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09.24
Sat
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榛名山と榛名湖。2016年8月18日うつす。以下同じ

酷暑の最中、思い立って群馬県の四万温泉に行った。ついでに榛名湖を訪ねた。榛名湖はワカサギ釣りで知られている。湖の周囲には旅館や保養所、別荘、運動施設などが点在している。人はまばらだった。湖畔のメロディーラインは♪静かな湖畔の森の陰から♪だった。ダイハツのCMに使われ話題になったとか同行が教えてくれた。保養地と聞いていたので花は期待していなかった。湖畔に“ユウスゲの道”という案内板がありユウスゲの群生が見事だとあった。ユウスゲはカンゾウや日光キスゲの仲間で珍しくないし、そのうえ名のとおり午後遅くに咲き始める。チョット迷ったが行ってみることにした。驚いた。高原の花が色々咲いていたのだ。だったらユウスゲは結構だから、色々咲いているよ!と書いてくれればいいのにとブツブツ。夢中で撮った。

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ユウスゲの道

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フシグロセンノウ ナデシコ科

この花の色は他の花にはないほど不思議な色。藪に咲いていてもすぐ目に付くし見分けられる。神様の何かの印か、摘んだ花をうっかり置き忘れかと思ったり。節黒仙翁と書くそうだが節黒は茎に黒っぽい節があるから。仙翁は同属のセンノウが京都、嵯峨野の仙翁寺に植えてあったことに因んだ名。寺の名物だったのだろう。仙納は紫式部も気に入っていたそうだ。節黒仙納とおぼしき花の名が清少納言の記述にもあるという。

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キオン キク科

姿が紫苑に似ているから黄色い花のシオン、キオンとなったそうだ。新潟の上杉謙信の居城、春日山城址に盛大に咲いていた。ツワモノどもが夢の後と。
肥後女郎花とも呼ぶそうだ。黄色い小花が群がって咲く美しい姿が女郎花に似ているというのだろうが頭に肥後と付くのが分からない。肥後スミレなど頭に“肥後”の名が付くものは少なくない。

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コウリンカ キク科

濃い橙色が目を引く。ピカソもルノアールもこの色は出せまい。ユウスゲの道に異彩をはなっていた。漢字で紅輪花。長く垂れ下がった花弁も名もロマンを誘う。余談だが、橙は正月の鏡餅の上に載せ飾るが、このところトンと見かけない。現代人は“家”は代々続かなくてもいいのだろう。南九州では、ダイダイを果実酢に使った。鮮やかな橙色の実をたわわに付けた景色を処々で見かけた。ダイダイは変わったミカンだ。秋が過ぎ冬が来ても実は落ちない。初夏、新しい実がつくと古い実も青くなり秋、古い実、新しい実、共に仲良くダイダイ色に色づく。昔の人はこれにもよい縁起を託したのだろうか。

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オミナエシ オミナエシ科

優しい、きれいな花だ。風に靡く様は正しく貴婦人。秋の七草の一つ。名の由来の就いて、よくできた話ではあるので一席。
昔のご飯は蒸したご飯で硬かった。粟のご飯は軟らかだった。そこで混ぜ物無しのご飯を男飯、粟のご飯を女飯と呼んだ。粟ご飯は黄色い。女飯の様な花、オミナメシ、オンナメシが転訛してオミナエシになったという。
昔から大事にされた花の様だ。女郎花と書く。能「女郎花」では石清水八幡宮の花守の老人が、仏に手向けにと一本折り取ろうとした僧を咎めたあと女郎花について「花の色は蒸せる粟の如し。俗、呼ばわって女郎とす」「艶めきたてる女郎花」と謡う。
能「女郎花」は、夫が心変わりしたと誤解した妻が放生川に身を投げ、夫も我がために身を投げた妻を愛おしみ、続いて身を投げるという話。古今集関連の説話だというが、何やらお伽噺の匂いがする。

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タムラソウ キク科

田村草、別の名を玉箒。アザミにそっくりだがアザミではないそうだ。トゲが全くない。アザミは美味しい野草だ。タムラソウも美味しいだろうと食べてみたが苦くて不味かった。
タムラソウは丹群草だと読んだことがあるが間違いらしい。
田村草とは不思議な名だ。
 田村草の名は、能「田村」の前シテ、坂上田村麿の化身、庭掃き兼、花守の少年が手にしている箒、玉箒をもじった名だという。玉箒は綺麗な箒の意だそうだ。
洒落た名は、昔のそれなりの人は能の愛好者だったからだろう。
坂上田村麿は平安初期の武将、征夷大将軍。胆沢城を築いた。京都、清水寺の創健者であった。
能「田村」は修羅物、二番目物に分類される。修羅物は戦闘の物語だが「田村」には戦いの血の匂いが全ない明るい能だ。
春爛漫の清水寺を訪れた僧の前に現れた少年。面は童子、長い頭髪、玉箒を手にした姿が美しい。少年は清水寺の庭掃き兼花守。「春宵一刻値千銀」満開の桜に月、二人は爛漫の春を満喫する。清水境内の地主の桜は都随一の花の名所だ。「天も花に酔へりや」少年が舞う清水寺の春景色の「クセ」が美しい。
 田村堂に消えた少年は僧の読経に姿を現す。その姿はガラリと変わり猛将の恐ろしげな姿だ。鈴鹿山の鬼神退治を勇壮に舞う。腰にした刀は抜かない。雨霰の様に鬼神の上に降り注ぐ矢は清水の千手観音の知恵の矢、血は流れない。人を殺す矢ではなく、悪を除く知恵の矢なのだ。観音の知恵の矢に悪は滅び去る。
 前場に美しい少年が爛漫の春を舞い、後場では恐ろしげな猛将が鬼神退治を勇壮に舞う。
いずれも観音への深い信仰に裏打ちされた明るく爽やかな名曲。

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爛漫の地主権現の桜の下で舞う花守の少年。
  
能「女郎花」の解説はこちら。「田村」はこちら
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09.17
Sat
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車山から望む白樺湖 2016年8月12日車山で写す。以下同じ

遠来の客とキープ牧場でアイスクリームを食べチーズ作り体験などしても時間があったので気に入っている車山に案内した。キープ牧場は前回紹介したので省かせて頂く。キープ牧場から車で一時間程、長野県諏訪湖や美ヶ原が近い。ここは標高1900M、白樺湖を眼下に、遠く中央アルプス、北アルプスまでも遠望できる絶景の地。色々の花に出会った。

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フウロソウ フウロソウ科
フウロソウは種類が色々で素人には見分けがつかない。フウロソウで勘弁して頂く。漢字で風露草。名は体を表す、の言葉通り雅な名がぴったり。ゲンノショウコの仲間。ゲンノショウコは整腸剤。“現の証拠”の名の通りピタリと効く。フウロソウも整腸剤になるかどうかは知らないが多分効くかも知れない。仲間だから。
昔は軽い風邪やお腹を壊した時、切り傷など軽い怪我も民間薬で直した。ゲンノショウコ、ネズミモチ、キンミズヒキやドクダミ、オオバコなどが活躍した。これらの薬草を煎じる土瓶が、祖母の家の火鉢の横にいつも置いてあった。底が炭火で焼かれて白く変色していた。

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ヤナギラン アカバナ科
ランと云ってもランには縁もゆかりもない赤の他人。花が華やか、鮮やかでランの名が付いたらしい。開けた草原に群生する景色は壮観。繁殖力旺盛だが、木や草が大きくなりお日様を遮ると消えるそうだ。きれいだからと頂いて庭や鉢に植えても根付かない。念のため。

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マルバダケブキ キク科
風情の乏しい大柄の葉や茎だが、これほど美しい花を咲かせるとは驚きだ。神様も時には悪戯心が出るのだろうか。清少納言だったら何と書くだろう。
丸葉岳蕗と書くが花も葉の出かたも全く蕗とは違う。蕗と云うから若芽は食べられるかも知れないが試したことはない。

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ヒヨドリバナ キク科
地味な花だが草原で目立つ花。写真はヨツバヒヨドリかも知れない。フジバカマにそっくり、見分けがつかない。フジバカマは野生化しているが中国渡来だそうで平安の貴族たちが好んだという。貴族好みの花の仲間ならば見直さなくては。

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ハンゴンソウ キク科
反魂草とは、あの世から死者の魂をこの世に呼び寄せると云うのだから気味が悪い。名は気味悪いが花は文句なくきれいだ。名前の由来は分からない。高地や寒い地方に育つ花だから寒い地方の人達が先祖の魂を呼び寄せるために焚いたのだろうか。
昔、中国ではインド香の反魂香をたいて魂を呼び寄せたそうだ。
 白氏文集に、前漢の孝武帝が早世した寵愛の李夫人の肖像を寝殿の壁に描かせ、反魂香を焚いて夫人の魂を呼び寄せたとあるそうだ。能「花筐」にこれを作った「李夫人の曲舞」がある。

能、花筐。「越前の国の片田舎に住んでいた大迹辺(おおあとめ)の皇子はにわかに帝位につくことになり急遽都に上る。別れを惜しむ暇もないまま皇子は寵愛していた照日の前に、愛用の花筐(花籠)を残す。照日の前は想いのあまり心が乱れ、花筐を携え遥かな都に皇子を求めて迷い上る。皇子は即位して継体天皇となり紅葉狩の行幸をする。行幸の前に迷い出た照日の前は廷臣に咎められ、花筐を打ち落とされる。皇子に賜った花筐、照日は抗議の「狂い」を舞う。強烈な抗議の舞だ。続いて、人を恋うるということを「李夫人の曲舞」に寄せて、訴え舞う。 
「夜更け人静まり風すさまじく月、明なるに、それかと思う面影のあるか、なきかにかげろえば、なおいや増しの思い草。葉末に結ぶ白露の、手のもたまらで程もなくただ徒に消えぬれば」
武帝の李夫人への深い思慕、静寂な夜更け、あるかなきかに浮かび上がる夫人の魂の面影をわずかな型で描き出す、息を飲む緊張だ。

「花筐」は魂を呼び寄せるのだが能「楊貴妃」では魂のありかをこちらから訪ねる。
能「楊貴妃」は玄宗皇帝と楊貴妃の物語。楊貴妃は不慮の死後、蓬莱宮にあって玄宗との愛の日々を偲び涙して日を送っている。玄宗は貴妃を忘れられず仙術を使う方士に魂のありかを訪ねさせる。白楽天の長恨歌をもとにしたクセが見どころ、聞きどころだ。
楊貴妃は非業の死を遂げたが、玄宗への恨みは全く語られず、ひたすら玄宗との愛の日々のみを謳いあげる。古今東西一の美女、世界の帝王の妃の物語。重厚にして優艶、憂愁、重量感ある名作。
楊貴妃は貴妃と云う絶大な権力を手中にしながら権力には一切手を出さず玄宗との愛のみに生きた。前王の妃の事件を教訓にしたこともあっただろうが、万事につけ賢い人だったという。歌舞にも長じたという。美人の条件は美しいだけではないという見本だろうか。

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「それかと思う面影のあるか、なきかに影ろえば」李夫人の曲舞を舞う照日の前

楊貴妃
方士の来訪に玄宗皇帝を偲び涙する楊貴妃
能「花筐」の詳しい解説はこちら。「楊貴妃」はこちら

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09.10
Sat
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清泉寮 2016年8月12日 写す以下同じ

遠来の客の要望で山梨県、八ヶ岳麓のキープ牧場に行った。標高1300M余りの高原は爽やかで涼しかった。長野県小淵沢が始発のJR小海線、清里駅に近い。日本一高いところにある名物駅も近い。車で行っても雄大な裾野を引く八ヶ岳の景色が堪能できる。牧場はキリスト教関係の施設、清泉寮の付属牧場だそうだ。清泉寮は一般の人も宿泊できる様だ。目の前に広大な牧場、心が晴れ渡る。牛は全て、赤毛のジャージ種。牛乳は濃厚、この牛乳でつくったアイスクリームが絶品。このアイスクリームだけを目当てに訪れる人も多いとか。牧場の縁伝いの遊歩道を歩いた。十数年前は珍しい花があったように思ったが今回は見つからなかった。

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シシウド セリ科

キープ牧場は高原、ようやく高原の花に出会った。まるで花火のよう。背丈2メーター以上もあるてっぺんに豪華に咲いていた。野菜のニンジンの花にそっくり。セリ科の花は似たようなものが多い。シシウドの茎の中は中空。山の水場で水汲みの樋にしているのをよく見かける。

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イケマ ガガイモ科

春の若芽が美味しい。よく似たものにガガイモがある。同じものだと思って食べていた。ガガイモは住宅地周辺の畑のヘリでも見つかるがイケマは少し山際に行かないと見つからない。太い根は猛毒だそうだ。猛毒の根から出た芽が食べられるのだから不思議。初めて食べたのは誰だろう。人間、食には悪魔的だ。イケマはアイヌ語で「神の足」、輪切りにして魔よけのネックレスにしたそうだ。

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リョウブ リョウブ科

漢字で令法。何やらいわくありげな名だがその由来は分からない。昔から若葉を茹でて飯に混ぜたものをリョウブ飯と云って珍重したというが食べたことはない。米が乏しかった頃、増量のために混ぜたんだ、不味いよ、口の悪い友人が云っていたのを思い出す。穂の様に群がって咲く小さな純白の花は清楚できれいだ。お茶花にすると聞いたことがある。

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コオニユリ ユリ科

コオニユリは小鬼百合。オニユリの小型と云うことらしい。植物の名はなるほどと感服するものもあれば反発を感じるものもある。オニユリの名は後者の最たるものだ。花は燃え立つように辺りを圧して美しい。鮮やかなミカン色に黒い斑点があるのを鬼に見立てたというが、納得できない。コオニユリは小ぶりと云うだけでオニユリと見分けがつかない。オニユリにはよく見ると葉の付け根にムカゴが付いている。びっしり付いた黒いムカゴは鬼の牙のようで少し気味が悪いが。花は豪華に美しいが、実を結ばないそうだ。それ故ムカゴを結んで子孫を増やす。賢い花だと思う。対してそっくりさんのコオニユリはしっかり実を結ぶ。気味わるいムカゴは要らないわけだ。

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ボタンズル キンポウゲ科
ボタンの名は付いても妖艶に、豪華に咲くわけではない。葉が似ているから。ツルは木や草に覆いかぶさり小さな白い花を一面に咲かせる。オヤ、何だろう?と思わせる。島根県では茶葛と呼び葉を茶に、鹿児島では猫ナブリと呼ぶという。猫がじゃれ付くと云うのだろうか。
つる草の美称を“玉鬘”と云うそうだ。
つる草には美しい花を咲かせるものが多い。例えばテッセンなどクレマチスの類、朝顔やカボチャなど瓜類。これらはほとんど外来種や園芸種。やはり“玉鬘”の美称には純白の清楚な花、ボタンズルがうってつけだ。能「玉鬘」の主人公のイメージ。

玉鬘は源氏物語の中でも取り分け優しく、可哀そうな女性、夕顔上の娘。夕顔と頭中将との間の子。夕顔は「箒木の巻」の『雨夜の品定め』で頭中将が語った内気な優しい女性。頭中将の正妻の迫害を恐れて隠れ住んでいた。夕顔はこの隠れ家で源氏と邂逅する。源氏に連れ出された先の「何某の院」で生霊に襲われ非業の最期を遂げる。玉鬘3歳、母の失踪から終生、母への追慕は止まなかった。
玉鬘の乳母は手を尽くし夕顔を探すが行方は分からない。止む無く乳母は夫の任地、筑紫に玉鬘を伴う。この地で玉鬘は美しく成長する。土地の豪族に強引に求婚されて恐怖を募らせ、玄界灘、響灘を突破、決死の逃避行の末、都に辿り着く。玉鬘の行く末祈願に初瀬の観音に詣でこの初瀬で夕顔の侍女、右近に邂逅する。玉鬘は源氏の邸に迎え入れられる。
美貌の玉鬘は蛍兵部卿、夕霧、姉とも知らない柏木、黒髭の大将、源氏自身からも求愛される。困惑はあったが大きな恋の波乱はなく黒髭大将の妻となった。

玉葛2・修102
能「玉葛」 九十九髪(つくもがみ)狂乱の舞を舞う玉葛

能「玉鬘」は源氏物語、玉鬘の巻に依った作品。
前場、シテ玉鬘は水竿を持って現れ「程もなき、舟の泊や初瀬川、上りかねたる岩間かな」
と謡う。若い女の身で初瀬川の激流を遡って来たのだ。激流は筑紫を脱出する途次遭遇した恐怖の響灘の難所を暗示しているのだろうか。
続いて長谷寺周辺の景色を謡う。不安定な玉鬘の心境を下敷きにした情景描写が美しい。クセでは響きの灘の恐怖と玉鬘の母、夕顔の侍女だった右近と邂逅した感激が語られる。アイ狂言の語りでは筑紫からの脱出行と右近との邂逅だけが語られ、その後の玉鬘を取り巻く恋は語られない。
後場では狂乱の姿で現れ「恋わたる、身はそれならで玉鬘」と謡い、更に「九十九髪」と心の乱れを吐露、狂乱の舞「カケリ」を舞う。続くキリも狂乱を極めて舞い成仏の句はあるものの極めて短い句で留める。
この能は主題が不明確で何故の狂乱か曖昧だというのが定評のようだ。
源氏物語は当時の人達に膾炙された物語だった。観客は己の中に物語を呼び起こし、玉鬘の心の中を読み涙したのかもしれない。母に去られた幼い日々、激動の成人の日々、右近との劇的邂逅、多感な年頃の玉鬘の心の乱れだけに焦点を当てた作品だろうか。
この能は愛好者が多い。これと断定せず源氏物語、玉鬘の巻を下敷きに、朧に描いて想像を掻き立てる、この曲の魅力でもあろうか。人には様々な思い出がある。その思い出を重ねて見るのかも知れない。
能「玉鬘」の詳しい解説はこちら


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09.03
Sat
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沖縄県、慶良間諸島の残照 2016年8月2日沖縄県渡嘉敷村阿波連海岸で写す

次第
砂内桂馬、団塊の世代。世にあった日々は遠い。無為の時が流れて久しい。
桂馬は夢を見た。色々の顔が桂馬に語りかける。懐かしさに涙が流れた。何故懐かしい、それは分からない。人々の顔も話も、何の繋がりもない。やがて人々の顔は一つまた一つと消えて行き、一つが残り語りかける。桂馬は目を覚ます。半身を起こして語りかけた顔を想う。ややあって思い出が滲みでる。それは大きく華やかに広がったが、やがて静かに消えていった。しばしの残照だった。

前回までのあらすじ
桂馬と温子の出会いは不思議な出会いだった。桂馬は生い立ちが原因で女性が苦手だったが、不思議な雰囲気を持つ温子に引かれていく。温子が通勤に便利な荻窪に引っ越すことになり桂馬は引っ越しを手伝う。桂馬と温子の間は急速に縮まった。二人は桂馬を亀、温子を鶴と呼び合う事にした。桂馬は温子の提案で “ままごと”と称して土曜と日曜、温子の部屋に泊まることにした。
叔父の忠告で桂馬は温子との結婚を決意する。桂馬は両親と姉の承諾を取り付けるため郷里の塩釜に行く。父母も姉も異存はなかった。桂馬は温子に電話した。温子は我を忘れて塩釜に駆けつけた。父母や姉、身の回りの人達が温子を歓待する。
桂馬は温子をザリガニ釣りに誘い、祖母のお手伝いだった桂馬の心の姉、フミの生涯を語った。温子は桂馬の“人となり”の一面を知る。

出会い(十一)
“ままごと”は二か月も続いたが二人の間はすっかり打ち解けたという訳ではなく何となく蟠りのようなもの、遠慮のようなもの、何かにつけ、ぎこちなさがあった。
それも塩釜から帰ってからは徐々に解けて行った。桂馬が温子の部屋に泊まることも多くなった。
温子は新しい職場に通い始めた。新しい温子の職場は秘書の仕事とは全く異質だったし人の数も比較にならない程多かった。温子は色々な人がいて楽しいと云った。
温子は気が置けない性格だ、誰とでもすぐ打ち解けるだろう、桂馬の心配は杞憂かもしれない、そう思いながらも心配のしこりは消えることはなかった。
温子の今までの職場で接触する人達は、議員という一人の人を支援する、云わばその人の一面だけのつきあいが多かったのだ。
新しい職場の人達は、世の中の多くの人と同じように生活を背負った人たちだ。どんな社会にも、受け入れられる人、反りの合わない人がいる。いかな温子でもそのような人に遭遇するだろう。今まで世情に疎い温子だ、その場面に遭遇した温子が思われ愛おしかったのだ。桂馬は温子の様子を見ることにした。時々荻窪の駅で待ち合わせOKストアで買い物をして帰った。狭い台所で職場の様子を聞いた。

夏の太陽も衰えはじめた朝、二人はちゃぶ台に向かっていた。温子が箸を咥えたまま頭を傾げ天井を見つめ、
「何処か涼しい処、ないかナ」
「春日神社は?」
「もう飽きちゃったし」温子は急に箸を下し桂馬を見つめ
「あ、そうだ、芦花公園に行きましょう」
引っ越した時、大家の奥さんが薦めた処だ。その時桂馬は芦花公園に興味を持ったのだった。芦花公園は明治、大正の作家徳冨蘆花が晩年住んでいた処だという。大家の奥さんは近くだと云ったが地図で調べたら、かなりの距離がありそうだった。
桂馬は蘆花の名を知っていた。祖父に教わったのだ。晩年の祖父は蘆花の「不如帰」の武雄と浪子、尾崎紅葉の「金色夜叉」の貫一とお宮を混同して話した。幼い桂馬には話の内容を理解できる筈もなかったが、祖父のうるんだ眼から祖父の心を読んだ記憶が今も残っていた。

温子は下駄で行きたいと云う。距離がありそうだからと桂馬が止めても譲らなかった。仕方なしに桂馬も下駄をはいた。
井の頭線の高井戸駅近くにスーパー、大関がある。二人が度々行く店だ。出店のパン屋のクロワッサンが温子のお気に入りだった。ここまでは温子の顔は笑顔だった。井の頭線のガードを潜ってしばらく、温子は「まだ?」を連発した。笑顔が少しずつ消えていった。大家の奥さんに、高井戸駅からすぐと聞いていたからだ。京王線、芦花公園駅が見え始めても笑顔は戻らなかった。
芦花公園駅の駅前に「氷」と染め抜いた幟旗が見えた。
「氷だよ、食べる?」
「どこどこ?食べる、たべる」温子の顔は笑顔に急変した。桂馬の手を掴んで急ぎ足に店に向かった。破顔一笑とはこのことだナ、桂馬は可笑しかった。
桂馬は美味しそうにカキ氷をたべる温子を見ていた。見ているだけで涼しくなる様な食べっ振りだった。
「あら、亀しゃん食べないの?」
桂馬は幼い頃からカキ氷が苦手だ。桂馬の母は「子供はカキ氷が大好きなのに、お前は変わってるネ」と云った。
「オヤジはネ、冷たいものが嫌いで、氷を水の固まりと呼んだンだ。水の固まりなんぞ食べて喜ぶンではないゾ、とよく云ってたナ、氷を毛嫌いしてた」
「あら、そう」温子は無反応だった。

公園は欅や椎の木の大木が茂り太陽を完全に遮ってほの暗かった。色の褪せた古びたブランコやシーソー、ベンチがあちこち置き忘れたように黒ずんでいた。ケヤキや椎の木の大木の幹が醜く乱立する間を透かして、その奥に竹垣に囲まれた、蘆花が最後まで住んでいたという家がぽつんねんと建っているのが見えた。
「やはり文豪の住家ね、どこか洒落てる。だけど藪蚊が出そうネ、夏は涼しそうだけど冬は寒そう」
「蘆花が住んでいた頃は、周りは畑や林だったそうだ」
「当時、有名な小説家だったのでしょう?どうしてわざわざこんな不便な処に住んだのでしょう」
「さあネ、生まれは熊本の名家だったらしい。兄弟と云うのは面白いネ。兄の徳富蘇峰は当時日本を代表するジャーナリスト、思想家で、かなりの高齢まで中央に君臨していたそうだ。蘇峰の意味は熊本の大噴火山、阿蘇山だって。
蘆花の名は地味なアシの花。40歳で奥さんと二人、この土地で半農生活を送り60才で亡くなったそうだ。蘇峰、蘆花兄弟はとても仲が悪かった。でも蘆花の死の枕元で二人は仲直りしたそうだ」
「どうして仲が悪かったの?」
「さあネ。例えば佐藤紅緑とサトウハチロウー親子のようなものじゃない?紅緑は当時、売れっ子の作家、息子の詩を、もっとマシな物を書けと度々怒鳴ったそうだ。この親子も仲が悪かったそうだよ」
「わア~亀しゃん物知り」
「だろう!実を云うとネ、芦花公園に行こうと云ったとき、チョットと云って出かけたよネ。南荻窪図書館で調べて来たんだ」

いつの間にか晩夏の太陽は大きく西に傾いていた。温子は足の疲れを忘れたようだった。高井戸駅まで兄弟の話が細々と続いた。
桂馬が歩き馴れた道はつまらないと高井戸駅の西の道から帰ろうと提案した。二人とも初めての道だった。温子は、もし迷ったら足も痛いし、困ると反対したが、荻窪駅の方向、東に歩けば必ず知っている道に出る筈だと温子の背中を押した。

見慣れた風景は中々出て来なかった。「迷ったかな?」動揺を温子にさとられないように歩いた。自転車に乗った若い男に荻窪駅の方角を聞いた。男は東の方向を指さし無言で走り去った。アパートの方角に大きく外れていた。さすがの温子も気づいたらしく、
「ほらごらん、迷ったでしょう。もう私、歩けません。見て」温子の足は下駄の緒の形に真っ赤だった。温子がうずくまった。
「ごめん、でももう直ぐだよ。頑張って歩こう」
温子は両膝を抱いて顎を乗せ、目をつぶった。桂馬も向き合ってうずくまった。温子は動く気配はなかった。
「姫様、お籠をお呼びしましょう」桂馬が背中を向けた。途端に温子が無言で桂馬の首にしがみついた。桂馬はたじろいだ。意外だったからだ。
「おやおや、姫様。お籠の中では履物はお脱ぎになった方が」
下駄がカラリと落ちた。
「それでは旅の徒然に、お話でも致しましょう。お気に召されなければ私メの背中を一つ、ガッテンならば二つ突ついてください」

「昔むかし、あるところにお爺さんとお婆さんがいました。お婆さんは山に柴刈に、お爺さんは川に洗濯に、え?トン一つ、異議あり?だったら背中に書いて。うんうん、逆?
でも同じ話ではつまらないから。
山の大きな桃の木に金色に光った大きな桃が一つだけなっていました。お婆さんは大喜びで取って帰りました。え、トントン、二つ!
お爺さんが洗濯をしていると大きな桃がドンブリコ、ドンブリコと流れてきました。
桃は川の石にぶつかってキズだらけでした。それでもお爺さんは大喜びで拾って帰りました。トン!一つ?お爺さん可哀そうだよネ
金色のお婆さんの桃から丸々と元気な男の赤ちゃんが生まれました。お婆さんは赤ちゃんに富士太郎と強そうな名前を付けました。
傷ついたお爺さんの桃からは、ほっそり、まあまあの可愛い赤ちゃんが生まれました。トン!一つ?でも兄弟は一人ひとり違うよ。
お爺さんは蘆丸(すすきまる)と名前を付けました。
喜んだお爺さんは二人が生まれた桃の実二つを大事に神棚に飾りました。
富士太郎は大きくなって山のウサギと駆けっこしたり、熊とお相撲取ったりして逞しく成長して、山の動物達を家来にしました。噂は遠くまで広がりました。殿さま達のドラフト会議で指名一位になり有力殿さまの家来になってお金を沢山もらいました。お婆さんは飛び上がって喜びしました。お婆さんはお金持ちになりました。トン二つ!
蘆丸も大きくなりました。蘆丸は逞しくはありませんでした。お百姓さんから米や麦、野菜などの作り方を勉強しました。お寺のお坊さんからも色々のことを教えてもらいました。トン、ないの?
大人になった蘆丸は作物の作り方や、お坊さんから学んだことを教える人になりました。お爺さんは相変わらず貧乏でしたがちっとも不幸だとは思いませんでした。トン一つ!
お爺さんは仕方がないと諦めた訳ではないと思う。自分なりの幸せだと思ったのだとおもう。
お爺さんとお婆さんは別居か離婚か、したのかって?お爺さんにお金、上げないから?そう深くは考えないの!与えられたことだけそのまま受け入れればいいの!お話なんだから。
でもネ、夫婦は全く違う人間だし、全く違う環境で育った二人が一緒になるンだヨ、、、色々あるだろう、、、そう思って納得して。
そして月日が流れました。富士太郎は偉くなったので昔の家に帰る暇はなかったがある日懐かしくなって昔の家に帰りました。蘆丸は喜びました。二人は桃の実を並べてお爺さんとお婆さんの思い出話をしました。
桃の実が二つに割れて金色の実から金色の煙、傷の実からカバ色の煙が立ち昇りました。富士太郎の髪は金色に、蘆丸の髪はカバ色に染まりました。二人はニヤリと笑いました。
トン一つ!「どうしてニヤリかって?好きに想像したら?」
二人は枕を並べました。やがて二人の髪は二人とも一緒に真っ白に変わりました。二人は驚きませんでした。二人は顔を見合わせ声を揃えてハッハッハと大笑いして静かに目を閉じました。おしまい」

「ハイ着きました」桂馬がしゃがんで手を緩めた瞬間、温子は桂馬の背中を突き放しアパートの階段を鳴らして駆け上がり、踊り場から振り返り、唖然と見上げる桂馬に
「あ~楽ちん楽ちん!楽しかった!亀しゃん、騙しちゃった」云うなり部屋に駆け込んだ。
桂馬も続いた。温子は濡タオルを頭にかぶり上目使いに桂馬を見つめた。
「よくも騙したな!」
「ごめんなさい。もうしません。ごめんなさい、、、」「次は忘れた頃にします」最後は聞こえなかった。
「私の生涯で、こんな楽しいことのナンバーワン、お礼に御馳走します。OK牧場に行きましょう」
「足は?」
「平気、治っちゃった」
「現金だな。もう、おんぶはいやだよ、自転車」
「ハイハイ。結構でございます。運転をお願いいたします」
「運転?自転車の免許証、持ってないよ」
「捕まったら罰金、私が払います」
OKストアは混んでいた。大勢の客のざわめきが反って心地よかった。
「今晩は玄界灘ナベにします。まだ暑いけど亀さんの“おんぶ”の汗を罪滅ぼしに私もかきたいから」
玄海鍋は温子の創作ナベだ。練馬から引越す最後の夜に二人で食べた。温子の郷里は福岡、福岡の海は玄界灘、荒っぽいナベと云う意味で名付けたが、名に反して旨かったのを思い出した。
夜に入っても暑かった。
「さすがに暑い、でも美味しい」
全ての窓、玄関も、風呂場の窓も開け放って食べた。大通りからは遠く、玄関下の通りは車も人も希だった。知らない世界に隔離されたような静けさだった。

「亀しゃんの昔話、面白かったナ。桃太郎のお話かなと思ったら最後は浦島太郎だったわネ。桃太郎と浦島太郎のパロディ、面白かった」
「でもお婆さんの桃は金色なのに、お爺さんの桃はキズだらけ、不公平よ」
「お婆さんを羨ましがっても仕方がない、キズ桃でも有難いと思ったンだよきっとお爺さん。情けないお爺さんだと思うだろう?」
「ふっふっふ。富士太郎の髪は金色に染まって、蘆丸の髪はカバ色。ここまでは分かるんだけど、最後は二人とも真っ白になって大笑いしたわよね、何が面白かったの?」
「さあ、何かな?同じだなと思ったンだよきっと、二人とも同じ思いだったンじゃない?」
「同じって?何が同じ?」
「僕にもわからない」
「でも亀しゃんが作ったのよ」
「でもわからない」
「それはそれとして、どうも怪しいナと思ったんだ」
「何が怪しかったの?」
「素直に背中をトントンつつくからサ。怒ってたら、突かないよね。オレも鈍感だったナ。何時か仕返しするゾ」
「おぉ怖い。今夜は布団、遠くに離して敷きます。夜中に亀しゃんに首、絞められそうだから、ふっふっふ」
温子はいきなり布団に飛びこみタオルケットを頭からかぶった。温子の忍び笑いが間を置いて聞こえて来た。桂馬の中から今まで経験したこともない得体のしれないものが湧き上がった。得体のしれないものは瞬く間に桂馬の身体に充満し全てを追い出し、頭の中を火となって燃え上がらせた。
それは桂馬を勝手に起き上がらせ温子のタオルケットを剥ぎ取り寝間着の衿を掴ませた。
温子が抵抗した。凄まじい抵抗だった。華奢な手足が鋼鉄の棒のように踊り肘が桂馬の顎を突き上げた。一瞬のけぞったが桂馬の身体は人間を離れていた。
温子の全身から急に力の波が引いた。桂馬の中の血は一瞬に固まった。温子の両手を掴んだまま桂馬は温子を見下ろした。温子の頬を涙が伝った。波打ったシーツの上に散乱した寝間着のボタンに追われるように桂馬は手を放した。己への嫌悪感か空虚感か、堪えられない重圧が桂馬を襲った。
温子が半身を起こして桂馬の手を握った。
「ごめんなさい。心の準備を全くしてなかったものだから」涙声だった。
     つづく

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