性のイチゴがあるんだナと感動した。

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コケモモ ツツジ科 五合目で写す。
高山のきびしい環境に耐え懸命に生きる木。高さ10センチにも満たない。小さな釣り鐘のような花、秋の赤い実が一入可愛い。高山植物の中でもなじみ深い。這松の下に群生している。富士山五合目では岳樺や七竈の下に群生していた。意外で嬉しかった。
実は甘酸っぱい。果実酒やジャムにすると美味しいそうだが作ったことはない。

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イワツメグサ ナデシコ科 六合目で写す。
生えている草木もまばらな岩礫に毅然と咲いていた。富士山の主、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の化身かと疑った。

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ハンショウズル キンポーゲ科 七合目で写す。
七合目はかなりの高度だ。こんなに高い所に咲いているとは意外で嬉しかった。岩の間の灌木にしがみ付いて咲いていた。恥ずかしそうに下向きになので中が見えない。可哀想だったが花弁を広げて写した。写し終えて元に戻しながら“ごめん”。ハンショウズルは漢字で半鐘蔓。花の形を見れば一目瞭然。釣鐘葛とも。
釣り鐘、梵鐘は昔、人々の生活の一部分だった。時を告げ、その清らかな響きは人々の心を澄ました。「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」誰でも知っている平家物語の冒頭。数々ある名鐘の中でも三井寺の梵鐘は言い伝えと共によく知られた名鐘だ。
この三井寺の鐘をモチーフにした能がある「三井寺」だ。

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名月に我が子の行方を思い心が乱れ鐘を突く狂女

三井寺
能「三井寺」は狂女物。我が子との再会を祈り清水寺に参籠した母は三井寺に行けと霊夢を見る。母は三井寺へ急ぐ。その旅の様子を面白く見せる。「道行」だ。
折しも八月十五夜。名月に心乱れた母は鐘楼に登る。僧達の咎めに母は古詩を引いて僧を説き伏せ鐘を突く。鐘の音づくしの、美文でつづる「鐘の段」が胸の高鳴りを呼ぶ。ここでは鐘楼の「作り物」が大きな存在感だ。
狂乱の「鐘ノ段」から一転して、鐘づくしの「クセ」しみじみと聞かせる。
月と鐘を主題に清らかな名曲といわれる能。
能「三井寺」の詳しい解説はこちら

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07.16
Sat
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富士山五合目 小御嶽神社 2016年7月1日写す。撮影日以下同じ。
梅雨の晴れ間に富士山に行った。富士山は五合目まで樹林帯、何か咲いているかもしれないと期待して。五合目から上は瓦礫の山だ、期待は全くなかった。
五合目の駐車場や食堂、土産物の店が並ぶ一帯はウイークデーでも外国人、日本人でごった返しだった。

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ウツギ ユキナシタ科 2合目で写す。
空木、幹の中が中空、空っぽで付いた名。純白の花を豪華に咲かせる。道路沿いに花盛りだった。通称卯の花、「卯の花を、挿頭(かざし)に関の晴れ着かな」奥の細道で芭蕉に随行した、弟子の曽良が白河の関で詠んだ句だという。白河の関は奥州の入り口、向かうところは地の果て、憧れの地でもあった。衣冠を正して通る習わしだったという。芭蕉子弟に正すべき衣冠などあろう筈はない。せめて花盛りの卯の花を髪飾りに、というのだろう。うらぶれの旅が想われるが又曽良の茶目っ気も見える気がする。白河の関跡には、前九年、後三年の役で通った武将の歌碑が苔むしている。近くに西行、芭蕉所縁の「遊行柳」もある。

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ノリウツギ ユキノシタ科 2合目で写す。
漢字で糊空木。樹皮から和紙を漉くときに無くてはならない糊を作った事から付いた名だそうだ。純白の花がきれいだ。兄弟分の空木と花盛りを競っていた。

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ヤマオダマキ キンポーゲ科 3合目で写す。
変わった形の花だ。漢字で苧環(おだまき)。昔、イラクサの仲間の繊維で紡いだ糸を巻いたものが苧環。花の形が似ているからだそうだ。綺麗な花だが毒草だという。人の世も同じ、きれいなものに毒あり、ご用心。
「しずやしず、しずの苧環繰り返し、昔を今になすよしもがな」源義経の愛妾、静御前が源頼朝に捕らえられ、舞を強要されて唄い舞った。頼朝の前でも憚らず義経を思慕して唄った。女は強い。静は白拍子の名手でもあった。その後、静は義経の子、男児を産んだ。頼朝は男児を七里ヶ浜の沖に沈めたという。鎌倉を放免された静はその後行方知れずとなったという。

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ベニバナイチヤクソウ イチヤクソウ科 5合目で写す。
富士山もここまで登ると亜高山帯。唐松の下で見つけた。すっくと立ち上がった姿が潔い。紅花一薬草、血止め、痛み止めの薬にしたという。

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ヤマブキショウマ バラ科5合目でうつす。
樹林帯を抜け、本格登山口の大きな溶岩の隙間に根を下ろしていた。その生命力に驚いた。
東北ではヤマブキショウマの若芽は普通に食べる山菜だと聞く。よく似たものにトリアシショウマがある。三つに分かれた葉柄が鳥の足に見ているからだそうだ。この二つは似ていても赤の他人。東北の人は両方とも区別なしに鳥足とよんで食べるそうだ。

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オンタデ? タデ科 6合目で写す。
オンタデの名は白馬岳で教わった。富士山のこの花がオンタデかどうかは自信がないがよく似ている。素人の身だから許されるかと。花は白いのが多かったが薄いピンクも少しあった。夏の終わりには扁平のピンクの実がびっしり。涼風に靡いてきれいだったのを思い出した。

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フジハタザオ アブラナ科 7合目で写す。
瓦礫の中に咲いていた。富士山だけにある固有種と聞いて感激。まさか瓦礫の山に花が咲くとは思っていなかったので感激一入。恵みの雨が降ってもすぐ乾く過酷な環境に。
能「熊野(ゆや)」で「草木は雨露の恵み、養い得ては花の父母たり」と謡う。待ち焦がれる雨は、この厳しい環境にある花達に取っては、まさに父母であろう。

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マイヅルソウ ユリ科 5合目で写す。
唐松の下に群生していた。雄しべが突き出て昆虫の角の様で可愛かった。真っ白く一面に咲いている姿から鶴を連想した名かと思っていた。葉脈の目立つ葉の形が翼を広げた鶴に似ているからと、ある本で読んだことがある。青い葉は鶴のイメージに遠いようにも思う。
秋、ルビーのような、透き通る赤い実が美しい。
鶴は亀と共に日本人には特別な存在、長寿の象徴だ。
能「鶴亀」では鶴と亀が舞を舞う。鶴の役は頭に鶴の戴き物を載せて舞いその姿は、まさしく舞鶴草だ。

能「鶴亀」は玄宗皇帝と思われる皇帝が新年の祝宴に鶴と亀に舞を舞わせ、その舞に興を覚えた皇帝が自ら荘重な舞楽の秘曲を舞うと、万人挙って喜びの声を上げ太平の世を言祝ぐという祝言の能。ドラマ性は薄いが春風駘蕩、ゆったり大らかな気分に浸れる。
この能を初めて見る人は不思議に思うかも知れない。劇が始まる前に後見が黙々と劇中の宮殿、月宮殿を組み立てる。つづいて間狂言の官人が登場し節会の儀式が行われると布告する。あたりは期待感に包まれ、ここから本格舞台がはじまる。
布告が終わり間狂言が退くと、荘重な囃子に乗って皇帝が百官卿相を引き連れ登場する。軽快な鶴と亀の舞に続いて荘重な皇帝の舞があたりを厳粛にする。舞終えた皇帝は万民の歓呼の中、居城、長生殿に帰って行く。祝言の気があたりに満ち満つる。鶴と亀の役は子供が勤める事もある。皇帝の前の子鶴、子亀が可愛い。

能「鶴亀」は「脇能」に分類される曲。脇能のシテはほとんどが神だが、「鶴亀」のシテは玄宗皇帝。玄宗皇帝は政権争いから唐朝を甦らせ「改元の治」の善政で知られた英君。道士に導かれ月の月宮殿に遊び「げい裳羽衣」の曲を作ったとされる。周の穆王の例もあるようにその存在は神に近かったのかも知れない。
脇能はもともと「翁」に付随して舞われる能。翁は能の起源といわれる能であり、祈りの能であり、最も神聖視される能といわれる。
芸能の起源は神を“すずしめる”ために起こったという。脇能はドラマ性が薄いのは当たり前かも知れない。
能の詳しい解説はこちら→「鶴亀」「熊野

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07.09
Sat
都立農業高校神代農場、周辺の夏の花
この頃の季節、百花繚乱の春の花がおわり、野山に咲く花が少なくなった。
久しぶりに農業高校農場を尋ねた。以前はいつでも入園出来たが今は木曜日だけ。

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東京都立農業高等学校神代農場 調布市 2016年6月30日写す。

湿地を中心に両側を大木の森が囲んでいる。都会の喧噪は全く聞こえない。訪ねる人もまばら。湿地にはマスの養殖施設がありs狭い乍ら田んぼもある。養殖も田んぼも今はお休みのようだ。十年程前は養殖池にはマスが泳いでいたし、田んぼも手入れが行き届いていた。山際の溝には逃げ出したマスやドジョウなどがいて、子供達が泥んこになり大騒ぎで捕まえていた。子供達の格好の遊び場だった。

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ソバ タデ科 2016年6月30日調布市深大寺元町で写す

農園の道路を隔てた向こう側に深大寺小学校がある。明治初年の学制が制定された時の創立だという。その小学校の子供達が育てているソバ畑。
ソバは深大寺門前の名物。その名も深大寺ソバとうたうソバ屋が軒を連ねる。
ソバは古く中央アジアからの渡来だという。ソバは不思議な作物。熟した実と花が混在する。ソバは長野が有名。善光寺門前でソバを食べた。待ちに待って出てきたソバを見て思わず“美味しそう”と云ったら店のおばさん「美味しそうではなく美味しいです」
山形の尾花沢のソバの美味しさは忘れられない。昔の品種で収穫料は少ないが味は天下一品だと云っていた。芭蕉も食べたそうだ。

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チダケザシ ユキノシタ科

ピンクの小花が穂状に咲く。草丈も程よく葉もきれいだ。植えてみたくなる花だ。白花もある。漢字で乳茸刺。写真の花は終わりに近く退色しかけていた。
チチタケ(乳茸)というキノコがある。黄褐色で裏は薄黄色。キズつけると白い乳が出る。食べられるらしいが食べるのに勇気が要る。チダケザシの花茎は、細くて固い。このチチダケを刺して持ち帰るのに丁度いいという事から付いた名だそうだ。串刺しの焼き鳥のように山道をルンルンで持ち帰る。いいな!絵になりますね!

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ハンゲショウ ドクダミ科 2016年6月30日都立農高神代農場で写す。以下同じ。

きれいという訳ではないが1ぺん目にしたら忘れられない。漢字で半化粧。半分で止めたか、化粧中を云ってるのか知らないが葉の半分が白いので付いた名だという。他に半夏(夏至から数えて11日目)の農作業に因んだ“半夏生”の名もあるそうだがやはり“半化粧”がいい。植物の名は学者が付けた難しい名から、昔から言い習わされた名など色々だ。中には“犬のふぐり”や“継子の尻ぬぐい”などふざけた様な名もある。ハンゲショウは言い得て妙、いい名だナと思う。葉は手に取って揉むとドクダミの様な匂いがする。やはりドクダミの仲間かと思うがミントのような涼やかな匂いも混じっている。

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ノカンゾウ ユリ科

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ヤブカンゾウ ユリ科

ノカンゾウもヤブカンゾウも極近い兄弟だ。よく知られた仲間にハマカンゾウ、ニッコウキスゲ、ユウスゲなどなどがある。これらの花は美味しい。キュウリなどの酢の物に添えると彩りが冴え会席料理に変身。早春の芽立ちは天ぷらが絶品。
至る処に咲く花だから珍しくはないが、今年の咲き始めだった所為か、その美しさを再認識した。

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ミソハギ ミソハギ科

小花を穂状に咲かせる。その紅紫色の鮮やかさはこの世のものとも思えない程だ。湿地や田の畦の群生に息を飲む。盆花にするのも肯ける。ミソギハギ(禊ぎ萩)とも。
この花に水を含ませ身の罪、穢れを清める禊ぎの行事があったのだろうか。「禊」は神事、日本の神様もインド渡来の仏様も好きなのだろう、有り難い花だ。冗談が過ぎるようだが。
「水掛草」の名もあると云う。水掛草は天の川に生えている草。
能「砧」で、遠く離ればなれになった妻が夫を思いやり、天の川に隔てられた牽牛、織姫に我が身を擬え「水掛草ならば波打ち寄せよ泡沫(うたかた)」(水掛草の名の通りならば波となって打ち寄せて二人を合わせておくれ)と謡う。

能「砧」は訴訟のため在京の夫の帰宅を待ち侘びる妻の物語。
夫を待つ寂しい秋の夜、辺りの家から夜なべの砧の音が聞こえる。妻は中国の故事を思い出す。匈奴に捕らえられた蘇武の妻子が夫の身を思いやり高楼に登って砧を打つ。その音が万里を隔てた蘇武の耳に届いたというのだ。妻は侍女と万感を込めて砧を打つ。その情景を「次第」から「クセ」までの卓抜の美文と韻律で余すところなく描き、妻の心情を豊にうたいあげる。「月の色、風の景色。陰に置く霜までも。心凄き折節に。砧の音、夜嵐。悲しみの声、虫の音。交じりて落つる露、涙。ほろほろ、はらはらはらと。いずれ砧の音やらん」切なく悲しく、耐え難い。
追い打ちをかけるように、年の暮れには帰る筈の夫が訴訟がながびき帰れないと都から便りが届く。失意のうちに妻は病の床につき遂にあの世へと旅立つ。
 邪淫の罪で地獄に落ちた妻は地獄の責め苦に憔悴した姿で夫の前に現れる。
夫の不実をなじる妻の姿は凄まじく恐ろしい。しかし何時までも残る「クセ」の感動が帳消しにしてくれる。
何時の世でも変わらない「人を想う」ということを叙事、叙情、渾然と豊にうたう。能の表現形式が冴える能。
能「」の詳しい解説はこちら

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07.02
Sat
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子の行方を求めてさ迷う母の心情を舞う。(カケリ)

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「乗せさせ給え渡し守」伊勢物語、東下りを種に即興の舞を舞い乗船を頼む狂女(狂い)

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「人買に連れて来られた少年がこの隅田川の川岸で死んだという船頭の物語を何となく聞き流すが、しだいに我が子ではと気づき悲しみの淵に突き落とされる母(狂女)。

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「南無や西方極楽世界」船頭に励まされ我が子の極楽往生を祈る母。

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我が子の亡霊に縋り着く母。だが亡霊は虚しく消え失せる。

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やがて夜も白々と明け始め、我が子の面影も幻も跡形もなく消え失せ茫然と立ち尽くす母。

28年6月12日、隅田川を舞った。前回舞ったのは10年前。その時思ったことは何一つ覚えていないし所感など書き留めてもいなかった。もう一度舞って見たいとは思わなかったのだろう。あまりにも世話物色が強く工夫が難しかったのかも知れない。
人の心は刻々と変わる。年齢とともに物事に対する感動も薄くなっていく。今回舞って見ようと思い立ったのは名曲の世評もさることながら、覚めた心で工夫出来るのではと思ったのだと思う。
「隅田川」は難しい能だった。難しいと云う意味は色々ある。①技術的に難しい。例えば「道成寺」のように約束事が多く、込み入った型も多く理解するのに時間がかかる。②曲の内容が難解だ。内容が理解出来なければ思うように舞えないのは当たり前だと思う。
出来すぎた話ではあるが、こんな話しもある。昔の話でよく知られた話しらしいが、或名人といわれた人が、中入りの作り物の中で間語りを聞いて、今舞っている能の内容を初めて知ったという。この話の解釈には色々あろうが三流半能楽師には理解の外だ。
③能という一般的な概念から遠いもの。等々。
隅田川は③に近いと思う。世話物色が濃いからです。能楽師は直接的表現に近い演技に馴れていない。そういう意味で隅田川は難曲だと思う。
能は他の演劇のように直接的な表現をしない。人の生活そのものを演技しない。人間の所作を抽象化した“型”で表現します。
“型”に付いては色々云われます。能は型に縛られて劇としての幅が限定されると。
詞章にしても同じ事が云われます。能の詞章はよく知られた詩歌、物語の一節を多く取り入れていて、まるでパッチワークだと。
これらに耳は傾くが、しかし“型”はその運用で全く違った世界を作り出す事が出来るのだと思う。運用には制約はありません。演者の工夫は無限です。つまり同じ「隅田川」でも演じる人によって変わる、色々な「隅田川」があるのだと。
詞章についても同じ事が云えると思います。取り入れられた元の詩歌や物語の世界をより広くひろげ又は全く違った世界を作り出しています。これも運用の妙だと思います。能独特の、いわば能文学の世界を創出したのだとおもいます。

能は「神、男、女、狂、鬼」に分類され、それぞれの曲趣を表現する手法が重んじられています。狂女物は人間の常識に外れた行動をしても許される狂人が主役です。狂人の芸の面白さを主題にしています。「隅田川」は四番目、狂女物です。
「隅田川」は狂女物の範疇を少しはみ出した曲だといわれます。しかし演者には狂女物という意識から解放されることは難しい。
「隅田川」の登場の一声は我が子を思う母の心中の吐露です。湿りがちになるのは止む得ない。続く船頭との問答が問題です。
内容が「伊勢物語」在原業平の東下りだからです。哀れな業平の姿が頭にこびり付く。「その澤の辺の木の陰に下り居て乾飯喰いけり、、、乾飯の上に涙落としてほとびにけり」「我が想う人はありやなしやと」とあって湿っぽい。業平の心情を思うと明るくとはいかない、となると全編湿った能となる。これでは眼目の愁嘆場が霞んでしまうという演出の掟に囚われてしまう。
昔、師が事あるごとに云った言葉を思い出した。能は一曲毎に違うんだ。「神男女狂鬼」は便宜的に作った分類だ。研究者に任せておけ、演技者はそのような分類に囚われず、その一曲を舞え、だった。結局全曲湿っぽいのになってしまったような気がする。師が云うのだからこれでいいのだろう。後半の愁嘆場は、拙い芸の身には長い。「南無阿弥陀仏」の場はダレそうになった。
能「隅田川」の詳しい解説はこちら
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